ジンクスにつきまとわれる男「ココ、ココ、冷たいココはいかが! Coco, Coco, Coco Frais!」

 ゲンを担ぐ、という言葉がありますが、あなたはジンクスというものを信じるタイプですか? これは星占いの類とはまた違って、ちょっと統計学的なところがありますよね。経験に基づくものだから、偶然とはいえあまりにも積み重なると、気にせざるを得なくなっちゃうんじゃないでしょうか。今回はこのジンクスとやらに愛されてしまった男の話です。


 語り手である「僕」がオリヴィエおじさんを看取っているところから話は始まります。うだるような夏の日、静まり返った部屋の中でおじさんは最期を迎えようとしています。そこへ突然、通りからある行商人の声が聞こえてきました。


「ココ、ココ、冷たいココはいかが~!」

 

 ココって何? ですよね。ココナッツミルクじゃありません。説明します。

 ココ売りは簡単に言うと清涼飲料水の行商人です。背中に大きなタンクを背負っていて、中にはレモネードみたいな飲み物が入っています。これが「ココ」です。タンクについている水道栓のようなものをひねって冷たいココをコップに入れ、お客さんにその場で飲ませる。そういう商売です。スタジアムのビールの売り子に似てるかも知れない。


 その声を耳にしたおじさんは、唇をうっすらと微笑ませ、最後の喜びの光を瞳の中に輝かせてから、静かに息を引き取りました。


 遺言状の開封に立ち会った僕は、そこに書いてある意外な内容に驚きます。

『甥のピエールには猟銃購入のための500フランを遺産として遺す。それから、100フラン(約10万円)を託すので、彼が最初に出会うココ売りに、私の代理としてどうか渡して欲しい』


 え? どういう意味? 見ず知らずのココ売りに100フランもの大金をあげろって、いったいどういう了見なの?

 その理由を知るため、僕はおじさんの残した手紙を開きました。手紙にはこう記されていました。


 ──人は星回りにこだわり、様々なゲン担ぎをするものだ。私は迷信のようなものを信じてはいない。が、経験によって裏打ちされた偶然ならば信じざるを得ない。積み重ねられた偶然はあたかも星回りのごとく一人の人間の運命を左右する。私はそれを、身をもって知っている。

 はっきり言おう。私の運命は、常にココ売りと一緒にあったのだ。


 ──私の生まれた日、一人のココ売りがずっと外で呼び声を張りあげていた。


 ──8歳の時、女中とシャンゼリゼを歩いていた私は、馬車の音に気づかず交通事故に巻き込まれた。その時気を失いかけた私の口にタンクの管を突っ込んで売り物を飲ませてくれたのが、そばを通りかかったココ売りだった。


 ──16歳の時、初めての猟銃を買ってもらって上機嫌だった私の後ろをココ売りが声を上げながらずっとついて来た。その呼び声はあたかも私のピカピカの猟銃や新調した狩り用の服を馬鹿にしているように聞こえた。不愉快だったので私は無視を決め込んだ。

 翌日の狩りの結果は無残だった。私はウサギと間違えて猟犬を、ヤマウズラと間違えて鶏を撃ち、果ては鳥を撃ったつもりが農場の牛に当たってしまい、父に弁償させることになった。


 ──25歳の時、年老いて背中を丸めた一人のココ売りに会った。その男はまるで元祖ココ売り、あるいはココ売り仙人ともいうべき渋すぎる風貌をしていた。私は一杯買って20スー(1フラン・約1000円)やった。すると男は背負ったタンクの底からわき上がるような深~い声でこう言った。


「旦那様、きっといいことが起こりましょうぞ」


 その日、私は生涯の伴侶となる女性と出会った。


 ──革命後、私は成功し、富を得た。私は政治家になることを夢見た。知事になることを目的として大臣と謁見の機会を持った私は、とびっきりお洒落をして出かけた。

 ところがだ。その日は猛暑で、通りには水をまいた後の水たまりがいくつもできていた。私がそのうちのひとつを飛び越えようとした瞬間、いきなりココ売りの声が耳をつんざいた。私はびっくりして水たまりに落ちた。せっかくの一張羅はびしょ濡れになり、泥のシミがつき、帽子は水たまりの上に漂っていた。大急ぎで家に帰って着替えたが、謁見の時間はもう過ぎていた。


 要するにココ売りのせいで、私は知事になることができなかったのだ。

 ココ売りを大事にしなさい、ピエール。私が人生の最期に望むこと、それはあの呼び声を聞くことだ。そうすれば私は満足してこの世を去ることができるだろう──。


 翌日、僕はシャンゼリゼでいかにも貧しいココ売りに出会います。僕がおじさんから預かった100フランをその男に渡すと、男は驚いた顔をして、それから僕にこう言ったのです。


「感謝いたしますよ、お若いの。きっといいことが起こりましょうぞ」


 

 逃れられないジンクスのようにおじさんの人生につきまとってきた行商人の影。ここまでくると偶然で済ませられない妙な説得力があります。いっそ「ココ大明神」なんてお札でも作って身につけていたら良かったんじゃないでしょうか。

 オリヴィエおじさんは願い通り臨終の際にココ売りの声を聞きました。彼が一瞬だけ瞳を輝かせ、笑みを浮かべて亡くなった理由が、手紙の最後でちゃんと明かされています。きっと天からのお迎えの声のように聞こえたでしょうね。後光をまとった渋いココ売りがおじさんに微笑みかけてるようです。

 そしておじさんの遺言を叶えた「僕」の人生にも、もしかして……。


「冷たいココはいかが~!」



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