動機

 入学式、


 顔も知らぬ大人達から繰り出される、紙に書かれた言葉の羅列。硬い制服、寒々しい体育館。


 厳かな雰囲気と、新生活に胸を躍らせて、瞳を輝かせて、浮き足立って。


 保護者と呼ばれる人間達を横目で見た。そこに──私のものは居ない。周囲の誰もが、私を正しく認識していない。


 私を私だと思っていない。


「新入生代表、見壁千頭流」

「はい」


 事前に告知された通りに名前を呼ばれて、返事をして登壇する。皆、私の事など知らない。私はただ、求められるままに、未来に希望を抱く少女を纏って、そういう言葉を並べ立てた。


 高い場所から一望する。誰も、私の事など知らないのに、どうしてこう、上から目線で、何を語れと大人達は言うのだろう。皆と視線は合えど、その中間には意思疎通が無い。ただ呆然と、そこに立っているからと目を向けているだけ。そこに何の思惑も考えも無い。


「本日は、誠に有難う御座いました」


 そう締め括って深く頭を下げた。誰の為でも無く、ただ儀式として。


 式典が終了し、教室に集合する。担任、クラスメイト、その保護者で圧迫感を募らせる室内は息苦しい。何故自分はここにいるのだろう、私がこの場に居る必要はあるのだろうか、など考える隙も無い。


 私はこの学校に入学したのだから当然。生きていて、成長する過程の中で、社会で、集団で暮らすのだから当然。朝起きるのは当然、夜眠るのも当然。挨拶する、当然。登校して、起立して、礼をして、授業を受けて、終われば帰宅して、その繰り返しも当然。


 生きているのだから、通常の生活をしているのなら当然の事。


 それがルールだ、それが社会だ、それが理想だ、それが平凡だ。ならば──私は必要か? 否、必要不必要に関わらず、それが当然なのだから、疑問を持つ事さえも許されない。


 疑うのなら死ね。ここはそういう世界。別に社会に対して何かあってこういう事を思っているのではなく、ただ、私は──ちょっぴり寂しいだけなのだけど。


「では皆さん、来週からよろしくお願いします」


 最初の授業とも呼べるべきお話が終わって、室内が騒ぎ出す。皆、父と母と、恐らく同じ中学だったとかそういう繋がりで笑顔を浮かべる人々の中、私は教室を一人、後にした。廊下もまた騒がしく、逃げるように去っていく。


 幸い、下駄箱はまだ静かだった。


 敷地内を歩いても、そこには桜とか、穏やかな春の兆しとかがなくて、どうにも私にはまだ、春らしい春が訪れないらしい。それでも、とりあえずはやっていけそうだと、一人でも問題無いと、これを後何十年か続けるだけだと、安堵に似た失望と胸に抱いて、


 校門を出ようとした矢先、


「……」


 一人の少年が、すぐ側の欅を見上げていた。何の変哲も無いただのニレ科のケヤキ属の落葉高木を、ぼんやりと眺めている少年。否、少年と言っても胸に新入生の花飾りを付けているのだから、同級生なのだし、正しくは“男子生徒“になるのだろうか。


「何をしているの?」


 と、思わず声を掛けてしまった。理由を問わざる得ない程に、理解不能な行動だったからだ。


 男子生徒はポケットに手を入れてまま、私に視線すら向けないまま、笑いもせず、


「木って、血管みたいだよね」


 何故、どうして、そんな事をこんな日に校門で一人で思っているのか、相変わらず理解不能な行動だったが、言わんとする内容は把握出来てしまった。


 だから私は答えた。


「……地面から生えて、空に向かって伸びてる?」


 そしてこんな日に、こんな場所に一人で居て、訳の分からない話をしているのだから、私と同じように面倒臭くて捻くれていて、両親が来ていなくて、寂しい人間なのだと推測する。


 男子生徒は驚いたような顔をして、そこで初めて目が合った。


「そう、そうそう。そんな感じ」


 その言葉を最後に男子生徒は、呆気に取られる私を置いて行ってしまう。結局、何故彼があの時、そんな事を言ったのか。今となっても分からない。


 ただ、視線が交わされた時、彼は私を見て──初めて、そこに私が居る事を認識したのだと思う。思えば、あの時、あの瞬間から、私は彼のことが気になっていたのだろう。


 そんな彼の名前が『多々里憩』だと知ったのは1年後のこと。同じクラスになって、幾度か会話をして、私は思った──この人はどういう人なんだろう、私と同じで寂しいくせに、どうしてあんな風に笑っていられるのだろう。どうやら私は──とても思い込みが激しいようだから。


 見てみたい、彼が終わる時を。


 何を言うか、何を思うか知りたい、私が終わる時に。


 この人なら、私と一緒に終わってくれるのではないだろうか。


 これが私の最初の気持ち。彼への、最初の動機だった。

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