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  • ま、まさかの結末。
    決闘が怖くて、その準備段階で、心が折れて、まさか、そこですか。

    モーパッサンって本当に面白いですよね。

    作者からの返信

    雨さん、コメントありがとうございます。はい、まさかの結末でした。ぽっきり心が折れる瞬間が怖すぎます。
    苦情が来そうな内容なのにこの説得力、さすがモーパッサンですね。。

  • こんにちは。
    実際に決闘で亡くなってしまった作家もいましたね。当時はそれなりに身近なことだったのかなと思います。
    お話自体は皮肉なコメディですが、私はむしろ子爵に共感します。私自身も、いつ事故や事件に巻き込まれて死んでもおかしくないしそれは仕方ない、と普段は考えていますが、いざ死の危険が目の前に迫ればみっともなく取り乱すんじゃないかとも自分を疑っています。
    そんな人間の弱さを鋭くえぐり出すモーパッサン先生はさすがですね。

    作者からの返信

    久里さん、こんにちは。コメントありがとうございます。
    決闘はけっして珍しいことじゃなかったでしょうが、同時に注目されるプレッシャーも凄かったんじゃないかと思います。この子爵はそれに負けたのもありますよね。
    死を覚悟しなきゃいけない、というのが現実に目の前にあったら……自分はみっともなく最後まであがきそうです。外聞や誇りを気にして自滅するって選択はしない気がしますね。。


  • 編集済

    柊さん、こんにちは。
    先日、私が「決闘」の話を書いた時、柊さんがコメントに「先生にもかなりの決闘の話がある」と書いてくださいました。それで、どんな作品があるのだろうかと思っていたところでしたので、このタイトルを見て、わくわくしました。読んでみると、想像以上におもしろくて、さすがのド・モーパッサン先生!

    私の書いた決闘は史実で、ピストルがうまい元判事が勝ちました。
    さて、こちらの独身の子爵は、ピストルの名手。その上、イケメンで、気品、ユーモア、資産あり。それが本当にささいなことから決闘することになりますが、相手がただのおっさんですから楽勝ですよね、普通なら。ただ女性を見ていただけで、殺されるおじさんはかわいそう、と思っていましたが・・・・。

    先生がそんな風にはストーリーを進めていくはずがありませんよね。
    このパーフェクトな子爵が突然、ビビり出します。そうきましたか。ああ、おもしろい。

    それも、子爵は「死」そのものを恐れるのではなくて、死んだ後笑い物になり、女性からはさげすまれ、新聞の記事になり、臆病者と言われるのを怖れているのですよね。
    そんなこと、怖れなくてもいいのに。ピストルの名人なのだから、普通にやれば死ぬことはないでしょうに。
    でも、子爵の考えはマイナスの方向に行くばかり。子爵は銃口を口の中にいれた時、これで死ぬ方法が見つかったと微笑みます。なんですか、この子爵!?

    おじさんは女性がアイスを食べているところを見ていただけなのに、それが貴族のプライドに傷がついて、決闘になってしまう話。
    びびるのがおじさんならわかりますが、パーフェクトな子爵がこんなことでノイローゼになる話なんて、先生にしか思いつきませんよね。

    ところで、子爵が死んだことを知らされた人々は、たぶんピストルを磨いていた時の偶発事故だと思うでしょうね。まさか、自殺だなんて、誰も想像もしないでしょう。
    それから、一番ほっとしたのは、おじさんでしょうかね。
    変な言いがかりをつけられて、ビンタをくらわされ、決闘を申し込まれ、これでおしまいだと遺書まで書いて置いたのに、朝になったら、子爵は死んだという知らせ。でも、19世紀、決闘を申しこまれることはよくあったようですから、おじさんはこれも運命だとわりと平然と構えていたかも。
    それにしても、このパーフェクトに見えた貴族、メンタル弱すぎ(笑)

    作者からの返信

    九月さん、コメントありがとうございます。
    この短編を取り上げようと思ったのは、まさに御作品で決闘の話を読んだからです。それで、いくつかある中でも異色なこの短編を選びました。本当はオーソドックスな決闘が行われる話を紹介するのが先なんでしょうけど、自分自身があんまりそういうシーンに興味がないので(笑)このような変わり種を選んでしまいました。むしろこの展開の方が人間くさくて好きです。
    だいたいこういう主人公は先生が嫌いなタイプなので、ろくなことにはならないだろうと思うんですが、それにしても追い詰めますね。お書きになった通り、死よりも恐れているのは不名誉のほう。ピストルだって普通にやれば勝てたかも知れないのに、怖くなったのは生来の小心者に加えてこの誇りが邪魔をしたのでは、と思います。
    おじさんが何者だったのかは最後まで分かりませんが、最初しか出てこない(しかも女を見てるだけ)なのに子爵の妄想の中で手強い人になっているのが笑えます。
    多分女性はこんな馬鹿なことはしないでしょう。もっと現実的で、折れるところを知っていると思います。決闘をするのは男だけだし、戦争を始めるのも男だけですね。


  • 編集済

    はじめにへの応援コメント

    私、カクヨムを初めてすぐにこちらのページを拝読していたようです(応援ボタンの日付で気づきました)。
    フランス文学、大好きです。でも、20年位再読していないので色々忘れちゃいましたが、本棚を見たらモーパッサンは購入したのは脂肪の塊・テリエ館・女の一生だった。「乾いた調子に皮肉や優しさが入り混じっている」確かにこういう人は色気がありますね。これを念頭に置いて再読してみようかしら。

    そして!サインの件、分かります!私はプルーストに手紙を書きたくて(原文で読んでみたくて)フランス語を2年位独学しましたが会得できず…柊さん羨ましいです。でもね、プルースト研究第一人者のお孫さんと知り合って、亡き祖父の書斎に入れてもらい感動しました!プルーストのサインはいくらでしょうか…いつかフランス行ったら買いたいなぁ…。
    フランス文学愛をなかなか語れないので、便乗して長文失礼しましたヽ(´▽`)/

    ※コメント再読しましたらプルースト愛が過剰でしたので、後半削除しました(恥)。

    作者からの返信

    葵さん、このマニアな連載にもお越し下さってありがとうございます。もしかしてフランス文学とかのタグで探されたのかな、と思いました。どうしてもお堅いイメージがあるので一般的じゃないですよね。僕が書いている文章は、原作を読んで受けた印象を自分の言葉にさせてもらってます。なのでゆるゆるです(笑)特別フランス文学に詳しくないので、葵さんに読んで頂くのが恐縮なぐらいです。
    「脂肪のかたまり」や「テリエ館」は短篇集ですよね。日本版とフランス版の編纂は違うようなので、日本版にどんな話が入っているか興味があります。
    それにしてもフランス語を独学で勉強されたとは。葵さんのプルースト愛がひしひしと伝わりました。その熱量がそういうご縁を導いたんでしょうね。
    フランスに来られる機会があったら、カルナヴァレ美術館のプルーストの部屋は外せませんね。

  • 決闘ってその場でするのかと思ってました。こんな手続きをしている間に冷静になって仲直りできそうですよね。申し込む前に家に帰って頭を冷やせばよかったのに……。
    おっさんは割とのほほんとしていそうで、出番が少ないのに大物の存在感がw

    作者からの返信

    橋本さん、コメントありがとうございます。
    その場でサクっと、というわけに行かないのが公的な決闘のめんどくささですね。これ、一度言い出したら引っ込めるのも不名誉なんだと思います。
    おっさん、少ししか出ないのに大物感ありますよね(笑)子爵の頭の中で人物像が膨らみすぎたようです。敵への誇大妄想までリアル。。

  • これはまさに自滅のお話ですね。決闘する前に自殺とか、やっぱりモーパッサン先生らしい意地悪な話ですね~~登場人物もですが、やっぱり先生がこじらしてるなぁと・・・そこがまた、良いのですね??笑

    作者からの返信

    引き続きコメントありがとうございます。
    自滅しました。前半の書き方から意地悪な匂いがするのでこれはなんか来るなと思うんですけどね、まさかここまで追い詰めるとは驚きです。化けの皮をはがすような残酷さが先生ですね。。。

  • 決闘、映画でもよくありますね。ルールに乗っ取って殺し合いって・・・と当時の風習に唖然としますね。エドガー・ドガが、ド・ガだったなんて。そしてバルザック氏は自分でドを足しちゃうなんて笑「ド」に関するトリビア面白いです✨

    作者からの返信

    神原さんコメントありがとうございます。
    ルールに乗っ取った公式の「殺し合い」、それが紳士の流儀だったんでしょうが、勝てば正義ってところが分からないですね(そしてそれは今も変わらない…)
    本筋からはズレましたが「ド」にまつわるエピソードには人柄が出てて面白いですね^^

  • あ〜〜〜、ですね。
    こんな事でこんな事になるなんて…
    人間は思い込みで自分自身を狂わせてしまう生き物なんだと思います。その素質(?)は誰もが持っているのかもしれない。
    自決とまではいかなくても、きっとこれは変なプライドへの戒めですね。

    作者からの返信

    風羽さん、コメントありがとうございます。
    なんか一番残念な結果に終わりました。恐怖とプライドの板挟みになってる心理状態がリアルで……。思い込みと見せかけのプライドの愚かさを感じます。状況を変えればこの素質が誰にでもあるのかなと思うと怖いですね。。

  • 臆病者ってこっちかいっ!(笑)
    まさかの展開でした。斜め向こうどころか後ろ向き真っ逆さま(^^;
    いろいろ備わった完璧な嫌味子爵、自分のプライドに殺されてしまったんですね。中身の詰まっていないがらんどうのプライドだったから、剥がれたときになにもなくなってしまう……メッキがすべて剥がれきる前に選択した行動は、ヘタレ子爵のなけなしのプライドによる最善だったのでしょう。理解できんけど。
    決闘に、いろいろ事務的な手続きが必要で、時間が空いてしまったこともよくなかったのかもしれませんね。ぱっちーんといくのじゃなくその場でピストル撃つことならできたのかも。捕まるでしょうが(笑)
    さすがモーパッサン先生、はぁ!? と首を傾げてしまうような展開のなかに、人間の複雑な心理が深くえぐるように描かれていてすごいなあと思いました。もちろん、それを軽妙にユーモアを交えてわかりやすく伝えてくださる柊さんも素晴らしいです。
    楽しませていただきました♪ またの更新をお待ちしております。

    作者からの返信

    烏丸さん、コメントありがとうございます。
    卑怯者はこっちでした(笑)フランス語だと、臆病の中には卑怯とかそういうニュアンスも入ってるかなと思います。この場合も結局は対峙することから逃げていますよね。
    そうなんですよ、メッキのプライドだから剥されたときの自分がどういうものか知っている、そこが描いてあるのが怖いのです。モーパッサンは決闘そのものよりもそっちを書きたいんだろうなと思います。
    諸々の手続きがやけに現実的なのも恐怖を増長させますよね。
    自分も最初読んだときは「はあ?」ってなりましたが、読み返すと一語一語が抉るようで、徹底してるなと思いました。
    楽しんで頂けてよかったです。今度は明るい話を……(あれば、ですが笑)


  • 編集済

    柊圭介さん、おはようございます😊

    いやはやなんというかアンビリバボーな結末。
    自分から挑んでしまった決闘にもかかわらず、色々な憶測で決闘せずして我が身を自ら滅ぼしてしまうとは……。
    子爵にとって大事なものって何だったのでしょう?
    誇りを守ること?名誉を守ること?勇敢であること?決闘を決めること?
    それらを失うことが命より大事だったのでしょうか?
    なんだか哀れであり滑稽です。
    冷静に考えればおかしな話ですが、人間とは時としてそう言ったどうでもいいことにこだわってしまう生き物なのかもしれませんね。
    モーパッサンのするどい示唆に笑ってばかりはいられない気がしました。

    作者からの返信

    この美のこさん、おはようございます😊朝からこのような話で恐縮です。なのにコメントまでありがとうございます。
    まさかの結末でした。1日のあいだに子爵の頭の中がパンパンに膨らんでいくのが手に取るような描写で書かれています。
    彼を殺したのは不安の先にある名誉とか誇りで、第三者からするとそれが理解不可能だし滑稽ですが、この設定を別のものに置き換えると意外と近くにある話なのかも、と思います。自分の価値観に固執して自分から身を亡ぼす生き物は人間だけですね。

  • あんれまあという結末ですね~。( ^^) _旦~~
    申し訳ないですが、あまり同情できないような……。

    誇りを守らねばならない。気高くなければ何もかも失ってしまう。
    ← 子爵という立場も大変なんだねとは思います。
      命より大事な誇りって、なんなんでしょうね。

    だれもそんなこと思っていないのに、本人だけは頑なに死守したいものって。
    滑稽でちょっと侘しくて、思わず自分を振り返ってしまうようなお話でした。

    作者からの返信

    上月さん、コメントありがとうございます。
    僕も最初に読んだとき「あんれまあ」と思いました(笑)
    この界隈の方々の価値観は庶民には分かりませんが、命より大事な何かに固執しているのを客観的に見せられると、決闘だけの話じゃないなと思わされます。
    自分のことは棚に上げそうだけど、もしかしたらこんな部分があるかもしれない……振り返るって目線に気づかされました。ありがとうございますm(__)m

  • 柊さんの語りがおもしろくって、くすくす笑いが止まりませんw 覚えなくていいですとか、自分で足したんかいとか、嫌味子爵とか(笑)
    決闘になるのかな、なるとしたらピストル使わせてもらえるのか……? うーん、考えるのとは斜め向こうにお話が進みそうで、続きがとても楽しみです。

    作者からの返信

    烏丸さん、コメントありがとうございます。
    ネタにしたくなる人材が揃ってるものでつい……w 笑って頂けたら本望です。
    先生の話はだいたい斜め向こうですよね。ご想像にお任せしますが、烏丸さん先を読むのがお得意なので、今回も当てられないか緊張します(なぜ僕が?)

  • フランスでド・〇〇は貴族、って知識としてはあったのですが、つけたり外したりできるの知りませんでした!
    名刺交換が面白いですね。決闘の手続きなしに突然撃ち殺したりするのは、きっと犯罪になるんですよね。

    作者からの返信

    橋本さん、コメントありがとうございます。
    名乗ったもん勝ちという感じがしないでもないですね。逆にドガみたいな例もあって面白いです。
    そうですね、いきなり撃ったら殺人ですが、正式な決闘は手続きを踏んで厳かに(笑)行われるようです。さてこの場合は……

  • 柊圭介さん、こんにちは😊

    苗字に「ド」がつくのは「やんごとなきお家柄」という証明になるんですね。
    知らなかったです。
    さらにモーパッサンのフルネームはキ・ド・モーパッサン。
    これも知らなかったです。
    「ド」をキープしたまま、貴族やブルジョワをけちょんけちょんに書くってスタイルが庶民の私にはたまりません( ´艸`)

    「手が出る」という行為は決闘のサイン。
    手が出る時点で、なんて感情的なと思いましたが、この後お互いの名刺を交換して決闘の手続きって意外と冷静な対応なんだと笑えました。
    モーパッサンが描く決闘のイメージってどんなものなのか続きが楽しみです(^^♪

    作者からの返信

    この美のこさん、こんにちは😊コメントありがとうございます。
    「モーパッサン」で定着しちゃってるので、フルネームって意外と忘れがちになるんですよね。フランス語ではGuy de Maupassant って書きます。辛辣な話が多いですが、庶民とか弱い者に優しい目を向けてると思います。そこがなんか好きです。

    子爵が引っぱたいたのは、感情的な方が勝っているように見えますね。でも自分から決闘を申し込んだようなものなので、後戻りできません。さあどうなるやら。

  • 分かりやすい!
    面白い! 原作もこんなふうに面白いのかな?
    続きが楽しみです!

    作者からの返信

    風羽さん、コメントありがとうございます。
    ああよかった、嬉しいです!原作はいたって真面目にチクチクと書かれていますが、後半どのような展開になるか。どうぞお付き合いくださいm(__)m


  • 編集済

    すみません、仰せに従って主人公の名前は憶えません。(笑)

    苗字に「ド」がつくのは「やんごとなきお家柄」
    ← ド迫力とかド直球とかの現代日本語とは真逆ですね~。
    そのドを勝手に足したバルザック、可愛い、天晴れです。🪭
    「ド」をキープしたまま、貴族やブルジョワをけちょんけちょんに書く
    ← われらがモーパッサン先生も同じく。( ^)o(^ )
    俺様の俺様による俺様のためのアイスタイムを台無しにされたことに怒ってる子爵
    ← ちっちゃ!!(笑)
    このあと、二人はお互いの名刺を交換して、正式に決闘の手続きに移る
    ← なんてジェントルマンな……。(^▽^;)

    もしや読者のツッコミサービスで書いてくださったのかな、柊圭介さま。
    そんなことをつらつら考えながらたっぷりと楽しんでおります。m(__)m

    作者からの返信

    上月さん、コメントありがとうございます。
    こういう方のお名前ってえてして長いのですよね(笑)上月さんのツッコミのオンパレード、つい笑ってしまいました。こちらこそ楽しませていただきました。昔の方はやることにポリシーがあって天晴れですよね( ^)o(^ )
    決闘の前には色々と手続きがあるようで。ジェントルマンの世界も大変ですね~。

  • おお、きました。きました。モーパッサン、待っておりました。

    作者からの返信

    雨さん、嬉しいコメントをありがとうございます。久しぶりに更新してみました。少しでも楽しんで頂けたら何よりです。

  • こちらのお話、本で読んですごく嫌な気持ちになったのを思い出します。
    人が狂っていく過程というのは、恐ろしくおぞましいですね。
    閉ざされた雪山ならではの恐怖を感じました。
    あと、犬のサムがかわいそうでした(;_:)

    作者からの返信

    陽咲乃さん、コメントありがとうございます。
    この短編は本に入っているんですね。怪奇譚というより悲しい話ですよね。色んな感情が人を狂気に陥れるのがリアルで。
    犠牲になる犬の変わり果てた姿もつらいですね。誰が悪いとかがない分、気持ちの持って行きようがない作品だと思います。

  • このシーンに花の香りを差し込むなんて、さすがモーパッサン先生ですね!
    さぞかし美しいシーンでしょう。

    ところで、わたしも授乳経験がありますが、当時の育児本には「赤ちゃんだけができる独特の口の動きで授乳を促すので、大人が吸っても出るものではない」みたいなことが書かれていました。
    実際やってみないとわかりませんけどね(笑)

    作者からの返信

    陽咲乃さん、コメントありがとうございます。
    この情景にいっぱいの花の香りが漂っていると思うと情緒倍増ですよね。五感に訴えます。
    なるほど、それは考えたことなかった! 本能で知っている独特の飲み方があるとは……人間も動物なんだなと思わされますね。
    彼は……どうでしょう、きっとこの時ばかりは赤ちゃんに返ったのだということで(笑)

  • 最初は、こんなイタズラで二人が傷つかなきゃいいけどとハラハラしました。
    ハッピーエンドで良かったあ!これ読みたいな。
    ラテン語問題、奥が深いのですね~

    作者からの返信

    陽咲乃さん、コメントありがとうございます。
    悪戯のつもりが可愛らしいハッピーエンドになってくれてほっとしますよね。
    ラテン語、現代では選択科目ですが、色んなところでの存在感は今でも大きいですね。

  • すみません、宝石まで飛んできてしまいました😅
    そうですね、読んだのがちょっと前なので詳細は忘れてしまいましたがこんな話でしたね。
    ただ個人的にはまだ信じたいのです、奥さんは不倫はしてなかったと! 何らかのパトロンがいたか(これは不倫か……)親族に内緒の金持ちがいたか、宝くじ当たったか、人に言えない仕事でボロ儲けしていたか、ことが落ち着いたら旦那さんにも話すつもりだったと!(信じたいです) ただ、モーパッサンさんをよくご存知の方からすると、きっとそんなことはない、ということがわかってしまうのかもしれませんね😅
    個人的にはその辺(何故大金持っていたのか)がわからない、というところが想像力をかき立てられるうまい展開だなと思いました。死んでしまったというところですね。そしてお金が見つかる、ではなくて安物と思ってたアクセサリーがものすごい高価だったというギャップもいいです。そしてチラっとみせる謎の観劇趣味というヒントも絶妙です。とても勉強になる作品です。

    作者からの返信

    こちら見つけて下さってありがとうございます!目次が折りたたみになってて探しにくかったですよね。
    19世紀のフランスなので不倫はどうしても当然のように出てきますね……すみません(^^; 夫婦がお互いを騙し騙されるのは、特にパリを中心にした都会篇でブルジョワ系の登場人物の話に多いです。
    観劇趣味→劇場に通う→出会い、みたいな構図でしょうか。説明を加えないで読者に想像させる余地を残すのがいいですよね。

  • なるほど、宝石、しか読んでない私が言うのもなんですが、モーパッサンらしいなと思わず思ってしまいまいた。人の心、感情、貧乏と金持ち、それとそれと接する人間の心を描写する人なのですね、不思議と納得がいきました。

    作者からの返信

    一番最初に書いたものでかなり端折っていて反省してるんですが、汲み取って頂けたようでよかったです。人間の表と裏や偽善と本音など人の本質をしっかり描いていて、そこが自分がモーパッサンを好きな一番の理由です。

  • はじめにへの応援コメント

    フランス文学、の前に文学というものに抵抗がある私ですが(←小説家あるまじき発言)モーパッサンさんは知っています。何ヶ所かの指南書で名前が出てきます。
    それも一つだけ、作品の名前は「宝石」です。これもこの後出てくるんでしょうか?
    「宝石」の話の展開は実に素晴らしく、多くの先輩方が小説を書くときの参考に挙げる理由がわかります。ネットで買いました。宝石の原作は(もちろん日本語で)読みましたが、その他の作品にはなかなか行けませんでしたね、今度機会があったらチャレンジしてみたいです。
    個人的に参考になったのは、宝石の出だしで確か街の風景が延々と語られるのですが、なぜかそれが退屈ではないんです。普通街のこと語られても面白くないのですが、何故か読んでしまう。そういうところに作家としての実力があらわれるのかもしれませんね。

    作者からの返信

    木沢さん、こちらもご覧下さりありがとうございます!
    モーパッサンは「女の一生」とかで有名ですね。これももちろん名作ですが、個人的にはキレキレの短編が素晴らしいと思います。
    「宝石」もう紹介を読んで下さったようでありがとうございます。この作品も語りの巧さが際立ちますね。他にも名作短編を色々紹介(ほとんど感想文ですが)できればと思います。

  • 柊さん、こんにちは。
    この小説では珍しいプロイセンの兵隊に人間味があるように描かれていますよね。
    「プロイセンの人間たちは長いことヒソヒソ話をしていましたが、将校の一人が自分も息子を戦争で失ったこともあり、同情して彼をかばいました。
     それを受けた指揮官は、じいさんに近づいてそっと声をかけます。
    『お聞きなさい、我々にもあなたを救ってやれる方法はある。それは…』」
    なんて言います。驚き。
    16人も殺したフランス人の老人を助けてくれようとしています。

    この指揮官の「それは」、に続く言葉は何だったのでしょうか。
    「気が違ったふりをしなさい」ですかね。

    ーーーー
    「伴奏者」の完成、おめでとうございます。すごくよかったです。期待していましたが、期待以上でした。
    私もボランティア伴走者みたいに、走らせてもらいました。とても楽しかったです。翌日まで待たないと読めないのが、ウェブ小説だと思いました。

    私は柊さんの小説やエッセイを拝見して思うのですが。
    主人公がぎりぎりまでがんばるのだけれど、ある時、耐えきれなくなり爆発。相手を傷つけ、自分も傷つき、後に一応修復できたようにはなっても、心にはガラスの破片がつきささっていて、時々痛む。そういう哀しいテーマが多いと思っていました。だから、傷ついた人々に寄り添えるのですが、今回も、そういうことになるのかしらと内心は思っていました。
    でも、今回のさいごでは、少年たちは明るい光のほうに向かっていました。
    アントワーヌは若くて、精神はゴムボール。親友の暴言なんか、跳ね返す。気にしない。「恥をかくのなら、一緒に」
    このふたり、音楽の伴奏者、フルートとピアノの伴奏者だけではなく、人生の伴奏者になるかもしれませんね。
    とても心あたたまるラスト、クリスマスにベストな作品でした。

    次はエッセイを小説にしてみてはいかがでしょうか。
    あの友達の髪を切ってあげるエピソード、などどうでしょうか。
    あの日に、夕食のあたりで、何かあったるはずですよね。
    なんておせっかいなことばかりで、すみません。
    むかっときたら、無視してください。






    作者からの返信

    九月さん、こちらにも来て下さりありがとうございます。
    これは「ソヴァージュばあさん」の双子みたいな話です。こういう復讐劇の時って決してプロイセン兵が完全な悪者じゃなく、むしろ人間味があったりするのが面白いですね。モーパッサンが必ずしもプロイセン憎しで戦争小説を書いていたのではなく、戦争が生み出す悲劇を憎んでいたのだと分かります。

    改めて応援ありがとうございました。伴走者、ですよね。本当にそういう気持ちです。どのタイミングで読んで頂いても嬉しいですが、一緒に走ってくれる方は心強いです。期待以上って嬉しいです。九月さんはお世辞とか仰らないと思うので、そう言って頂けるなら安堵します。

    僕の書く傾向をよく言い表してくださって恐縮です。それが一番顕著なのは帰国子女の話ですが、途中で読むのやめられます(笑)あ、読んで頂かなくて大丈夫です。嫌な気分になると思うので。
    文章を書き始めた頃は毒吐きの発散みたいに(テラピーのように)書いていました。でももうそういう段階じゃなくて、希望のあるものが書きたいです。

    短編賞に出すのは一本だけと決めているので(今年は特に応募数も多いので)あとは九月さんや他の方の作品を読んでのんびりします。
    サンフランシスコのお話、とても興味深いです。

  • 柊さん、こんにちは。
    こういう事件はアメリカにはいくつもあり、少女が何10年後に見つかったとか、その時にはレイプ男により子供がふたりもいたとかいう事件がカリフォルニアでありました。たいていの場合にはセカンドレイプをおそれて表には出てきません。でも、ある時、14歳で1年-ほど監禁されていた少女が出てきて、恥じるのは相手であり、自分が恥じることではないとテレビに述べたことがあり、その時には感動しました。
    17世紀にアルテミジァ・ジェンティスキという女画家が、19世紀にはサンフランシスコのアルマ・スプレックルズ(美術館を寄付した有名な人)がやはり十代の頃、レイプされ、裁判に訴えました。両方とも勝訴しましたが、その後の人生にスキャンダルはついて回りました。でも、それには負けませんでした。そういう生き方もあるのだとそのブルジョアの少女に教えてあげたいと小説を読みながら思いました。
    レイプというのはいつどこで起こるかわかないので、こういう強い生き方ができた先輩女性たちがいることを教えてあげたいといつも思っています。(アルマのことは、サンフランシスコの物語の中で書く予定です)

    それから、その下男がバチストという名前ですが、Baptisteって「洗礼者」のことだと思うので、これ、皮肉ですよね。

    話は変わって、第4話。すばらしい出来。
    「卑屈になるな」「尊敬している」
    このことが書きたくて、小説を起こしたのかなと勝手に思いました。
    明日でおしまい。話がうまく流れていっている時には、一万字は短いですね。音楽と同じかも。

    作者からの返信

    九月さん、こちらにもありがとうございます。
    この話はつらいのでお蔵入りにしようかと思っていたものです。でもモーパッサンは容赦なく群衆、人間の残酷な習性を描いていて、今でもなにも変わらない。紹介しない理由がないと思いました。
    犯罪そのものもそうですが、そのあと延々と続く世間の目への抵抗がさらに追い打ちをかけて、死んでしまえばどれほど楽になれるでしょう。でも闘う女性が確かにいたんですね。きっと一人ではなかったでしょう。愛情を持って支えてくれる人がいたはずです。
    この女性にも夫がいたけれど、好奇の波には無力過ぎました。
    これを書いていてふと自衛隊の女性の裁判を思い出しました。あの方に誹謗中傷する輩がいるそうですね。

    バチストという名前に注目されるのもさすがです。洗礼 baptiser なんて全くきつい皮肉ですよね。

    短編の方も丁寧に読んでくださり、とても嬉しくて心強いです。この二つのセリフ、狙ったわけではないですが、響いてもらえたのかなと思うと書いてよかったです。
    いつも本当にありがとうございます。

  • 柊さん、こんにちは。
    きょろきょろ、今日の私は挙動不審・・・というのは似たような目撃をしたことがあるからです。
    書こうか書かないかと迷い、この柊さんの作品は前に書かれたもので、もう私のコメントを読む人がいないだろうと思い、書くことに。

    私は中東の前は、アフリカにも五年近く住んでいました。西のナイジェリアはラゴス。当時は危険な場所で、家の周囲には塀があり、塀の上には割ったガラス瓶が並べられ、二十四時間警備がいました。見張られているのも、神経的になかなか大変なものです。
    メイドは塀の外のボーイズコーターという小屋に寝泊まりしていました。ガーナ出身のたぶんラゴス一のおでぶちゃん。
    ある夜、ガードがいないので、どこに行ったのかなと庭に出たら、裏でおでぶちゃんとガードがやっておりました。
    月光におでぶちゃんの黒い肌がトドのように輝いていたのを覚えています。それが美しかったんですよね。
    今の言葉で言うと、「マジかぁ」が印象でした。

    でも、先生のように「こうして夫婦は足りなかったものを取り戻したのです」ということになりませんでした。
    先生も実際に見られて、作品を書きあげたのでしょうかね。
    私はこの作品を読むまで、あの夜見たことは、なぜか封印していました(笑)

    作者からの返信

    こちらにもコメントをありがとうございます。
    お話を読ませて頂いて笑ってしまいました。まさにこの作品そのものですね。温室ではないにしても、ナイジェリアの熱い夜って感じです。メイドとガードといういかにもな組み合わせが分かりやすい。
    >月光におでぶちゃんの黒い肌がトドのように輝いていた
    素晴らしい描写です。黒く光る肉感的な肌が妙にエロチックで美しく……
    ここからの「マジかぁ」に爆笑でした。
    貴重なエピソードを披露してくださりありがとうございます。こちらの方が楽しませていただきました。
    それにしても本当に色んな国におられたんですね。九月さんの視野の広さ、知識の豊富さなど、やっぱり様々な場所や文化を知っている方ならではだと思います。羨ましいです。

  • 柊さん、こんにちは。
    柊さんにに教えていただいてから、何作もフイルムを見ましたが、私としてはこれが最高。景色も役者もとてもよく、この監督は有名な方でしょうか。

    https://www.youtube.com/watch?v=MvTYBXJYDiw

    景色や人々が印象派のまるで絵画の中。カヌー、ボート、河遊び、ワイン、アブサン、若者、ボッチ遊びなど、その衣装と動きを見ているだけで、当時はこんなふうだったんだと感激しながら見ていました。
    この映画の中の奥さんはセクシーでとても美人です。娘さんはおっとりしていて、初々しい。
    ストーリーは少し変更されていますが、アンリネットとアンリは一度アヴァンチュールで恋をしてしまった様子。アンリが二ヵ月後に訪ねてみると、アンリネットはあのださい男と結婚。なぜ???
    それから一年後、アンリがあのアヴァンチュールの場所に行くと、アンリネットが夫と来ていて、毎晩、あの時のことを思いだしていると言います。でも、どうにもならないふたり。
    あの時、アンリネットが両親に、恋をしてしまったことを訴えたら、どうにかなりましたか。時代的に、無理ですかね。
    先生はこんな美しい悲恋も書かれるんですね。

    作者からの返信

    九月さん、コメントありがとうございます。
    ご覧になったのはchez Maupassantのシリーズですね。監督は知りませんでしたが、文学ものを映像化する専門の方のようです。このシリーズは結構脚色しちゃうのがアレなんですけど(原作に忠実な方が好きなので)、きれいな映像で当時の雰囲気を再現してくれるところがいいですよね。
    この原作でもうひとつ有名なのはジャン・ルノワール(オーギュスト・ルノワールの息子)という監督の「ピクニック」という短編映画だそうです。
    原作はお母さんがコメディパートを引き受けてるので娘の純情が際立つ感じがしますが、映像だとそこまでお母さんをギャグにはしないのかな。
    こういう成り行きの出会いではきっと恋は成就しなかったんでしょうね。思い出になって美化されていくような。最後の現実的なラストが切なくてモーパッサンらしいですね。

  • 柊さん、こんにちは。
    これはありありだと思って、笑って読んでいました。
    今は結婚とかではなくても、付き合いでも、同棲でも、若い子が「彼はパーフェクト、私たちは永遠にラブラブ。浮気をする女性の気持ちが分からないわ」と言ったりします。それが、数ヵ月後には別の男子と付き合っていたりして。
    ドクターは結婚したばかりの若い女性に、浮気をした女性に起きたこわい話をします。すると、女性がどうしてそんな関係のない話をするんですか、と。
    ドクターはきっとこの若い女性の浮気な素質を見抜いて、忠告のためにそういう話をしてあげたのではないでしょうか。ははは。
    女性は全然気がついていませんが、数ヵ月後、数年後にわかる時がくるかも。

    「伴奏者」の第二話、スムーズに、静かに進んでいますね。今日は先生と友人の登場でした。
    私は前に「Madame Sousatzka」という映画を観たことがあります。舞台はロンドンで、ピアニストをめざすインド人の少年と、年老いた女性のピアノ教師の物語。少年は母子家庭で貧しく、母親は早くピアニストになって、稼いでほしいと願っています。映画に友情はないですが、初恋はありです。
    とても好きな映画でしたが、今朝まで忘れていました。
    明日は三話目、ますます楽しみです。

    作者からの返信

    九月さん、こちらにもコメントありがとうございます。
    こういう男女のゴタゴタはいかにもフランスの小説って感じがしますね。それも泥臭くなくて、あっけらかんとしたコメディで。不謹慎と言われそうですが、こういう体質は彼らのDNAに入ってるんじゃないかと思います(笑)
    いやいや連れて来られた先で大活躍するドクターが可笑しいですが、一部始終ををずっとシニカルな目線で追っているのが好きです。

    映画のお話ですが、ロンドンが舞台だとインド人の少年になるんですね。なるほど。でも社会派映画とかじゃなく、先生と少年、お母さんとの関係が繊細に描いてあるんじゃないかと想像します。自分もそういうのが書きたいです。

  • 柊さん、こんにちは。
    この「山小屋」はおそろしいというより、悲しいです。
    若いウルリッヒにとっては初めての山小屋での厳しい冬越し。好きな娘と別れる時、「山にいる者のことを忘れないでくださいね」と言うんですよね(泣)
    ところが、頼りにしていたガスパールがいなくなり、若者は充分に探さなかったのではないかという罪悪感から、ガスパールの魂が抜けて幽霊になったのではないかと思いこみます。自分が呪われていると思うと恐ろしくて外に出られません。

    しかし、春になって山小屋のオーナー一家がやってきた時、ウイリッヒは生きていました!  廃人になっても、心のどこかで彼女にどうしても会いたいと思っていたので、生きていたのでしょうかね。
    娘も、彼のことを深く想っていたので心の病にかかってしまいました(泣)
    それから、サムが玄関の入口で骸骨になっていましたね。犬だから、里に帰ろうと戻ったらできたかもしれないのに、ウルリッヒをひとりにしておけないと思ったのでしょうか。
    アルプスの冬は美しいですが、時に残酷。アルプスの厳しい冬の悲恋でした(涙)

    柊さん、いよいよスタートされましたね。
    一話、さすが洗練されていて、とてもよい感じ。
    次はどうなるのだろうと明日が待ちきれません。


    作者からの返信

    九月さん、こんにちは。コメントありがとうございます。
    そうですね、この話はやりきれない気持ちになりますね。どうしてもウルリッヒが不憫で、つい「~たら」「~れば」と考えてしまいます。でもそんな若輩者を呑み込んで狂気の底に突き落とすのが雪山の厳しさなのだと、納得させられてしまいます。
    自分だったらいっそのこと凍死した方が幸せだったんじゃないかと思います。でも生き残らせるのが先生の残酷さですね。
    犬の存在とその結末も含めて、とにかく厳しい。やっぱり怖さより悲しさが勝ちますよね。

    短編も応援してくださりありがとうございます。少年の心がどれぐらい描けているかが課題ですが、あたたかいお言葉にとても励まされます。感謝です。

  • 夢は破れたけど、これで少しはダンナさんに優しくできるといいですね。

    作者からの返信

    陽咲乃さん、コメントありがとうございます。
    奥さんにとってはこれで良かったんですよね。これからは旦那さんを見る目が優しくなるような気がします。


  • 編集済

    柊さん、こんにちは。
    私は美術がとても好きなので、先生がどうしてこの「授乳?」のテーマを選んだのか、わかったような気がします。(勝手に思っているだけですけれど)
    バロックの時代には「ローマの慈愛(Roman Charity) 」というテーマで描かれた絵がたくさんあり、カラヴァッジョもルーベンスも描いています。

    古代ローマ時代に、餓死刑を命じられてしまった父親がいて、その牢屋に、娘が通って母乳を与え続けたという孝行話があります。娘の善行により、父は罪を許されました。
    この題材は17-18世紀にはこぞって絵画に描かれたので、大きな美術館にはたいていあります。ルーヴルにはメラン(Mellin)や グルーズ(Greuzl)の作品があり、先生はルーヴルでこの絵を見て、ヒントをもらったのではないでしょうか。
    先生もこの男女をフランス人ではなく、イタリア人にしていますよね。
    主人公を汽車の中の若いふたりにしたところ、「助けて下さってありがとうございました。すっかり生き返った心地です」と女性のほうに感謝させているところは先生の才能。

    先生が次は何を書こうかな、とたびたび美術館に出かけられたのではないかと思います。さて、どうでしょうか。

    作者からの返信

    九月さん、こんにちは。
    こちらのコメントを頂いて、目から鱗という気持ちでした(使い方があってるか分かりませんが)なぜこのストーリーなのか、なぜ登場人物がイタリア人なのか、合点がいきました。なるほど絵画のテーマのひとつだったんですね。これは知らないとその暗に流れていることまで理解できません。やっぱりものを知っているって大事ですね。
    きっとモーパッサンもこの絵画の題材は知っていて、そこに自分なりの物語を埋め込んだのでしょうね。
    こうして教えてもらえるのは本当にありがたいことです。感謝です。


  • 編集済

    柊さん、こんにちは。
    ノルマンディーの農民は貧しいですよね。母親が死にかかっていても、麦の刈り入れをしなければならなくて、息子はそばにいてあげられません。医者に散々叱られて、ラべ婆さんのところへ。村には臨終の世話をする人なんかいるのですね。農夫と婆さんはセット料金でようやく合意。ははは。
    登場人物がせこくて、性格も悪そうで、厳しい生活をしていて、婆さんがなかなか死なない母親を脅して殺してしまうので、決して笑う話ではないのですが、でも、みんな逞しくて、滑稽で、読んだ後で笑ってしまいました。

    「夜になって仕事から戻った農夫がその姿を見たとき、すぐ頭の中によぎったのは、婆さんに対して1フランの金を損した、ということ」の部分、とても気にいりました。普通なら、泣き崩れて後悔の念ひしひしですよね。
    肉親をなくすのは辛いですから、このくらいがいいわと個人的に思いました。
    このノルマンディーの農夫、明日からも、せこく、逞しく、ひとりでやっていけますね。

    作者からの返信

    九月さん、コメントありがとうございます。
    とてもリアルな暮らしぶりが伝わってきますね。世知辛いようで、こういう風にいなければ生きていけないというのも感じて、仰るとおり滑稽でたくましいと思います。こういう話って現代では不謹慎だということになるんでしょうね。でもこれこそ人間の営みで、きれいごとではなく、非情な部分も可笑しみを持って書いてあるのがいいですね。

    それからあたたかい励ましのお言葉をありがとうございます。
    器用じゃない分せめて自分のできる限り書きたいです。

  • 柊さん、こんにちは。
    フランスには「自習監督」という職業があるのを初めて知りました。
    バカロニアはラテン語の試験(今は選択?)がありますから、こういう進学のための寄宿学校がある(あった)のですね。
    私の姉がスイスにいるので、ギムナジウムを卒業し、たとえ大学に進んでも、学位が取れないとつぶしがきかないという話は聞いています。大勢が大学に行くという社会ではなく、中学でやめても、職業訓練を受けて、その分野の資格がある人はちゃんと食べていけます。
    このピックダン先生のように、専攻がラテン語で、学位がないというのが一番悲劇。自習監督になるほかに道はなさそう。プライドはあるけど、15年間も個室も与えられず、誰かと出会う時間もないなんて、想像したら地獄じゃないですか。
    でも、個人レッスンを受けにきた「ぼく」が登場、彼はまさにキューピッドですよね。ぼくの活躍により、愛情と商才がある若い洗濯女と結婚できます。
    ほんとうによかったわ。
    ぼくが大学を卒業して2年、故郷に帰ってくると、先生はお店をやっていて、ぼくを見て大喜び。ふたりを引き合わせてくれたことに、感謝しているんですね。
    プライドだけはある先生が洗濯女だなんて見下さず、洗濯女がラテン語しかわからない男なんて馬鹿にしなかったのが、幸せの理由でしょうか。
    朝からハッピーな話で、ハッピーな気分です。

    作者からの返信

    九月さん、こんにちは。コメントありがとうございます。
    この話を読んだら、現代とは違う受験システム(?)が分かって面白いですね。寄宿学校は今でもあるでしょうがドイツとかスイスのギムナジウムほど残っていないかも。
    現代でも、マスターまで取ってもそのあと企業のインターンを見つけなければならず、入ってもタダ働き同然の仕事をさせられて、また別の試験があって……と学位を取ればいいというものではなくて、シビアだと思います。
    手に職をつける人の方が確実という気もします。
    この先生のように学位が取れなかったら選択肢がないというのも、世知辛い世相を表していますね。
    結論としてラテン語を捨て、奥さんと店を開くっていうところに持って行くあたりはモーパッサンの幸福観なのかなと思います。その方がずっと人間らしいですよね。
    「僕」のいたずら心からこういうハッピーエンドを迎えるのが可愛らしくて、心があたたまりますね。

  • 柊さん、こんにちは。
    この小説はきっと先生の絶好調時の作品ですよね。ツボにはまりました。

    刺激の少ない田舎に住んでいる奥さんは、パリのアバンチュールに憧れています。ある時、理由をつけてパリに来て、セレブを探し回ります。古道具屋で作家のヴァラン先生を見つけけ、彼がほしがっている布袋を買い、彼の家に届けるといって馬車に乗ります。この奥さん、どれだけセレブがすきなの?やりますよねぇ。
    すると作家がそれは困ると馬車に乗ってきます。一日付き合ったら布袋は置いていかないという変な理由で、付き合うことになります。
    作家さん、魂胆ありますよね、なーんて読者の私は思いました。

    奥さんはセレブの生活が知りたいので、作家と森に散歩に行き、彼の私生活を詳しく訊きます。この作家、それにいちいち答えてくれるのですよね。えーっ、どんな人なのでしょうか。
    次はカフェへ。そこでは作家仲間に紹介。
    いいんですか、田舎の女性を連れていることを恥ずかしくないんですか。
    その次は食事と観劇。劇場では、奥さんには熱い注目が集まります。奥さんが経験したかったセレブの世界ですよ。
    それでいよいよ作家の家へ。
    こんなに一生懸命尽くしたのですから、作家が何を企んでいのかわかりますよね。奥さんだって、それを期待しているわけですから。
    でも、Nothing happened.
    えっ、何なの、この作家。
    作家はデブで禿、その上疲れすぎたのでしょう、よだれがたらり。
    柊さん、
    ここで奥さんが現実に戻って失望したのですか。
    それがよく、わかりません。
    私には、小説の中のこの作家が愛しく思えます。なんてよい人なのでしょうと。

    作家は奥さんに訊きます、「何がしたかったんだい」と。
    奥さんはパリでアバンチュールがしてみたかったと正直に話し、家を出ます。外では道路掃除をしている人がいて、奥さんは自分もゴミのようだと感じます。
    そしてうちに帰って、寝室に行き、ひとり泣きます。

    ザ・幻滅したから泣いたのですか。
    誰に? 作家に? 自分に?

    この作家のおじさん、信じられないほどよい人ですよね。せっかくそういう人に出会っても、つながりを深めてくい道がありません。田舎の奥さんはセレブを追いかけるだけの人で、現実には、何もっていないのですから。だから、泣いたのではないですか。

    この作家のように、これまでしてくれる人間は現実社会にはほぼいないでしょう。
    舞台になっている季節はいつですか。クリスマス近くですか。
    もしかして、彼はサンタクロースだったのかも。

    作者からの返信

    九月さん、コメントありがとうございます。
    絶好調と仰っていたので調べてみたら1881年の作品でした。まだ31歳でこれからというときですけど、さすがユーモアと含みのある話だなあと思います。
    浮ついた憧れのせいで痛い目に遭うのは「夜会」にも似ていますね。これも田舎の人が都会のイメージに夢を膨らませすぎて現実にがっかりする話で。
    多分奥さんは浮気する気満々だったんでしょう。記念みたいに。でも散々夢を見せてもらってこれからというときに作家はただのおっさんに戻って寝てしまうので、そこで風船がしぼんでしまったのではないかと。読者からすると作家はいい人ですが、奥さんにとっては失望ですよね。そしたら後に残るのは軽率な自分への恥の気持ちで、それが掃き溜めに棄てられるゴミと重なるのでは。奥さんが泣いたのは、自分への羞恥心だと思います。
    奥さんに振り回される作家がやたらいい人ですね。現実ではこういうことってないでしょうけど。少しでも夢を見られたから、これで良かったって奥さんも思えるでしょうね。

  • 柊さん、こんにちは。
    病院に行く前に赤ちゃんが生まれてしまったという現実のニュースを聞いたことがありますが、先生はそういうストーリーに「若い神父さん」と「少年3人」を付け加えてました。ここが短編の天才のスゴ技。
    若い神父さんの汗まみれの大活躍、大笑いです。

    ワゴンとあるので馬車かと思いましたが、機関車でした。オーベルニュからパリまでは1日がかり。でも、この線には品の悪いお姉さんが乗っているので、上品なママ三人は不安。パリの寄宿舎にはいっている子供達が、夏休みに帰ってくるからです。そこで、若い神父さん(家庭教師ですよね)に連れて帰ってくれるように頼みます。
    さて、汽車の個室の中では若い女性が同室です。神父は女性には慣れていないから、彼女がどんな女性なのかわかりませんが、ご立派な両親に見送られていたので、彼女は大丈夫と思います。
    ところがこの彼女が到着2時間前に、顔が真っ白(キャベツみたい)になって、出産しそうと言います。神父さん、大パニック。でも、自分が取り上げないと命があぶない状態。子供には窓から首を出して外をみていなさいと命令。
    神父は悪戦苦闘の末、赤ちゃんを取り上げて、水筒の水で洗礼まで(笑)。
    その夜、3人の家族はディナーをともにしますが、11歳は突然出現した赤ちゃんはキャベツから生まれた信じます。も、15歳は、何が起きたか知っていますよね。では13歳の反応はどうだったのかしら。
    このディナーに神父は招かれていないのかしら。招かれたとしても、来られなかったでしょう。きっと熱を出して寝ていることでしょう。刺激の強すぎる日でしたからね。

    ところで、小説ですから何でもありですが、女性のことを全然知らない若い神父でも、赤ちゃんを取り上げられたのですね。これは神のご加護があったとしか考えられません(笑)
    そこで思ったことは、キリストが生まれた時、父親のヨセフが取り上げたのでしょうか。ほかに誰もいませんから。そんなこと、これまで考えたことがなかったです。




    作者からの返信

    九月さん、コメントありがとうございます。
    若い神父と妊婦を同じワゴンに乗せてしまうところが面白い発想ですね。好奇心旺盛な中学生の少年たちまで付け加えて(笑)ここではあまり書いていませんが、中学生のお母さんたちはちょっとハイソな感じの、子どもを無菌培養したいタイプの(ちょっとスノッブな)人たちなので、息子が娼婦と同じ列車に乗るのが汚らしいと言ってるんですよね。だから余計に出産というシーンを持ってくるのがすごく皮肉でいいなと思います。
    神父さんがどこまで女性の体を知っているかはなんとも微妙ですが、なんの知識もない男が赤ちゃんを取り上げるってシーン、たまに創作物にありますね。こういうの書くの男の方が多いかも。自分が関われない出産に対して架空で関わってみたいというヒロイズムが隠れているのかも知れませんね。
    もうすぐクリスマスですが、マリア様はどのようにイエスを産んだのか。。ここもリアルに考えない方がいいのかな……笑

  • え、これモーパッサンなんですか?
    ちょっと意外な感じがします。

    確かに配役が絶妙!
    映像化しても面白そうですね。
    もちろん、キャベツの部分は映せませんが(笑)

    作者からの返信

    陽咲乃さん、コメントありがとうございます。
    取り上げてもいいのかなあと実はちょっと躊躇したんですが、意外とあたたかく受け入れてもらえてほっとしています。やはり配役の妙に尽きますね。これをキャベツ抜きで(笑)センス良く映像化できたら面白くなりそうです。

  • 柊さん、こんにちは。
    若さいっぱいの楽しい短編ですが、どことなくうら淋しさを感じます。

    私はこの作品はモーパッサンが「太陽の光を浴びながら緑に囲まれて漕ぐボート」遊びができなくなった頃に書いたものではないかと思いました。
    調べてみましたら、 1890年40歳の作、翌年には発狂しています。

    この作品は病気がちのモーパッサンが、貧乏でも楽しかった若い頃を思い出して、泣きながら書いている気がします。あの時は、楽しかったなぁ。仲間がいて、あかるくてかわいい「蠅」ちゃんがいて。
    たぶん蠅ちゃんが妊娠したのは本当ではないかと思います。
    でも、蠅ちゃんがあの時、「ほんとうに?」と訊いた時、五人は声をそろえて「もちろんだよ」なんて言わなかったことでしょう。
    あんなふうに言ってあげればよかった、とモーパッサンは思っているのではないでしょうかね。

    作者からの返信

    九月さん、コメントありがとうございます。
    なんと調べてくださったんですね。そんなに晩年の作品だとは知りませんでした。そうですね、もうこの頃は病気が進行して精神的にも限界が近くなっていて。その中でこの話を……と思うと、楽しかった頃を思い出すような切なさが隠れているように感じますね。
    きっと本当にこういうアイドルがいたんでしょうね。現実がどんな結果に終わったかは分かりませんが、このオチのセリフは優しさと愛情に満ちてて、可笑しいのにほっこりします。九月さんのお優しいコメントにもほっこりします。

  • 柊さん、こんにちは。
    いつものように動画を探してみたところ、「オルラ」は4つもありました。最多記録。でも私はこわい話が苦手で、動画を見ると自分のところに「オルラ」がやってくるのではとおそろしくて、あまりよくは見ませんでした(笑)
    「オルラ」の朗読も多く、この短編は、とても好まれているのだと感心しました。

    この作品の中のこわさは、理解できないものに対する怖さですよね。
    主人公の男は「オルラ」が何なのか、科学実験をします。頭のよい人です。ある時は顔や手に黒い墨をつけておきます。でも、目覚めると、瓶に手が触れた跡がないのに、中身が無くなっています。
    部屋には鍵がかかっているわけですし、こういう説明のできないこわさが、一番こわいです。

    他の作家の書いた怖い話がありますが、先生の作品はその「理解を超えたこわさ」で、それは際立っていますよね。

    私自身は先日、ちょっと「こわい話」を書いてはみたのですが、全然こわくなかったようです(泣)

    柊さんの新作の進み具合はいかがですか。
    また催促しちゃいました。
    ずうずうしいことを書いたついでに、もうひとつ。
    柊さんはポニーテールですか。
    特に理由はないのですが、私のイメージではそうなので。

    作者からの返信

    九月さん、コメントありがとうございます。
    「オルラ」はモーパッサンの怪奇譚では代表作ですので、実はここで紹介するのも遅いぐらいでした。映像化もきっと多いだろうなと思います。ただ、なかなかこの世界を表現するのは、視覚的にするだけじゃチープになりそうで難しいですよね。どこまで主人公の恐怖心や強迫観念を見せるかが課題になりそうです。
    理屈で説明できる怪奇現象(というのもおかしいですが)除霊したら解決するとかならすっきりするんですけどね。モーパッサンの書くものはその部分がまったく見えないので。
    この話のように、追い詰められた主人公が取る行動を読んでいる方がよほど怖いです。

    書くのが遅くて(コメントやその返信なども)時間がかかるのが我ながらどんくさいというか。いくつも色んな話を書ける人は羨ましいです。。
    ポニーテールじゃないです(笑)でも面白いのでそのままでどうぞ(笑)九月さんはロングドレスっぽいです。

  • 柊さん、こんにちは。
    このエクトルさんは貴族で、子供の頃はよい暮らしをしていたことがあったけれど、今は小役人でぎりぎりの生活。でも、仕事が認められて、300フランのボーナスもらうのですよね(小説を読んてみました)。ひと月の給料以上じゃないですか。彼はそのお金で馬と馬車と子守りを借りて、家族とピクニックに行くことにします。日本人なら、半分貯金とかすると思うのですが、全部使っちゃうなんてフランス人的、なんですかね。
    エクトル父ちゃんは息子ふたりによいところを見せたいのですよね。それがなかなかうまくいきません。ありますよね、そういうこと。ちょっと泣かせます。
    でも、なんとか馬を手なずけます。だって、子供の頃は先生について乗馬を習っていた人ですから。そして、いよいよシャンゼリゼへ。
    彼の乗る馬は凱旋門のところで走り出し、赤いエプロンのおばあさんに衝突。死んだかと思うのですが、助かります。ところが、この掃除婦のシモンおばさん、だんだん心地がよくなり、病院から出ていこうとしません。でも、それでは入院費がかかりすぎ。エクトル妻は、うちで引き取って世話をしようというのですよね。
    そんな生活は、はたして、いつまで続くのでしょうか。

    でも、「人生は塞翁が馬」と言うじゃないですか。
    エクトルがボーナスをもらって喜んだ→馬がおばさんと衝突→でも、死ななかった→家で面倒をみなければなくなった→さて次は・・・・
    誰も予想もしないよいことことが待っているかもしれませんよ。
    でも、これは私のHOPEで、
    先生はそういう結論にする作家ではなくて、もっとビターな結論がお好きですよね。

    モーパッサン先生の人生はどうだったのですか。
    たとえば本がだいヒットして大金をゲットしたと思ったら、全部なくなっなったり、それを題材にして書いてまたヒットしたり、またなくして、なくして、そんな人生だったのでしょうか。

    作者からの返信

    九月さん、コメントありがとうございます。
    原作をお読みになったんですね。きっと語りの面白さを感じられたことと思います。貴族が没落して、ブルジョワが幅を利かせるようになって、そういうところも時代背景を感じますよね。もとは貴族なのに安月給で働かなければならなくなる悲哀も書かれていて。それでもプライドが残っているのがこの災難の根っこの部分ですね。ボーナスで束の間の自尊心を買ったのかな、なんて思います。
    シモンばあさんが対極的で、この図太さが憎らしいようなご立派なような。。今までの苦労を取り返してやろうというしたたかな根性が、労働階級の人生も感じさせて、ほんとに上手くできてますね。
    モーパッサンは独身ですし、暮らしにはきっと困らなくてむしろボート買ったり謳歌していたように見えますね。それでも病気の進行だけはどうしようもなくて、早世してしまう。みんなどこかで何かの代償を払っているのかも知れませんね。

  • お邪魔いたします。
    きっとこういうのが好きだろうと想われるのか、二名の方から折に触れて柊さんのエッセイの紹介を受けておりました。
    実はそれ以前からサイレント読者でした。
    常連さんで満員御礼のようなので電柱の陰から覗くだけに留めておりました。

    この話を読んだ時に、「白いリボン」という映画が頭に浮かびました。映画の舞台はドイツなのですが、閉鎖的な村の感じがよく出ている映画でした。
    鋭いことを他の方が指摘しているとおり、その女性が、倖せに恵まれることなく、不幸なままであったのなら、このようなことは起こらなかったのでしょう。
    むしろ逆に、その場の群集心理は、無礼な発言者をリンチしたかもしれません。
    大衆心理はどちらの側にもたやすく傾くのだということを肝に銘じるような作品の紹介をありがとうございました。

    作者からの返信

    朝吹さん、コメントありがとうございます。
    読者を選ぶ連載だとは自覚しているんですが、興味を持ってもらえるのは嬉しいですね。電柱の陰と言わずまた気が向かれたときはご感想など残していただけたら幸いです。

    白いリボンという映画は知りませんでした。ちょっとあらすじだけ見てみたらかなりきつそうな内容ですね。狭い世界での閉塞感、そこでひとつでも汚点がつくと一生ついて回る呪いみたいな感じは共通していそうです。
    この話の群集心理は「不幸であるべき人間」が幸せになることへの妬みが大きいですが、その時によって流れが極端に変わるのも群衆ですね。そしてそこにはなんの責任感もないという。
    かなり辛い内容ですが、丁寧なコメントを下さり、こちらこそありがとうございます。


  • 編集済

    柊さん、こんにちは、
    この短編には大爆笑です。
    ランタンさんの妻は趣味と実益(?)を兼ねて、夜遅くまでオーバーワーク、だから早死にしてしまったのではないかしらね。
    それにしても、残したお金が一億円以上。百万でも驚きなのに、億ですよ、億!
    どうしてこんな数字が。
    先生はこういうお友達が多かったようですから、相場がよくおわかりなので、こういう額が出てくるのでしようね。

    もしかして先生はある夜、そのお友達が結婚していて、夫が小役人だということがわかります。
    「ご主人がいるのに、毎晩出かけて大丈夫なのかね」
    「主人は観劇はきらいですから、友達と出かけてきなさいと言っています」
    「きみが何をしているのか、何も気づいていないのかね」
    「全然ですわ。高いワインを飲ませても、キャビアを食べさせても、私がうまくやりくりしていると思っていますし、この宝石だって安物だと信じていますわ」

    そんな会話から、先生は短編をひとつ作りあげたのでしないでしょうか。

    ランタンさんはだんだん気が大きくなり、口から出る遺産の額も増えていきます。
    これは心配だわ、きっとぼったくられるわと思っていたら、再婚の相手はしっかり妻で、ほっとしました。
    時にこういうコメディをはさんでくる先生、いろんな技をお持ちですよね。

    作者からの返信

    九月さん、コメントありがとうございます。
    これも都会派の滑稽で皮肉なコメディですね。なるほど奥さんは趣味と実益を兼ねたオーバーワークでした(笑)
    こういう宝石の相場は素人には分かりませんが、先生にはきっとこの界隈では幅広い知識と経験があったんでしょうね。
    最初はびくびくしていたランタンがだんだん気が大きくなるのもリアルで、原作にはここには書いていない小者っぷりがちょこちょこ描写してあるのが面白いです。
    田舎篇とか戦争篇とかホラーとか色々ありますが、個人的にはこういう都会篇のブラックコメディが好みです。

  • 柊さん、こんにちは。
    動画はありましたが、これは高校生の実験映画でしょう、できはよくありません。
    https://www.youtube.com/watch?v=aSVKnfAAhEU

    でも、おもしろいと思ったのは、主人公をオーシュコルヌさんのような老人でなく、現代の高校生にしていることです。
    女子のひとりが青い紐を拾い、。。。ストーリーはほぼ小説と同じです。紐は名札をさげる時に使うような紐で、女の子は最後に薬を飲んで自殺しますが、ずうっと「紐」を首にかけたままです。

    「紐」って「責め」でしょうかね。
    はたから見ると、本人は何も悪いことはしていないのだから、そんな紐は外して、捨ててしまいなさいと言いたいところですが、本人は外したくても、はずされないのでしょうね。
    性格もあるかもしれませんが、そういう「責め」は誰かが取り外してくれないと、消えないのかもしれません。

    「今はネットで何もかも広まる世の中。オーシュコルヌさんのように一人でこの多数に対峙するとしたら……」
    本当にそうですよね。
    誤解をされて世間から敵にされてしまった場合、本人がいくら真実を語っても、人々が怒り狂って信じてくれない。何か口をひらくたびに、さらに炎上するとしたら、どうしましょうか。
    そんな時、自分で首から「紐」を外せる強い精神でいたいものです。

    「作品の根底に流れているものは意外と普遍的なものではないかなと思えるのですが、いかがでしょう」
    はい、そう思います。






    作者からの返信

    九月さん、コメントありがとうございます。
    高校生に置き換えると現代的で生々しくなりますね。
    本人は外したくても外せなくて、誰かが外してくれないと消えないというところにすごく納得しました。
    今は都合のいい部分だけ切り取られて勝手に解釈されて炎上するという世の中なので、この短編の世界よりずっと広くて、顔も知らない人にまで非難されるという恐ろしい時代だと思います。紐を外してくれた人にすら火の粉がふりかかることもありえますね。
    この主人公は決して立派な人物ではないですが、そんなに完璧で隙がない人なんているでしょうか。ちょっとした粗相もないように油断なく生きることにどれだけ面白みがあるのか。そう思う自分も、迂闊に紐を拾わないようびくびくしながら生きている気がします。


  • 編集済

    柊さん、こんにちは。
    先生はファンタジーはお書きにならないのかと思っていましたが、ありました。これ、極上の恋愛ファンタジー小説じゃないですか。

    海上保険会社の30歳のフランス男が、難波船で見かけた18歳の若くて美しいブロンドのイギリス娘に夢中になります。吊り橋効果だけの理由ではないでしょう。どんな恋愛小説にも、その種類、天気模様は違うけれど、吊り橋はありますよね。

    彼は本当に彼女に恋をします。彼女が人魚ではないのかと思うくらいの恋心。そばにいるだけで幸せ、海から救われて残念に思うくらい。
    こんな恋って、めったにないですよね。人生で一度か二度か、ゼロか。

    彼女は結婚して遠いアメリカ(イギリスでは近すぎ)に行き、ふたりは二度と会うことはありません。でも、新年に手紙がきます。それが20年間も続いているのです。
    彼女は夫のことは書きません。彼女は散歩をしたとか、年を取ったとか、そういうことを書いているのでしょう。彼はそれを読んで、あの輝いていた日の少女のことを思い出します。年を取ったことを悲しみ、愛を伝えなかったことを悔やみます。

    小説の世界では、恋愛は結婚がゴールではないし、世間からは気持ちが悪いと思われるような愛、たとえば20年間も会わずに相手を思い続ける愛が許されるだけではなく、トップにランクに座するのではないでしょうか。

    世間では毎日ハッピーと思って生きられるのが幸福な生き方で、今のラノベでもそういう結論が好まれます。でも、かつて小説は、悔やみながら生きる人間の姿を書くものでしたよね。このモーパッサンの小説のように。
    私はこの小説がとても好き。小説はこうあるべきではないかと思いました。

    作者からの返信

    九月さん、コメントありがとうございます。
    こういう極限状態での恋なんて日常にはまず転がっていませんね。まさに小説向きの題材だなと思います。
    その時の回想がほとんどを占めているし、そこも真に迫った読み応えはあるんですが、本当のポイントは最後の部分なんですよね。どこか悲しくて愚かな、悔やみながら誰かを思い続ける人の姿って、静かにドラマチックだと思います。あっけらかんと終わるのもいいですが、こういう苦みが残るのって、仰るとおり小説の醍醐味ですね。

  • 柊さん、
    こんにちは。
    ただ今、自分がホラーを書いているからといってここに来たわけではなく、クリックした作品がこのホラーでした。でも、よい機会なので、ホラー短篇とはなにか、じっくり読んでみたいと思いました。

    それに、久しぶりに動画を見つけました。

    https://www.youtube.com/watch?v=CKpvw_i6oic
    モーパッサンとそっくりの髭の作家がでてきます。こちらは怖い効果音楽付き。彼が精神病院の部屋で、思い出して書いているという設定です。

    この小説を読んで私が思ったことは、家具が動いたり、アンティーク店でなくなった家具が見つかったり、消えたりすることはもちろんこわいことです。でも、もっとこわいのはタイトルにもなっている「Qui sait」、つまり「Who cares」と誰も本気になってはくれないことではないですかね。
    警官は考えられないほど愛想がよいですが、最初っからこのクレージーな作家を相手にしていないからですよね。

    動画ではさいごのところで彼は神父さんに話します。神父は真摯になってくれて、あたたかくハグしてくれますが、その表情はやはりQuit sait.
    だから、作家は自ら精神病院にはいり、わかってもらおうとその出来事を書いているのでしょう。
    自分が経験したことを誰も信じてくれないなんて、まさにホラーですよね。

    先生のホラーを読んで、やはり私の書いていたのはホラーではなく、おかしなミステリーだとわかりました(泣)
    今回も、どうもありがとうございました。






    作者からの返信

    九月さん、コメントありがとうございます。
    動画見てみました。主人公が思いっきりモーパッサンに寄せてきてますね。思わず笑ってしまいました。あと家具が出ていくのがやっぱり……笑 どうせなら行列にしてくれるともっと面白かったんですが。
    「誰ぞ知る」って、結局のところ誰も分かってくれないだろうってことですよね。相手も分かるつもりもない。それが主人公を精神的に孤立させて、妄想(あるいは本物)を助長するんでしょうね。
    先生のホラーは精神世界を視覚的に書いているものが多いですね。ストーリーより闇の深さの方が際立っていると思います。

  • 引き離さないであげてー!そしてそっとしておいてあげて!(>_<)💦
    他人の害にならない限り、何に対して愛を向けてもその人の自由。読む前と読んだ後は180度考え方を変えられてしまいそうです……もし街中で髪とデートする男性に会っても、むしろ応援したくなるかも?(笑)

    作者からの返信

    優しいご感想ありがとうございます! そうですよね、何も人に害を与えてないんだから、そっとしておいてあげれば幸せでいられたのに。
    髪の毛とデートする人がどれぐらいいるか分かりませんが、この話を読むと世の中には色んな人がいるんだね、って思えそうですね(笑)

  • やっぱり文豪は抉ってくる……!!´д` ;💦

    作者からの返信

    aoiさん、コメントありがとうございます。
    この話は壮絶ですね。遠慮なく抉ってくるところが作家として徹底してるなと思います。

  • 柊さん、こんにちは。
    私はこの短編はすごいと思いました。先生はガッツがおありです。
    「クリスマスの夜」というタイトルですから、きっとイブか翌日に、新聞に発表された作品ですよね。
    クリスマスは聖母マリアがイエス様を出産なさった日。
    ところが小説ではムチムチしたかわいい娼婦が、彼の家で赤ちゃんを産みます。
    これって、すごい設定じゃないですか。
    キリスト教の国で、こんなことを書いて炎上しなかったのでしょうかね。

    でも、この主人公は口は悪いですけど、この女から惚れられているのをうれしがっている感じですよね。養育費を払っている子供だって、そのうちに引き取るかも。
    やっぱりこの子は、彼にとって、神の子だったのかも、なんて思わせます。

    ーーーー
    別の個人的な話なのですが、私は先生のホラーを読んで、初ホラーを書きました。でも、軽く二万字オーバー。一万字にはおさまらないし、かといって、十万字にはならないし。
    それで、先生はどのようになさっているのかを考えたら、話が長くなる場合、先生は「他人や主人公」に語らせますよね。「手」「ジュールおじさん」「椅子直しの女」もそうでしたし、これも「おれ」が語っています。語りにすると短くできることがわかり、ただ今、マイホラーは書き直し中です。
    うまくいくかどうかはわかりません・・・。
    でも、私がホラーを書くこと自体がホラーですわ(笑)

    作者からの返信

    九月さん、コメントありがとうございます。
    いい読みですね。調べたらこの作品は1882年の12月25日に掲載されたようです。確かに、イエスが生まれたのと同じ日に娼婦が赤ちゃんを産むってすごい発想ですね。今なら炎上(笑)しそう。
    口は悪いのに色々と放っておけない主人公がなんかいい人ですよね。延々と養育費を払うか……どうするんでしょう。

    短編部門は文字数が厳しいですね。誰かの目線で書く方が描きやすいかも知れませんね。自分のことで恐縮ですが去年の短編は3万字超えそうだと思って諦めかけました。読者の想像に任せるようにどんどん刈り込んだらなんとか1万字に収まりました。だいぶ短髪になりましたが、刈り込んだ部分も含めて丁寧に読んでくれる人、きっといると思います。公開されたらまた伺いますね。

  • 柊さん、こんにちは。
    ははん、先生はこの設定でこられましたか。だから、(新聞の)読者が、今日は何だろうと楽しみに待っているわけですよね。
    主人公は中産階級のサクルマン氏。上流階級ではないけれど、お金はある。だから、野心はなくて、バカロレア入試には失敗。でも、お金があるから、きれいな奥さんがいる。彼の夢は生まれた時から勲章をもらうこと。町を歩いていても、人の胸についている勲章を数えている。どうしても、もらいたいから、奥さんをロスラン代議士に会いに行かせる。自分で行けばいいのにね(笑)
    そこで奥さんは(夫よりは)頼りがいのある代議士に惚れちゃうのはわかる。代議士もかわいい奥さんをかわいそうと思いふたりは恋人関係に。サクルマン氏に地方に行く課題を与えて、ふたりはベッドイン。でも、彼が予定より早くかえってきちやって。でも、浮気だとはばれず、代議士はがんばって一週間ほどで、本当にレジオンドヌール勲章を取ってくれるので、めでたしめでたし。

    先生、この中産階級のサクルマン氏は働かないで、きれいな奥さんをもらって、勲章までもらっちゃいましたよ。浮気はされましたけど。
    こんなことでよいのですか。もっとオチがありますよね、と待っても、先生は知らん顔。
    ははは。そんなわけで、今回も楽しませていただきました。

    私も予想を裏切るような短編を書いてみたい。できないけれどね。
    柊さん、今朝も、ありがとうございました。

    作者からの返信

    九月さん、コメントありがとうございます。
    この話はモーパッサンお得意の皮肉たっぷりコメディで、そこまで意地悪ではないのでいいですね。ひょっとしたらこういうタイプの人が近くにいたのかな、なんて思います。
    お金があって何も困らない、でも学歴がない、とわざわざ書いているのは、努力を惜しむ人という風に理解できます。努力とか全部飛ばして自己顕示欲を満たすものがほしい。これは恵まれている人あるあるなのでしょうか。しかも色々と他人頼みで、彼の言動の細かいところまで含めてキャラクターが描きこんであるのがさすがですよね。
    代議士に回された仕事はよく分からない仕事ですが、勲章のためにはじめて努力をする彼がちょっと健気で笑えます。アクシデントとはいえ、勲章はご褒美ってことでいいのかな(奥さんは取られてますけど)
    モーパッサンの短編でも都会編は軽快で皮肉で個人的に好きなので、楽しんで頂けて嬉しいです。こちらこそありがとうございます!

  • 柊さん、こんにちは。

    私はこの小説を読んで、マイノリティの問題、周囲の目など、そういうことはほとんど気になりませんでした。私自身がそういう社会の中に住んでいるからかもしれませんが。
    というか、今、自分が短篇小説を書いているので、先生がどのように話を作っているのか、主に、そこに注目したせいでしょう。

    19世紀ノルマンデー。白人のアントワーヌは鳥市場で売られているエキゾチックな鳥が大好き。でも、ある日、そばのカフェで掃除をしている女給を見ます。赤いスカーフを頭にまとったその肌は褐色。彼はこのエキゾチックな黒人女性に夢中。彼女の出してくれるレモネードは至福の一杯。会うたびにとろけるような気持ちになる。ああ、僕は幸せだ!

    最初、こういうことって、あるのかなぁと思いました。
    でも、これが女性が黒人でなく、白人女性だったら、ありうるかなぁなんと思わないはずですから、自分の中に、黒人に対する潜在的な差別があるのかと思って、ぎくりとしました。

    でも、これは19世紀の田舎ですからね。これ、ありえますか。
    エキゾチックな褐色の肌を見ただけで、恋に落ちる男性が。

    でも、先生は、このめったにない設定からストーリーを作っていきます。
    エキゾチックな彼女を諦めたアントワーヌは白人女性と結婚、子供をつくさん作り、溜めの掃除といった「卑しい」をしています。そして、いまだにあの彼女のことを恋しく思っています。
    夢やぶれた彼は、「卑しい仕事」のことで、世間から何と言われようとも、もうどうでもよいのでしょうね。それなら、あの時、勇気を出せなかったのかと思いますが。

    先生はたいていの場合、ありえない設定、世間が納得するような流れ、極端な例(職種)、絶妙なオチで、物語を作りあげていっているように思えます。

    私はもちろん先生の足元からも遠いところにいますが、でも、短編を書く時、こんな突拍子もない設定でよいのかしら。笑われるのではないかしら。
    などと不安になりますが、そんな時、先生のことを思い出します。何でもありなのだよ。それをどう料理するかが問題なのだよ、と先生が言われ、私は安心します。

    というわけで、非常に個人的感想になってしまいました。
    ところで、柊さんはカクヨムコンには出されないのですか。準備中なのですか。
    エッセイのほうにも、すばらしいのがありますから、そのいくつかを個々の短篇として出すことはできないのでしょうか。
    余計なことでしょうが、ちょっと書いてみました。
    気を悪くなさったら、すみません。







    作者からの返信

    九月さん、コメントありがとうございます。
    この連載がお役に立っているようでとても嬉しいです。

    この短編ですが、僕は設定としてありだと思います。彼女と出会うル・アーヴルは主要な港町ですし、植民地貿易が活発で、黒人もチラホラいたんじゃないかと。彼のようなエキゾチック趣味の男がいてもあまり不思議に思わないですね。まあ、数は少ないでしょうが。
    この話は「世間の目に負けること」がテーマだから、要はそこが書けていればいいのかな、と思います。
    短編だとあまりだらだら説明できないので、端的に読者に伝わることも意識しているかも知れませんね。ゆっくり味わうフルコースでなく味付けの濃い一品料理、みたいな(失礼)

    どう料理するかが問題、と僕も思います。モーパッサンの小説は意外とテーマ自体は誰でも思いつきそうだったりするし(失礼)
    でも僕が特にそれを感じるのは短編ではなく先生の長編の方です。

    カクヨムコン、今どうしようかと思ってるのが頭の中にあるだけで何も書いてません。迷っているうちに時間だけすぎるので、発破をかけてくださるの嬉しいです。九月さんは参加されますか。その時はぜひ拝読します。

    編集済
  • はじめにへの応援コメント

    こんにちは
    企画へのご参加ありがとうございます。

    企画紹介にも書いていたとおり、私はフランス文学ニワカなので恥ずかしながらモーパッサン先生の作品は未履修なのですが、お名前だけは存じ上げておりました。

    このまま続きを読み進めたいのは山々なのですが、せっかくなら作品を読んでから感想を読みたいなと思ったので、続きはまた後日拝見させていただきます。(数カ月後とかになってしまったらごめんなさい・・・・・・)

    さしあたりは、次にどの作品を読むか決めるための指標として、目次部分をありがたく活用させていただきますね!

    作者からの返信

    world is snow 様、
    はじめまして。無言の参加失礼しました。目を留めて下さりありがとうございます。
    モーパッサンは楽しい話が少ないので好き嫌いが別れると思います。試しに読まれてみて、お好みに合うようでしたらいつでもお越しください。どうかご無理のないよう、お気遣いなく。

    ところでサンテクジュペリは恥ずかしながら「星の王子様」しか読んだことがありません。ノートに挙げられていた作品、探してみようと思っています。こちらも参考になりました。ありがとうございます!

  • 死ぬまでダンナを騙し通した奥さん、凄い!
    堂々とつけてたからまさか本物の宝石だとは思わなかったんですね~

    作者からの返信

    陽咲乃さん、コメントありがとうございます!
    本物の宝石だとだと悟らせない奥さんは役者ですよね。何の疑いもなく妻を信じていた夫が哀れというか呑気というか......
    まあお金がすべて解決して何よりです(笑)

  • 悲劇ですね・・・善良なプロイセン兵たちを殺さない選択もあったでしょうに。フィクションとはいえ、やりきれない思いにさせますね。救いのないお話をたくさん書かれますね、モーパッサン先生は。それがまた彼の持ち味というか、才能と言えるんでしょうね。

    作者からの返信

    神原さん、コメントありがとうございます。
    兵士たちを殺さない選択ができれば……そうですね。逆にばあさんにとっては復讐という選択しかなかったのでしょうね。
    フィクションでも真に迫るのは、こういう部分が人間にあることに気づかせるからでしょうね。
    救いのない話ばっかりですみません。にもかかわらずお付き合いくださり、本当にありがとうございます!m(__)m

  • 相手に自分と同じ思いをさせても、そこには哀れな自己満足があるだけで、失ったものを取り戻せるわけではないのだけれど、憎しみを前にすると理性が吹き飛んでしまいますね。
    憎しみって、思いやりある優しい時間まで奪ってしまうほどの、強烈な感情ですね。
    文中で語っていますが、農民には愛国心的憎しみがないのに、大切な人を奪われたことで憎しみが発生する。ソヴァージュばあさんを野蛮にしてしまった。
    戦争の愚かさにため息が出てしまいます。

    作者からの返信

    >そこには哀れな自己満足があるだけ
    そうですね、何も取り返せない悲しい復讐ですね。でもここに駆り立てられたとき自分は冷静になれるかというと、きっと絶対とは言えない。読み手に第三者の視線とばあさんの気持ちを両方味わわせる書き方が、すごく考えさせられます。
    泊めていたのは敵国人というより、もっと可愛げのある若者たちだったんでしょうね。個人単位での素朴な感情を簡単に乗り越えて憎しみに変換させるのも、戦争の恐ろしいところですね。

  • 男の目線からするとホラーなんだけれど、老婆からすると、引き上げてくれてありがとう。という感じでしょうか。
    水の上と下。生者と死者。現実と幻想。覚醒と夢。
    それらが入り混じった不思議な余韻がありますね。
    モーパッサン先生は川の魅了をたっぷりと語ってくれていますが、夜の川になんて絶対に行きたくないっ!
    幽霊が出ても、逃げ場がないですやん。幽霊がボートに乗ってきたら心臓が止まっちゃう。

    作者からの返信

    遊井さん、コメントありがとうございます。
    やっぱり老婆は見つけて欲しかったんでしょうかね。自殺なのか他殺なのかもはっきりしていませんが、思いだけはこの川にずっと残っていたように感じられますね。
    仰っている対の要素がとても面白いなと思います。確かにそれらが作品をずっと覆っているようです。
    森の中の川なんて、夜行ったら怖すぎますよね。こういうのはボート野郎の肝試しにお任せしたいです。でもボートを漕いでる幽霊を想像したら面白くなってしまった……(笑)

  • なんて壮絶なお話でしょう…。同じ立場に立たないと、ソヴァージュばあさんの心中を真につかむことはできなさそうです。
    「モーパッサンの一言」の引用部分。これ、常に世界に向けて発信し続けたいですね。本当はみんなわかっているはずなのに。まるで忘れたかのように今でも愚行を繰り返し続ける人間の罪深さを、改めて思い知らされます。

    作者からの返信

    黒須さん、コメントありがとうございます。
    後半の壮絶な展開に圧倒されますね。子を失うってことがここまで母を鬼にするものかと。それをまた相手国の母へ向けるという母親ならではの執念も。
    引用した部分は少し本編から浮いている印象があるんですが、これだけは書いておきたいという強い思いを感じました。当時はまだ戦争に対する捉え方も違ったはずで、その時代にこういう文章を発信することにも意思を感じます。
    今は平和とか人権とか言ってるわりに、結局は同じことを繰り返していますね。。


  • 編集済

    柊さん、こんにちは。
    私は今、短編小説を書いていますので、先生から学ばせていただくことが多いです。柊さんがこの評論を書いてくださったことに感謝です。
    この短編は本当によくできていると思いました。

    椅子直しの女はひとりの人を五十年間愛しますが、前半と後半では愛し方が違います。
    前半は貧しい少女がお金をあげて少年の喜ぶ顔を見て、キスをさせてもらいます。今、劇場のなんとかアイドルに、握手をしてもらうファンの図に似ています。
    この椅子直しの少女はこの恋がかなうことを夢みていたので、薬屋になった彼に愛する人ができたのを見ると絶望して、夜に、池に身を投げます。
    でも、先生の話はここで終わらずに、続きます。
    この薬屋は、偶然に、椅子直しの女性を助けるのです。この時から、女性は彼が元気でいてくれればよいという考えになり、彼のために節約してお金を貯め始めます。そして、死んだ時、全財産2300フランを彼に残します。
    彼に感謝されなくても、そんなことはどうでもよいことです。

    この椅子直しの女性は朝、今日も彼のためにお金をためるぞと、元気に起きたことでしょう。誰でも仕事にとりかかるまでは大変ですが、特に椅子直しの仕事などは、やり始めてしまえば、没頭です。仕事が終われば犬と馬がいます。だから、夜もさみしくはありません。そして、また朝がきて、彼女は元気に起きて、仕事を続けたのだと思います。
    公爵夫人などは幸せそうに見えますが、実はすることもなくて、退屈な人生。パーティで自慢したり、人を見下して、気晴らしをする日々。

    どちらが幸せなのか。
    私はこの椅子直しの女性が幸せを感じた朝の数は、何百倍も多かったと思います。

    作者からの返信

    九月さん、コメントありがとうございます。
    精力的に書かれているんですね。僕は読む専門で実際に書くときにどう役立てればいいのか分からない方なので、そう言って下さると連載の甲斐があります。
    この短編は構成もいいですね。確かに前と後で女の愛し方が違う、鋭いご指摘ですね。少女のころはある意味見返りを求めていたのが、それすら求めないものに変わっていく。これは成熟なのでしょうか。
    この話も女を直接登場させずに語りだけで表現されているのがいいですね。同じ人間を第三者から見たとき、薬屋と医者ではぜんぜん違って、たぶん人というのはそういうものなんだと思います。
    小説の面白いところは、実際にこんな女性がいたらほとんどの人が軽蔑するだろうに、小説だと美しくなることだと思います。そして薬屋を軽蔑しながら実際は自分もきっと薬屋のような態度を取るのだろうと。
    読むたびに噛みしめ方が変わってくるのも、名作の証拠ですね。

  • モーパッサンの生きた時代に、こうやって戦争の批判や皮肉を表現することはリスクがあったでしょうに、毎回容赦なく描写されててすごいなって思います。
    殺して勝てば殺されて負ける人間が生まれる。さして意味はなくとも、大義だ正義だと振り翳せば理由が生まれ、争いは終わりませんね。
    悲しいことにモーパッサンの時代も今の時代も戦争はなくならない。
    優しい母親と復讐に燃える母親、その両面を見ることで、戦争は特にですが、多角的に物事を見る必要があるんだなって改めて思いました。

    作者からの返信

    りくさん、コメントありがとうございます。
    これからどんどん発展していこうって時に戦争を思い起こさせるようなものを書くな、という空気はあったかも知れませんね。
    正義って理由は正しいようで本当は感情と結びついていて、それがすごく厄介なのだと思います。
    ほんとに、何回繰り返しても人間は同じ間違いをやめられない、それは戦争に限ったことじゃなく日常に溢れてますね。
    ふたつの母性を客観的に冷静に見るモーパッサンの目が鋭いなと思います。これを淡々と書いてしまうところ、考える余白を与えるところがまた堪えますね……

    元気ですか。声をかけてくれてありがとうです。

  • 柊圭介様、こんにちは。
    近況ノートへのご来訪、誠にありがとうございます。
    コメント欄の皆様のようにモーパッサン先生のご著作への感想を語れる自信はございませんでしたので感想をお伝えできずにおりましたが、こちらならば、と最も爽やかでいらした作品に伺いました。

    逞しい腕に息子をかかえ、もう片方の腕には愛しい人を優しく抱きしめる。
    もしかしたら、その人のお腹は微妙に膨らんでいて。

    そして、「きっと、優しくて強いお兄ちゃんになるからね!」「おお、そうだ!お前ならなれるさ!」と語る父子。
    二人を、そして自分の腹部を見る母の笑顔は慈しみに溢れている。
    こんな光景を想像いたしました。

    柊圭介様、本当にありがとうございます。
    現在は少しずつ、ジュールのところに伺わせて頂いております。
    これからもご著作を拝読できますことがたいへんに嬉しいです。

    作者からの返信

    豆ははこさん、コメントをありがとうございます。
    フランス文学を扱ってるとお堅く思われそうですが、中身はただの読書感想文エッセイなので、もしお気づきのことがあったら気軽にご感想頂けたら嬉しいです。自分も勉強になります。

    やはり「シモンのパパ」の爽やかさは特別ですね。モーパッサンの作品で報われる話は希少価値なので(笑)
    あとフィリップのような男も当時ですら希少価値なのかなと思います。無骨でまっすぐで。
    想像されたその後の光景がとても優しくて胸があたたかくなりました。

    ジュールは初めて書いた小説なので思い入れが違います。なので読んで頂けるのがとても嬉しいです。長いし拙いかも知れませんが、ご無理のない範囲でお付き合いください。
    優しいお言葉、ありがとうございます。m(__)m

  • 文豪と言われる人たちの名作は、モチーフの切り取り方や登場人物たちの人格、それらの絡ませ方などが絶妙で、読み手の感情を深々と抉ってきますね。もう唸るしかなくなって歯軋りしたくなる。それがまさに天賦の才というものなのでしょうね……

    作者からの返信

    aoiさん、わーお越し下さりありがとうございます!aoiさんに読んでいただけるとはすごく嬉しいです!
    古今東西の名作にはやっぱりそう言われるだけの条件が整っていて、読み手の心を揺さぶってきますね。先人の作品を読み継いでいくって大切だと思います。
    マニアックな連載ですが、お時間の許す時に覗いていただけたら幸いです。コメントありがとうございます!


  • 編集済

    柊圭介さん、こんにちは😊

    ソヴァージュばあさんにとっては四人のプロイセン兵がよくお手伝いをしてくれることもあり戦地に行っている息子のような気がして甲斐甲斐しくお世話をしていたのでしょうね。
    それはきっと戦地で息子も元気でいると信じていたからでしょう。
    しかし、息子の戦死の手紙が届き、大砲にやられて身体が真っ二つになったとの残酷な報せ。
    こうなれば、母親も穏やかではいられず獣母となって復讐の炎が燃えたのですね。
    しかも、プロイセン兵の母親達にも同じ思いを味合わせたいとの執念。
    この復讐劇に唖然としましたが、母親の気持ちが分からないでもありません。
    最愛の息子を失ったら、復讐に燃え狂ってしまうのも無理はないかもしれません。
    これもまた、モーパッサンならではの人間の本質を見事に描いているように思います。

    作者からの返信

    この美のこさん、こんにちは😊 コメントありがとうございます。
    ばあさんとプロイセン兵たちの関係は、お互いに求める者を補う存在だったのかも知れませんね。兵士たちもドイツのお母さんが恋しかったはずです。
    この人情的な部分があるからこそ、後半が堪えますね。
    子どもに戦死されるということがどういうことか、それを分かった上でプロイセン兵の母親にも同じ気持ちを味わわせてやる。本当に凄まじい執念です。でもこれも母性のなせる業なのだと思います。
    モーパッサンの人の心の描き方、やっぱりすごいですね。
    辛い話にもかかわらず丁寧なご感想をくださり感謝です。ありがとうございますm(__)m

    編集済
  • こんにちは。
    『あんたらええ子やん。ほらジャガイモ食べ。スープもあるでl』
    こんな明るいノリのばあさんだったはずが( ; ; )
    戦争が終わり平和になったら手紙でも送るねって、まるで自分の子供の代わりに
    するのかと思いました……が、私は平和ボケの日本現代人だった( ; ; )
    戦争が無くならない本当の理由の一つに、大切な物を奪われたことへの復讐があるんでしょうね。
    人間の本質、母性愛を見事に書いたのですね。モーパッサン先生。
    ヘアスタイルのソヴァージュも語源から分かったような気がします。
    プチ情報もありがとうございます♪

    作者からの返信

    ハナスさん、コメントありがとうございます。
    すみません、そのセリフは僕が勝手に入れましたm(__)m ばあさんはこの子たちが可愛くて好きだったんですよね。それなのに……
    「自分の子どもの代わりに手紙を送る」
    その発想は自分にはなかったのですごいと思いました。平和ボケとは違って、もっと先の境地ですよね。本当はそこまで行けたら一番強いのではないかと。でも人間ってどうしても復讐心が先に立ってしまう。戦争がなくならないのはまさに仰るとおりだと思います。
    ソヴァージュ、フランス語だとあんまりいい意味ではないですね。野蛮な髪の毛。面白いけど。
    こちらこそいつもありがとうございますm(__)m

  • こんにちは。
    寓話のようなドラマでありながら、裏も表もある生身の人間が描かれていて、モーパッサンの凄さを感じます。ふたつの母性、まさに!と思いました。
    復讐は甘美で壮烈ですが、やはり虚しい行為なんですよね。。

    作者からの返信

    久里さん、こんにちは。コメントありがとうございます。
    ひとつの出来事で表から裏へひっくり返る人間の心理がすごく生々しいですね。母性ってあたたかいイメージだけでなく、獣にもなる凄まじさも同居しているんですね。
    復讐しても大事な人は戻ってこない虚しさ。いっそこのばあさんのようにすぐに殺されてしまうのが幸せなのかもしれない、なんて思ってしまいます。


  • 編集済

    柊さん、こんにちは。
    ウォルター・シュナッフスの冒険は、私にとっては妙に「戦争」が感じられず、コメディとしてとても楽しみました。誰も殺されないストーリーなので、安心して笑いました。
    ウォルター・シュナッフスおじさんは全然ブロセイン人らしくなく、「太っちょでのろまで、機敏な兵隊なんてガラではありません。穏やかで優しい性格で、争いごとなんて大嫌い。4人の子どものパパであり、若く美しい妻を心から愛している男」
    しょうがなく徴兵されて、ある時、空腹すぎてあるお城に侵入、みんなが逃げちゃって、彼はたらふく食べて寝てしまうなんて、ほんと、コメディ。現実から離れすぎていて、楽しい。
    そこに50人のフランス兵がやってきて、50の銃口をつきつけ、おじさんはぐるぐる巻きに。そして、願っていたように監獄へ。
    私が一番笑ったのはフランス兵のところ。だって、知らないとはいえ、50人でやってきて、6時間かけて、眠っているおじさんを逮捕して、指揮官は勲章ですよ。
    私はフランス人のことをよく知っているかというと、全然知らないのですが、旅のちよっとしたまた聞いたりしたことなどから、フランス人って、こういうところがあるなぁと思ったりはします。フランス人って、概して大失敗をしても、それを〈恥とは思わず、自慢風に)笑ったりして。そういうところないですか。
    たとえば、私がモンサンミッシェルに行った時、島までのバスは一本通行でしたが、ちょうど橋を作っているところで、橋が完成したらバスが二本通行になる予定。でしたが、設計ミスで、道路幅が狭く、完成しても一本通行だとか。
    それから、別の時に聞いた話では、フランス鉄道の電車が古くなったので、新しいのを注文したら、一部、駅が狭いところがわかり、新電車が使えなくなったとか。
    フランス人が「フランス人って、こうなんだよね」という感じで笑って話してくれたので、日本なら笑って話せはしない。誰かの首が飛ぶわとか思いました。
    これらの話は聞いただけで事実は知らないのですが、おじさんを捉えたフランス兵の話にも、同じようなニオイを感じました。

    モーパッサンはタイトルを「ウォルター・シュナッフスの冒険」にしていますよね。これって、ギリシャ神話の「オデュッセウスの冒険」にかけていませんか。オデュッセウスはトロイで活躍した英雄ですが、彼も戦争に行きたくはなかったのです。やはり家族と一緒にいたかった人。でも、どうしても行かねばならず、戦いで10年、帰路に10年かかりましたが、ついに愛する妻のもとに帰りました。ウォルター・シュナッフスも何年かかるかわかりませんが、きっと美しい奥さんのもとに帰ることができるような気がします。


    作者からの返信

    九月さん、コメントありがとうございます。
    そうですね、戦争の話なのに誰も死なないし、展開も視覚的でマンガみたいですよね。太っちょのおじさんが滑稽なのに、なんだか可愛らしくて悲哀も感じて、こんな戦争の描き方もあるんだなあと思います。
    最後の6時間かけて50人でやっと逮捕ってところはフランス人の気の小ささが出ていて笑えます。それだけプロイセン兵が脅威だったんだろうなとも思いますが、大袈裟ですよね。でも結果オーライだと勲章とか、もうギャグですね。
    橋のお話とかフランス鉄道のお話とか、ああ~やりそうだと思いながら読んでました。失敗しても開き直るのが瞬時の速さですよね。他人に許してもらう前にご自分で許す方が多い気がします。こういうメンタルで生きていれば病まないだろうなあ、なんて。
    ギリシア神話系は詳しくないのですがユリシーズのことですか。なるほどおじさんと比べるのはかわいそうだけど似ていますね。そう言われるとシュナッフス氏も家族の元に帰れるような気がしてきました。お優しいコメントで朝からほっとしました。ありがとうございます!


  • 編集済

    モーパッサンさんのひと言に拍手喝采です。👏
    復讐する母親の気持ち……残念ながらよく分かってしまいます、痛いほど。
    いまは運よく平穏に暮らさせてもらっている自分ですが、ウクライナやガザ地区の住人だったら、絶対に許せない、許してなるものかと、神をも敵にまわす勢いで激しく憎悪するはず。
    タイムリーな物語のご紹介、深く胸に刻みました。m(__)m

    作者からの返信

    上月さん、コメントありがとうございます。
    引用した一節は、正直言うと少し物語から浮いています。でもモーパッサンがここは絶対に書いておきたかったのだろうというのが一番伝わる箇所でもあり、抜かすわけにはいきませんでした。
    これは1884年の作品なんですけど、連鎖する感情には21世紀も何も関係ないのではないかと思えてきます。母の気持ちだって普遍ですよね。
    深く汲んでくださり、アップしてよかったです。ありがとうございますm(__)m

  • 深い作品のご紹介。誠にありがとうございます。何故、戦争が必要とされるのか。果たして、一部の為政者のみで戦争は継続できるのか?
    『怨みの連鎖』という昏い炎がどこまでも燃え広がり、人々を呑み込んでは駆り立てていく。膨大なエネルギーを必要とするはずの戦争は、怨嗟の念により支えられるのか。
    『許す』ということが、いかに難しく絵空事のようにも思えてしまう現実。しかし、理性は冷徹にも囁いています。

    いつも悩んでます。同じ状態に身を置いたなら、僕は許せるのだろうかと。日々に悩むくらいしか、僕には方法が無いようで。素晴らしい作品をご教授頂き、本当にありがとうございました。

    作者からの返信

    呪文堂さん、コメントありがとうございます。
    ひょっとしたら昨日までばあさんは兵士たちが敵であることを忘れていたんじゃないか、と思わせるぐらいの雰囲気から、息子の死の知らせに一変するところ、やっぱりこうなるのか、と思わずにいられません。同じ状態に身を置いたら、と考えると、自分が冷静になれる自信はないですね。
    そういう怨みの連鎖によって戦争の火種は燃え続けるのだろうと。一部の為政者はあまつさえそれを利用しているのだろうと。
    殺伐とした内容にもかかわらず真摯なコメントをいただき嬉しいです。こちらこそありがとうございます。

  • すごい物語でしたね。
    母親の獣性と、あるシスターが話されていたんですが、まさに、そういう一面を知ることができて、いつもながら、モーパッサンはすごいと思うと同時に、柊さまの描き方のうまさに舌をまきました。

    作者からの返信

    雨さん、コメントありがとうございます。
    「母親の獣性」すごくインパクトのある言葉で頭に焼き付きました。でもまさにこれなんですね。ほんわりとしたイメージだけが母性ではない、逆にこの激しさにこそ母って生きものの本性を感じてしまいます。モーパッサンの人間の描き方に唸ります。なんとかそれが紹介できていればと思います。励みになるお言葉、嬉しいですm(__)m

  • 柊さん、こんにちは。
    私は柊さんの解説を読んで、たくさんのインスピレーションをいただいています。時には先生の本を読んだり、疑問点を調べたり、薦めていただいた動画を観たりなどして、数々のことを学ばせていただいています。感謝です。特にノルマンデーやコルシカのことは全く知らなかったのですが、今では情景が浮かんできたりして、先日は生まれて初めてのホラーを書いてみました。もちろん、舞台はコルシカです(笑)

    今回の短篇はまたまたおもしろかったです。「脂肪の塊」や「梅毒で復習する話」と比べると明るくて、痛快成敗物語といいますか、愛国心お姉ちゃんのラシェルががんばっちゃいました。
    ところで、これを原作にした映画がありました。それも、1944年制作のハリウッド映画、ロバート・ワイズ監督の作品。
    https://www.youtube.com/watch?v=tRl5e3c4a1s

    最初は興味はわかなかったのですが。ロバート・ワイズ(ウェストサイド物語、サウンドオブミュージック)の監督デビュー、30歳の作品だというので観てみました。
    タイトルは「マドアゼル・フィフイ」ですが、前半は「脂肪の塊」を、後半が「フィフイ」をもとにしています。といっても、娼婦は出てこず、主人公は洗濯の仕事をする若い女性エリザベスです。フランス人のシモーヌ・シモンという女優が演じています。先生が観たら、激怒するかもしれませんが、女優がかわいいので、あっさりと許してくれそうな気もします。

    さて、この映画の大事なポイントは「教会の鐘」です。1870年の普仏戦争の時、プロイセンに占領された町とされていない町(Cleresville)がありました。その占領された町の神父さんは、教会の鐘を鳴らそうとははません。プロセインの将校ヴィルイム少尉はサイコパスで、人を虐めたり、ものを壊したりする低俗趣味の男。いやがる老神父に鐘を鳴らせと強請しますが、「フランスが解放されるまでは鳴らさない」と神父。彼は年を取り引退するところで、首都のルーアンから若い神父がやってきます。若い神父は出発する時に、教会の前のジャンヌ・ダルクの記念碑に祈ります。そこには、「フランスのために死んだ」と書いてあります。
    そのルーランからの馬車には、「脂肪の塊」にあった物語が展開します。途中の宿で、ヴィルイム少尉がエリザベスを呼びます。彼女に愛国歌を何度も歌わせたりしてその涙を楽しみます。(中略)
    ようやくCleresvillに着いて、マドモァゼル・フィフイの物語が始まります。フィフイは家ものを壊したりするのにも飽きて、パーティをしようということになります。洗濯屋の女たちに声がかかり、そのひとりにエリザベスがいます。彼女は「フランスはみんな自分のもの、女も自分のもの」と侮辱するフィフイを殺します。
    彼の遺体が馬車で運ばれる日、若い神父は教会の鐘を鳴らします。プロイセン兵士は少尉のためだと思うのですが、塔の鐘の横には、エリザベスがいます。鐘はエリザベスを守るためになっているのです。

    今回も、楽しみました。どうもありがとうございました。


    作者からの返信

    九月さん、コメントありがとうございます。
    この連載がインスピレーションに繋がったら光栄です。行ったことがない場所を想像させるのはモーパッサンの筆力もそうですが、ここまで読んでくださった蓄積が大きいですね。
    この話はまさに成敗話で、個人的には「脂肪のかたまり」のようにもっと人間を描いてくれるものが好きですが、愛国心(作家としての)ってなにかを考えさせるのでこの作品も面白いと思います。
    まさか「脂肪のかたまり」と「マドモアゼル・フィフィ」がくっついた映画があるとは知らず。。映画監督は有名な人なんですね。ふたつの原作の主人公は同じ娼婦でも格が違うので、洗濯女でがらっと変えたのはよかったのかも。あるいは制作側が娼婦の主人公を嫌ったのでしょうか。
    書かれているラストだと鐘の意味が分かりやすいですね。マドモアゼル・フィフィは鐘をならす意味がもっと現実的で、ドラマチックではないので。

    普仏戦争を描くと必ずプロイセンがすごい悪者になりますが、プロイセン兵を主人公にした話もあって、少し印象が変わります。ウォルター・スナッフスの冒険という題で紹介してますので、もしよかったら覗いてやってください。

  • 向田先生の題名をもじるとは、これも才能ですね!
    モーパッサン先生らしいお話だと思いました。

    誰の子かは明々白々だけど、ハッピーエンドでしょう。
    ルサーブルも、やっとプレッシャーから解放されたことだし。
    マーズはお気の毒様という感じですが、人の嫁に手を出したんだから自業自得ですしね。

    作者からの返信

    陽咲乃さん、コメントありがとうございます!
    向田先生の作品リストとにらめっこしながら「どれを使わせていただこうか?」と悩むのが楽しかったです(笑)
    チクチク刺しながら笑わせる話はモーパッサンお得意ですね。
    登場人物の行動と、その水面下の打算とか狡さみたいなのを描くのが巧くて、滑稽なのに人間味が出てくるところは向田先生の作品にも通じるなと思うのです。

  • 柊さん、こんにちは。
    モーパッサンの解説を読ませていただくだけで充分なのですが、実際に読んだり聴いたりしてみると、また別のおもしろさが感じられる作品がありますよね。
    これはそのひとつだと思います。これは読んで参加型になって、楽しみました。

    食べること、飲むこと、人とのおしゃべりが大好きなでぶの居酒屋の主人、ワーヌおじさん、世の中のすべてのことに文句を言っているマダム・トワーヌ。マダムは雌どりを育てるエキスパートですが、生まれつきそういう性格なのでしょうね。ふたりの喧嘩は、村のエンタテイメント。
    さて、おじさんは脳溢血で、半身不随に。
    とあることがあり、トワーヌが鶏の卵を抱いて育てることになります。最初はもちろんいやがるのですが、マダムが腹をぼこぼこ叩くし、スープも作ってくれないから仕方なく始めます。すると、トワーヌにだんだんと母親のような愛情が湧いてきて、夢中になります。トワーヌだけではなく、村人も、読者(私)もです。鶏小屋では雌鶏が七個産んで、三個失敗。では、トワーヌのほうは? 六個生まれて、二十分後にもう一羽。みんなわくわくです。さらに二時間待って、ひょっこり一羽が。十割の成功率。まるでテニスのマッチポイントを見ているようなおもしろさ。
    トワーヌおじさんなんて、さいごのヒヨコに愛情が湧いてしまって、明日まで一緒に寝かせてほしいと言うくらいなのですが、マダムはノー。
    さみしくなってがっくりしていると、友達が最初の鳥が育ったら、ソテーにするのはどうかなんて言うと、もともと食べ物大好きなトワーヌ、このところ食べていなかったこともあり、食欲のおじさんに戻り「もちろん」と大笑い。

    これyoutubeにありました。
    https://www.youtube.com/watch?v=qkkgtNoc69U
    最初の部分は、見る価値ありだと思います。
    鶏小屋が三角形の藁葺屋根だったり、その少し上にある居酒屋には、ブランデーの樽とか、瓶とかがたくさんあり、ノルマンデーの田舎ってこんなふうだったのだろうかと想像させてくれて、とても興味深かったです。ただドラマでは、最初に出てくる鶏を買いにきた夫人がすごく太っているので、トワーヌがそれほど太ってみえないというのが難点かしら。

    下のはついでに見つけたのですが子供用の話で、足をけがしたトワーヌおじさんが、卵を抱いていたら、ヒヨコに愛情を感じてしまうというかわいいアニメでした。映画のトワーヌも、このおじさんくらい太っていたらよかったなと思いました。
    https://www.youtube.com/watch?v=jeEIyJv6fPc

    作者からの返信

    九月さん、コメントありがとうございます。
    ドラマシリーズのエピソード、この機会に観てみました。トワーヌはなかなか適役ですね。底抜けの明るさが出ててよかったです。確かに鶏を買いに来る女の人がトワーヌに負けないくらい太ってますが。。
    ノルマンディーの田舎の風景がやっぱり絵になりますね。こういう場所がまだ残っているのがすごいです。映像にすると、セットとか衣装とかも見どころで、例えば男たちが来ている青い労働服なんかも知らないと想像できないものだなと思います。
    あとセリフがノルマンディー訛りで、いかにも田舎の人って感じが出てますね。モーパッサンは小説の中でもノルマンディー訛りを変な綴りで書くので、解読が難しいです(笑)
    モーパッサンの話はどうしても毒っぽさがありますが、この短編は単純に馬鹿馬鹿しくてシュールで、だんだんトワーヌが可愛く見えてくるのが好きです。

  • 柊さん、こんにちは。
    柊さんの説明で、モーパッサンの短編をいくつか読ませていただきましたが、読んでいて、この作品が一番つらかったです。

    『体裁だけのうぬぼれで生きている男と、絶望を逆手にとり、体を張って信念をまっとうした女。(中略)戦争によって人間の運命が、心が、こうもはっきりと分けられてしまう残酷さを、モーパッサンはちゃんと描いています。(中略) 作家の人間性が出ている気がして、僕はこの短編がすごく好きです』と書かれているのを読んで、どういう意味ですかと訊きたくなりました。
    エビヴァンのほうも、イルマも、たくさんのプロセイン人を殺したことを自慢しています。特にイルマは町にきた兵士に犯されて梅毒になり、治そうと思ったのに治さなかった。それはプロイセン兵士を殺したいから。
    どちらも、クレージーですよね。

    ここで、モーパッサンはどんな作家だったのか調べてみました。彼自身も普仏戦争に従軍し、帰ってからは役所に勤めたようですね。前に釣り人の話にも残酷なプロイセンの兵隊が出てきましたが、モーパッサンはドイツヘイトの人なのでしょうか。
    彼は風刺のきいた表現と、こまかな自然描写を得意といる作家。それはこれまでも感じてきましたが、人間愛の人なのでしょうか。
    先日、村上春樹がイスラエルの授賞式で、「壁と卵があったら、作家はいつも卵の側にあるべき」というようなことを言われていましたが、作家はそうあるべきですし、モーパッサンもきっとそうなはずですね。
    この短編では、ふたりともが正常ではありません。何よりも生命が大切だということをすっかり忘れています。戦争がそうさせたのですよね。ここに戦争の怖さがあります。それを書きたかったのでしょうか。

    今だって戦争の最中です。この話をそっくり現代に書き換えられます。イスラエル兵が何人パレスチナ人を殺したか自慢したり、犯されてエイズになったパレスチナ女性が、敵の公衆便所になって復讐している、そんな話。
    戦争が残酷なのは、人の個々の命が尊厳されず、数でしかないこと。人が正常にものを考えられなくなること、ですよね。

    人間は、こういう小説を何冊も読で学んで学んできたはずなのに、何も進歩していませんよね。そんなことを考えました。

    作者からの返信

    九月さん、コメントありがとうございます。
    この話は「脂肪のかたまり」と同じ短篇集に入っていて、普仏戦争をテーマにしていてもこちらの方は戦争の犠牲になることを生々しくストレートに描いていると思いました。
    クレイジーなのは正常な感覚からするとそうなのですが、戦争という状況ではそれが正しいことになりますね。同じ「プロイセン人を殺す」という行為でも、この男と女の背負ったものが正反対であるというところをモーパッサンは書いているんじゃないかと思います。
    命が一番大事、という当たり前のことも、戦時下ではどこかへ消し飛びます。イルマは性的な暴力を受けていて、梅毒は治せてもこの経験はなかったことにはできない、だから残った命で敵を殺すことに賭ける、レジスタンスをする。モーパッサンはこの女性に非常に肩入れしていると感じます。でも彼女を偉いと言っているのとは違って、あくまでも犠牲者として描いています。
    ざっくりした言い方をするとモーパッサンはいつも弱い者の味方で、強い者の偽善を糾弾するスタンスを貫いてます。それは戦争以外のお話も同じで、僕が人間味を感じるのはそこです。
    自身の兵隊としての経験と、そのあとの公務員としての経験は作品の土壌になっているのではないでしょうか。
    残酷なプロイセン兵が登場するのはフランス市民の視点ですので当然ですが、反ドイツの感情をあおるものではなく、戦時下では人間はこうなるというのを端的に書いているんだと思います。なんというか、プロイセンを憎むのではなく戦争を憎むみたいな感じでしょうか。
    村上春樹のスピーチを読みました。モーパッサンが描いているのはまさに卵だと思いました。

  • 柊さん、こんにちは。
    この話を読み始めて、前に読んだことがあるのではと思いました。チェーホフかトルストイの話で、たしか、「ロベルトおじさん」?
    それで調べてみたのですが、彼らにこういう内容の小説はなく、私が読んだのはモーパッサンのこの「ジュールおじさん」ではなかったのかと思いました。
    子供のための世界名作〇〇選とかに載っていたはず。

    ストーリーはここの家はものすごく貧乏。でも、お母さんは、アメリカに行って大成功しているおじさんが帰ってくれば、すべでかうまくいくと言います。でも、いくら待っても、大金持ちのおじさんは帰ってきません。ある日、船に乗ることがあり、そこにおじさんそっくりの掃除夫を見るのです。以後、母親は二度とおじさんのことを口にしなくなります。

    そんな話で、「僕」がそれ以後、物乞いの人を見ると100スーのチップをあげるようなる、という肝心のエピソードについては全く記憶のかけらにもありません。


    柊さんの文章の中の、
    「おありがとうごぜえます、若旦那様。あなたに神のお恵みがありますように!」
    その言い方は、おじさんがアメリカでもこのセリフを言い続けていたに違いないと思わせる、乞食そのものの口調でした。
    ここのところが特に痛いです。心にぐさりです。

    私の場合、子供の時の思い出は、この本に対する記憶のように正確ではないのが多いです。でも、それは大人になって、たとえばこういうすばらしい文章に出逢う時、昔のことを思い出して二度味わえることになると思いました。
    時々、美術館に行きます。会員なので、いつでも入れます。それほどの作品はないのですが、ただ古い友達に会うような感覚で行きます。
    先日は土曜日が無料日なのを忘れて行ってしまったのですが、無料日には子供を連れたアジア系の母子がよく来ます。子供は絵画なんてわからないから、当然、走り回ります。いつもは迷惑だと思うのですが、その時は、「ジュールおじさん」を読んだばかりだったので、思ったのですよね、
    今はわからなくても、この子供たちがいつか大人になり、絵を鑑賞した時には、その思いはこの記憶の上に重なるのだろうな、と。

    「ジュールおじさん」とはあまり関係のないことを書いてしまいましたが、わたしが柊さんの文章を読んで、感じたことを書いてみました。





    作者からの返信

    九月さん、コメントありがとうございます。
    なるほどそういう名作選みたいなのに入ってるんですね。あらすじからすると多分このお話ですよね。内容的には高学年向けでしょうけど、子どもが読むとどういう風に感じるんだろう。
    モーパッサンが上手いのは、ジュールにほとんど喋らせないところですよね。表面しか見えない手紙や家族の間だけで作り出されるジュール像だけで成り立っていて、本人の気持ちとかの説明が一切ない、要は他人から見える人物像でしか人を判断してないところですね。引用された部分で男の子はおじさんの過ごしてきた日々を察しますが、ほかの登場人物にはそれがないですし。
    男の子の優しさ以外はとてもシビアな視点ですが、子供もこういうの感じ取るのかな。
    美術館のお話もそうですが、大人になってもう一度触れることで腑に落ちるって多いでしょうね。小説や絵は特にそうかも。子どものうちに触れておくことは、その時は分からなくてもどこかで眠っていてくれるんじゃないかなと思います。


  • 編集済

    柊さん、①のつづきです。

    ボールはダンスパーティになど行きたくないのですが、愛するマドレーヌをレスボスたちと行かせるわけなーには行かないので、ついて行きます。すると、マドレーヌとレスボスの姿がありません。店を出て、森の中を探すと、マドレーヌとポーリーヌの情事を見てしまいます。「ポーリーヌ」と叫ぶマドレーヌの声は、彼との時より情熱な叫びだったみたいです。

    そこで、ポールは絶望的になります。
    チョイスは、マドレーヌを諦めるか、愛し続けるかのふたつにひとつ。
    ボールは上級政治家の息子ですからね、法律違反のレスボスを愛するマドレーヌをまるごと引き受けると、家から感動され、経済的に生きてはいけません。
    しかし、ポールはマドレーヌにぞっこんなので、彼女なしの人生を生きることもできません。
    それで、どちらも選べずに、ポールは河に飛び込み、自殺してしまったように思います。


    ここで、ゴダールの映画「男・女」についてです。モーパッサンの短編が原作となっていますが、当時の若者の姿を描いた映画だそうで、ヒントをもらっだけで、時代も、設定も、筋も違いますが、主人公の名前は同じ。

    ここにクリップがあります。
    ポール(雑誌記者)、マドレーヌ(歌手死亡)、レスボス(ポーリーヌという名前ではありませんが、太目で金髪)が登場していますので、ご興味があればどうぞ。
    https://www.youtube.com/watch?v=KylXy5Svc4Y

    マドレーヌはかわいい。ボール役は「大人はわかってくれない」の主人公をやった俳優です。この役には、ハンサムすぎじゃないですか。彼は映画ではやはり死んでしまいますが、その理由はわかりません。

    ゴダール監督の映画は、私にはなによくやらわからないです。
    私の理解力のせいだと思うのですが、勝手に好きなシーンを撮って、あとは「自由に解釈しなさい」という感じのが多く、私は苦手です。

    話が長くなりすぎるので、簡単に書きますが、去年、私の身内に不幸があって、日本に帰っていた9月に、彼の訃報を聞きました。スイスで、自殺ほう助による自死だと随分話題になっていました。私の身内は生きたくても生きられなかったのに、時代の代表者みたいだったゴダール監督が安楽死を選んだことを考えると、とても複雑でした。
    彼のことはよく知らなかったので、帰米してから、彼のドキュメンタリーを見ました。よく人が死んでいく映画を作っていました。やはりよくわかりません。
    柊さんは、ゴダール映画はお好きなのでしょうか。

    作者からの返信

    ゴダールは好きじゃないです(笑)九月さんと同じような感想を持ってしまいます。
    >勝手に好きなシーンを撮って、あとは「自由に解釈しなさい」という感じのが多く
    そうそう、まさにそんな感じ。なので笑ってしまうんです。人間って理解不能なものを見ると笑ってしまうんですね。あと、この人は映画監督とは言えないですよね。編集とか繋ぎ目が雑だし。
    ヌーヴェル・ヴァーグって文学をそのまんま映画にしちゃったようなのが多くて、セリフも現実味がなさ過ぎてきついです。トリュフォーの作品ですら途中で寝ちゃったのもあります(笑)

    ゴダールのスイスでの安楽死は話題になりましたね。確かに見た映画はほとんど主人公が死んで終わりでした。ひとの生死観はその人じゃないと分からないものですが、自分で自分の結末を決めたのはゴダールらしいのかな、と分からないなりに思います。


  • 編集済

    柊さん、こんにちは。
    大先生は変化球をたくさんもっておられて、またも予想しない変化球が投げられました。ものすごくおもしろくて、さすがです。

    パリ郊外セーヌ河での舟遊びは、モネ、ルノワール、そしてカイユボットの絵で見ているので、あんな様子なのだろうと想像しました。
    でも、そこに4人の女性がやってきます。中のひとりは男装、


    「川岸の人たちからレスボスコールがかかります。人々は彼女らに熱狂的な声援を送るんです。男たちは帽子を取り、女たちはハンカチを振る。テーブルに上ってその姿を見ようとする者までいる。・・・・ 彼女たちは人気者なんです」
    ここで目からうろこでした。

    当時フランスでは、同性愛は法律で禁止、ズボンも教会からはノーノー。
    それで、私としてはレスボスは、対岸の人々からブーイングを受けるのかと思ったのですが、リベラルな人が集まる郊外のこの場所では、彼女たちは人気ものでした。オドロキ。そして、おもしろい。

    ボールは上院議員の息子なので、規則違反は大嫌い。パリの上流社会では当然の意見が、ここでは少数派。
    ポールは政治的意見があるけれど、愛する恋人のマドレーヌのほうはそういう難しいことはわからない。でも、生まれつき性というものにバウンダリーがない人なのではないかしら。魅力的な女性です。マドレーヌはポールと付き合っているけれど、レスボスのポーリーヌも大好き。

    ところで、この4人がボートでやってきて、川岸の人たちが「レスボスコール」をする場面を、ぜひ動画で見たいと思って、youtubeを継がしてみました。すると、モーパッサンの短編を、あのゴダール監督が映画にしているという情報がありました。
    What!
    こちらも、つづきます。





    作者からの返信

    九月さん、コメントありがとうございます。
    モーパッサンの引き出しの多さはすごいですよね。ふと思い出したのはゾラの「ナナ」で、これには思い切りレズビアンの女性が出てきます。表面では隠しても、当時の水面下の風俗では周知の存在だったのかも、と思います。郊外のセーヌ河に遊びに来るような人種にとっては、こういう女たちは逆に興味やちょっとした憧れの的だったのかも知れませんね。
    ただ、ポールはガチガチのおうちなので無理でしょう。
    これはドラマにはなっていないんですね。でもゴダールが登場するとはびっくりです!


  • 編集済

    柊さん、こんにちは。
    昨日と今日の私のエッセイに、柊さんの名前を出してしまいました。報告が遅れてすみません。

    今では、男女が付き合い、片方に飽きがきて去ってしまうというケースも小説はよくありますよね。男のほうが女性の妊娠を知って逃げてしまう場合も。
    そんな中、この短編がユニークだと思ったのは、①10年後にフランソアがルイーズに声をかけた時、恐怖と憎悪の叫び声をあげて逃げるところ。たいていは睨んで、たまには平手打ちとか。②フランソアが手紙を書いても返事をくれないので、今の夫に電報を送るところ。死ぬ覚悟ですからね、よっぽど子供に会いたかったのでしょう。③今の夫が会わせてくれるところ。よほど器量の大きなご主人。もうこれ以上邪魔してほしくなかったのでしょう。
    フランソワにもそのことが伝わり、「これきりです。さようなら」と去ります。これが彼の贖罪、ここでようやく、彼が人間らしくなったと言えます。これまでは自分勝手な男でしたが、子供に対する愛情はホンモノ、子供に恥ずかしくないようにして生きていれば、10年後、20年後に、奇跡が起こるかもしれませんよね。

    私はこの短編を読んだ時、「シェルブールの雨傘」を思い出しました。あの若者は戦争に行かなければならなかったわけで、彼女を捨てたわけではありません。が、彼女にはやさしい金持ちが現れて、喜んで、母娘を引き取ってくれましたよね。
    主役があのカトリーヌ・ドヌーヴですから、ガソリンスタンドのお兄ちゃんではつり合いが取れず、パリの紳士と結ばれて、やっぱりそうですよね、と納得でした。

    数年後のクリスマスの夜、雪のガソリンスタンドでふたりが再会した時、彼女は娘に会うかというのですが、彼に妻子がいることもありますが、(ふたりで考えた名前)の娘に会いたいに決まっているのに、会わないと言います。
    お互いのいたわりは、泣かされました。
    でも、ドヌーヴは美しすぎ。

    作者からの返信

    九月さん、コメントありがとうございます。すみません、まだ読みに行く時間がなくてm(__)m のちほど読ませていただきますね。教えて下さってありがとうございます。

    この作品、九月さんが指摘されているところは現代的なのでしょうか。それともキャラによって反応が違ってくるんでしょうかね。①とか、逃げるって反応に、どれだけ彼女にとって男が忌まわしい存在かが伝わってきますね。②は外堀を埋めようとするかんじがなんか個人的に嫌ですね。気持ちは分かるけど。③は夫の器量の大きさと、これ以上妻につきまとわれたくないってことでしょうね。この二人の男の対比が残酷。
    そうですね、子どもに恥じないように生きてももう女に恥じる生き方をしちゃってるから、どうなんだろう、子どもが大人になって自分から会いに行く、なんて別の話ができるかも知れませんね。
    シェルブールの雨傘は一度見ただけですが、金持ちと結婚しちゃうのが現実的だなあと思いました。最後の再会は皮肉で哀しかったですね。

    今回も丁寧なコメントをありがとうございますm(__)m エッセイと小説の続きもまた読みに伺います。

  • これも実際に読んでみたいうちの一つだなあ。

    でもね、夜の水辺は怖い。海でも川でも。ローレライなんか、ほんとにあったことかも、って思ってしまう。特にこんな風に遺体が引っかかるなんて。


    PS :私は、マッチョではなく、細マッチョを希望します。

    作者からの返信

    月森さん、コメントありがとうございます!
    最初は気持ちのいい月夜......のはずが、少しずつ脅かされていく心理が面白いですね。夜の水辺は良さそうに思えるけど、実際は自然の脅威をもろに受けそうですよね。
    しかもこのような落ちまであれば......😱


  • 編集済

    柊さん、こんにちは。
    これまで私は小先生の説明付きで、大先生の短編をいくつか読ませていただきました。そのジャンルはホラー、謎解き、役人、庶民、などと幅広く、私がモーパッサンと同じ国、同じ時代に生きていたら、彼が連載していたという雑誌を定期購入し、今週は何かしらと、とても楽しみにしたと思います。
    私はまだそれほど読んでいるわけではないのですが、まだ大先生が「純愛」を書いたのを読んだことがなかったので、先生はそういうものは書かれないのかと思っていました。そしたら、この「ミス・ハリエット」がありました。この小説は、ある意味、純愛ですよね。

    大先生を前に自分のことを書くのはなんですが、私は今恋愛小説を書いていて、主人公の女子はそれまではその男子に何でも言えたのに、恋を意識しはじめたら口がきけなくなり、あることで混乱して、過激な行動をとってしまいます。でも、その子は14歳の少女ですが、ミセス・ハリエットは50歳代(恋愛に関しては未経験で、15歳くらい)。
    でも、もちろん自然や人生、孤独や人生を感じるその深さは、10代ではとうてい及ばないものがあります。
    大先生は主人公を25歳の画家、相手の女性を50代の、キスもしたことがないお堅いイギリス人に設定し、ハードルを高く上げています。
    ある5月、ふたりは美しいノルマンディーの田舎の宿で出会います。この画家は自然が好きで、人が好きで、とてもlikable.お姉ちゃんも好きですしね。
    彼は性格がよく、みんなから白い目で見られているミス・ハリエットにもやさしい。ある時、ミスが彼の絵を見て、自然の理解の仕方が自分と同じだと気づき、少し心をひらきます。また画家が彼女の絵を描いてくれたりするから、今までこんなに思ってくれた人はいないので、感動します。でも、だんだんと好きを意識してしまうと、口がきけなくなり、態度が変わってしまいます。
    画家のほうは彼女に会ってから、孤独の魂というものを知ります。彼はそれまでモテてきた人ですから、彼女の態度がなぜ変わったのか理由はわからないのですが、そろそろ宿を引き揚げようと思います。そして、若いお姉ちゃんといちゃついているのをミス・ハリエットは目撃し、井戸に飛び込んでしまうのですよね。
    彼は一晩中、彼女の部屋にひとりでいて、彼女の孤独の魂に、寄り添い、化粧をしてあげ、キスをします。

    これって、短編ですかね。雑誌ではなく、単行本にあう感じがしますが。
    youtubeも見つかりました。https://www.youtube.com/watch?v=s3MSZPhuI-g

    私は大小先生の描写と解説でもう映画は見なくてもよいと思ったのですが、どんな役者を選んだのか気になって覗いてみました。若い頃のやんちゃっぽいところのある画家役には好感がもてますし、ミス・ハリエットはまさに予想そのものでした。

    映画の最初の場面は画家として成功したレオンさんが、自宅のダイニングで、お客に恋の話をしてくださいと頼まれるところから始まります。彼は相当遊んだ人なのですが、今は落ち着いた雰囲気で、若い頃のようなlikableな笑顔はありません。そして、ミス・ハリエットの話が終わると、妻が寄ってきて、キスをします。これ、嫉妬とかではないですよね。
    彼の孤独な魂に気づいて、今度は妻がキスをしてくれたのでしょうか。

    あまりうまく書けなかったので、載せるのをためらっていますが、この小説の解説が秀逸だったということを伝えたいので、このままにします。
    どうもありがとうございました。

    作者からの返信

    九月さん、いつも丁寧なコメントをくださりありがとうございます。
    言われてみれば、風刺が効いた小役人コメディとか、心理系ホラーとか、厳しい庶民の現実とかが多くて、純愛のイメージはないですね。でもこの作品ははっきりと純愛だと思います。数年前に飛行機の中で読んでいて、最後は泣けて泣けて困りました(笑)
    ちょっと調べたら最初は「ル・ゴロワ」という新聞に掲載したものらしいですね。あと「ジル・ブラース」という新聞にもよく書いていたみたいです。自分もこの時代にいたら短編目当てに毎日買いそうです。。

    ミス・ハリエットの恋をした時の行動がいかにも15歳の娘ですよね。50年生きてきて色んな経験をしただろうけど、こと恋愛にかんしては少女のまま、というのは、なんか切ないというか、これまでの人生も一緒に読者に推測させますよね。

    YouTubeのドラマはまだ見ていませんでした。まさにキャストがイメージのままで嬉しいですね。あとノルマンディーのロケも最高です……!
    短編としては長めなので4回に分けましたが、このエトルタの景色を文章にしてあるのが素晴らしかったので、沢山引用しました。長くなりましたが全部おつきあいくださって感謝です。とても励みになるお言葉をありがとうございます!

  • こういうのは結ばれないからいいんです。いつまでも甘い思い出のままなので。

    そして、お母さんには「技術」という魅力があること、お忘れなきよう。

    作者からの返信

    非常に現実に即したお言葉をありがとうございます(笑)

    美人は3日で飽きるけど、技術は磨かれますからね!

  • 私も同行したい

    作者からの返信

    あっ、月森さんも筋肉好きですか?


  • 編集済

    柊さん、こんにちは。
    先生の小説動画にobsessedしておりまして、また見てしまいました。
    柊さんが言われるように、先生の小説は若い人が安予算で実験的に作る映画の材料にぴったりですよね。でも、今度のはどうかな、とまずは覗いてみました。

    https://www.youtube.com/watch?v=QIcvDLhersQ
    これは上質、よく作られていて、主人公のフランス語が(私には)とても美しく聞こえました。この人、実力派の役者なのでしょうか。女性も、魅力的。この役には、美しすぎますかね。
    そして、場所がモンマルトル墓地ではないですか。ちゃんと現場に行って撮影しているようで、その雰囲気がすばらしい。ニジンスキーの墓はどこかと思いましたが、彼はその時生きていますから、墓はないですよね(笑)
    文章で読むとラブコメ的ですが、映像で見ると、大人の抒情短編といった感じで、とてもおもしろいです。墓場で女性が息ができなくている場面から、この人は怪しいと(視聴者は)思うのですが、ふたりがだんだんと親しくなり、ディナーなんか、よい感じ。この女性はそういう騙す人ではなかったと思わせておいて、別れた後、墓場で別の男に支えられているところを見かけるのですよね。
    でも、このふたりは、騙したのは悪いとか、騙されたほうが馬鹿だとかそういう普通の世界にいる人たちではなく、もっとしゃれた関係。男はきっと女に連絡して、「今度の人はどうでした?」
    女のほうも「相変わらず、墓場でナンパですか」と返したりして、粋な会話を。
    先生は、こういう女性も楽しいと思っているのではありませんかね。
    とてもおもしろい短篇、ありがとうございました。

    作者からの返信

    九月さん、コメントありがとうございます。そして今回の短編映画は掘り出し物ですね!びっくりしました。主役はランベール・ウィルソンって俳優で、監督は「コーラス」って映画を作った人です。まさかこんな短編映画を撮っていたとは!女優さんは知りませんでしたが、適役ですね。最初はもう少し若い方がいいかなと思ったんですが、目がこの女の妖しさとかずるさを出してて見入ってしまいました。あ、ひとつだけ、場所がペール・ラシェーズになってたんですよね。。原作通りモンマルトルだとよかったですが、ペール・ラシェーズの方が石畳が多いから昔の時代のロケがしやすいのかも知れません(分からないけど)こういうのって20世紀の人のお墓が映り込んでもまずいし、意外と難しいでしょうね。
    騙し騙されてもユーモアで語れるのが大人っぽいですね。最後のセリフはお気に入りのオチのひとつです。
    こちらこそ、色々教えて下さってありがとうございます!

  • 昨日のコメントのお返事、こっちに書きますね。

     わたしが住んでいるのはオハイオ州です。ここ数年、冬になるとNYに大寒波が来てたんですが、その影響をモロに受けてました。そうなると凍傷警報が出ます。30分以上外にいるな、というやつです。

     それ以外の時期はトルネード警報が出ます。近くが被害にあったりしました。虫も多くて、年に数回、害虫駆除業者に来てもらってます。

     アメリカの冬時間はヨーロッパの一週間後に始まります。めんどくさいですよね。

     そうそう、今年のクリスマスはスペインとイタリアに行くんです。今から楽しみです笑。

    作者からの返信

    オハイオ州ですか。場所があやふやで焦って地図を見ました(笑)シカゴの斜め下なんですね。気候的にそんなに厳しいとは知りませんでした。

    僕は個人的に夏時間を廃止してほしいです。
    他の大陸とズレがあるのも面倒ですしね。

    南ヨーロッパはクリスマスにピッタリですね。旅行記を読ませてもらえるの楽しみです^^

  • なるほど。これはもう一度向田作品を読み返してみないと。

    ついね、「マーズの気持ちはどうだったのか」とかルサーブルはどうなんだ、とか色々考えちゃって。

    作者からの返信

    月森さん、コメントありがとうございます。
    家族ドラマなので勝手に名前を借りましたが、本編と向田作品にはなんの関係もございません(笑)
    それぞれの思惑、考え始めるととめどがないですね。

  • 意外とこれ、実際にあった話だったりして。

    ウルリッヒの気持ち、わかる。毎冬−25℃とか-35℃とかいう時にダンナがいなくて家に閉じこもって暴風雪の音を聞いてると、子供と一緒でも得体の知れない恐怖を感じるもん。ましてや頼ってた人が帰って来ないとなったら……。

     今年が暖冬だといいなあ……。

    作者からの返信

    月森さん、コメントありがとうございます。
    そうですね、本当に起こる可能性ありますよね。
    というか、月森さんはどこら辺にお住まいなんでしょう?冬が厳しすぎる。。。自然の脅威を身をもってご存じなんですね。
    暖冬もね、ありがたいですけど、虫とかが死なないのであとで困るんですよね。
    そういえばこちらは冬時間に変わりました。アメリカはどうでしょう?

  • 柊さん、こんにちは。
    まずは動画があるかどうか確認しました。
    https://www.youtube.com/watch?v=Chmkuh6B00w
    を見つけたので、文章を読み始めました。

    このアンティーク好きの32歳のリッチは、金髪にObsessしてしまいますが、どうしてそれだけで精神病院に入れられるのですか、と思いました。誰だって、ある意味、何かに取りつかれていませんか、子供はブランケットに、大人は宝石とか、お守りとか、お金とかに取りつかれていますよね。このリッチも、指輪とか、フィギュアくらいにしておけばよかったのに、金髪は気持ちが悪いし、目立ちすぎます。でも・・・それで精神入院行きはないでしょう、と思いつつ、youtubeへ。

    こちらは現代版で、長髪の主人公は若く、リッチではなく、アンティークの中国風の家具をゴミ捨て場で見つけます。彼はお菓子が好きな子供みたいな人でしたが、引き出しにはいっていた金髪のウイッグに恋し始めたら、身なりにも気をつけ、バーにも行くようになります。そこで金髪を汚されて、トイレで洗っている時に、金髪を変な目で見た男を殺してしまいます。それで、精神病院行きになります。
    この話はある記者(?)が医者に会いに来て、狂った若者の日記を見せてもらっているという筋書きなのですが、記者はさいごに金髪を見せてもらって、その匂いを嗅ぎ、なんだか、彼も取りつかれてしまったみたいです。

    モーパッサンの短編は心理描写に重きをおいており、映画のほうはそこは重要視していません。小説では「人間の精神とは、いかなることも可能にしてしまう(人は何にでも、Obsessしてしまうという意味ですか)」で終わり、映画のほうは別の男が金髪に恋してしまうようで、金髪のニオイに妖力があるみたいに描かれています。
    モーパッサンがこの映画を観たら、これは違うと怒るかもしれません。でも、見ていて、私はおもしろかったです。
    私はモーパッサン動画にobsessしてしまったみたいですが、誰も知らないことなので、病院行きはないです。

    作者からの返信

    九月さん、コメントありがとうございます。
    モーパッサンの作品って短編映画の原案にちょうどいいのかな、意外と作られてるものなんですね。若い作家なんかが低予算で実験的な制作するのによさそうですよね。仰っていた現代版をちょっと覗いてそう思いました。
    でもかつらじゃないんですよね。本物の髪じゃないとね。
    原作でも男の手記を読むのがベースで、やっぱり最後お医者さんにその「髪」を見せてもらうんですよね。それでなんか妙な気分になっておしまい、という。言われてみればここ大事なのに書いてなかったです。
    誰にも何かしらobsessの対象があるかも知れません。この男も何も悪いことしてないのに……誰が異常と普通の線引きをするのか、ですね。。

  • 家具たちが自分で動く場面は「美女と野獣」のアニメを思い出し、カラフルで楽しい画像で想像しちゃいました。(^o^)

    モーパッサンの死因は知らなかったので驚きました。
    才能が溢れ出て、おかしくなってしまったのでしょうか。
    凡人にはわからないことです。
    月頭男は、モーパッサンの脳内にいたのかもしれませんね。

    作者からの返信

    陽咲乃さん、コメントありがとうございます!
    家具たちが出ていくところ、動物の動きになぞらえてあるのでどうしても笑ってしまうんですよね。ディズニーアニメ風な動きでやられるともっと面白くなってしまう(笑)
    モーパッサンは若い頃から梅毒で目が悪くて、そのうち精神にも支障をきたすようになってしまいました。健康ならもっと長生きして書けたのに、と思います。。心理的に迫る怪奇譚はこの人の脳内を覗くようなところがありますね。

  • これ、原書で読んでみたい。どんな風になってるのか。

    また女側の現実問題を言うんだけど(読みたくない場合は飛ばしてください)
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




    ほんとに痛いから、最初はエロスどころじゃないと思う。見えちゃおうがなんだろうが、楽になれば何でもいい、ぐらいの辛さ。でも楽になった後とか、数日たった時に脳内再生して、「はあ……」ってなるやつだと思う。(生々しくてごめんなさい)

    作者からの返信

    月森さん、コメントありがとうございます!
    原作だと女性が胸が張って辛い部分がいっぱい書かれているんですよ。授乳中の女の人の体がよくここまで分かるなあと思うぐらい。なので、とにかく乳を出せることがどれだけ楽になるか、というのが読んでて伝わってきます。男にとっても食糧だから、それこそ赤ん坊のように飲み干すって感じです。エロスを感じるのは当人たちではなく、その絵を観る第三者(読者)なのかなあと思います。この二人が出稼ぎ労働者で、暇なブルジョワが不倫したがるのとは違う、生きる事に直接向き合ってるような高貴さも感じるんですよね。。

  • 拍手、拍手、拍手。
    昨日、柊さんにYoutubeを教えていただき、さっそく、試してみました。おー、すごい。世界が広がりました。

    まず柊さんのエッセイを読み、フランス語の短編映画に行き、次に英語の朗読にいってみました。これからはこういう楽しみ方ができると、うれしくなりました。

    映画での話は小説とは少し違っており、手はガラスケースにいれられており、給仕が東洋人。(アメリカインデアンなら、もっとおもしろいかな)
    中指も後で発見されるのではなくて、医者が虫メガネでローウェル氏の首の傷を見て、骸骨に絞め殺されたようだと言った後で、判事がイギリス人の口を開いて取り出します。映画には映像ならではのおそろしさもあり、たとえば給仕が判事の肩に手をかけたりすると、判事も私(視聴者)もぎくりとしました。

    これはコルシカで起こった事件というのが鍵ですよね。コルシカには復讐を遂げなければならないという掟があるそうで、そんな島に連れてこられた「手」が、今でも人狩りを自慢に思っているローウェルを見て、復讐を考えても、不思議ではないです。

    この短編を選んだのは偶然なのですが、今はハロウィーンの週末で、ぴったりでした。アメリカ人はハロウィーンにはおそろしい映画を観る習慣があり、私も「ゾンビの復讐」というのを見たことがありますが、「手」は質が別レベル。出逢えて、ラッキー。柊さんには、たくさんのことを教えていただいています。ありがとうございます。




    作者からの返信

    九月さん、拍手とコメントありがとうございます。
    仰っていた映画がわかったので観てみました!10分ぐらいの作品ですよね。この短編映画はChez Maupassant シリーズと違って小説に忠実だなと僕は思いました。手を壁に繋ぐのが制作上難しかったのかな。できれば鎖で巻かれた手を見たかったですが。殺されて終わりかなと思っていたらクレジットの最後に手が墓にいるシーン!このラスト怖かったです(笑)
    コルシカ島が舞台になっているのが鍵、まさにそうですね。

    この短編はハロウィンにぴったりでしたね。(怖い映画を観る習慣があるとは知りませんでした)楽しんで頂けてよかったです。こちらこそ色々教えて頂きありがとうございます!


  • 編集済

    柊さん、こんにちは。
    私もミーハーで、音楽家や画家がいたら、ついて行きたいほう。だって、どんな人なのか、どんな家に住んでいるとか、知りたい。おもしろいじゃないですか。
    この公証人のサブァルおじさんはとても素朴でよい人。同じミーハーでも、私は掃除なんか頼まれたらすぐに切れて帰るけど、おじさんは掃除だけではなく、買い出しをしたり、パーティの準備。画家のロマンタンはパーティをするって言ってたけど、全然、用意をしていないんじゃないの。まあ、画家(ボヘミアン)は夢は見るけど、計画的じゃない人が多いものね。
    そこに彼女が現れたり、酔っぱらった招待客がやってきて。でも、人のいいおじさん、飲んで歌って踊って大騒ぎ。気がついたら真っ裸で寝ていたのでした。
    ほうほうのていで町に帰り、「画家っていうのは、低級だ」なんて言っているのですよね。

    まるで短篇コメディ映画のよう。はじめから終りまで、絵が浮かびます。やはりモノクロがいいな。この役には演技力が必要。最後はおじさんが文句を言いながら、それでもパリのクレージーな一晩を懐かしがっている表情で、Fin。
    好きです、この作品。

    作者からの返信

    九月さん、コメントありがとうございます!
    憧れの人をもっと知りたいって気持ちはきっと誰にでもありますよね。でもこの話のように知らない方がよかった……なんてこともあるかも(笑)
    モーパッサン自身もノルマンディー出身ですけど、田舎でだけ活躍できる人の井の中の蛙状態を皮肉ってるところありますね。あとパリの人の軽薄ぶりもよく分かっている(笑)芸術に憧れているけど公証人という面白みのない仕事をしているギャップも面白いです。でもこのムッシュはなんだか人間くさくて可愛いですね。
    そういえば「Chez Maupassant」というシリーズがYouTubeにあって、モーパッサンの短編をドラマにしているんですが、この短編も入っています(白黒じゃないですが)。このシリーズ、セリフなどかなり脚色しているので原作どおりじゃありませんが、衣装や舞台は当時の雰囲気がよく出ているんじゃないかと思います。もしも興味があったらちょっと観てみてください。

  • 今、日本は長寿社会だからこの感覚、「あるある」って感じる人も少なくないんじゃないかなあ。あと、子供が結婚していない、っていうのも、別に現代に限った現象じゃないんだなあと。

    ほんとに、基本的に人の営みって変わらない、と思う。

    作者からの返信

    こちら返信していなくてごめんなさいm(__)m
    農夫の男の立場って確かにそうですね。仕事と介護、そのお金、それが全部目の前に迫ってくる状態は現代人のほうが身にしみて感じるかもしれません。
    この介護の婆さんも、死がお金に見えてて怖いなと思いますが、これも人間の営みのひとつ、ということになってしまうんですよね、きっと。

    編集済
  • この話は大好き! めちゃくちゃかわいい!

    作者からの返信

    かわいいですよね! 
    希少価値なハッピーエンド

  • ほんと、この奥さんの気持ちがよくわかる。結局、誰と結婚してもあんまり変わんないのよね。だったら自分のことを一番好きでいる人と結婚した方がいいよね、マジで。

     などと一人思う。

     

    作者からの返信

    月森さん、コメントありがとうございます!
    うーんなんか深みがある。。時間が経って分かることのひとつですね。。大人の言うことは聞くものだと最近思う。

  • 「私みたいな美人でやりくり上手な奥さんもらっといて、何が二つだけ欠点、よ。冗談じゃないっつーの。安月給のくせに、ほんと偉そう。観劇ぐらい、喜んで行かせられないわけ? 安いジュエリーぐらい、気前よく買わせてくれないわけ? 財布も気持ちも寂しい男。だから私、浮気したのよ。
     私の不貞を怒るんじゃなくて自分の小ささを反省したら? あんな安月給でもいい生活させてやったのよ。私に対する感謝もないわけ? あんたには不釣り合いなくらいの遺産を残してやったのに。
     これだから貧乏人の小役人は嫌なのよ。それに比べて私の恋人ったら、とても優しかったわ。私が人妻だって知ってても惜しげもなく高価なジュエリー、プレゼントしてくれたんだから。

     ダンナに未練はないけど……恋人にはもう一度会いたい……」


    ……と、天国で奥さんがおっしゃってました。

     

    作者からの返信

    月森さん、コメントありがとうございます。これはまた辛辣な女心ですね(笑)奥さんの心中が書かれていない分、色々と想像できそうです。
    僕はこの奥さんは決して夫が嫌いだったわけではないと思うんです。ただつまらない男なのは事実。一応小役人の妻という、貧しいながらも安定した座をキープしつつ、金持ちの男とのアヴァンチュールもこなす私、という状況を楽しんでいたのでは。いいものを食べられたのも彼女のお小遣いで、夫に疑われない程度に自分のしたいプチ贅沢をしていたのかな、と。この人は本当はクルティザンヌあたりが似合っていたのかも知れませんね。


  • 編集済

    柊さん、こんにちは。
    この夫は「思いやりの心」が全くないわけではないのですが、寒さに強く、アウトドア大好き人間で、寒がりに対する「思いやりという器」の容量が小さいのですよね。私は今、「世界を変える運命の恋」を書いているところで、軸になるのが「(青年の相手に対する)思いやり」です。思いやりのやさしい心って、生まれつきなのでしょうかね。

    さて、この女性のほうは、日本人に似ていると思いました。夫のほうには「暖房を買ってください」とは言ってはいるのですが、本人が思っているほど、メッセージは伝わってはいないのでしょう。でも、夫から「風邪をひいたことがないじゃないか」と言われた一言がぐさりときて、雪の中に胸までつけてしまうという大胆なことをします。
    外国の女性は(概して)いつも口論しているので、離婚しても、友達関係になれたりする場合が多いと聞きます。日本人女性の場合には、耐えられるところまでじっと耐えますが、ある時、それが切れて爆発して、それっきり。離婚したら、二度と会いたくもないというケースが多いと聞きます。夫のほうは、今までうまくいっていたはずなのにと茫然とするみたいですが・・・・。

    私が先生の小説をもとに何かを書くとしたら、こんなふうにしたいです。
    あったかい南フランスに療養に来ている女性がいます。彼女は死期が近く、両親は死に、子供もできなく、悲しい運命なはずなのに、とても幸せそうです。
    なぜなの、と私(著者)は思います。
    でも、「パリが初雪」だと知ると震え、夫からの手紙がきても、迷惑そう。「急いで帰ることはない。ゆっくり療養しなさい」というやさしい手紙なのに。
    それを不思議に思った私が、彼女のことについて書く、というストーリーに(笑)

    作者からの返信

    九月さん、コメントありがとうございます。
    そうですね、思いやりがないというより、自分に理解ができないことに気持ちが行き届かないんでしょう。こういうタイプはフランスに多い気もします。(というか多分日本以外の国の人ってこういう風ではないでしょうか)
    相手に対する気遣いの方向性が日本と他の国では違うかも。
    自分が求めることはその場ではっきり言わないと通じない、これは日本の「察する」のとは正反対ですね。たしかに最後まで溜めこむ奥さんは日本人ぽいのかもしれません。
    ズレたものを修正するのにどちらかが極端な行動に移らなければならないなら、最初から無理な二人だったのかも、とも思えます。
    九月さんの二次創作だともうひとりの目線があって、客観的に二人をとらえることができそうですね。この短編だとモーパッサンは若干奥さん寄りに描いているように見えます。

  •  これは教訓ですね。
     どうやらオーシュコルヌはもともと嫌われていたらしい。そして自分がなんで嫌われてるかもわからない。ここですでに軽蔑される対象に自分を貶めている。その上で、ですが。
     集団の中ではきちんと自分の立ち位置を把握しておかないといけませんよ。自分の立ち位置がわかったら、自分より強い人に逆らっちゃいけませんよ。どうやって勝つかも知らない者が強い相手に挑んではいけないのです。

     だから、君たち、賢くなりなさい。そうなれない者は権力である我々にはたてついてはいけないのです。大人しく、政府の言うとおりにしなさい。それが正しい市民の在り方です。

    ……というのを教えるために、教科書に載せてるんじゃないんですか?(ただの皮肉です)

    (こんなこと書いちゃって今回こそマジで嫌われる、と覚悟を決める月森)

    作者からの返信

    月森さん、コメントありがとうございます。
    自分の立ち位置を分かっていなきゃいけない、ってのはなるほどですね。そして自分より強い者に逆らっちゃいけないっていうのも。その論理で行けば権力のあるもの、政府の言うとおりに、ってところまで通じて行くかもですね。
    この話に関しては、僕は権力者より世間に逆らうなってことかと思いました。なんかこう、SNSとかで悪者にされて、何を言っても叩かれる人みたいな。清廉潔白な人なんていないはずなのに、ボロを出した人に対してはわりと自分を棚に上げてボコボコにしますよね。この村人たちはそういう、匿名の多数の人たちにも見えます。
    ただ、この話を教科書に載せる理由があんまり分からないです。変な話、空気を読んで妙な主張をするなというのが教訓ならやばい教科書になりますね。……あれ、もしかしてそれが狙い?(笑)
    まあ、ひとつだけ言えることは、教科書を作る人には先生の作品を権力者のプロパガンダにはしないで欲しいってとこですかね(笑)

  • 私の考察。女目線ですよ。

     これ、女の子の方は絶対「気持ち悪い」、って思ってたはず。一応厳格なお父さんがそばにいるし、失礼なことしちゃいけないな、とか、こんなところで怒らせて暴力振るわれても怖いし、って思って我慢してたけど。

     で、いざ別の男と結婚してみたら、ラブラブ期間なんか一瞬で、あとは毎日をこなしていくだけ。こんなはずじゃなかったのに、もっといい人生があったはずなのに。もっといい男がいたはずなのに。とそこで、そういえば、私にもロマンチックな時期があったじゃない。モテたじゃない。と思って手紙を出してみたら男はいまだに自分のことを思っている様子。そこで女は「私、まだ捨てたものじゃないわ。その気になればまだいけるのよ」と、自信を取り戻し、また毎日をこなしていける。で、一年たって手紙をやりとりしたら、男はまだ私を好きみたい。そこで自分の中の「女子」をチャージして生活を乗り切る。

     ごめんよ、男性諸君。

    作者からの返信

    月森さん、コメントありがとうございます!
    ひでえ🤣笑いすぎてお腹痛かったです🤣もうね、モーパッサンが泣いてますよ。俺様がせっかくロマンチックに極限状態の愛を語ったというのに、根元からひっくり返してくれちゃって。
    女目線だとここまで変わりますか。まあ確かに18歳ぐらいの女の子には30歳の男は怖いですよねえ。触るな!って感じですよねえ。お父様がいてよかったです。
    にもかかわらず、その記憶を掘り出して退屈な人生の「女子チャージ源」にしちゃうんですね。ああ、男は哀れなのか阿保なのか(笑)
    月森さんの解釈めちゃ面白かったです。またよろしくお願いします!

  •  昨日もコメントしたのに今日もさかのぼってコメントするってちょっと粘着質みたいで自分でもイヤなんですけど、お許しください。

     最初の部分は、映画「クリスマスキャロル」のスクルージっぽいな、って思いました。あと、家具のくだりは、ディズニー映画の「美女と野獣」みたいですよね。あれは家具が歌ったり踊ったりするだけで、出て行ったりはしないんですが。

     でもね、考えちゃったんですよ。「ああ、少し狂い始めてるのかもしれないな」って思いながらこういう妄想を少し離れた所から見つめている自分、ってどんな感覚なんだろう、って。自分もその妄想の中に入り込んで狂っちゃったほうが楽かもしれないな、とか、周りは大変だよな、とか、まあ、そういうことを考えると苦しいですね。そしてこういうのってきっと紙一重で、自分たちだっていつそうなるかわからないところにいて、それに気づかずに生活してるんだろうな、って。

    作者からの返信

    月森さん、
    いえいえ、再度コメントくださって嬉しいです、ありがとうございます!
    裕福な独身男でかなり難しい性格であるってところはスクルージっぽいですね。内向的というのはモーパッサンの怪奇系主人公の共通事項のような気がします。ただ今回は「オルラ」とかとは違って周りの人も多少巻き込んでいて、それでも理解されないだろう狂気を第三者的にも見ていると思います。なので仰ったような少し離れたところから見ている自分がよく分かります。ひたすら不安を描いているのに家具が出ていくところとか妙に滑稽で、机に突き飛ばされたりとか、シニカルな可笑しさがありますよね。でも彼は入り込んで楽になれるタイプではないんでしょうね。だから最後まで怯え続けることになるんでしょうが。。

  • 柊訳も面白いし解説もついててありがたいんだけど、だからこそ、原書の感じを自分で読んで理解してみたいなあ、と思うこの頃。
    この作品は特にそう思う。文章から滲み出る狂気を感じられるか、とか、全くそういうのは無しに書かれてるのか、とか、自分で直接感じたい。
    ……さすがに今さら新しい言語の習得は無理ですけど。笑

    原書と訳との違いって大きいですよね。空気感、みたいなものとか。「居酒屋」のディスカッションの時にそのことに気づいてしまって。

    作者からの返信

    月森さん、コメントありがとうございます!
    自分で直接感じたいって、めちゃめちゃ分かります。翻訳には限界がありますよね。フランス語はわりと理論的な言語だと思います。それで、日本語はもっと情緒的なので、理論的に書かれている狂気や感情の機微を日本語にすると雰囲気がカタく感じて入りづらくなる、という気がします。
    多分うまい翻訳者は文章そのものを訳すより原書の空気感をもう一つの言葉の空気感に合わせて訳せるんだと思います。でもそうすると多少の意訳も入りそうで、そうすると訳者のフィルターがかかるので……うーん、難しいですね……

  • こんにちは。
    思い出していたのは、たしか大先生には「幸福」という小説のことです。ある紳士が旅していて、コルシカで道に迷い、僻地でふたりでだけで住んでいる老夫婦のところに泊めてもらうことになります。夫は認知症だったかな。老女のほうは紳士と同じ土地の出身だということがわかりました。紳士は、昔、貴族の令嬢が兵隊と駆け落ちしたという話を思い出します。老女はまさにその令嬢でしたが、こんなみじめに見える生活でも、とても幸福なのでした。紳士が旅から戻って、友人たちにその話をすると、その女性は不幸だとか、そういう話になります。でも、幸福というのは客観的ではなくて、主観的なものだ・・・そんなストーリーだったと思います。

    こちらの一冊は、それの子供版で、先生はどのように書かれるのだろうと思って読み始めました。
    子供はもらわれるより、実の親のほうで育ったほうが幸せに決まっていますから、そういう話になると思っていました。でも、違いましたね。「最も出来がよく最も残酷な短編のひとつ」、さすがに最もできがよいと言われている小説でした!

    ところで、「こんな親を持った子どもは不幸だ。俺はこんな風に生まれたくなかった」と21歳のシャルロは思うのですが、人生はわかりませんよね。不幸だと思っていたことが幸福への鍵だったり、その逆だったり。31歳 の時、41、61歳の時のシャルロはどう思うのでしょうか。
    これって、二次小説が書けそうじゃないですか。
    たとえば、41歳頃、シャルロとジャンは再会することにしたいです。あんなに幸せに見えた21歳の時のジャンだって、実は何を思っていたか、その時にわかります。幸せは客観的なものではなく、主観的なものですからね。
    先生の作品はそこでスパッと終わるのではなくて、そこから広がっていけるのが特徴なのではないかと思いました。



    作者からの返信

    九月さん、コメントありがとうございます。
    「幸福」これもいい話ですね。幸せとは客観的じゃなく主観的なものだ、というのに同感です。いつかこれも挙げてみようと思います。

    この話も幸福とはなんだろうと考えさせられますね。実の親が一番、という神話をくつがえすようなシャルロの本音は鋭く、それをぶつけられる親の気持ちとか、色んな立場で色んな見方ができるのが深いなと思います。
    10年後20年後というのは考えたことがなかったので、九月さんの二次小説のアイデアとても面白かったです!もし二人の子どもが再会したら、もっと奥にある本音が出てくるかも……その間の人生で何かが変わっているかも知れないし……想像すると本当に広がって行きますね。
    先生の作品はそこで終わるのではなくてその先を想像させる、というご意見に頷きました。

  • 滑稽で面白いお話ですね!
    あそこまで欲しかったんだから、まあ良かったんじゃないでしょうか。
    (^^;)
    妻を寝取られたことに一生気付かなければ。

    作者からの返信

    陽咲乃さん、コメントありがとうございます!
    これも一応ハッピーエンドってことになるんでしょうかね(^^;
    見ぬこと清し、夢が叶ってよかった?です(笑)

  • 柊さん、こんにちは。
    いやいや、このふたりはアブサンを飲んで、やっちゃいましたね。プロイセンの指揮官が、「これを生きてるうちにフライにしてくれ。きっと美味いだろうよ」というところが、ぞっとするけれど効いています。
    画家や詩人で、普仏戦争に参加した人は何人もいて、特にフレドリック・バージルの話は悲しい。彼は28歳で戦死してしまいましたが、生きていたら、モネやルノワールと肩を並べていたと考えられています。その作品はオルセーにありますよね。
    訃報がはいった時、父親がすぐに戦場に出かけていって息子の遺体を見つけたのですから、言葉がないです。
    そのこと、書いてみようかな。
    柊さんの評論やエッセイを読むたびに、書いてみようかなという気になるのはどういうわけでしょうかね。

    作者からの返信

    九月さん、コメントありがとうございます。
    モーパッサンの話を読んでいるとあちこちでアブサンが出てきますね。きっと安くて手っ取り早く酔える酒だったんだろうな、と思います。
    プロイセンの指揮官の最後のセリフは、戦争は人をここまで狂わせるんだなと思います。
    僕はその画家を知りませんでしたが、28歳で戦死なんて本当にもったいない。命も才能も。子どもに先に死なれる親も。ちょっと想像しただけでぎゅっときますね。
    九月さんはきっとたくさんの引き出しを持っておられるんでしょう。僕の書いたものが少しでもその引き出しを刺激できるんならとても光栄です!

  • ベートーヴェンの『月光』が聞こえてきそうな、幻想的な話だと思ったらホラー要素もあってさすがモーパッサン先生ですね。
    原作は五感を刺激される美しい文体なのでしょう。
    ラストはもはや第六感を働かせちゃう怖さです。まさに墓場。

    柊さんの解説のおかげで、こちらの作品も興味を持てました。
    ありがとうございます。



    作者からの返信

    ハナスさん、コメントありがとうございます!
    月明かりしかない真夜中に起こる出来事なので、色んな感覚が研ぎ澄まされてどんどん敏感になっていくんでしょうね。特に聴こえるものに恐怖を覚えるのは、暗闇ではやっぱり聴覚が鋭くなるのかな、と思います。
    ラストはホラーですが自然への畏敬も感じますね。
    こちらこそ、お読みくださってご感想も、ありがとうございます!