第7話 同居生活1日目
7月末日。呪いによってもたらされたのは、クラスメイトとの同居生活だった。何を言っているのか分からないと思うけど、正直言って僕も何を言っているか分からない。
高校入学を期に地元を離れた僕は、この街で一人暮らしをしていた──いや厳密に言えば違うのだが──まあ、とにかく家に帰らずとも何の問題も無いのだけど、流石にカップルでも何でもない、そもそも友人ですら無かった男子を泊めるのはどうなのか、そう思ったけど、
「両親は海外出張中で、ここ1年は帰って来てないから、安心して良いわよ」
見壁は何でもないように言った。何も感じていない、それが当たり前だと、そんな風に。
何というご都合主義、いや──放任主義だろうか。彼女の話が真実だとすれば、それは出張というより転勤に近い期間、この広すぎる家で一人で暮らしていた、ということになる。時期を見計らったような──1年。高校入学を期に子供を手放したと、そう思われても仕方が無い期間、時期。彼女は孤独に生活していた。
放任、だと言えばそうなのだろうが、これではまるで──いや、ここから先は踏み込まない方が良いだろう。親が居ないという気持ちは充分理解出来るけど、理解出来るからといって、それは分かち合えるものじゃない。傷を舐め合うだけで、何の得にもならないのだから。
テレビは普段あまり見る機会が無いので、というか家に無いので、適当に流れている映像を見ているだけで新鮮な気持ちだった。しかしそれも──1、2時間前までの話。時計を見ると、もうそろそろ日付が変わる、そんな時間だった。まさか初日からクラスメイトの家で過ごす事になろうとは思ってもいなかったが、これはこれで青春っぽいのだと自分を納得させてみる。
「多々里君。私そろそろお風呂に入りたいんだけど」
しかし一緒に居るのが──この少女だと思うと、簡単にはいかないかもしれない。
「1週間くらい我慢出来ない?」
「それは冗談よね?」
「あ、うん……勿論」
冗談か、確かにそうだ──3割くらいは。駄目元で言ってみただけで、別に期待はしていなかった。
「ならさっさと行きましょう」
見壁は立ち上がって言う。
「……どこへ?」
「私の話を聞いていなかったの? それとも理解出来ない程馬鹿なのかしら」
「風呂の誘いなのに、おかしいな魅力がない」
テレビから視線を動かしていなかったので、突然の事に、思わず体を強張らせてしまう。
「多々里、君」
耳元で、妖しく、そんな風に名前を囁かれたのだから。
「私と一緒にお風呂場に行きましょう、さもないと私──死んじゃうかも」
背筋が凍った。幽霊、狼人間、悪霊、怨霊、吸血鬼、河童、ツチノコetc──その他多種多様な怪物と遭遇して来た僕の──背筋が凍ったのだ。肌が栗立つ、という概念を僕は生まれて初めて理解する。
未だかつて体験した事のない経験に、僕はゆっくりとしか視線を向けられなかった。
「フフッ……多々里君も、そんな顔が出来るのね。これは新発見だわ」
そう言って、妖しく笑う彼女の表情に思わず──釘付けられてしまう──というのは冗談で、
「見壁ちゃんや、そのまま、じっとしててはくれまいか」
僕の瞳は、彼女の表情ではなく、全く──別のモノに──惹きつけられていた。
「? どうして?」
「いいから、言う通りに。僕の目だけを見るんだ」
しかし間に合わなかった。彼女の視界の端が──それを──捉えてしまったようだ。
「──な、なに──これ──」
目を丸くする彼女を見て、僕は見壁にもそんな顔が出来たのだな、と悠長にもそんな事を思ってしまう。
白く透き通っていた肌は、白さを通り越して青白く染まっている。
ヒビ割れた陶器のように、ボロボロと今にも崩れそうな──左腕。しなやかだった指先は醜く歪み、骨張って関節が幾つもあるかのように、本来曲がる筈の無い方向へと曲がっていた。
長く、鋭く尖った爪は赤黒く、彼女の首筋に向けられている。見壁の顔を見れば、それが自分の意思で動いていないと容易に想像出来た。だからこそ──僕は惹きつけられたのだ。その美しさに。
徐々に、徐々にと近付いて迫っていく。狙うはその首──包帯の巻かれた急所。
徐々に、徐々に、
徐々に、
「見壁ちゃ」
「あ、」
咄嗟に腕を伸ばすが、それは空を切ってしまった。
その──左腕は、超常の速度で首を掴み握ると、そのまま床へと押し倒し、擦り付けるように蠢く。歪んだ指先が包帯の上から、包帯ごと肉に食い込み、骨を軋ませていた。彼女の口から空気の漏れる、呼吸の掠れる音が響く。
僕はすぐさま倒れた彼女の上に、跨がって馬乗りなると、動きを止める。
「──ッ、見壁ちゃん!」
人間とは、少女とは思えない──膂力。両足でガッチリ掴んでいるのに、全体重を掛けているのに、気を抜けば振り落とされそうだった。
ポケットから小袋を取り出すと、乱暴に千切って、見壁の口に無理矢理突っ込んだ。
「ちょっと辛(から)いかもしれないけど──吐き出さないでね」
突っ込んで──苦悶に歪む口を、掌で強引に抑える。掌に伝わる暖かな空気と、見開かれ、涙を堪える瞳を無視して──死なない程度に抑えた。そうして暫く、彼女の体が動かなくなるまでそうしていた。僕の腰を持ち上げる力が──首を締め上げる醜い腕が──鎮まるまで──ずっと。
多分2、30秒程だったと思う。掌に伝わる呼吸が、深く緩やかになり──左腕が色を取り戻す。
僕も体から徐々に力を抜いていき、遂には手を退けた。
見壁は恨みがましい瞳で、自由になった彼女は開口一番で、
「重い」
そう言った。九死に一生を得た人間の発言とは思えない──彼女らしい一言に、僕も深く息を吐く。
「どういたしまして」
馬乗りの体勢から身を引き、全身の倦怠感に任せて、僕は床に寝そべった。恩着せがましい一言を添えて。いや──実際はもっと感謝してしかるべきだとそう思うのだが、まあ、もうどうでも良いか。
「それに……なにを飲ませたのかしら……塩?」
「良く分かったね」
「辛いと言うから、てっきり毒か──ハバネロかと思っていたわ」
「君が僕をどういう目で見ているか、とても興味があるよ」
「そうね──命の恩人、かしら」
そんな事を当たり前のように、他ならぬ彼女が言うものだから、思わず渇いた笑いが出てしまう。
「本当にそう思ってくれているのなら、助けた甲斐がある」
「失礼ね。私だって恩を感じる事の出来る、血の通った人間なのよ」
軽口を叩き合いながら、僕は寝そべったままで、恐らく彼女もそうしているだろうと思う。動こうと思えば動けるのだろうが、今はとてもそんな気になれなかったから。人に取り憑くモノは初めてではないけど、正直言って僕は舐めていた。所詮女子高生のモノだと、碌な準備もせずに。これはいよいよ──真剣に取り組む必要があるらしい。
思っていたより、この呪いは──強力だ。
「塩って、本当に効くのね」
「葬式の後に塩を巻くだろう? あれと同じだよ」
「ええ……まあ」
「穢れを払う──呪いや厄、幽霊なんかもそうだけど、塩っていうのは効く、皆がそう思っている。だから効くんだ──だって結局は何もかも──人間が生み出したモノなんだからさ」
「ふーん」
興味も無さそうな、そんな声が聞こえて、僕は──目を閉じた。
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