第二部 見壁千頭流
破局
52話 愛されたい私
皆さんどうもこんにちは、こんばんは。見壁千頭流です。
前振りをしていたのだから、私が突然現れても別に驚かないわよね? ええ、そう、ここからは彼の代わりに私が語り手となります。嫌いな人も居るでしょう、憩の方が良かったと言う人も居るでしょう。
うるさい。
私がやるったらやるんだから、大人しく見ていなさい。
彼を取り戻すまでの短い、ほんの少しの間だけでいいから。
道程は困難だと予測されるでしょう。しかし、こうなる事を想定していなかった訳じゃない。伏線は置いておいたし、頼りに出来る人──いえ、怪物もいるし、国家権力も味方に付けられた。
確かに私は失敗したけど、挽回出来ない程度じゃない。悲観することもない。何を犠牲にしてでも、必ず彼を取り戻してみせる。
だってまだ、あの言葉の続きを聞いていないのだから。
愛されたい私は、まだ、ここに居るのだから。
カーテンの隙間から、白みを増していく空が見える。
眠気も忘れて、私は彼を待ち続けた。目が痛い、頭が痛い、ズンズンと響いて吐き気がする。
私は彼の為、様々な策を講じた。言葉、行動、視線、会話、身体的なコミュニケーション、ありとあらゆる方法を用いて彼を“現実“に矯正する事を試みたけれど──結果はどうやら失敗のようだった。
スマートフォンの画面に表示された一通のメッセージを見る。これはつい1時間程前に送られて来たものだ。
『ごめんね』
と、短く、最早送り主を見る必要も無い程に誰からであるかが理解出来る──こっそり彼のスマートフォンに仕込んでおいた“位置情報を発信するアプリ“も、問題なく移動を続けているので、
“生きている憩“からの“本人の意思に基づく“言葉だと、ホッとして、凄く胸が痛んだ。
私は失敗した。が、彼は命を落とした訳では無い。ただ単純に──恐らく、怪物以外を愛せない彼に戻ったのだろうと推察する。具体的な理由は分からないし、今考えるべき事でも無いので置いておいて、
兎にも角にも私は失敗した。
まだ一人で行かせるべきではなかったのだ。自身の力不足を痛感する、ただの高校生の浅知恵だったのだと、反省しなければならない。
時刻は早朝、4時を回った頃。
こんな朝早く、哀れにも恋人からの待ち惚けを喰らっている私の耳を、連続するチャイムが刺した。
ピンポンピンポンと、何度も何度も、
「……誰かしら」
一人、リビングで寝転がっている私の耳を、遂にはドアを直接叩く音さえ聞こえて来て、堪らず、溜息を吐いて、ゆったり立ち上がって、廊下を歩く足取りが重い。
『千頭流!! 居るんでしょ!!』
ドア越しに声と人影、ドンドンと叩く音、チャイムの音。
切羽詰まった、迫真の声色。聞き慣れない類だったが、それは詠子によるものだとすぐに理解した。何より彼女以外でこんな時間に、このような行為を行なっている存在がいたなら、私は即座に縁を断ち切っている事だろう。
私が『はいはい今行きますよ』と呟いて鍵を開けると、
ガチャリ、音と共にドアが勢い良すぎる程勢い良く開いて、
「千頭流ッ!! い、憩くんが……」
髪はボサボサで、しかし息は切れておらず、また汗の一つも垂れていない詠子が玄関に転がり込んで来た。狼人間というのは、通常の形態でもかなりの身体能力を誇るらしい。
「事情は凡そ見当が付いているわ。とりあえず入りなさい」
「え……え?」
私の素っ頓狂な態度に呆気に取られたのか、彼女は間抜けな顔を晒した。
「鍵は締めてね」
ここで話をするのは得策でないし、何より立ち話で済ませる話でもない。リビングに辿り着く頃には彼女の頭も冷えているだろうと踏んで、防犯を呼び掛けると、スリッパを一組差し出す。
可愛らしい顔で呆然とする詠子をこのまま眺めていたいような気も少しはしたけれど、
「え、う、うん……」
私の手からスリッパを受け取った彼女を見て、少し重くなった瞼を擦ると踵を返した。
遅れて来た詠子は、重苦しい表情でスマートフォンを取り出すと、画面をこちらへと向ける。そこに表示されていたのは一通のメッセージ。
『僕にもしもの事があったら、千頭流を頼む。PS、他の男と付き合いそうになったら邪魔して欲しい』
と、内容は、まるで遺書のようで、それでいて私への愛に満ち溢れたもの。しかし私が他の男と付き合う心配をしているところは許し難い。次見つけたら説教をする必要がありそうだ。
「……ごめん、気がついたの、ついさっきなんだ……」
送られた時間から、恐らくあの刑事のマンションに向かう道すがらのものだと思われる。つまり詠子へ送られたメッセージと、私への胸糞悪いもの、その中間に何かがあったと仮定出来た。
「そう。見た目に反して早寝早起きね。これがギャップ萌えというやつかしら」
23時過ぎの通知に、寝ていて気が付かず、朝の4時に起きて気が付くとは、この少女、まるで老人のように健全な生活を送っているらしい。なるほどどおりででお肌がプルプルな訳だ。
「……ねえ、なんでそんな平気そうなわけ? 憩くん……危ないかもしれないんだよ」
そして今は、私が呑気に思えているのだろう、プルプルと拳を握って震えている。私に、厳しい視線を向けている。
「彼は死んでいない」
「……え?」
「だけど、そうね……確かに大変なことになった。貴方、前に憩が『変わった』って言ってたわよね?」
「う、うん……だって、人間と付き合うなんて考えられなかったから」
人間なんて怪物達の食料分だけいれば良い、と彼が言っていた、と詠子は言っていた。彼女の記憶違いでなければ、以前の憩は人間という種族に対して随分苛烈な立ち位置だったらしい。
それに接していく中で、憩には決定的に欠落しているものがあると、そんな雰囲気を感じていた。まるで彼の内側にある価値観と、その場で抱えている感情がちぐはぐで、矛盾してしまっているような。
そして私は三度、彼の様子がオカシクなるのを目の当たりにしている。
失っているというより、何かを強引に抑えつけて、閉じ込めているような、そんな印象を。
「ならば──やはり彼は戻ってしまったのでしょう」
「も、戻った?」
私の付けた鎖を、何かが解いた。
現状とこの街に起きている異変、そしてタイミング。様々な要素を考慮すると、作為的なものを感じざるを得ない。何かの意思が介入していると仮定するのは早計だろうけど、
もし最悪を想定するなら、これら全てが憩の為だって事もあり得る。
「……とりあえず今は出来る事も、情報も少ない」
「え、ちょ、アタシ全然何も理解出来てないんだけど」
「後で説明する」
しかし、とりあえず今は、
「詠子、今日はバイト?」
「……いや、違うけど」
「そう。良かった」
「何が?」
「私は少し寝る。人肌恋しいから、一緒に居て頂戴」
「へ?」
私は彼女の腕を強引に引くと、そのままソファーに倒れ込む。体が沈み込んでいって、全身に張り巡らせていた緊張が解けていく。
「……お願い、明日から、絶対、頑張るから」
「……分かったよ」
一拍置いて、溜息混じりの返答が返って来て、
暖かい手を握ると、自然と瞼が閉じた。
「お昼には、起きるから」
「……ああ」
「そうしたら、全部説明するから」
「……ああ」
私は、自分の事を普通だと思っていなかった。憩のような例外や彼女のような怪物ではなく、ただの人間ではあるけれど──捻くれていて、意地っ張りで、強欲で思い込みが激しくて、ちょっと頭がおかしいと分かっている。自覚は藁人形の一件よりもずっと前に終わっているのだ。
それでも、
「っ……おやすみ、なさいっ……」
「……おやすみ。千頭流」
体は貧弱で、超常現象なんてものを前にすれば役立たず、カレシ一人も満足に制御出来ない。気丈に振る舞ったところで、脳内は滅茶苦茶で、次に何をすれば良いのか検討が付かない。
愛する人が遠ざかれば、心が弱って──涙も、こんなに溢れてくるのだから、私は私が思ったよりも、ずっと普通だったのだろう。
怪物しか愛せない彼とそんな彼に愛されたい彼女 咲井ひろ @sakui
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