当たり屋に当たってしまった男「馬に乗って A Cheval」

 当たり屋という命を張った職業があるらしいですね。職業じゃないか。事故の被害者のふりして自分から車に突っ込んでいく人たち。某国の当たり屋の映像を見たことがあるけど、その芝居っ気のすごさに思わず笑ってしまいました。当たられた方はたまらないよね。恐ろしいよ。

 で、今回の話は……当たり屋。といってもあのわざとらしいのじゃなく、偶然から生まれた、「身から出た錆」的なお話です。


 エクトルさんはもともとは貴族の出身ですが、家はもう落ちぶれているのでパリの小役人をしています。モーパッサンの大好きな小役人登場。この人たちを虐めるのが彼の趣味と言ってもいいぐらい。

 エクトルはそのわずかな給料でなんとか家族を養っています。ギリギリまで切り詰めた、地味で質素な生活。ああ、苗字だけは貴族なのに……。

 

 そんなある時、彼は高額のボーナスを受け取りました。これはラッキー。

 ──そうだ、せっかくだからちょっと贅沢をして家族でピクニックに行こう。妻や子供たちは馬車で、僕は馬を一頭借りて乗って行こう。昔はこれでも父の屋敷で乗馬をしたものさ。馬ってのは一度手なずけりゃわけない。気の荒い馬ほど燃えるね。僕の乗馬テクニックを見せてやるよ。

 と、家族全員の前で大風呂敷を広げます。


 当日借りた馬は望み通りちょっと気性の荒い馬でした。エクトルはギンギンに緊張して顔を引きつらせながらも、家族の手前余裕をぶっこいて馬にまたがり、ピクニックに出かけます。ピクニックの間も馬を気にしてパンだのお菓子だのをやり、すっかり飼い慣らしたつもりのエクトル。で、帰りは予定通りシャンゼリゼを闊歩することにする。だって注目してもらえるもん。

 しかし。

 凱旋門を通過したあたりで馬の様子がおかしくなります。大通りを埋めつくす馬車と人波に興奮した馬は、いきなり猛ダッシュし始めるのです。主人が止めるのも聞かず勝手に走り続ける馬。もう運転不可能。助けてーー!

 馬がグインと右に曲がったところに、エプロン姿の老婆がゆーっくり道路を横断していました。危ない! ぶつかる!


 ぽーん。


 老婆飛んでいきました──。


 幸い老婆は命を落とさずに済みました。65歳のシモンさんという女中だったようです。彼女を診察した医者は、ちょっとリハビリさせれば大丈夫だろうと言う。一日6フランの施設があるからそこに入院させて回復を待ったらどうですか?

 ああ助かった。エクトルは胸をなでおろします。婆さんはすぐに治る。なんてことない。なんてことない!


 翌日シモン婆さんを見舞ったエクトルは、彼女が食欲旺盛にスープを平らげてるのを見て声をかけます。

「どうですか、具合は?」

 そしたらシモン婆さん、突然哀れな声を出し、

「ああ~もうわたしダメです~! 全然よくならないんです~!」


 ええ? さっきうまそうに脂っこいスープ食ってたじゃん。

 でも医者はもうしばらく待ってみる必要があると言います。


 3日後に訪れたときは、肌つやもすっかり良くなって目なんかキラキラしちゃってるんだけど、エクトルを見た途端に、

「わたしもう動けないんですよ~。ダメだわ~、もう一生このままここで暮らさなきゃいけないわ~!」


 それを聞いたエクトルはゾーッとします。医者を捕まえてどういうことなんだと訊いても、

「だってえ、あの人が動けないって言うんだもの。信じるしかないでしょう。ちょっと触っただけで痛い痛いって大騒ぎですよ。もう大変なんだから。あの人が歩いてるところを見ない限りは、我々だってあれが芝居だなんて言えませんよ」

 

 それから8日たち、2週間たち、1か月たっても、シモン婆さんは相変わらずひじ掛け椅子にどっしりと座ったまま。栄養がいいからすっかり太っちゃって、患者仲間と楽しくお喋りしちゃって、もう入院生活を満喫しまくりです。そりゃ当然だ。これまでの50年間に及ぶつらい女中奉公の末に掴んだ、上げ膳据え膳の生活だもの。手放すはずがない。

 エクトルは毎日婆さんの様子を見に行きます。すっかりご満悦のところを見計らって彼が声をかけると必ず例の調子で、


「もうダメなんです、まったく動けないんです~!」


 エクトルがげっそりとして家に帰ると、妻が「で、シモンさんは?」と訊くのが日課になっていました。その度に彼は、

「何も変わらん!」

 1日6フランの入院費は家計を圧迫します。女中には暇をやり、苦しいふところをさらに切り詰める日々。奥さんかわいそう。


 ある時高名な医者を連れてきて徹底的に検査させたエクトル。しかしシモン婆さんのお芝居の方がずっと上手だった。医者は仕方なく「労働不可能」のお墨付きを与えてしまいます。

 ていうことは、これからもずっと……?


 それを知った妻は椅子に崩れ落ちます。

「こんなことになるなら最初からうちで引き取っていればよかったわ。そしたらここまで高くつかなかったのに」

「ええ? うちで? なんてこと考えるんだい」

 すると妻は泣きながらこう返すのです。

「どうしろって言うのよ、こうなったのは私のせいじゃないわ……!」


 そうですね、そもそも誰のせいなんでしょう。

 しかしなあ……これも笑いづらい話だなあ。とんだ「当たり屋」に当たってしまいましたねえ。


 あ、そうだ。僕がひとつ気になったことね。

「シモン婆さんはいったい何歳まで生きたんだろう?」



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