戦渦に散った親友たち「ふたりの友 Deux Amis」

 久しぶりに普仏戦争を題材にした話を取り上げます。といっても、これは兵隊や娼婦の話ではなく、一般の人々の話。普通の生活を送っていた市井の人たちが戦争によっていかに人生を壊されるか、という物語です。


 舞台は戦渦のパリ。1871年1月、街はプロイセン軍によって包囲され、人々は職を失い、飢えに苦しみ、口に入るものなら何でも食べた…。と始まります。

 外郭通りを行く男、時計屋のモリソーもそんなパリ市民の一人。ぺたんこの腹をかかえ、ポケットに手を突っ込んで力なく歩いている。

 彼は向こうからやって来る男を見てハタと足を止めます。それは釣り友達のソヴァージュさんでした。


 戦争が始まる前、モリソーは毎週日曜日に釣りをするのが楽しみでした。パリ郊外のセーヌ河に浮かぶ小さな島に出かけては、夜明けから陽が沈むまで魚釣り。彼はそこでソヴァージュさんに出会ったのです。

 ソヴァージュさんは小柄で太った陽気な小間物屋の男でした。二人はよく隣同士で釣りをしたものです。並んで腰かけ、足をブラブラさせながら釣り糸を垂れている時間は、会話をしなくてもお互いに気持ちが通じ合う。ほんの少し話をするだけでも「あ・うん」の呼吸で相手の言いたいことがよく分かる。そんな友情で結ばれている仲でした。


 通りで再会した二人は現在の状況を嘆き合います。そして飲み屋で空きっ腹にアブサンを流し込み、あの懐かしい釣り三昧の日々を思い返します。あの頃は平和だった……。


「なあ、今から行こうじゃないか」

「なに?」

「釣りだよ。我々の島にさ。あそこの前哨部隊にいる大佐は知り合いなんだ。わけなく通らせてくれるよ」

「乗った!」


 酔った勢いも手伝ってか、戦争中にも関わらず二人は釣り道具を背中に、フランス軍の大佐にお目こぼしをもらって「いつもの場所」へ向かいます。


 景色は変わり果てていました。春の朝に、秋の夕暮れに、二人が愛でた美しい風景は、何もない灰色の土地に変わっていました。

 プロイセンめ!

 二人は見たことのない敵に憎しみを覚えます。

「ちょっくらご挨拶してやろうじゃないか」

「魚フライでも食わせてやるかい」

 なんて悪態をつきながら、でも敵に見つからぬよう慎重に、二人は釣り場へ着きました。


 そしたら釣れること釣れること!

 次から次へと魚がかかる。水に浸した網の中にそうっと獲物を入れてはまた釣り糸を垂れる二人。こんな大漁は初めてだ!

 まるで長い間禁じられていた喜びを取り返したかのように、二人は我を忘れて釣りに夢中になります。背中にはあたたかな陽ざし。今は何も考えない。他のことなんて忘れてしまえ。ただ釣ること、それだけがすべて。


 突然向うの山から大砲の音が。あっという間に煙に包まれる山。あそこでまた何人の命が奪われているのか。こんな風に戦争をするとはなんと愚かなことか! 希望も夢も命も何もかもが奪い去られていく。

「これが生きるということですよ」

 ソヴァージュが言うと、

「いや、むしろこれが死ぬということですよ」

 モリソーは力なく笑う。


 その時です。

 背中に人の気配が。

 恐る恐る振り返ると、そこには銃をこちらに向けた4人のプロイセン兵たち。


 ……二人は、連行されてしまいます。


 連れて来られた先には敵国の指揮官が待っていました。

「どうだい、大漁だったかい?」

 パイプをくゆらせながらニヤリとして指揮官は続けます。

「お前たちがスパイだということは知っている。フランスの前哨部隊を抜けてきたということは、戻るときの合言葉があるはずだ。それを教えろ。さもなくば、お前たちの命はない」

 震えあがる二人。12人の兵隊が銃を持って彼らを取り囲みます。

「さあ言え」

 二人は押し黙ったまま、何も答えない。それならと一人ずつ呼んで尋問するが、モリソーもソヴァージュもひと言も口をきかない。

 業を煮やした指揮官は兵隊たちに命じます。

「構えろ」


 その時、草の上に放り出された魚の網がモリソーの目に入りました。銀色の魚たちは太陽の光に輝き、まだピチピチと跳ねている。それを見てモリソーは気が遠くなっていきます。懸命にこらえるものの、涙があふれてきます。


「さよなら、ソヴァージュさん」

「さよなら、モリソーさん」

 固く手を握り合う二人。でも、頭のてっぺんからつま先まで、どうしようもなく震えていました。


「撃て!」

 12発の銃声が響き、彼らは折り重なるようにして倒れ、息絶えました──。


 兵隊たちは二人の死体を河の中へ投げ込みます。放物線を描き、石をつけた足元から水しぶきを上げて沈んでいく体。大きな波は間もなく静まり、水の上には少しだけ血が浮かび上がりました。


「さて、と」

 指揮官は草の上の網に入った魚たちに目を留め、料理担当の兵隊を呼びます。

「これを生きてるうちにフライにしてくれ。きっと美味いだろうよ」

 そしてまたパイプをゆっくりとふかし始めたのでした──。



 戦争の話で一番こたえるのは、こういった罪もない市井の人たちの「普通の生活」が奪われていく場面。二人の親友、日曜日の魚釣り、平和だった毎日。美しかった風景は荒れ果て、市民のささやかな暮らしはいとも簡単に大砲の煙に消える。これが戦争だと作者は声を大にして語りかけます。そして人間の感覚が狂っているとしか思えないプロイセンの指揮官。これもまた、戦争がそうさせるもの。


 モリソーさんとソヴァージュさん。戦時下でつかの間の幸せを噛みしめた彼らは、自分たちの大好きな場所で命を落としました。

 

 二人はきっと今頃、天国で仲良く魚釣りをしているに違いありません。



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