魚が大量に釣れて喜んでいるシーンで、きっと人の死体がたくさん沈んでいるからなんだろうな……と思ってしまいました。そんなことをすぐに考えてしまう自分がちょっと嫌です。
市井の人の普通の生活が奪われる、これが戦争だということ、もっともっとたくさんの人の読んでもらいたい物語ですね。
モーパッサン先生の多彩な作品、そしてそれをユーモアたっぷりに風刺も効かせて伝えてくださる柊さん。素晴らしい組み合わせに感謝です!
作者からの返信
鐘古さん、コメントありがとうございます。
なるほど細部の方まで想像されたんですね。そしたらこの展開もきっと先にお分かりになったんじゃないかなと思います。
庶民の生活が奪われる、という光景が今まさに繰り広げられている最中ですね。この状態をモーパッサンが知ったらどれだけ軽蔑するだろうと思います。先人が書いた物語はそういう意味でもたくさんの人に読んで欲しいですね。
大作家の作品を紹介するのは畏れ多いことですが少しでも読んだ方の印象に残れば、と思います。こちらこそ有り難いお言葉に感謝です!
柊さん、こんにちは。
いやいや、このふたりはアブサンを飲んで、やっちゃいましたね。プロイセンの指揮官が、「これを生きてるうちにフライにしてくれ。きっと美味いだろうよ」というところが、ぞっとするけれど効いています。
画家や詩人で、普仏戦争に参加した人は何人もいて、特にフレドリック・バージルの話は悲しい。彼は28歳で戦死してしまいましたが、生きていたら、モネやルノワールと肩を並べていたと考えられています。その作品はオルセーにありますよね。
訃報がはいった時、父親がすぐに戦場に出かけていって息子の遺体を見つけたのですから、言葉がないです。
そのこと、書いてみようかな。
柊さんの評論やエッセイを読むたびに、書いてみようかなという気になるのはどういうわけでしょうかね。
作者からの返信
九月さん、コメントありがとうございます。
モーパッサンの話を読んでいるとあちこちでアブサンが出てきますね。きっと安くて手っ取り早く酔える酒だったんだろうな、と思います。
プロイセンの指揮官の最後のセリフは、戦争は人をここまで狂わせるんだなと思います。
僕はその画家を知りませんでしたが、28歳で戦死なんて本当にもったいない。命も才能も。子どもに先に死なれる親も。ちょっと想像しただけでぎゅっときますね。
九月さんはきっとたくさんの引き出しを持っておられるんでしょう。僕の書いたものが少しでもその引き出しを刺激できるんならとても光栄です!
柊さん、こんにちは😊
何気ない日常のささやかな幸せが、バッサリと切り捨てられる、そんな無常さが、ピチピチと跳ねる魚と対照的に描かれて心を抉られる思いです。
戦争が、全てを変えてしまう。周りの景色や心までも。
残酷すぎるほどの残酷さで迫ってきますね。
戦争は、何のために?
そう問いたくなります。
作者からの返信
この美のこさん、こんにちは😊コメントをありがとうございます。
普仏戦争の話の中でも、庶民が犠牲になる物語ほどやるせなくて抉られる思いがします。
仰るとおり、色んなところでの明暗のコントラストが冴えていますよね。最後の魚釣り、二人はさぞ幸せだったろうと思うと……これも涙腺にきます。
戦争経験者の描く戦争には妥協がなくて説得力があると感じます。辛い話ですが、こうして残してくれるのはありがたいと思います。
まさかそのままお別れだとは……。:゚(;´∩`;)゚:。でもこれが戦争の姿なのよね。人の命を奪うことが勲章になる時代、敵の命も魚の命も、プロイセンの指揮官にとっては同じなのかもしれません。それぐらい麻痺しないと戦争なんてできないのかも。
モリソーさんとソヴァージュさん。二人が天国で釣りをしているに違いないという言葉は、モーパッサン先生の言葉?それとも柊さんなのかな?
二人はモーパッサン先生の創作の人物ですけれど、実際に戦争で犠牲になった市井の人々。その魂が安らかであるよう願ってしまいます。
作者からの返信
遊井さん、コメントありがとうございます。
この話はちょっと堪えますよね...。敵の命も魚の命も同じ、本当にそういう感じだと思います。
先生は兵隊の経験があるだけに人の感覚が麻痺した場面を沢山見てきたんじゃないでしょうか。
天国で釣りをしているというのは僕の希望的な感想です。犠牲になった市井の人たちがせめて安らかに眠っていてくれたらと思いますね。
編集済
戦争を語るとき、大義だとか国防だとか、そんな抽象的なものを取り上げると見えないものが多く出てくるように思います。おそらく実際的な戦争とは、大震災のようなものが『人為的』に毎日繰り返される、狂気の世界。さっき見ていた景色は一変し、昨日話した人はおらず、明日のことなど約束されない世界。この常軌を逸した世界でまともにいられるのは、ただ常軌を逸した者のみ。狂うことの出来ぬ者は、狂気のなかで怯えながらただ死を待つのみ・・
モーパッサン先生がみせた二人の小市民の姿は、我々の姿。殆んど全ての人間が辿り得る姿。だから、ざわざわと心が動くのでしょう。
素晴らしい解説を、ありがとうございました!
作者からの返信
コメントありがとうございます! どんな風に書いたか読み直すたびに拙いなあと反省しきりなんですが、意図するところを的確に読み込んで頂けることに感謝です。
昨日と今日とでは景色が違う、ということが人間の手によって行われる狂気。しかも一握りの人間が操るものでしかないのに、その狂気に命を落とすのは力のない庶民という、戦争の本質が描いてありますね。
この話では回想のシーンも入れてあるだけに現在の状況がより無味乾燥に感じられ、そしてその中でいっときの喜びを味わってからの処刑という、明と暗が交錯しているところも非常に巧みです。プロイセンの指揮官が魚をフライにしろと命令するラストには冷たいものが走ります。
登場人物に自らを重ねやすいだけに、こういう庶民視点の話はよりじわりと迫ってきますね。
こちらこそ丁寧なご感想を本当にありがとうございます!
太陽に照らされピチピチと跳ねる魚と対照的に、自分たちの死を感じて
気が遠くなり……泣いてしまったのかなと思いました。同時に普通の暮らし、平和な毎日が失われた事への救いようのない哀しみも伝わります。
二人の命を奪った後、フライを美味しそうに食べる指揮官の姿を想像したら何とも言えない気持ちになりました。腹立ちますね。
モーパッサンが庶民の犠牲を悼んでくれたような作品でした。
作者からの返信
跳ねている魚の使われ方がすごく効果的で、これから殺される彼らの心が痛いほど伝わります。それぞれに人生があって生活があった人たちが虫けらのようにあっさりと殺される展開も、容赦がないけどこれが現実だと見せつけられます。戦争の話でも、こういう庶民の姿を描いたものはやるせなさをとても身近に感じさせますね。
こうやって用意させた魚フライ、本当に美味しいんでしょうかね。味覚も狂ってしまうのかな。
コメント、ありがとうございます。ペコリ。
セーヌ河に浮かぶ小さな島で、気の合う友人と一日じゅう魚釣り……理想的なスローライフでしたのに、心落ち着く幸福を戦争に壊される残酷さ。罪の無い人が争いに巻き込まれる光景が心に堪えます。
「これが生きるということですよ」
「いや、むしろこれが死ぬということですよ」
ソヴァージュとモリソーの遣り取りが痛切でした。
感覚を歪められたプロイセンの指揮官もまた戦争の餌食です。
ところで、男装のサンドを御覧になられたのですね❤ ドレス姿も美人ですが、男装はオスカル様を彷彿とさせてカッコイイですよね!(^^)!
作者からの返信
コメントをありがとうございます。
戦争が始まる前ののどかな描写が差し込まれているので、戦時中の重たく息のつまる生活の中で久しぶりに釣りをする二人の刹那的な喜びが伝わってきます。その後の展開を知らずに読んだ時はダメージが大きかったです。
二人の会話に含みがありますね。何かが麻痺してしまっているプロイセンの指揮官も仰る通り戦争の餌食なのだと思います。
サンドの男装は絵を見たんですよ。ベストとか、当時の服装が余計にかっこいいですね。すごく目立ちそうですけど(笑)
この話、とても印象的でした。
救いようのない悲しみと憤りを感じます。
たまたま大漁だった、けれどその代わり逃げる暇もなかった。
人生最大の幸と不幸がいっぺんにやってきたようです。
「釣りをしていても殺されない世界」が続くことを切に望みます。
モーパッサンはジャンルが本当に幅広いですね。
人間のあらゆる面を描き出す才を感じます。
作者からの返信
この話つらいですよね。
戦争を題材にした話は特にそうですけど、釣りでもなんでも、普通のことが普通にできる世界って、当たり前のようで貴重なのかなと思ったり。いや、それが当り前じゃないといけないはずなのに、と思ったり。自分たちが知らないうちに変な方向に動いていく世の中は怖いです。
戦争を取り上げるとモーパッサンはすこしだけ内容が感情的になるような気がします。人間ですもんね。
コメント、ありがとうございます。
罪なき人の命を奪う戦争は無慈悲で残酷ですね。現代の戦争、ウクライナ侵攻でもガザ紛争でも死者や犠牲者が増え続け、多くの子どもたちの命も危険にさらされ続けていることはほんとうに胸が痛みますし、悲しい気持ちになります…。
作者からの返信
中澤さん、コメントありがとうございます。
その通りですね、国が勝手に決めたことで犠牲になるのは結局一番弱い立場の人間で、それはいつの時代でも同じですね。過去から何の教訓も得ずに今も同じことが繰り返される現実が辛いです。