第3話 ちずる

 見壁千頭流という少女は、とにかく良い人間である。裏を返せば、それくらいしか特徴が無い。


 彼女が彼女であるという、色が無いのだ。


 包帯など巻いて登校すれば、クラスメイトは勿論、最も怪しむのは教師連中だろう。心配にも似た詮索のような追及を、彼女がどうやって躱す事が出来たのか。それはとても単純な事。


 彼女は何か聞かれる度に、


『ちょっとね』


 と一言告げる。


 それだけで周囲の人間は納得してしまった。『見壁がそう言うなら』と『言いたくないのなら聞かない』と気遣って、適当に自分の中に答えを出して終わっていた。


 本当に大した信頼──いや、無干渉と言えるかもしれない。彼女の外側を知って、内側を見ていない。そもそも内側がある事を想像すらしていないのだろう。それが全てだと納得して、知った気になっている。


 まあこんなものは全部想像で、つまり何が言いたいかと言えば、それだけ彼女は信頼されているという事だ。それこそ彼女が言葉を吐けば、何もかもを包み込んで隠せるくらいには。


 そんな彼女と、僕はクラスメイトではあるが、実を言えばあまり話した事が無い。


 日々、胡散臭い占いと怪談話をして、適当に女の子と話しているだけの僕と、良い子である彼女とは、そもそも接点が無いのだ。そりゃ世間話くらいは何度もあるけど、


 良い意味でも、悪い意味でも──関わる理由が無かった、今日までは。


 そう言えば、この姿を見て──彼女の親はどうしたのだろう。



 包帯を巻き直した彼女は、立ち止まって振り返る。どうやらここが目的の場所らしい。表札に刻まれた『見壁』の文字がそれを裏付けていた。


「今は両親が仕事で──家には誰も居ないの」


 先程の僕の独白を読み取りでもしたように、見壁は呟く。


「へー」


 短く返答をして、すぐに視線を逸らした。


 夕焼けが鎮まり、そろそろ夜の足音が聞こえ始めた頃。涼しい夕風と薄暗い景色に、鼻を鳴らせば、どこからともなく夏の香りが漂ってくる。


 午後7時手前、僕は今──彼女の家の前に立っている。放課後にのこのこ呼びされて、こんな場所までトコトコと素直に付いて来てしまった。


 『なんでもする』と言って貰ったので、僕は『家ついて行っていいですか?』と言うと、彼女は躊躇いも迷いも無く、二つ返事で首を縦に振った。頼んだのはこちらだったが、あまりの物分かりの良さに若干引いてしまった。状況が逼迫しているのは充分理解出来たけれど、年頃の娘が年頃の男を、こうも簡単に家に迎えられるものなのだろうか、と思う。


「家に男の子を呼ぶのなんて──初めてだから……ちょっと緊張するな」

「へー、そうなんだ」


 見壁は門を開けると、照れ臭そうに言った。

 

 僕は少しだけ立ち止まって、彼女の家を見上げる。


 閑静な住宅街、その一軒。外観は至って普通であり、お化け屋敷とかそういう感じでもない。2階建てで、白くて整ってて、綺麗な一軒家だ。幾つかの花や草木が植えられている手入れの行き届いた庭、車の停まっていない車庫。犬は──飼っていないようだ。親と子、人と家、完璧に普通の家族。現段階では別に変わった様子は無い。


 僕が門を抜けると、彼女は続いて入って、門を閉める。

  

 右ポケットから鍵を取り出して、玄関の扉を開ける。


 閉めるのも開けるのも迷いが無い。そして僅かに見えたのは、鍵に括り付けられた、キャラクターもののストラップ。それは高校生の女子が使うには幼いもので、ボロボロで、使い込まれ、絵の部分がかなり削れていた。


「入って?」

「……お邪魔しまーす」


 一声掛けて入ると、目の前に伸びた廊下は当然真っ暗。本当に誰も居ないらしい。


 先に入った見壁は、これまた慣れた手付きで電気を点ける。


 玄関もまた、家の外観と受けた印象は同じだった。芳香剤の香りと規則正しく並べられた靴。白い下駄箱の上には観葉植物。マットが敷かれ、横にはスリッパが立てかけられている。


「この家は──取り憑かれている」


 僕がそう呟くと、息を飲む音が聞こえ、彼女はスリッパを用意しようとした手を止めてしまう。


「ッ──う、うそ──本当に?」

「あはは、冗談だよ」

「……もう、いじわる」


 見壁はぷくっと頬を膨らませて、眉間に皺を寄せていた。


 ちょっとした悪戯だったが、状況が状況なので効果覿面だろう。


「自称霊能者が良く使う手なんだよ。弱い心に付け入るのは、霊も詐欺師も一緒だね」

「多々里君は詐欺師じゃない、よね?」

「信じていない人からしてみれば、僕みたいなのは全員詐欺師かも」


 目の前に、乱暴に、スリッパが投げられた。


 彼女は『ごめんごめん、手が滑っちゃった』と謝って、それから続ける。


「面白い──面白いこと言うなぁ──多々里君は」


 言葉通りに、大きく口元を歪ませながら。


 廊下の薄暗い明かり中で笑う彼女に、良い人間であるという印象以外無かった彼女に──初めて色が付いたように見えた。苛立ち、だろうか、その得体はしれないが、別に知りたいとも思わなかったので、とりあえず目を逸らしておく。


 僕はひっくり返ったスリッパを直して、足を通し、


「見壁ちゃんこそ、面白いね」

「そうかな?」


 首を傾げて笑うその姿に、思った。


 僕は『もしかしたら面倒臭いのに首を突っ込んでしまったのでは』と。しかしながら乗り掛かった船、いや泥舟なのかもしれないけど、ここまで来てしまったのなら仕方が無いけど。


 玄関のすぐ側にある階段を昇り、通されたのは彼女の部屋だ。


 扉に掲げられた『ちずる』と可愛らしい表札を見て、『ちづる』では無かったのかと、そんなしょうもないことを思ってしまったが、まあどうでも良い。


 部屋に入ると、彼女らしいと言えばそうなのだろうが、別に目に付くようなものは無かった。窓際に置かれたベッドと、側に設置された勉強机。その隣にはテレビ。もふもふとしたカーペットには、幾つかのクッションが置かれている。てっきりぬいぐるみでもあるのかと勝手に思っていたが、少女趣味は無いようだ。どこか大人びた、白を基調した一室。面白味の無い、趣味嗜好を感じられない部屋だった。


 一つ気になる部分を挙げるなら部屋の中では浮き出ている──茶色のクローゼット、だろうか。


「うんうん。女の子らしい、可愛らしい部屋だね」

「あ、あんまり見ないで……」


 赤面する彼女を横目に、部屋を見渡していく。


 本棚に入っているのは、分厚い小説や辞書、参考書の類だった。少女漫画も雑誌も無い。しかしそうなると、鍵に付いていたストラップだけが異色である。あれだけ──噛み合っていない。


 2周3周歩き回って、一通りの内見は済んだと思うので、中央に置かれたテーブルを囲んで、見壁と向かい合って座る。


「それで……どう? 何か分かりそうかな?」

「うーん、築年もそれほど経ってないみたいだし、悪い気配も感じない。少なくとも今、この家には何も居ないんじゃないかな」

「そう、なんだ」


 正座して座る彼女は、膝に手を置いて、分かり易く落胆していた。


「まあまあ、せっかくクラスメイトが家に遊びに来たんだから。楽しい話でもしようじゃないか」

「う、うん?」

「いやー、まさか見壁のちゃんの家に来るなんて思ってもいなかったよ。ほら、僕達ってあんまり関わる事が無かったからさ」


 一瞬戸惑っていたようだったが、諦めたのだろう。溜息を吐いて質疑に応答した。


「そうだね。私達ってちょっとタイプが違うから……」

「見壁ちゃんは真面目だもんねー」

「そ、そんなことないよ。私だって──」


 僕がそんな会話を持ちかけたのは、ある理由があったからなのだが、正直言って──今は後悔している。言葉を重ねる度に、互いの嗜好を語る度に、心の底から込み上げる欠伸を堪えていたからだ。


 彼女の話は──つまらない。それこそ本当に、もう、描写する気が失せるぐらいには、退屈な話だった。 


 取り繕って、包み隠して、優しくて、平凡過ぎていたのだ。


 ──とこの時僕は──愚かにもそう思っていた。しかしながら、言うまでもなくこれは単なる伏線でしかない。

 

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