第26話 彼女のせいで話が全然進まない!

 僕が大十木詠子おおとぎうたこに出会ったのは、高校に入学して間も無い頃だった。春先の桜が舞い落ちて、新生活の残り香が燻っていた5月。まだ超常現象というものに敏感だった僕は──街でばったり『狼』と出会ったのだ。


 腹を空かせて、帰り道を見失っていた彼女を保護して、付き合って、決別するまで、決して楽しい思い出ばかりでは無かったけれど、ふと思い返した時、どこか暖かくなれるような──確かにそんな日々だったと思う。


 僕が誰かと別れる時、いつも同じ言葉を告げられた。『やっぱり人間とは付き合えないよ』と。


 絶対的な隔たりがそこにはあって、だけども僕にとって『怪物』は『現実』なのだから、決して手の届かない存在じゃないのに、それでも尚、阻まれる。そんな何かを変えたくて、踠いて、傷付いて──いつしか魂を失ってしまった。 


 僕が何をしたのか。世界はどうしてこんなに僕を苛める。幾ら考えてみても、答えは出る事が無い。神も仏も存在しているくせに、きっと彼等は僕の事なんかどうでも良いのだろう。


 こんなにも苦しんでいる僕でさえ、地球上で無数に蔓延る有象無象の一匹としか捉えていないから──だけどさ、それでも最後くらいは楽しい夢を、幸せな結末を見せて欲しいと、そう思う。




「あぁ……お父さん、お母さん。今、会いに行きます」

「何馬鹿言ってるの? 早く起きなさい、恥ずかしいから」


 意識を取り戻すと、最初に聞こえたのは──凡そ付き合いたてホヤホヤの熱々カップル、とは全く思えぬ思いやりのない真っ直ぐな言葉だった。


 綺麗な川と、赤く色鮮やかで特徴的なお花畑が見えた気がしたけど、いざ目を開けて見ればそこには、僕の顔をじっと覗き込む千頭流の姿。どうやら僕は一時的に気絶していたらしい。やたら恥ずかしい呟きと、めっちゃセンチメンタルな独白をしてしまったのは、臨死体験か何かと勘違いしたからだろうか。


 僕は未だじわじわと効くボディブローの名残を噛み締めながら、立ち上がると体に付いた埃などを払い落とす。


「動きがとんでもなく素早くなってた。また腕を上げたみたい」


 千頭流は僕の手が届かぬ背面の汚れを叩いてくれて、


「そう。じゃああのクソ女を殺してくるわね」


 凡そ付き合いたてホヤホヤの熱々カップルみたいな言葉を口にする。


 しかし、その表情はもう──ちょっと言葉にならないくらいの感じだった。激昂していると言えばそれまでだけど、それだったらもっと顔を歪ませるとかしても良いと思うけど──目を見開いて、じっと、淡々と口を開くその様子は、思わず僕も苦笑いを溢してしまう程に恐え。


 そんな千頭流の視線の先には──詠子の姿がある。


 彼女はあのUFOキャッチャーにまだご執心らしく、しかし先程のような様子は見て取れず、どこか浮かない表情を覗かせていた。それほどまでにあの人形が欲しいのか、それとも僕の話を聞く気があるのかは分からないけど正直ホッとしている。ようやく見つけられたのだし、せっかくならLINEのブロックも解除してもらいたい。


「まあまあ、こんなのスキンシップみたいなものだから」

「私以外の女がスキンシップ? 余計ムシャクシャするわ。ちょっと呪い殺してくる」

「君はもう少し自分の行いを反省しなさい」

「反省したところで過去は変えられない。であれば私達は、それを受け入れて精一杯生きていくしかないのかもしれないわね。あの女殺す」

「もう分かったから、とりあえず話を聞こう。せっかくここまで来たんだし無駄にしたくない」

「ええ。そうね」


 一頻り下らないやり取りが出来て満足したのか、彼女はすんなりと頷く……一応、本当に何かしないよう気を配っておこう。


 しかし、何故僕は殴られたのだろう。『やあ久しぶりだね! 突然だけど僕のイカれた彼女を紹介するぜ!!』とでも言い放ったのなら理解出来るけれど、僕達は──全てを納得して別れた筈なのに。『あんな事』があったのだから、それだって仕方が無いって分かっている筈なのに──それでも尚、捨て切れない思いでもあるのだろうか。


 僕と同じように。


 近付くと、詠子は見向きもせずに100円を投入して、ボタンを軽く押す。


「やあ久しぶりだ」

「黙れうざい消えろ帰れ」


 またしても最後まで言葉を紡げずに遮られる。とはいえ今は殴られた訳ではなく、冷たく突き放されただけ──明確な拒絶の意思を表しただけに留まっていた。


「やっぱりこの女、殺しても良いかしら?」


 千頭流は初対面の相手に臆する事なく言い放つ。


「あ? つーか誰お前?」


 熱中しているけど、流石に頭に来たのか初めてこちらに視線をくれた。しかしそれで手元が狂ったのだろう、アームはあらぬ方向へと向かい、またしても悲願の達成は先送りになってしまったようである。


 詠子は軽く舌打ちすると、振り向いて筐体に寄り掛かって僕達と向き合った。


「……アンタらごちゃごちゃうるさいからさ、諭吉寄越すか、さっさと消えてくんない?」


 見た目こそ派手になっているけど、時折見せる仕草や表情は昔と変わらない。以前を知る僕からすれば、その様子はまるでチワワが頑張って威嚇しているみたいな、愛らしさの方が勝ってしまっているような──そんな違和感を覚えた。


「初対面の相手に失礼な人ね。話をしに来ただけよ、言われなくても終わればさっさと帰るから」

「殺すとか何とか言ってさ、失礼なのはお前でしょ」

「気に障ったのなら謝るわ。ごめんなさい」

「……いや、そんな素直に謝られても」

「謝っても失礼でも結局文句を言うのね。どっちかはっきりしなさいよ」


 何故だろう、二人の絡みは見ていて面白いと感じてしまう自分が居る。


 何となく傍観を続けていた僕に、詠子は居心地悪そうな視線を送った。『この女誰だよ』というよりは『助けて』とそう言っているような、そんな目付き。


 千頭流の扱いは僕でも手を焼いているくらいなのだから当然の事だろうけど、しかしながらそのお陰で落ち着いて話が出来そうな状況が構築され始めている。これを狙ってやったのか、単純に面倒臭い性格なだけなのかは分からないが、恐らくは両方だろうと思えた。本当に、色々な意味で凄いと感心する。


 何せ、僕のような変態と交際出来るのだから。


「彼女は見壁千頭流ちゃ……」


 『んだよ。僕達今付き合ってるんだぜ』と、そう言い掛けて寸前で踏み留まる。穏やかに、自然な流れで──僕は今、何をしようとしているんだ?


 『元カノ』に懇切丁寧に『今カノ』を紹介しようとしている。なんだ、なんだ、どういう状況だそれ。いや違う──これは僕のミス。すぐにでも本題を切り出すべきだった。街の異変とかあれやこれやを説明すれば、何やかんやでうやむやに出来たのに、そうしなかった、出来なかった。しかしそれは何故か。


 冷や汗が噴き出す。逡巡する。思いあぐねる。千思万考する。思案に暮れる。思い惑う。だけど、そんな気持ちを狙い撃つかのように──千頭流は不敵な笑みを浮かべて、口を開いた。


「ただいまご紹介に預かりました、わたくし、見壁千頭流と申します。既にお気付きかとは思いますが──私達は付き合っているの。よろしくね元カノさん」


 彼女が甲斐甲斐しくも、文句も言わずに付いてきた理由を僕は察していた筈──マーキングをする為だと分かっていた筈なのに、どこまでも自分の欲求に忠実な彼女が何をするか、少し考えれば分かった筈だ。


 嵌められた。自然な流れで場を乱して、僕が割って入って冷静に紹介を始めるだろうと、当てを付けられたのだ。


「は、はははっ……何、それ……」


 詠子は一瞬見開いて、俯くと肩を震わせる。それがどんな感情に基づいているものなのか理解は出来ない。最早僕の思考の範疇どころか頭蓋から飛び出してしまっている。


 今カノからの元カノへの宣戦布告。そんな態度とも取れる口調と内容。一般的な常識と感性を備えているのならば『わざわざ紹介する為に会いに来たっていうの? 意味分かんない!!』と怒ってどっか行ってしまうだろう。そうなればここまで来た労力も、ようやく見つけた手掛かりも全部パアに──、


「ばっかじゃない? そんなわけないじゃん」


 しかし、そうはならなかった。詠子は怒るどころか、呆れてモノも言えないと、そんな感じで千頭流に見下すような視線を送り付ける。


 理由はとても簡単で、僕が失念していただけの事。今この場所に『一般的な人物』など居ないという致命的な欠陥を。


 この時、僕は生まれて初めて変態で良かったと──強く、そう思った。

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