第46話 死、無

 久しぶりの怪物狩り。最近はのほほんとした日々が続いていたせいか忘れていたけど、今日はちょっとハードな夜になりそうなので、同じく久しぶりに小話をしようと思う。ただこれは現実逃避の為ではなく──言ってみれば、そう、惚気話だ。


 彼氏彼女(仮)だった僕達は、晴れて彼氏彼女(ガチ)になった。それも人間の女の子と。これを進歩というべきか変化と呼ぶべきかは正直迷っているけど、帰る場所、待っている人がいるというのは、いつの世も良いものだ。お互いの胸の内を明かせる、気の置ける相手、家族を持たない僕にとっては貴重な関係であり、決して失いたくないモノ。


 しかし、実を言うと僕は一つ、彼女に黙っていたことがある。


 千頭流の家を出る際に交わした『死亡フラグ』だなんだという会話。そんなものが現実に存在しないとは理解しつつ、僕は直感していた──嫌な感じ、胸騒ぎ、虫の知らせを。超常現象から身を引く為に、超常現象に身を落とす。そんな矛盾とすれ違いがどのような結果を招くか。


 そして、こういう時のこういうヤツは結構当たる事も知っている。


 だから多分、もしかしたら僕は死ぬかもしれない。勿論嫌だし、悲観もしているし、そうならないように努力して足掻こうと思っている。だけどまあ、無理なものは無理であり、死ぬときは死ぬ。


 出来れば今すぐ逃げたい。逃げて帰って、全て忘れて千頭流と一緒に居られたらどれほど良いだろう。


 だけど、それは出来ない。


 それも千頭流の為ですらなく、僕は籠鮫の為や、これから、どこの誰とも知らない誰かが『マキちゃん』に殺されるのを防ぐ為に行動するのだ。だって、僕がやらなければ誰かが死んでしまうから。


 それは本当に当然の事のように、僕には思えるけど、これは彼女が言った“精神的な怪物“思考なんだろう。


 死ぬのは嫌だ、分かっていても心のどこかで、死ぬだけだ、などと考えられてしまうのだから──しかしこれでは惚気話というより、どっちかと言えば遺書っぽくなってしまった。


 なので、


「僕は千頭流の事が好きだ」


 マンションを見上げながら、一人、そう呟いて、締めさせて頂こう。きっとこれも最後になるだろうから。




『もしもの事があったら、千頭流を頼む。PS、他の男と付き合いそうになった時は邪魔して欲しい』


 とメッセージを、晴れてブロックを解除してくれた詠子へと送りつけて、スマホの電源を切って──403号室。僕は教えられた部屋番号を入力してインターホンを鳴らした。


 エントランスは埃一つ落ちていないんじゃないかと思える程にピカピカで、床に目を落とすと自分の影が鮮明に反射している。豪華絢爛な照明は、夜道に慣れた僕の目には少し眩し過ぎる程だった。


 将来こんな場所に住める日が来るのだろうか、いや、住むならやっぱり一軒家が良い。庭先には犬、室内では猫を飼って、トイレは1階と2階に一つずつ備え付けて──


『おいおい、こんな時間に未成年が外出か? おじさん補導しちゃおっかなー』


 妄想を企てていると、冷たい金属板から籠鮫の声が響く。陽気に、呑気に。


「こんな時まで無駄口とはご機嫌ですね」

『当たり前だろ。今から死ぬかもしれねえんだから』


 僕も、とは言わなかった。


「……早く開けて下さい」

『はいはい』


 短い言葉を最後に、もう声は聞こえない。恐らく開錠されているのだろうけど、特に変わりがないように思えるが、これで入れるようになったのだろうか。


 僕は恐る恐る自動ドアに近付いていくと、ウィーンと音がして扉が開く。


「はえー、便利な世の中になったなー」


 技術の進歩、というより僕が世間知らずなだけなのだろうが、そんな事を呟きながら、マンションへと足を踏み入れた。


 かなり巨大な団地だった為、道に迷わないか心配だった。しかし幸い、目の前にはすぐエレベーターがあって、少なくとも目的の階層まで上がるのに苦労は無さそうである。


 如何に僕といえどエレベーターの使い方くらいは熟知している為、気遅れする必要もないと考えていたけど、ボタンを押して見上げた時──監視カメラが付いていてギョッとした。防犯対策の一環なのだろうとは分かっているけど、これではエレベーター内の様子が丸わかりになってしまうではないか。


 最上階である7階から、光の点灯と一緒に、徐々に僕の元へ降りて来ている。とりあえず今は誰もいないらしいと安心した。ここの住人ではないので下手に挨拶されてもちょっと気まずいし。


「本当に、便利な世の中に、」


 内心ボヤきながら、何の気なしに監視カメラを見ていると──誰かが写っていた。目は離していない。誰もいなかった筈のエレベーター内に誰か。


 角度的に背中しか見えないけれど、白いワンピースを着た、茶髪で長い髪の女性で、多分──幽霊なんじゃないかと思えた。だって目を離していないうちに、突然現れたのだから。


 4階、3階、2階──と次第にこちらへ向かって来ている。ちょっと前髪を手で梳いて、服に埃が付いていないかどうか、そんな事を無意識の内に確かめてしまっていた。


「……いかん、いかん。僕には心に決めた人が」


 軽く挨拶でも、と考えて自分で振り払う。


 そうして1階に辿り着いて開いた扉、エレベーターの中には──誰もいなかった。強張った体からすっと力が抜けて、思わず溜息を溢しながら薄暗いエレベーター内に入って、ボタンを押す。


「……しまった」


 壁に寄り掛かって一息ついて、扉が閉まった瞬間、僕は呟いて、


「上か」


 見上げると──思った通り目が合った。若い女性でちょっと歳上、19とか20とか。


 女性は僕を見て笑っている。真っ白だったワンピース、背後から見れば確かに純白だったそれは──正面からだと真っ赤っかで、顔や腕にも満遍なく付着したそれが──血液だと理解するのに時間は掛からない。血塗れ、確かにそうだと思えるけど、怪我をしたからではなく、正面でしか確認出来なかったのだから、多分返り血なのだろう。


 そんなものが──天井にふわふわと浮いていて、僕を見下ろしていて、笑っていたから薄暗かったのだ。


 白目の無い漆黒。真っ黒な瞳、剥き出しの歯茎からは絶えず、赤い血が流れていて、僕の頬に垂れる。


 女性は無邪気に、恨みがましく、強い憎しみを伴ったように笑って──言った。


『わたし、かわいい?』


 舌足らずな口調で首を傾げる姿は、年齢とはチグハグな幼さを感じさせる。


「君も、僕を見つけたんだね」


 なればこそ、この女性が──恐らく『マキちゃん』だと、そう直感した。


『わたし、かわいい?』


 全身に重苦しい感触がのし掛かって冷や汗が垂れる。


「君の相手は僕じゃない。また後で会おうよ」


 女性は笑う。笑って笑って、小さく、くすくすとした笑いだった。しかしそれは徐々に、4階に近付けば近付く程に大きくなっていって、エレベーター自体が震えるくらいの音量に変わっていく。


 頭が割れそうだった。


 壁に手を付かなければ立っていられず、耳を塞いでも何も変わらない。無意識に瞼を閉じても脳に直接響くような声が止まなくて、込み上げる吐き気を抑えるのが精一杯だった。直接何かされている訳ではなく、女性は──『マキちゃん』はただ笑っているだけ。それだけで、永遠にも感じられる程の苦痛を感じてしまう。


 これは思い。彼女の念。


 魂を持たない僕では、このままだと、きっと押し潰されてしまうのだろう──しかし、抗う術が無い訳じゃない。小手先の技術を用意していなかった訳ではないのだ。


 奥歯を噛み締めながら、ポケットを探ると、ナイフを取り出した。あくまで護身用であり、強力な思念を持った存在には歯が立つ筈も無い一振り。


「っ──」


 僕は剥き出しの刀身を掌に押し付けて、サッと引き切った。流れ出る血液で床に効きそうな魔除を描くと、


「また、後でって……言ってるだろッ!!」


 ナイフを、中心へ力任せに、突き刺した。


 その瞬間──ピコンと、短い音が鳴って扉が開き、地獄の業火のようだった騒音が停止する。同時にのし掛かった重圧も消え失せて、これまた力任せにナイフを引き抜くと、僕は倒れ込むように外へ出た。文字通り、綺麗な廊下に倒れ込んだのだ。


「はぁ……はぁ……はぁ……」


 荒い呼吸を噛み殺し、誰かに見られぬ内に膝を付いて立ち上がる。


 頬に違和感を覚えて拭うと、真っ赤な血が流れていて、恐らく目から出てしまったモノだろう。啜った鼻を擦っても、同じ。恐らく顔面が大変な事になっている事は容易に想像出来た。


 霞んだ視界の中、僕は急いで目的の部屋へと向かい──表札を見つけると、こんな時間だというのにも関わらず、ドアに拳を何度も叩き付けた。何度も何度も叩き付けながら、無事を祈って。


 ただ笑うだけ、存在しているだけであれほどの力を持った存在だ。そして、籠鮫は今回の現象を解決する上で、決して欠かせないキーパーソン。彼を失えばもう──僕の手には負えない事になってしまう。


 そんな事を考えながら何度も何度も、何度も叩いて、


「うるせえ!! ご近所迷惑だろうがクソガキ──って、お、お前、大丈夫か?」


 お前の方がご近所迷惑だろうと、そんなツッコミをする気力も無かったけど、相変わらずな籠鮫が迎えてくれて、胸を撫で下ろした。


「だ、大丈夫、です……多分……」

「とりあえず早く入れっ!」


 肩を担いで、僕の身を素直に案じているであろう、そんな彼の表情を見て、


 ああ、やっぱり警察官なんだなあと、ふんわり思っていた。

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