第32話 最初の被害者
野次馬と報道陣。都会に来てから見慣れていない事も無いけど、雰囲気の異様さは圧倒的に違っていた。
イエローテープが張り巡らされて、インタビューを受ける人々、忙しなく行き来する鑑識、張り詰めていて騒がしいそんな場所は、僕達が車を追いかけて曲がり角を曲がれば──すぐに目に付いてしまう程。一件のアパートを取り囲む視線──それからリポーターと思われる女性の『殺人事件』という声が聞こえて来る。
不安に飲まれる近隣住民、一瞥して立ち去る通行人、神妙な表情を浮かべた報道陣。制服に身を包んだ警察官達がそれらの侵入を拒むように、入り口に仁王立ちしていた。
千頭流はそんな光景を目にした瞬間、すぐさまスマホを取り出し検索を掛け──ほんの10秒程で目的の記事を見つけたらしく、少し小さめの声で読み上げる。
「被害者は都内に住む『坂井道典』という27歳の男性だそうよ──顔写真もあるけど、見る?」
「いや、大丈夫だよ」
声色から、恐らくそうだろうなと思えた。
「……そう」
返答の弱さから確信した──きっと『僕達が探していた人物』だったんだろう。
ふと思ったけど、被害者の実名と容姿を報道するという行為は問題にならないのだろうか。日常的に気に留めた事すら無かった疑問だったが、こんな出来事と出会して僕はなんとなく、意味もなく考えてしまう。しかしこれだけ報道陣が集まっているのだから、朝からテレビで放送しまくっていただろうに。なら小耳に挟むくらいは──あ……テレビ壊れてたんだった。
これからはスマホでニュースを読む癖を付ける必要があるかも、と僕は決心する。
「記事によると──深夜3時頃、物音と叫び声を聞いた同アパートの住人が通報。全身に鋭利なものが突き刺さった状態で発見された、と」
「全身に鋭利な、……うーん、なんとも言えないなー」
現場と遺体を確認したいところだけど、この様子では無理だろう。であるならば、当初の予定通りここは聞き込みをしよう。
「ちょっとここで待っててくれるかい?」
「……うん」
その時、どうにも沈んだ彼女の様子に──僕は気付いていながらも、その原因が分からなかった。
現場に近付くと雰囲気がグッと重くなるのを感じる──と言っても霊的な何かではなく、例えるならそう──これは緊張か。普段は事件などとは縁遠い閑静な住宅街なのだろう。交通事故やひったくりの類はあるだろうが、日本の中心で最も人口が集まる街の一角でも、殺人という非日常はやはり物珍しいらしい。
僕は、話好きで井戸端会議が好きそうでかつ、この辺りの事情に詳しいくらい長い間住んでいる──そんなお婆さんを探して、
丁度そんな感じの人物を発見した。
昼食の準備をしていたところに、噂を聞き付けて出て来たのだろう。エプロンに身を包んだ丁度良い年齢の女性。50代前半の主婦、結婚指輪を嵌め、サンダルを履いているのだからかなりのご近所さんであり、ラフな格好で出て来るのだから、周りに必要以上に気を遣っていない、つまり周辺との関係も良好で、それなりの期間をここで暮らしている筈。
「こんにちはー」
「え、ああ……こんにちは」
少し躊躇いながらも軽く微笑みを浮かべているので、不審には思われていないようだ。
「たまたま通り掛かったんですけど、一体何があったんですか?」
「あら、知らないの?」
「ええ。一人暮らしで家にテレビもありませんで……」
「あなた、結構若いけど高校生?」
「はい。飼添高校の2年生です」
「へえー、それで一人暮らしなんて偉いじゃない。ウチの息子にも見習ってもらいたいわ」
子供が居るのか──しかも僕と同じくらいの年代。これは話が長くなりそう、というかもう脱線してるんですが。
僕は閑話休題を求めて、視線を分かり易く該当のアパートへ移す。幸い意図を理解してもらえたのか、お婆さんは重苦しく口を開いた。
「殺人、ですって。こんな近所でまさかと思ったけど……」
「それはそれは……どんな方だったんでしょうね。被害に遭われた方は」
「何度か見かけた事があるけど、普通のサラリーマンだったわよ──だけどね」
お、これは何か良い情報を得られそうな感触。
「ここだけの話……」
お婆さんは声を少し萎めて、口元を手で覆うように言う。『ここだけの話』の秘匿性などこの程度。この世界に溢れる秘密の話はこうして伝播し見知らぬ誰かに伝わっていくのだろうと、改めてしみじみ思いながら耳を傾けた。
「出会い系サイトよ、それに随分ハマってたらしくて、見る度に違う女の人を連れてた。貴方くらいの若い子を家に連れ込んで事もあったから、ちょっとした噂になってたの。だから──そっち関係で殺されたんじゃないかって」
「そっち関係?」
「ほら、怖い──ヤクザとかそういうの」
ああ、なるほど。
「それは怖いですね……あ、塾に行く途中だったの忘れてた!! すみません失礼します!」
「あら、そうなの? 頑張ってね」
僕は学生だけに許された必殺技『塾に行く途中』を使い、これ以上何の情報を得られそうもない場を離脱した。
被害者の女好きという噂話から、彼が近隣から良いイメージを持たれていないという事実が分かる。ならば直接的な関わりを持った人物は少ない──つまり浮いていた。普段と何か違う部分は無かったかと質問したかったけど、これでは誰に聞いても一緒だろう。皆して普段を知らないのだから。
と、アテが外れて肩を落としていたのだが、そんな暇は無いようだった。
「あー、まずいなー」
小走りで駆け寄ると、千頭流と──もう一人、彼女と向かい合って立つ男性の視線が僕に向けられる。
このクソ暑い中でスーツに身を包む長身の男。折り目の付いたスラックスはサイズ感が微妙だけど、服の上からでも筋肉の発達が窺える。ボサボサの髪は、恐らく寝ているところを叩き起こされたに違いない。それに、この人をねちっこく見るような視線には覚えがあった。
千頭流が──なんと“刑事“に聞き込みを食らっている。
「お、なんだなんだ。もしかして君の彼氏? かー、良いなあ青春って感じでよ!」
近付いて改めて見て『でっけえなあ』と、180センチ以上は余裕にあるだろうと。ラフな言動とは裏腹に視線は鋭く尖っている。黒く焼けた肌から外回りが多いのだろうと察した。しかしそのくせ無精髭や剃り残しが多い──胡散臭いおっさん、というのが第一印象。
「そうですよ。僕の彼女に何か御用ですか? もしかして不審者ですか?」
「おいおい。こんな清潔感のある不審者がこの世にいるか? いや、まあいない事もないか……」
冗談が多く、人を遠ざけて信用していないタイプ。それにこんな報道陣の近くで堂々と聞き込みとは、組織のはみ出し者か、規律を重じていないのだろう。
「それでどちら様でしょうか?」
「この子には言ったんだけど。まあ、警察だよ警察」
「へー、こういう時は手帳を出すもんだと思ってました」
「生憎、昨日ラーメン溢しちまってな。洗濯中」
恐らく、千頭流が現場から少し離れた場所で一人で居たから目を付けたのだろう。これは僕の失敗、マスコミを恐れて白昼堂々聞き込みなどしないとタカを括った事によるもの。しかしこの刑事は違い、直感に身を委ねられる──僕が苦手とする種類。
それに彼女はどうしてか少し様子が変だった。今も珍しく萎縮している──いや、何か悩んでいるように口を閉ざしていた。刑事を前にしたからではなく──ここへ来てからずっと。
「名前を聞いても?」
「お前疑り深えなぁガキのくせに。もっと可愛げがあっても良いと思うよおじさんは」
男は溜息を僕に見せつけるように溢すと、一枚の名刺を胸ポケットから取り出す。
「ほれ、一応これでも──いやいや、見たまんまのエリートよ」
「はははー冗談が上手いですねー」
「はははーお前逮捕して良い?」
そうして笑い合って渡された名刺に目を落とした時、僕は笑顔が凍り付く。
「え、えーっと……」
印刷された文字を読むと──警視庁公安部公安課 警部補『
や、やべえ奴に目を付けられちまっタゼ……。
と真夏の暑い日差しの元、僕は額に一筋の汗を垂らして思ったのだった。
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