第48話 過去を語り、自分を語り、今に至る

 千頭流が命を落とした時、僕は悲しくて泣く。


 しかし反対に、僕が死んだら、彼女はどうするんだろう。ふと思った。




 籠鮫の部屋で待機を始めてから、1時間が経過し──襲撃の際に負った傷は治るどころか悪化している。左目は完全に視力を失い、右手の指先からは今も尚、爪が剥がれ続けていた。そこに痛みは無く、ただ流れ出る赤い液体を見ながら、自分はまだ、生きているのだと、帰れるのだと、実感する。


「お前は何故、こんな事に首を突っ込むんだ」


 籠鮫がビール缶を片手に聞いた。


「さあ、どうしてなんでしょうね」


 はぐらかしたように思われてしまったかもしれないけど、口にした紛う事ない本心だった。昔ならばハッキリと答えられたかもしれない事だが、今ではもう、理由を失ったように思える。


「そういう籠鮫さんは、どうしてですか?」

「……何がだよ」

「どうして、この事件に首を突っ込むんですか?」


 僕の問いに答えず、喉を鳴らして缶の中身を飲み干して、握り潰したその際──左手の薬指に触れた動作が、妙に目についてしまう。何かを嵌めている訳でも無い、ただの指を少しだけ撫でるような、そんな動作だった。


「さあな」


 不意に流れた沈黙に、時計を見る。時刻は25時過ぎ──彼女はまだ来ない。ならば、まだ話せる事もあるだろう。


「僕には両親が居ません。幼い頃、二人とも事故で命を落としました」

「……突然なんだよ」

「僕はね、両親の幽霊に育てられたんです。その頃から、色々なモノが見えるようになった」


 怪物を愛していた事、魂を失った事──千頭流を好きになった事、思い出せる範囲での僕の人生を語り聞かせる。途中途中で『だからなんだ』などと言われながらも、観念したのか、籠鮫は次第に相槌を打って静かに耳を傾けてくれた。


「怪物達が好きだった」


 僕が何を考えていて、何を思っていたか。


「どうしてそうなったのか」


 自分がどういう人間で、どう変わったか。


「多分、現実逃避じゃなかったんだ」


 話したのはきっと、そんな事を誰かに覚えていて欲しかったから。『僕』という人間の存在を残そうとしたんだろう。死ぬつもりなんて毛頭無いけど、なんだか走馬灯を語っているみたいでむず痒い。


「僕もまた思い込んでいただけ。周囲の中で僕だけが知っていて、見えている世界──そこだけが僕の居場所だと勘違いして、遠ざけていただけで、だから、僕は怪物退治をしていたんだと、そう思います」


 話の締め括りとして、冒頭の問いに答えると、籠鮫は口を開く。


「今は違うのか?」


 人は簡単には変われないと良く言うけど、それはそうなのだろう。でもそれは変わらないという事じゃない。簡単じゃないだけで、劇的な何かや、ふとしたきっかけが大きく作用すれば、変化するのは超常現象などよりもよっぽど自然なのだ。


 僕にとって千頭流がそうであったように。彼女の言動がきっかけで、劇的な何かだったんだ。


「ええ」


 短く答えると、籠鮫は後頭部を掻き毟って首を傾げる。


「で? なんで急にそんな話を?」

「お互い命を預ける、その前振りみたいなものですよ──良ければ、貴方の物語も聞かせて欲しい」

「はあ?」

「結構効くんですよ、こういうのは」

「……聞いて楽しい話じゃねえぞ」

「構いません。貴方が語り、僕は耳を傾けるだけで充分なんですから」


 籠鮫は一息吐くと立ち上がり、冷蔵庫へと向かうと、冷えたビールを“2本“取り出す。その内の一つを僕に差し出すとベッドに腰を掛け、プシュッと栓を開けて掲げた。


 それが“乾杯“の合図だと気が付かない程に世間知らずではない、けど、


「僕は未成年ですよ?」

「いいから飲め。清めの酒だ」

「なるほど……じゃあ」


 二人で声を揃えて、口を付ける。


「苦っ」


 一口飲んでまず抱いた感想、というか知っていたけどやっぱりビールってちゃんと苦いんだなあ。コーヒーなら幾らでも飲めるけど、これは全然違う、とそんな気持ちを素直に声に出してしまった。


「ははは、だろうな」

「よくこんなもの飲めますね大人は」

「飲まなきゃやってられねえのさ、大人はな。つっても俺も、酒は苦手だ」


 苦手なら飲まなきゃ良い、と思うけど、飲まなきゃやってられねえのなら、それが例え苦手だとしても縋るしかないのだろうか。しかしながら本当の部分がやはり理解出来ず、僕が首を傾げていると、


「アイツが──嫁が死んでから、まあ、自暴自棄になって、無理して飲んでんだよ」


 と、語り始める。


「いや、婚約はしてねえから、嫁つーか彼女って事になんのかな……って、んなことはどうでも良いか」

「いえ、どうでも良くないです」


 黙って聞いているつもりだったけど、籠鮫が自虐風に笑いながらそんな事を言うもんだから、思わず咎めてしまった。要素の全てに意味があるように感じられたから。


 籠鮫はまた、ビールを一口飲む。苦味を噛み締めるように、眉間に皺を寄せながら。


「高1で同じクラスになって、アイツと最初に話した時、正直嫌いだと思った。話は合わねえし、合わせようとしてもかえって反発して、結局喧嘩。俺は面倒臭がりで、アイツはクソ真面目でよ。そりゃそうだよなって感じで」


 笑いもせず、泣きもせず、ただ淡々と。思い出を語っているというより、薄れ始めている記憶を懸命に思い起こそうとしているような語りだった。


「授業は遅刻、昼休みは寝過ごして、学園祭はサボって、でその度に毎回毎回怒鳴られた。いつもいつも、何でか知らんが──泣きそうな顔で怒鳴るもんだから、俺も色々言い辛くてな」


 僕もまた、静寂の中を流れる籠鮫の物語を、苦味を噛み締めながら耳を傾けた。


「勿論俺だけじゃなく、俺みたいに不真面目だった生徒を取り締まってた、生まれながらの真面目ちゃん。まあそんな事すりゃ当然、疎まれる。アイツも馬鹿じゃねえし、分かってただろうに──気が付けば、皆からいじめられて、教師からも見放されて、それでもアイツは一人で、ずっと戦い続けてた」


 段々と、彼の思い出の形が鮮明になっていく。


 人間社会においては在り来たりで、少しだけ浮いていた女性の姿が目に浮かんだ。


「今思えばアイツは、皆を正しく導こうとしてただけだって分かる。けどそん時の俺は馬鹿で、若くて、どうしようもなくて、教室で泣きながら、机に書かれた落書きを消してる背中を、見てる事しか出来なかった」


 責められるべき人間は多い、しかしどれもが自然な行動で、何も言えなかった籠鮫の悔しさが、そんな感情がその時初めて滲み出ているように感じられた。


「2年になって、やっぱりアイツは一人で、そんでも何も変わらず、屋上でサボってた俺を怒鳴り付けて……そん時、思わず聞いちまったんだよ『何でそんな頑張ってんの?』ってな。そしたらなんて返ってきたと思う?」

「なんて返って来たんですか?」


 そうして僕が聞いた時、彼の口調が重なって見えた。


『いつか死ぬ時の為に、せめて世の為、人の為に命を使いたい』


 籠鮫が思い浮かべている女性と。語りの中、笑顔を零したのはこれが最初の事。


「アイツは『今は分かってくれなくても、いつか分かってくれる。その時に私の命が無駄じゃなかったって思いたい』なんて言ってた。馬鹿だよなー、それで嫌われてたのによ。でも、俺が警察になろうと考えたきっかけになった」


 確かに高校生らしくない発言。先を見据えているというより、自分の死期を悟る、ポジティブとネガティブが混在しているような性格。仮に僕と同じクラスだったとしても、多分苦手だったろうなと、思いつつ、


 どこか千頭流を思わせる彼女に、少しだけ感情移入している自分がいた。


「それからか、喧嘩だけじゃなく、良く話すようになって進路も同じだって分かった。結局同じ大学に進学して、付き合って、卒業後、俺とアイツは無事警察官に。んで、どういう訳か俺はとんとん拍子で出世した。まあこんな事言いたかねえが、あの性格、上司と折り合いも付けられず、それに女だし、そこら辺も厳しかったんだろう。俺が公安に入って昇進しても、平の刑事のままで」


 と、そこで籠鮫の語りが一旦止まる。表情が厳しくなって──いや、顔から色が抜けて落ちたように思えた。


「ある日、家に帰るとアイツは泣いてた。涙を見たのは高校以来だったけどよ──そん時は、違った。いっつも静かに泣いてたアイツが、泣き喚いて、理由は話してもらえなかったが、俺はその時初めて“守らないと“と思った。だから……『お前の命は俺の為になった、だからもういい』って、そう言ってやったんだ」


 ビール缶を握り潰して、籠鮫は続ける。


「それからアイツは警察を辞めて、一緒に暮らし始めてさ。決まった休みの無い仕事だし、一緒に居られる時間は少なかったが、幸せな日々だった、なんて月並みか。喧嘩して、笑って、泣いて、そんな日が続いて──結婚を考えるのに、時間は掛からなかったよ。何より飯が美味かったし、まあ──そんで、ある日、俺は給料三ヶ月分を握り締めて指輪を買って、プロポーズして、緊張は無かったなー、そもそも結婚したいって言い出したのはアイツだったし」


 部屋の空気が徐々に冷えていく。負傷した体に重くのしかかるような、そんな雰囲気を感じた。


「そんで次の日の朝、起きると、アイツは──布団の中で冷たくなってた。真っ白な顔して、眠ってるみたいに死んでたんだよ。刑事の端くれだからかな、あの様子は、今でも鮮明に思い出せる。死期硬直の度合いからつい数時間前の事、外傷は無いから自然死の可能性が高い、なんて事を頭が理解しちまった。そんでも、無駄だと分かってて、救急車呼んで」


 籠鮫はポケットから煙草を取り出すと、慣れた動作で火を点ける。煙を吐いて、吸って、また吐いて、彼は続けた。思い出話から、事件の概要を説明するみたいな様子で。


「医者の話じゃ原因不明──ほぼ老衰に近かったらしい……腹の中にいた子供も一緒に」


 告げた。


「あり得ねえと思ったよ。理不尽な死は幾つも見てきたが、自分の身内っていう事情を抜きにしてもあり得ない話。当然俺は調べて、調べて、原因を探ろうとした。司法解剖を依頼しようともしてさ。そんで思った──アイツは、命を使い果たしたんじゃないかって」

「……なるほど」

「そう思って、不思議な事に、殆ど確信に近く感じた。こんな事、それこそ超常現象みてえだが……だからって……けどよ、受け入れられる訳ねえんだ、でもよ……真相を知ったところでアイツは死んじまったし、俺の子供も、帰って来ない。分かっていても受け入れられない」


 彼の話を聞く限り、僕自身も確証が持てないけど、確かに可能性はある。


 命を奪う、吸い尽くす性質を持った何かが、作用した可能性。


 それか、彼女そのものがそういう性質を持っていた、という可能性。


「だからだろうな。人間に不可能だなんだって、そんな事件を耳にすると、足がフラフラ向かっちまうのよ。信じてねえくせに、何となくそんな気がするってなもんでな」


 気が付くと、籠鮫がいつもの表情へと戻っていた。


「なあ、お前……どう思う?」


 いつもの顔で僕に聞くのは、彼女の死が何によってもたらされたかという事。聞いたところで意味の無い事だと、彼は理解していながらも、敢えて聞くのは、言葉通り、やっぱり受け入れられていないからだと思えた。


「僕は……」


 愛する人間を失った気持ちは、僕にはまだ理解出来ない。


 しかし、それでも、僕は僕なりに精一杯を伝えたいと思った。どんな言葉を彼が求めているのかは分からない。今の僕では何もかもが足りていないようにも感じられた。


 だから、詰まった。


 言い淀んで、答えを探してしまった。


 そんな間を、見逃してもらえる筈もないのに。


「──ッ!」


 僅かな直感の後、気が付くと、僕は痛む体を奮い起こして立ち上がっていた。


 来る。


 そんな思いつきだけが、脳内を駆け巡って。

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