第33話 彼女が死んだ時、何を思うのだろう
一括りに警察と言っても、様々な種類がある。一般的なイメージでは、警察官はそれぞれ担当する地域で起きた事件や、事故現場に赴いたり、道端で待ち構えるなどして違反を取り締まったりするものだ。僕自身、人的被害の出るタイプの現象に携わると、少なからず警察の方とお話しをする機会もあり、何度か取調室でお説教を食らった事もある。と言っても暴力的なものではなく、以前は恫喝紛いの取り調べもあったそうだけど、現在はその辺りの可視化も進んでいるようで、ほんの数発程度で済んだわけだ。
……思い出すと嫌な気持ちになったので、話を戻そう。
公安警察とは、詳しくは知らないけど警備警察なるものらしい。警察庁警備局の一部門であり、公共の安全と秩序の維持が目的の組織で、対テロリズムで、国家体制を脅かす存在へのアンチテーゼ。国益を守る人々。とっても簡単に説明すると、良く映画なんかに出て来る諜報機関、みたいなイメージで良いのではないだろうか。厳密に言えば違うけどまあそんな感じである。
という雰囲気を持った組織なので──少なくとも、ここに居るような人物ではないのだ。
「こ、公安警察の方がこんな場所で何してるんですかね」
「あ、それよく言われるわ……身内から。ったくひでえよなー同じ警察なのに」
男はわざとらしく肩を落として、僕に同意を求めるが苦笑いくらいしか出来なかった。
冒頭で述べた通り、公安警察とは国益を守る組織であり、こうした殺人事件の現場に関与する事は殆どあり得ない。管轄が違うのだ。だから『こんな場所で何やってんだ、とっとと失せろ』と言われるのだろう。有り体に言えば、刑事と公安警察は仲がよろしく無いのである。
「
「そうそう。じゃ俺は名乗ったわけだし、そろそろ君達の名前聞かせてくれないかな?」
「その前に──彼女、体調が優れないので先に帰しても?」
「構わねえよ?」
「ありがとうございます」
未だ俯く肩に触れると、彼女はビクッと全身を強張らせた。この様子では、最早僕達の会話など耳に入っていなかったであろう。
「千頭流、先に帰って……」
と、口走ろうとして止める。この様子で一人で帰すのは流石に心配が勝つ。家までの道のりはそれなりに長いのだから。
「いや──あの公園、確かベンチがあったろう? そこで休んでいて」
「……ええ。そうさせてもらうわ」
彼女はゆっくりと歩き出すと一度だけ僕を見て、来た道を引き返して行った。正直言って一人にするのは心苦しいが、それでもこの場に立たせ続けるよりはマシだろう。恐らくこの刑事は、自分が満足するまで離さないだろうから。
千頭流をすんなりと行かせたのは、僕一人でも居れば充分だと思っているのだろう。それに加えてすんなりと行かせたのは──僕達を犯人だと疑っていないからだ。仮に容疑者と睨んでいたのなら、動揺した様子の彼女の方が話を聞き出せる可能性が高いし、僕ならそうする。
犯人だと思っていなくて、でも話は聞きたい──これは僕にとっても都合が良い事。
千頭流の背中が曲がり角を曲がった瞬間『さて』と、籠鮫が口火を切った。
「それじゃあ改めて、名前を聞こうか」
「多々里憩。飼添高校の2年生です」
「お前は学生証見せねえのか?」
「ここに来る時落としまして……」
「いやいやそれは嘘過ぎるだろ……」
彼は軽く舌打ちをすると、面倒臭そうに後頭部を掻く。
「あんまり大人を舐めるなよ。クソガキ」
鋭い眼光は千頭流のものより──威圧的だった。見るものを凍りつかせるのではなく、威嚇の意味合いが強い。
「子供相手に威張り散らすのが大人ですか? なるほど」
「お前本当に可愛くねえな」
「可愛いよりカッコいい男を目指してます」
「いやいや、それにしちゃあちょっとワイルドさが足りねえなあ。もっと、こう、おじさんみたいにダンディな雰囲気を」
なんだかとても長くなりそうな予感がしたので、僕は食い気味に話を切った。
「あ、大丈夫です」
「人の話を遮るんじゃねえよ馬鹿野郎……ったく最近のガキは礼儀ってもんが全然」
「それより話を聞きたいのでは?」
「あ、そうだった」
この軽薄な態度などは全て演技だろうけど、終始形式的に威圧的にされるよりはマシとも思える。もっともやり辛い相手には変わりないが。通常、僕のような子供に舐めた態度を取られた大人の反応は分かり易く──激昂するか、見下すかのどちらかだ。
「つーかお前、さっき現場近くで話を聞いてたろ?」
しかしこの──籠鮫という男は違う。僕を子供として見ていないのだ。あくまで一人の人間として、その根幹に迫ろうと内心で観察し、検証を重ねている筈。試して、見極めようとしている。
「何嗅ぎ回ってんだ? 刑事の真似事ならよそでやってくれよ邪魔だからさー」
僕の反応を見たいのだ。だから威圧するし、敵意を向ける。
「何があったのか聞いてただけです」
「怪しいなお前。いやいや──彼女の方が怪しいかな。どうにも様子が変だったし。どうしよっかなーやっぱりちょっと話を聞いてみよっかなー」
「時間の無駄ですよそれ」
「それはお前が決める事じゃないんじゃない?」
「だって僕や彼女には無理な犯行だったでしょう?」
瞼が、虹彩が、眉が──籠鮫の表情が僅かに動いた。それは答えているようなもの──人間には不可能な、とても信じられないような犯行だったと、そう理解するには充分な材料。
「お前、何を知ってる?」
彼の顔が刑事の顔に変わる。人を疑い、覗き込むような顔に。
「僕って霊感あるんですよねー」
「は?」
「感じるー感じるぞー、あの場所から渦巻く怨念を感じる。怖いなー怖いなー」
右手を現場に翳して、目を閉じて、とりあえずそれっぽい動きをしてみた。
「え、何お前もしかしてそういうタイプ?」
「はい。子供の頃から見えちゃうんです──そういうの。今も、貴方の後ろに白い着物を着た女の霊が……」
「あ、そう」
籠鮫から感じていた熱が一気に冷える。
「もう行ってもですか?」
「……どうぞー」
手で払うような仕草をすると、彼は目を逸らして大きく溜息を僕に吐き掛けた。
「失礼します」
そう言って、背後に僅かな視線を感じながら僕はその場を後にする。必要な情報は得られたので、今優先すべきは千頭流の容体だろう。ベンチが木陰に隠れた場所だと良いけど、そこまで明確に記憶してはいない。
あの刑事は超常現象に見識があるかどうかは判断が付かない。それに今回の事件もまだ『そう』だと決まった訳じゃない。しかしながら可能性が高まったのは事実であるし、少なくとも警察内部に『人間に不可能な犯行』と考えている人間がいるのだと確認出来た。上層部がどんな決断を下すかは定かではないけど──これで大事になってしまったのは確実。
公園が視界に入ると、千頭流の姿を見つける。ベンチを囲うように植えられた大木を見て、直射日光に晒され続けるよりはマシな場所だと安堵した。
僕は脇に設置された自販機でコーラとお茶の二つを購入すると、小走りで彼女の元へ駆け寄る。
「……」
足音で誰かが近付いていると気が付いても良いのに、彼女は視線を地面に落としたまま動く事は無かった。
「お待たせ。コーラとお茶どっちが良い?」
「……いらないわ」
僕が隣に座っても、彼女は動かない。仕方が無いのでお茶のペットボトルを彼女の側に置いて、僕は苦手な炭酸飲料をぐびぐび喉を鳴らして飲み込む。口の中で弾ける感触が何とも居心地が悪い。
「熱中症になっちゃうよ」
「貴方は変わらないのね」
僕は言葉を返せず、またコーラを飲み込む。千頭流が何を思ってそんな事を言ったのかが、理解出来なかったから。
「ショックだったかい?」
だから、多分、思い返せばこれは的外れな言葉だったんだろう。
「ええ。とっても」
彼女の拳が膝下で強く握られる。奥歯なんかも噛み締めていたかもしれない。
その内心に推測を立てるなら、彼女は昨日、被害者男性のツイートを追っていた──つまり今回殺害されたのは、千頭流にとって全くの何処の誰とも分からないような他人ではなく、多少見知った人間だった。それに対して女子高生がショックを受けるな、というのは無茶な話かもしれない。
しかしながらその程度の関係、すぐに忘れる──とは、今の彼女に言える訳が無い。
遅かれ早かれ、こうした出来事に遭遇する事は分かっていた。だけど僕は『彼女なら大丈夫なんじゃないか』と曖昧な推論に基づいて、遂にはこんな場所まで来てしまっている。彼女の事を何も知らない僕が、彼女の事を知った気になって──だから、今僕が考えている全部も、きっと間違っているんだろう。
「遊び好きで、女好きで、ネット上で常に喧嘩しているような男だった。この公園の写真、その投稿に何て書いてあったと思う?」
「さあ、僕には分からない」
千頭流は僕の目を見て言う。
「写真には公園で遊ぶ子供達が収められ『子供って可愛いよな』と言葉を添えていたわ。子供好きアピールだと思うでしょう? 事実私もそう思うし、案の定フォロワー内外問わず炎上していた」
『子供好きとか嘘だろ』
『肖像権って知ってる?』
『無断で撮るな。この犯罪者』
『通報しました』
『ロリコン気持ち悪い』
『死んで欲しい』
彼女の口から、呪詛のように言葉が並べられる。
「そこからはもう大喧嘩、ああでもないこうでもないって──私はそれらを見ている時、正直言って不毛だと思ったし苦痛以外感じなかったわ」
「確かに、褒められた行動ではないかもね」
「……そうよ。でも、こうも思ったの」
千頭流は誰も居ない公園の、動かない遊具を見渡した。
「もしかしたら、本当に子供が好きだったかもしれない。単純に遊ぶ事が好きなだけだったかもしれない。女の子を取っ替え引っ替えするのは、寂しかっただけなんじゃないかって──勿論これは免罪符にはならないし、無断で撮影した件に関してはきちんと処罰を受けるべき行為よ。だけど、それでも──」
彼女の頬に滴が伝う。
「ネット上で見知らぬ誰かから『死んで欲しい』と言われた彼は──死んでも良い人間だった訳じゃない」
絶えそうになる呼吸を押し殺して続ける、その姿に僕は何を言えば良いのだろう。
「今日は、説教でもしてやろうと思って来たの。『良い加減にしろ』って──でも、もう手遅れだった。彼が本当は何を考えていたのか知る事が出来ないまま、誰にも知られないまま──彼は死んでしまって、もう届かない」
僕はその時、彼女が何故思い悩むのかを理解した。
「私達は届く可能性があった。手を伸ばせる機会を得ていた──あと一日早ければ、あと少しで、なんて今更よね」
彼女は嘲笑う、その矛先は自分へと向けられているんだろう。
「高校生の君には酷な話だけど──全部は救えないんだ。進めば失う事もある。僕も今まで生きて来た中で多くを犠牲にした。何も守れない時もあった」
千頭流の心を締め付けている原因は単一じゃない。幾つもの様々が折り合って、混ざり合って、複雑に絡み合って──彼女の脳内では正常な処理が出来ていないのだろう。そこに具体的な理由は無く、明確に出来ないから苦しんでいる。
無数の痛み、矛盾、戸惑い、ショック、動揺。 はっきりと言い表せない数多の感情がそこにはある。僕には共感の出来ない感情が。
「憩なら、そう言うだろうと分かっていたけど──やっぱり辛いわ」
千頭流は鼻を鳴らして、
「全部は救えない」
僕を見て、
「私だってそれくらいは理解している」
切れ長の瞳を丸くして、
「でも──だったら」
近付けて、
「いえ、もしも」
覗き込むように、
「もしもの話」
僕の中にあるものを見据えるように、
「私が死んでも、貴方は同じ事を言うの?」
言った。
僕は瞳を動かせず、近付ける事も出来ず、自分さえも見失ってしまいそうになって、
「ぼ、僕は──」
か細く紡がれた言葉は響く蝉の鳴き声に阻まれて、彼女の耳には勿論、僕自身さえ聞き取れなかった。
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