第47話 子供は好きですか?
まるで生活感が無い、というのが第一印象。居候の趣味で埋め尽くされた僕の部屋とは大違いだった。
ベッド、テーブル、冷蔵庫、収納、服。目に付いたものといえばそれくらいで、住んでいるというよりは、とりあえずの拠点みたいな雰囲気。男の一人暮らしとはこういうものなのだろうか──いや、それにしたって、カーペットすら敷かれていないこの部屋は、意図してそうしているのだと感じられた。
「で? 何があった」
リビングに通されると、棚から取り出した救急箱を僕へと差し出して、籠鮫は聞く。
視界の一部欠損、耳元で指を鳴らすと、右耳に詰まった感触がした。
「エレベーターで『マキちゃん』に襲われました。それでこのザマです」
左半身に痺れ、指先の感覚が無い事から麻痺しているのだと理解した。とりあえず今治療出来る箇所、ナイフで切った掌に消毒液を振り掛けて、包帯を巻く。手の甲で顔を拭うと、鼻血の方は既に治ったようで、失血でフラフラになるような事は無いだろうと一安心。
「いえ、襲われたというか──笑われただけですけど」
「は、はあ……つかやべえじゃん!! もうそこまで来てんのかよ!?」
「何とか遠ざける事には成功したんで、少しは猶予があります──しかし、あの子、やっぱり超強力ですね。本当に死んじゃうかもしれません。あははは」
「言ってる場合か!!」
最早僕も軽く笑いが溢れて来てしまい、しかし籠鮫にとっては全く笑えない状況のようだった。彼はいつになく真剣で、そんな顔も出来たんですかと、思わず言いたくなるような顔をする。
「てか……そうならない為に、お前はここに来たんだろうが。何か方法があるんだろ?」
ふと、右手、その指先に違和感。見ると人差し指と中指の爪が真っ黒に染まり──軽く弄っただけで、剥がれ落ちてしまう。人間らしい色を失くして、震える事すらない2本の指。どうやら先程の接触でかなり“持って行かれて“しまったらしい。
僕が生きる源を。
「お前、それ……」
籠鮫はそんな様子を見て目を細めて何かを言おうとしていたけど、
「殺すのは不可能なので、封印しようと思っています」
僕がそう言って笑うと、彼は溜息を吐いて、何も聞かずにいてくれた。
「はぁ……封印、ねぇ。んな魔法みてえな事出来んのか?」
「前にも言いましたけど、僕にそんなもの使えませんよ。封印と言っても呪文でとか、不思議な箱に閉じ込めるとか、そういう事じゃありませんから」
「じゃあ、どーやって」
そうして僕は提示する。
「貴方が、あの怪物を受け入れて下さい」
「は?」
「人々の記憶から消えて、力を失い、消滅するまで」
「いや、だから全然意味が分からないんだが」
「本当が僕がやるべきだったんですけど、事情がありまして、籠鮫さんにしか頼めないんです」
「……最初から、分かるように説明しろ」
視界は霞んでいるし、吐き気はするし、頭痛は止まないし、体調は最悪だったけど──何故だか感覚は鋭さを増していった。今まで以上の情報が脳に刻まれていって、例えるならそう、僕に魂があった頃の感覚だ。
ずっと忘れていた何かを、ふとしたきっかけで思い出して、体が勝手に動き出すみたいな、そんな感じ。
部屋を見回せば、籠鮫が何を得て何を失ったとか、言葉には出来ないけれど、そんなものを空気として感じられるような、鋭敏さだった。
「被害者はいずれも男性。出会い系を利用しているのだから、大層お盛んな方々だった。独身で、一人で、愛に飢えていた筈」
「……何の話だ」
「あの子もそう、発端、つまり生まれはネットの書き込みから始まった。ただ人間を『あの世に連れていく』という、それだけを与えられて生まれた彼女は、今、何を目的に存在しているのか」
頭がふわふわとする。が、反対に意識は明確だった。朧げな自分自身を客観的に見ているような、摩訶不思議。
「憎しみ、恨み、無邪気さ。ただ人を殺すだけの現象にそんなもの備わる筈が無い。つまり──恐らくこの異変によってただの現象だった筈が、個としての自覚と存在を得た──人間と何も変わらない、愛を求めて彷徨う子供ですかね」
「出会いを探してる、ってことか?」
籠鮫は半笑いで言った。それはそうだろう、こんな話は誰だってそうなる。
「ええ。彼女は必死に出会いを求めて男を漁り、しかしながら、被害者の男性達は誰も受け入れられなかった。自分を見つけたくせにどうして拒むのか、そんな感じで彼女は怒り狂って、つい殺してしまっている」
「何ともはた迷惑なメンヘラだな」
「いやいや、でも、そんな彼女を生み出したのは貴方達人間でしょう?」
「そりゃそうかもしれんが、全く……お前はどっちの味方なんだよ」
籠鮫は問う。人間側か、それとも怪物側なのか、と。
少し前までならば『中立』だと答えていただろう。いや、もしかしたら『中立からちょっと怪物寄りです』などと言っていたかもしれない。しかし、
「大変不思議な事に──今は、人間の味方になってしまいました」
「……なら良いけどな」
一人の少女に恋をする僕は、本当の意味で人間に成れたのだと思う。意地汚くて、自分勝手で、正直言えば内心見下していた存在に──千頭流と対等な存在に変われたのだ。
厳密には、これは第一歩であり、本当の課題はこれからだと千頭流は言っていたけど。
「で、具体的にはどうすりゃ良い?」
「まずは僕が現象を抑え込みます。その間に貴方が“口説き落として“下さい──いえ、あやす、と言った方が正しいかもしれません」
「相変わらず意味が分からねえんだが」
「愛に飢えている相手に、それを与えてやるんですよ。可愛い女の子に声を掛けるとか、ナンパするくらいの軽い気持ちで──と言っても、彼女は生後数ヶ月の子供ですけど」
「年下とかそういうレベルじゃねえじゃねえか! つーか5人も殺してる怪物に、なんで俺がそんな事しなきゃならん」
「えー、分かりませんか? 受け入れられない事に怒り狂ってるんですよあの子。その怒りが現象を引き起こしてるんですから、元を断てば、つまり愛してやれば少なくとも暴走しなくなるんじゃね? という思い付きです」
僕としては結構分かり易く説明しているつもりだったけど、どうやら籠鮫は超常現象というものを難しく考えすぎているようで、痺れを切らして声を上げる。
「思い付き!? そんなもんで命賭けろってのかよ!?」
「五分五分の賭けだって言ったじゃないですか。それに『マキちゃん』はここ最近現れた新種です。具体的に確立された方法なんてあるわけないし──怪物というのは貴方が思っているよりずっとシンプルな存在。出会い系から生まれた──つまり愛をテーマにした彼女はより顕著でしょう」
僕の説得が上手くいったのか、それとも力が抜けたのか、籠鮫はベッドに倒れ込んだ。
「テーマねえ……はぁ、なんか構えてたこっちがバカらしい」
「出来なければ死ぬだけ。今となってはやるしかない」
「最初から聞いてりゃ絶対断ってがな」
「だから言わなかったんです。逃げられないように」
僕が言うと、かなり怨みがましい視線を向けられてしまった。そんな表情を見て、僕はやっぱり自分の判断は正しかったのだと確信させられる。
「……お前も相当怪物だな」
「まあまあそう拗ねないで、安心して下さい。結構可愛い子でしたし、案外良い関係になれるかも」
「うるせえ」
そう言って黙った籠鮫は遂には瞼を閉じて、顔を背けた。こんな状況で、この男も大概肝が座っているなと感心していると、背中越しに口を開く。
「どうして俺なんだ。俺はフツーの人間だぞ」
徐に、落ち着いた口調で語った。
「……見つけられたのは偶然じゃない。そこには理由がある、必然性がある」
「なんだそりゃ」
「貴方の感情もまた、向かうべき矛先を探しているという事です」
「……訳分かんねえ」
彼がどういう人生を送ってきて、何を思っているか、具体的には分からないけど──ただ一つ、籠鮫もまた愛に飢えているのだ。だからこそ『マキちゃん』を見つける事が出来たし、彼女もまた籠鮫を見つけた。
この広い世界で、きっかけはどうあれ互いを見つけたのだから、そこにはきっと、理由が存在するのだろう──今なら、そう思える。
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