第23話 デートプラン
初デート(仮)前日。口内にまだダシの風味が残っていた頃。
赤と緑のカップをゴミ箱へ捨てて、再び僕達は向かい合って座る。交際宣言を交わした直後だと言うのに、やたらと殺伐としていたのは、きっと僕の表情が少し強張っているからだろう。
「君の魂は穢れている」
と、そんな中、僕は更に雰囲気をぶち壊す言葉を口にする。しかしこれは仕方が無い事で、付き合うに差し当たっての注意事項というか、今後の活動方針を伝える上では欠かせない前置き。
これは彼女の後遺症であり──代償の説明。
「喧嘩を売ってるなら言い値で買うわよ」
だったのだが──まあ、こういう反応も想定内である。しかしこのままだと頭を掴まれてテーブルに叩き付けられて『前が見えねえ』状態に追い込まれそうなので、冷静に説明を付け加えなければならない。
中腰で、今にも僕に掴み掛かって来そうな彼女を、手を出して制す。
「待て待て待って。説明させて」
「言い訳は聞きたくない。カップルらしく戦争しましょう」
「戦争というか、DVだよそれは」
「そんなに慌てなくても良いじゃない。ちょっとした冗談よ」
そう言って僕を睨み付けたまま、彼女は大人しくも椅子に座り直し、
「それで? 私の何が穢れてるって言ったのかしら死ね」
頬杖を突いてそっぽを向いた。その内こんな態度も可愛く思える日が来るのだろうか。
「魂だよ」
「魂、ね……それは呪いのせいって事?」
思い当たるフシがあるのかないのか、彼女は少しだけ目線を下げる。
「一度呪いに手を染めて、効力を持ってしまった人間は、その魂が穢れてしまうんだ。例を出すと魔女なんかがそうだね」
「例が全然分からないのだけど」
「えーっと……まあ、魂を穢す事によって、よくないものを受け入れ易くする、みたいな?」
「ふーん」
厳密に言えば──魔女とは、契約によって力を得る生き物であり、その契約先は地獄とか、悪魔とかそんなものだ。供物として──自らの子供を生贄に捧げて神を冒涜し、魂を穢して力を得る。純粋な魂のままでは為し得ない行い。
魔術とは常に対価を求める技術だ。用途がどうであれ、使わないに越した事は無い。しかしこれを説明するのは少し気が引けたので、思わず言葉を濁してしまった。
「だから君は今、結構危険な状態なんだ。そういうモノが近付き易くなってるから──場合によっては命に関わるかもしれないし、それに死ねば、地獄行きは免れない」
「それは大変ね」
結構ハードな事を言ったつもりだけど、彼女は相変わらずそっぽを向いて、つーんとしている。
「あのー、僕の話聞いてる?」
「勿論。彼氏の話を、彼女である私が聞かない筈ないじゃない」
「……何をそんなに怒ってるのさ」
「別に。せっかく思いが成就したのに、イチャイチャラブラブな会話が出来ると思ったのに、魂とか地獄とか訳の分からない話をされてムカついている、なんて事は全然無いけど」
と、彼女は包み隠す事なく全部言った。
なるほど、であれば僕も少し趣向を変えて話を進める必要があるらしい。
「じゃあ楽しい話をしよう」
「……楽しい話?」
あ、こっち向いた。
「夏休みの間、出来るだけ僕と一緒に居て欲しいんだ」
「うんうん」
彼女を狂犬──つまり犬と例えるなら、きっと今頃しっぽを千切れる程振り回している事だろう。椅子から少し腰を浮かせて、食い気味で話を聞く姿勢を見せる様子は、まさにビーフジャーキーを前に舌を出す犬そのものだった。
キラキラと目を輝かせる彼女に、僕は詳細を咥えさせる。
「というのも、君の身の安全の為と、一つ分かったことがあるからだ」
「うんうん。それはなに?」
「たかが“藁人形の呪い如き“が、あそこまで現実に作用するなんて──普通じゃない。恐らくこの街全体に、何らかの異変が起きていると考えられる。放って置くと面倒にもなりかねない。そこで、僕はその調査をしようと思う」
そう、本来なら起こり得ない現象が起こってしまい、結果的に彼女を貶めている。女子高生の単なる『願掛け』に効力を持たせた何かが、ある気がする。
これは予感──何かとんでもない事が起こりそうみたいな、曖昧な直感だ。しかし、こういうものが馬鹿に出来ない事も経験則。
「話が大きくなって来たわね。ワクワク」
ニコニコと相槌を打つ彼女は、本当に話を聞いているのかも分からないけど、というより多分聞いてない。
本当はそれこそ専門家──師匠や、他の狩猟者達に任せたい話だけど、世界中を飛び回っている彼らだ、生憎連絡先も行方も分からない。もしかしたら既にこの街に来ているかもしれないが、それまでの間に手遅れになっても困るし、情報収集や多少のちょっかいを掛けるくらいは、こちらでしておいた方が良いだろう。
以前、この街は一度“崩壊しかけている“のだから。
と、そう思うのだが、
「ようやく夏休みって感じがして来たわ。今までのも、まあ夏休みらしいといえばそうなのかもしれないけど」
問題は彼女の扱い。このどうしようもなく愛くるしく、浮き足立つ見壁千頭流をどうするか。
彼女は呪い、穢れてしまった。先刻の出来事からも分かるように、彼女は『よくないモノ』を引き寄せ易い体質となっている。怪物退治の上ではもってこいの性質だけれど、それは危険と隣り合わせである事と同義。しかしながら、放っておけば何が起こるか、この街の状況では予測も立てられず、だから──僕は『彼女』の扱いに頭を抱えている。
「少しくらいは緊迫感を持って欲しいなー」
もっとも、呪いに手を染めた人間が──まともな人生を送れる可能性は低い。引き寄せられて、引き寄せてしまうから。こんな状況で、それは圧倒的に致命的な欠点。
それでも僕は、彼女を──最後まで助けたい。だから異変の解決は僕にとっても、彼女にとっても、この街にとっても最優先事項なのである。
「緊迫感どころかドキドキが止まらないわ。それで、調査というのは具体的に何をするのかしら?」
しかし、もしもの時──僕は、彼女を守れるのだろうか。彼女を僕の側に置くのは、本当に正しい選択なのだろうか。これ以上巻き込まないよう、突き放すべきなんじゃないのか。
魂を浄化さえ出来れば手っ取り早いが、そんな方法──気の遠くなるような時間を掛けて善行を積み重ね、穢れを取り除くか。或いは力を持った存在、それこそ天使なんかに直接清めてもらうか──死ぬか。それくらい。
「憩?」
すー子ちゃんは天使の核を失っている、頼りには出来ない。師匠は行方知れず。実家の連中は──連絡くらいは取れるだろうが『自分でやれ』と突き放すに違いない。過去の経験からそれは、もう学んだ。
「……」
敵、かどうか分からないけど、相手は街全体に作用出来る力を持ったモノ。
「いーこーいくん?」
「……」
それならば、魂の浄化も可能なのではないだろうか? しかし、どうやって見つける、というか素直に力を貸してくれるのか。いやいや貸してくれる訳が無い。寧ろ下手を打てば殺される。
僕にあるのは多少の知識と経験と道具と──抜け殻の魂だけ。とても敵う相手とは思えない。とすれば素直に傍観を続けるのが賢明か、だけど、それこそ彼女の身を危険に晒す可能性があるわけで、だけど手遅れになってからでは遅くて、手を出さない方が案外何も無いかもしれない訳で、
助けたい、一人にしておけない、危険から遠ざけたい。
だけど、しかし、どうやって、
「憩」
「──っ」
不意に、僕の震える手が熱に包まれる。
脳内を駆け巡る数多の言い訳が、一瞬にして吹き飛ぶような、そんな暖かくて優しい力加減だった。
「何を悩んでいるか知らないけど、それは全部間違いよ」
見れば彼女は真剣な表情ながらも、穏やかな面持ちで僕を見つめていた。
「どうしてそんなことが」
「顔を見れば分かるわ。私の事を考えているんでしょう? 貴方がずっとそうして来たように」
僕の手を握る力を強めて、彼女は続ける。
「私の身を案じてくれるのは嬉しいけれど、それは過保護なだけで対等ではないわ。そんな関係ならこちらから願い下げよ。私は貴方の隣を歩いていきたいの──同じ方向を見ていたいのよ」
そう言って、彼女は笑顔を向けた。
地獄行きだと宣告しても、よくないモノを引き寄せていると言われても、あんな経験をしたのだから、それが命に関わる現象に繋がると知っていても尚、彼女は笑って僕を見つめた。
「私は死ぬかもしれないし、死んだら地獄へ行くのでしょう。勿論それは嫌だけど、人は誰だっていつか死ぬと理解しているし、死んだ後の事なんて私は知らない、どっちでも良い。けどそれは、今を生きているから──なんて綺麗事じゃないわ。私が間違っていると言ったのは、貴方が立ち止まろうとしている事」
「……僕が?」
「ええ。今の憩は、どうすれば良いか分からなくなっているだけ。遠ざけようとして、先延ばしにして、けどそんなの時間の無駄よ。私の身を案じている暇があるならもっと頭を使って、手を尽くしなさい」
もしかしなくても、僕は今──励まされている。女々しくも同世代の女の子に手なんて握られながら、脳内で溢したあれこれに対して、叱咤激励されているのだ。なんとまあ情けない。
「良く言うよ、君の自業自得な側面だってあるのにさ」
「言われてみればそうね。でも不幸中の幸いでもあった。私は貴方と出会えたのだし──見つけて貰えたのだから」
「……うん。そうだね」
それに、お陰様で今後の活動目標が決められた。どうやら僕は、またしても彼女に救われてしまったようである。
「分かったよ。ありがとう……千頭流」
「それは何より」
彼女はパッと、手を離して満足そうに踏ん反り返った。
「では早速、明日から動き出すわよ。何をしましょうか」
「乗り気だねー」
心機を一転させて、異変の解決もしくは解消に狙いを定める。しかしながら何の手掛かりも無く動くのはそれこそ時間の無駄になるだろう。
現役時代の経験に則るのであれば、
「まずは聞き込みから、かな」
と言っても、そこらの人に『すいませーん、最近幽霊出ましたかー?』と聞く訳ではない。そもそも聞いたところで、笑われるか、無視されて終わりだ。
「僕の──知人に会おうと思うんだけど、とりあえずこれは一人で行くよ」
彼女の表情が一気に冷める。
「私の感動演説を聞いていなかったのかしら? 勿論一緒に行くわよ」
「いやー、ちょっと……面倒な奴でさー」
「行くったら行く」
言葉通り一歩も退きそうに無い。寧ろこのまま向かってしまいそうな、そんな気配を漂わせる。あんな話をした手前心苦しいが、正直、本当に連れて行きたくない。こればっかりは。
だから僕は、理由を口にするのも憚られたけど、告げた。
「元カノ、なんですケド……」
「……そう」
しかも──それは『僕』の元カノな訳で、それは勿論普通ではない、というか人間ではない。
彼女は顎に手を当てて、少しの間考えを巡らせている。これで納得してくれれば良いが、しかし彼女はそう素直な人間である筈が無く、
「より一層行きたくなったわ。連れて行って、というか絶対付いていく」
「えぇ……」
うん、そうだよね。そう言うよね。
とこのようにして、僕達の初デート(仮)は決定する。
今思い返してみると──多分彼女は、マーキングみたいな事をしようとしているのではと、そう思えたのであった。
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