愛した女はレスボスだった──「ポールの恋人」②

 このポーリーヌ率いるレスボスの一行ですが、どういう人たちなのかというと、「公然の秘密で女性をもてなす」お仕事をしています。仕事って言っていいのか分からないけど、彼女たちはこのセーヌ河のそばに家を借りていて、お忍びでやって来る女優や高級娼婦たちのお相手をするんです。


 当時だってレズビアンの女性は絶対にいたはずですからね。彼女たちは表面上はどっかの男をパトロンにしていたり、つき合ってる男性がいたりするんだけど、たまにこうやって自分の本当の欲求を満たしてくれる女たちに会いに行くんです。

 で、世間の人ってのはそういう噂をまるで週刊誌みたいなノリで話に出す。忌み嫌うのではなく、むしろ彼女たちの味方につく。彼女たちは日陰の存在でありながら、その世界に憧れを抱く者のリーダー的役割を果たしているんです。人前で男装するぐらいですからね。徹底的にやればあっぱれだということ。


 さて。

 その夜、ポールはマドレーヌを留めておくために、食事のあと早く部屋に帰って寝ようと提案します。でもマドレーヌはレスボスたちとダンスパーティに行く約束をしていると言って譲らない。

「お願いだよ、行かないでおくれ」

「あなたが行かないんならあたし誰かにボートで連れてってもらうわ」

「……分かった」


 マドレーヌから片時も離れたくないポールは、見張りの意味も込めてつき合うことにします。すっかり陽が落ちてレストランには華やかな明かりが灯り、賑やかな音楽に合わせて人々が夢中で踊っています。レスボスの姿はない。ほっとするポール君。


 しかし、彼が美しい月夜を眺めてしばしうっとりとしている間に、マドレーヌはいなくなっていました。


「マドレーヌさんなら、さっきポーリーヌさんと外に出られましたよ」

 ギャルソンにそう言われ、ポールはあわてて店の外へ駆け出します。


 探しに探して森の中をさまようポール。不安が心の中で膨れ上がり涙が出る。でも彼はどうしても彼女を見つけなければならない。絶対に彼女をレスボスの手に渡すことなんかできない。


 すると聞き覚えのある声が草むらから聞こえてきました。マドレーヌの声です。それを聞いて彼の身体に悪寒が走る。あのかすかな叫び声。それは自分だけが知っているはずの、あの悦びの瞬間の叫び声。

 そんな馬鹿な。

 近づいてはいけない。見てはいけない。そう知りながらも彼は草むらに忍び寄ります。そして、そこで彼が目にしたものは──。


 ……ああ、それがだったなら。他の男だったならまだ救われたのに……。


 ポールはその忌まわしい行為を目の当たりにして動けなくなります。「自然に逆らう罪、神への下劣な冒涜行為」を前に、あまりのショックで呆然と突っ立っているだけ。なのにそんなポールに追い打ちをかけるようにマドレーヌの悩ましい囁きが聞こえます。

「ポーリーヌ!」


 自分のことを「ポール!」と呼ぶときと同じぐらい情熱のこもったその声で、彼女はの名を囁いた。ポールは痛みに耐えきれなくなり、その場を逃げ出します。


 木にぶつかり、根っこに足を取られ、気づいたら河にいました。遠くの方からかすかにダンスホールの音楽が聴こえる。もう何も分からない。自分の存在すら分からなくなった。ポールは最後にもう一度振り返り、絶望的な気持ちでひと言、

「マドレーヌ!」

 と叫び、河の中に身を投げました。


 30分後、船乗りたちに引き上げられた彼は、もうこの世の人ではありませんでした。

「これ、ムッシュ・ポールじゃないか」

「そうだよ、ムッシュ・ポールだよ。金持ちでもこうなったら気の毒だよなあ」 


 ポールの亡骸を乗せて運んでいくボートを見送りながら涙にくれるマドレーヌ。その体を抱きしめ、口づけで慰めるポーリーヌ。

「あんたは悪くない。今日はうちにお泊り。あたしたちがついてるから」


 マドレーヌの泣き声はいつしか小さくなっていました。彼女はポーリーヌの肩に頭をもたせかけ、安全な場所に身を寄せるように女の優しさにすがり、今までにない心の安らぎを感じながら歩き始めたのでした。


 ……と、このように話は終わります。


 ポールを自殺に追いやったのは何だったんでしょう。ポーリーヌ? マドレーヌ?


 いや、それは彼の中にある偏見ではなかっただろうかと思います。それだって彼が悪いわけじゃない。彼が持っていた偏見は勝手に生まれたものじゃなく、どこかから植えつけられたものだから。

 愛する女がレスボスだと知った時、彼はみずからの偏見に圧し潰されてしまったんじゃないでしょうか。もしそれが男であったなら、というフレーズは、寝取ったポーリーヌに向けられたものではなく、本質を見せたマドレーヌに向けられた失望だった。もしマドレーヌの相手が男であれば、彼は身投げしなかったはず。


 この話には加害者も被害者も描かれていません。犠牲者がいただけ。ポールの視点で物語は進むけれど、それは決してモーパッサン自身の視点ではないと思います。作者が同性愛者をどう思っていたか、そんなことはどうでもいいのです。これも或る三角関係の一つでしかなかった。しいて言うなら、

「どうしようもないんだよ。人は自分の惹かれる人間にしか惹かれないのだ」

 といったところでしょうか。


 誰かが悪いわけじゃない、価値観の違いが生んだ悲劇。

 でも声高に何かを訴えるようなメッセージ性の強い話ではないところが、僕はかえって好きです。




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