第二章 交際開始

第22話 初デート(仮)市街地にて

 悪夢のように甘酸っぱい、呪いに塗れた1週間を過ごしたけれど、夏はまだまだこれからだ。しかし、そんな浮かれた気持ちを抑えつけるもまた──夏。


 照りつける日差し意味も無く苛立ったり、相変わらずの息苦しさを感じさせる雑踏に苛立ったり、夕立に苛立ったり、連日更新される最高気温に苛立ったりと、そんなヘソで茶を沸かす日々がこれからも続くだろう。


 だから夏は怪談で涼むのだと、誰かが言っていた。


 しかしそれはお勧め出来ない。君達がそうして話しているのを、彼等は聞いているから。


 ほら──今も君の後ろに。


 ひんやりと優しく包み込む冷気、すべすべとした陶器を思わせる指先。身の毛もよだつような妖しい雰囲気が身体中を──だめだ。どうやら僕は、怪談というものが苦手らしい。愛しているものをどうしてわざわざ怖く語る事は無理だ。


 ホラー映画が苦手だよ、って人は沢山いるだろう。だってあれはそういう風に作られているから、そう思って当然だ。それでも見たいって思うのは何故か。怖いもの見たさとか、『決して一人では見ないで下さい』というカリギュラ効果を刺激するキャッチコピーに騙されてとか、だろうか。


 しかしどちらにせよ──怪物には人間に対して魅力がある、という事ではないだろうか。これでどうだろう、少しは僕が彼等を愛する気持ちを理解して頂けただろうか。よし良かった。


 じゃあ小話はこれくらいにして──本編に入ろう。


 


 

 一々描写する気も失せる程、無数の高層ビルが立ち並ぶ、都心の深部も心部。GO TOする人の合間を縫って、潜って、電車を降り立ち改札を抜け、


「暑い」


 真っ先に自分の口から出てくる言葉に辟易した。加えて現在夏休みの真っ只中──観光客のみならず、もう人口密度的には絶対パンク寸前とも思える人混みに視界を覆われて──溜息が溢れる。今となっては慣れた光景ではあるけど、出身がクソ田舎である僕にとっては、かつての地元に想いを馳せて、ついつい自分を慰めてしまう。


「言葉にしたって何も変わらないわよ。憩」


 隣を歩く彼女もまた、涼しい顔で額に汗を滲ませていた。


 数千の足音と、どこからか聞こえる広告や、車がアスファルトを駆け抜ける音、こんなにも近くに居る彼女の声ですら、周囲の雑音に端々が掻き消される。泳いだ目で歩行者の波を追っていると、物量に圧倒されそうで──家に帰りたい。


 信号が赤に変わり、歩行者天国が寸前で分断されて流れが止まった。


「……そうだね」 


 見壁千頭流──藁人形に自らと僕を呪わせた、イカれた女の子と今日は念願の初デート──とそんな訳は無い。


 心中で延々愚痴垂れながらも、僕が街へと繰り出したのには理由がある。


「それにしても凄い人混みね。逸れないよう手を繋ぎましょう──憩」

「いやいや、手汗でびしょびしょになっちゃうって」

「それもそうね。では腕を組みましょう──憩」

「いやいや、本当に熱中症で倒れちゃうって」

「否定するばかりじゃなくて、少しは自分の意見も出しなさいよ──憩」


 やたらと語尾をしつこく強調して、迫り来る彼女に対抗する術を、僕は一つしか提案出来なかった。


「……もう分かったよ、千頭流」


 名前を献上すると、彼女は満足気に、それでいて無表情に鼻を鳴らす。


「嬉しいわ。ようやく名前を呼んで貰えて。全く何を恥ずかしがっているだか、私達は付き合っているのだから、名前くらいすっと呼びなさいよ」

「確かに僕は付き合う──というか君の矯正案を受け入れたけど、心底納得している訳じゃない」

「それでも構わないけど、だって私は貴方が大好きだから──そして、これは矯正の一環。受け入れた以上は全うすることね」


 青に変わった信号で、再び道路が雑踏で埋め尽くされる。手を繋ぐ事も腕を組み交わす事も無かったけど、僕達は互いの肩を密着させて歩き出した。


「それに貴方の苗字って馬鹿みたいに呼び辛いし──多々里、たたざと。寧ろ私って結構凄いと思わない? 今の今まで一回も噛まずに呼んでいたのだから。それに比べて、憩、いこい。なんて呼び易いのでしょう」


 妙に口数が多いと思ったら、もしかして──彼女は浮かれているのだろうか。そう思って良く観察してみると、足取りも軽く見えるし、ノースリーブなんて着ているもんだから露出度も高い。心無しか表情も浮ついているように感じる。


 なるほど、そう考えると──もしかしたら彼女は案外可愛い。今までの毒舌も全部好意の裏返しで──なんだろう、狂犬がふと見せる愛くるしさのようなものだろうか。そんな気持ちだった。


「これが──ツンデレか」

「人の気持ちを端的に表そうとするような不快な言葉を口に出さないで。呪うわよ」

「君の場合は冗談で済まないよそれ」

「だって冗談じゃないもん」


 口先を尖らせてそっぽを向くも、肩は相変わらず触れ合っている。浮ついているのは確かなようだけど、彼女の性根を全て理解するのは、まだ時間が足りてないらしい。


 しかし、今日の目的を伝えた筈だけど、どうして彼女はこうも浮かれていられるのだろうか。


 僕の──元カノに会いに行くというのに、どうしてこうも平然としているのだろう。そもそも連れて行きたくは無かったが、何故彼女は自分から行きたいと言い出したのか。


 時間を巻き戻して考えよう。


 話は昨晩、つまり赤いきつねと緑のたぬき戦争が勃発し、僕が──千頭流と交際宣言を交わした夜まで遡る。

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