第29話 そろそろコンビ名でも付けようかなー

「あー……暑い」


 こんなボヤきを繰り出したのは、もう何度目だろう。しかし今日の気温と環境では仕方が無い。隙あらば冒頭で自分語りをしていた僕であっても、そこまで頭が回らない、回転させる労力が惜しい。それほど程に疲弊していた。


 時刻は朝の10時。僕は今日も今日とて彼女の家を訪れ、すっかり片付いた部屋にお邪魔している。


 エアコンがぶっ壊れたので当然なのだが、べっとりとした汗の感触と渇いた喉の痛みで目を覚ました僕は、寝起きの苛立ちを抑えながらもシャワーを浴びて、清々しくも気持ちの入れ替えをして、『彼女の家で涼もう』と意気込んで──やって来たけど。


「言っても何も変わらないわ。愚痴を溢している暇があるなら資料に目を通しなさい」


 メディアでは、記録的な猛暑による影響──かどうかは全然分からないけど、エアコンの故障が相次いでいるらしい。僕の家は勿論、その現象は千頭流の家もまた例外では無かった。


「君は暑くないのかい?」

「暑いに決まってるでしょこの馬鹿」


 言葉通り彼女もまた額に汗を滲ませて、引っ付いた前髪が束になっている。見れば首筋にも一筋の雫が滴っているくせに、自分も暑いくせに、冷たく突き放されてしまった。いっその事幽霊でも呼んで、ホームパーティーを開催すれば一気に涼しくなるだろうな。なんて言ってもみようとしたけど、どうせ罵詈雑言を浴びせられるだけだと自制する。


「……それにしても、一晩で良く集めたものだね」


 僕は気持ちを切り替えて、床に散らばった資料の一つを手に取る。


 今月の新聞記事で、見出しには『強盗殺人 判決は無期懲役』と書かれていた。他にも目をやると──行方不明事件、殺人事件、万引き、置き引き、窃盗、ぼったくり、暴行に飲酒運転など、世界の不穏さを実感させられるものばかり。


 昨日、具体的な手掛かりを得る事が出来なかった僕は、とりあえず『異変っぽい何か』が起きていないか、手当たり次第調べる事とした。しかし、こうした作業は超常現象において付き物ではあるけど、膨大な時間を無駄にする事の方が多いので僕は苦手なのである。そうして僕が頭を抱えていた時『調べ物なら私がやるわ』と、千頭流がやたらとウキウキした表情で面倒事を自ら引き受けたのだ。勿論一抹の不安はあったけど、僕自身面倒だったのでつい快諾してしまった。


 どんどん怪物退治に引き込んでいるような気がしないでも無かったので、家に帰ってから思わず顔を顰めたけど、この量を用意出来る能力を見て関心すると共に、是非今後もお願いしたいと──思ってしまいました。


 しかし、ちょっと気合が入り過ぎているような気もする。


「今もこの街で誰かが困っているかもしれない。放っておけないでしょう?」

「本音は?」

「どこぞの誰が困っていようとどうでも良いわ。何より面白そうだし、超常現象なんて非日常は楽しまなきゃ損よ」


 彼女は資料から目を離す事無く、遠慮無く言い放った。


「気持ちが良いね」


 なるほど、そういう理由なら僕はもう何も言うまい。


 てっきり『私と同じような失敗をもう二度と繰り返させない』とか『超常現象の恐ろしさを身を持って体験したから救いたい』とか『せめてもの償いがしたい』とかそんな感じかと思ったけど、そういう理由なら僕は何も言うまい──というか何も言えない。


 見壁千頭流は、多分ツイッターとかに生息していたら確実に大炎上するタイプの人間だ。だがしかし、こうして接していると可愛い部分もある。


「手が止まっているわよ」


 そう言って厳しい視線を向けて来ているけど、いや本当に──ちゃんと向き合って接すれば、


「どうして素人の私がこんなに真剣に取り組んでいるのに、専門家の貴方がそうしているのでしょうね。もしかして私に注意される為にわざとやってるの?」


 向き合って……接すれば。


「それとも注意より──チューの方が良いかしら」


 ほら、可愛い部分もあるだろう? それに下らない。


「分かったよ。ちゃんとやるから」

「やる気が出たようで良かったわ。ムカつくけど」


 会話を区切ると、僕達はそれぞれ目に付いた資料を読み込んでいく。しかしながら、どれも確かに物騒な話ではあるけど──異変と呼べるようなものは見当たらない。事件性はあるが、怪奇性を帯びている感じは無い。だがそれも当然の事。表面だけを掬い取った文字列では、根幹を汲み取るのは難しい。それが超常現象などという──表に出て来ないタイプであれば尚更。本来、事件にならない個人レベルの話である事が殆どなのだ。ごく稀に新聞記事になっていたりもするが、大抵は埋もれていく。


 詠子のように、意思を持った怪物達は人間社会に紛れて暮らしているし、呪いなどはそもそも顕現しない。


 僕は資料を床に置く。


「探し方から変える必要がありそうだ」

「……ええ、そのようね」


 彼女もまた紙に目を通していたがその表情は芳しくなく、どうやら既に、僕と似たような結論に辿り着いていたらしい。


「ごめん。これ、時間掛かったろう?」

「いいえ──こっちはすぐに終わったから、別に構わないわ」

「こっち?」


 彼女は資料を投げ捨てると徐に立ち上がって、引き出しを開けると、中から分厚い紙束を取り出して僕に差し出す。首を傾げつつも受け取って目を通した時、思わず苦笑い──というか渇いた笑いが溢れた。


「あはは……」

「大変だったわ。何より纏めるのに随分時間が掛かってしまったの」


 僕が今手にしているのは、先程の新聞記事のような裏付けと信憑性のあるものとはかけ離れたもの──都市伝説の類。SNSや掲示板での心霊現象及びそれに類似する文言。噂程度の情報から、ただの愚痴としか思えないものまでずらりと並んでいる。


 まさに僕が求めていた──生きた情報。表に出て来ないタイプの落書きめいた声。個人レベルの話だ。


「酷い文章、罵詈雑言の嵐、幼稚な愚痴に稚拙な会話。下世話な性格が滲んでくるような──レスバトルっていうのかしら、ああいうの。ついつい熱中しちゃって、昨日は2、3人のバカを論破──いえ論殺ろんさつしてやったわ」

「そんな言葉は存在しない」


 日付の記載は勿論、事件の詳細が散っている場合は時系列毎に纏められて、追記として彼女なりの解釈なども明記されている。確かにこれは時間が掛かっただろう。


「どうしてこれを最初に出さなかったの?」


 と、僕は素朴な疑問を口にした。


「異変が大事になっていないかどうか、まずはそこを貴方に判断してもらう為」


 彼女は床に散らばった紙を適当に纏めると、テーブルの上に置く。


「それに、これはこれで真剣に目を通して貰わなければ困るわ。もしかしたら、今貴方が持っている資料と何か関連がある事があるかもしれないでしょう? だから敢えて伏せたのよ。余計な先入観は思考の邪魔になるから」


 得意げに胸を突き出して語る彼女は、愛らしく見えた。


「正しい情報を取り入れて、その上で精査しなければ正確な判断は出来ない。電子化が進む現代社会では、バランスを持った価値観が何より重要なの。つまりネットリテラシーね」

「君は何者だい?」

「私が何者かとは良い質問だわ。デカルトの言葉を借りて言うなら『我思う故に我あり』なのだから、私が私である事は確実で絶対の確信。また、私が他者にとってどういう存在かと問われれば、それはまさしく私自身しか定義し得ないのだから、答えとしてはやっぱり私は私でしかない、という事になるわね。それに今の私はモラトリアム真っ只中な訳だし、アイデンティティの確立はこれからなのだから、今宿っている自我が自身で形成したものなのか、それとも両親によるものか──」

「あ、もう大丈夫です」


 この子は昨日の調べ物で一体何を見ていたのだろう、と少しだけ心配になった。


「──そう。というか沢山喋って喉が渇いたわ」

「だろうね」

「でも冷蔵庫は1階、ここは2階なの」

「そうだねー」

「私、一杯調べたわ。貴方の為に夜通しパソコンに齧り付いて──」

「僕が取ってくるよ」


 千頭流は不思議そう──というか怪訝そうに首を傾げた。


「そんな事言ってないわ。資料を持って一緒に1階へ行きましょう、って事なのだけど……」


 それから肩を落とすと、好きな人に疑われてショック、みたいな感じで俯く。そんな彼女を見て僕は一瞬やってしまったと、多少の罪悪感を芽生えさせたけれど、


「……いやいや、絶対僕に取りに行かせようとしてただろ」

「あ、分かる?」


 次の瞬間、気付けば彼女の沈んだ表情は嘘のように晴れ渡って、満面の笑みを浮かべている。


「好きな人に考えていることを言い当てられるのって、凄い嬉しいわ」

「言い当てたというか、付き合っていく内に分かってきたというか、何というか」

「そうやって照れている様子も好きよ」


 そうして資料を纏めて部屋を出る際、僕もまた笑っていた。


 彼女は芯のある人間だけど、皮を剥げば中身は高校生。寂しがり屋で意地っ張りで自己中心的で不遜で不躾な──1人の女の子なのだ。僕は魂の無い人間だけど、それでもやっぱり高校生の男子だ。


 だからなのかな。僕達が──まるで危機感も無く、こうして笑っていられるのは。

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