一途な愛ってなに?「椅子直しの女 La Rempailleuse」①

 報われない恋、というのがあります。相手が絶対に手に入らない人で、けっして振り向いてくれることはない。自分の想いが叶うことは望めない恋。

 それでも人は相手に同じ気持ちを持ち続けられるのでしょうか? 一生をかけて愛し続けることができるのでしょうか?

 

 ある公爵が主催する狩猟大会の晩餐の席で、人は生涯の間にいくつの愛と出会うのだろう、そんな話題が持ち上がりました。フランスっぽいねえ。で、男性諸氏は複数の愛を信じる派、女性は死ぬまで貫く唯一の愛を信じる派、に分かれます。この分かれ方、微妙に偏見が入ってるよな。


 ──先生はどうお考えですか。

 皆の視線は参加者の一人であるドクターへと注がれます。

 ドクターは、自分には分からないが、と前置きして、ひとりの女の話をします。それは55年間ずっと同じ人間を愛し続けて死んだ、椅子直しの老婆のこと。


 椅子直しですって! と公爵夫人はじめ女性たちは白けた顔になります。だってあなた、愛っていうのはわたくしたちのようなノーブルな人間にしか分からないことじゃございません? 椅子直しの女になんて……。


 椅子直し、という仕事について先にちょっと説明します。木でできた椅子で、座るところだけ籐で編んであるやつありますね(籐椅子?いや、エマニュエル夫人が座ってるやつじゃないよ、普通の椅子)。長い間使ってると当然お尻の部分が擦り切れて籐に穴が空いてしまいます。それを直すのが椅子直しです。


 彼らは定住をしていません。キャンピングカーみたいな馬車であっちからこっちへと渡り鳥のように放浪し、どこかの村へ着いては、

「いす──な――おし―――!」

 と独特のかけ声をかけながら家々をまわります。

 根無し草の彼らは「底辺」の仕事をしていると思っていてください。


 まあお聞きなさい。ドクターは言います。

 私はその女の臨終に立ち会ったのですが、その時彼女は自分の生涯を私に語ってくれました。こんなに胸に刺さる話を、私は他に知りません──。


 その女の少女時代は厳しいものでした。椅子直しの両親を持った彼女は、安住の地もなく、子供たちからは石を投げられます。大人から恵んでもらう小銭を集めては大事に取っておく、そんな日々を過ごしていました。


 そんなある日、11歳になった少女は一人の少年が小銭を盗られて泣いているのを見つけます。かわいそうに思ってなけなしの自分の小銭を少年にあげると、彼は涙を拭きながら受け取ってくれました。少女は嬉しくなって少年にキスをしてしまいます。でも彼はお金を数えるのに夢中で気にも留めませんでした。


 それから少女はこの少年に恋い焦がれるようになります。また同じ町へ戻って来る日のために小銭を貯める毎日。そして戻って来るたびに彼女は少年にキスをし、その手にありったけの貯蓄を握らせるのでした。


 なんかね、「お金をあげるからキスさせて」って変な感じがしますよね。でも、最初にこの男の子にお金をあげた時に嬉しそうな顔をしてくれたことが忘れられなくて、きっとお金をあげたら自分のような人間も受け入れてくれるって、この子は思い込んでしまったのじゃないかな。彼の笑顔見たさに、いっときの喜びを得るためだけに彼女はお金を差し出す。身分の低い椅子直しの子どもには、それしか思いを叶える手段がなかったのだと思います。

 で少年の方はというと、彼女とキスできることじゃなくて、お金をもらえることが楽しみで、彼女が町に戻って来るのを心待ちにしています。


 ある年、彼は突然いなくなりました。薬剤師の勉強をするため、寄宿学校に入ったのです。

 少年は薬屋の息子でした。この当時の薬屋というのはけっこう実入りのよい商売で、下手したら医者よりも稼ぐぐらいだったそうです。薬だけじゃなく、健康食品とか勝手に作って売ったりしていたらしい。その頃の人は病気になったら医者にかかるよりも薬屋に行って手っ取り早く済ませようとしたんですね。その名残りか今でもフランスはパン屋と同じくらい薬屋があります。


 話を戻して、2年ぶりにやっと彼の姿を目にした少女。少年は見違えるほどかっこよく立派になっていました。でも彼は彼女を見ないふりをして、尊大な態度でそばをすり抜けていくんです。貧しい椅子直しなんかもう相手にしない。坊っちゃんは社会に毒され始めたようだな。


 なのに彼女は毎年彼の姿を求めてこの町へやって来るのです。話しかけることもできないくせに、無視されるって分かっているくせに、

「この地上であたしにとっての男性はあの方ひとりきりなのです。ほかの男性などあたしにとっては存在しないようなもの」

 と臨終の際にドクターに言った通り、ただ彼だけを愛している。


 しかし、つらいことが起こりました。

 何年も過ぎたあるとき、彼女は薬屋から愛しい人が出てくるのを見ます。しかしその腕には若い女がぴったりと寄り添っていました。そうです、彼は結婚していたのです。

 これは切ない。

 絶望した女は……。


 つづきます。

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