柊さん、こんにちは。
こういう事件はアメリカにはいくつもあり、少女が何10年後に見つかったとか、その時にはレイプ男により子供がふたりもいたとかいう事件がカリフォルニアでありました。たいていの場合にはセカンドレイプをおそれて表には出てきません。でも、ある時、14歳で1年-ほど監禁されていた少女が出てきて、恥じるのは相手であり、自分が恥じることではないとテレビに述べたことがあり、その時には感動しました。
17世紀にアルテミジァ・ジェンティスキという女画家が、19世紀にはサンフランシスコのアルマ・スプレックルズ(美術館を寄付した有名な人)がやはり十代の頃、レイプされ、裁判に訴えました。両方とも勝訴しましたが、その後の人生にスキャンダルはついて回りました。でも、それには負けませんでした。そういう生き方もあるのだとそのブルジョアの少女に教えてあげたいと小説を読みながら思いました。
レイプというのはいつどこで起こるかわかないので、こういう強い生き方ができた先輩女性たちがいることを教えてあげたいといつも思っています。(アルマのことは、サンフランシスコの物語の中で書く予定です)
それから、その下男がバチストという名前ですが、Baptisteって「洗礼者」のことだと思うので、これ、皮肉ですよね。
話は変わって、第4話。すばらしい出来。
「卑屈になるな」「尊敬している」
このことが書きたくて、小説を起こしたのかなと勝手に思いました。
明日でおしまい。話がうまく流れていっている時には、一万字は短いですね。音楽と同じかも。
作者からの返信
九月さん、こちらにもありがとうございます。
この話はつらいのでお蔵入りにしようかと思っていたものです。でもモーパッサンは容赦なく群衆、人間の残酷な習性を描いていて、今でもなにも変わらない。紹介しない理由がないと思いました。
犯罪そのものもそうですが、そのあと延々と続く世間の目への抵抗がさらに追い打ちをかけて、死んでしまえばどれほど楽になれるでしょう。でも闘う女性が確かにいたんですね。きっと一人ではなかったでしょう。愛情を持って支えてくれる人がいたはずです。
この女性にも夫がいたけれど、好奇の波には無力過ぎました。
これを書いていてふと自衛隊の女性の裁判を思い出しました。あの方に誹謗中傷する輩がいるそうですね。
バチストという名前に注目されるのもさすがです。洗礼 baptiser なんて全くきつい皮肉ですよね。
短編の方も丁寧に読んでくださり、とても嬉しくて心強いです。この二つのセリフ、狙ったわけではないですが、響いてもらえたのかなと思うと書いてよかったです。
いつも本当にありがとうございます。
お邪魔いたします。
きっとこういうのが好きだろうと想われるのか、二名の方から折に触れて柊さんのエッセイの紹介を受けておりました。
実はそれ以前からサイレント読者でした。
常連さんで満員御礼のようなので電柱の陰から覗くだけに留めておりました。
この話を読んだ時に、「白いリボン」という映画が頭に浮かびました。映画の舞台はドイツなのですが、閉鎖的な村の感じがよく出ている映画でした。
鋭いことを他の方が指摘しているとおり、その女性が、倖せに恵まれることなく、不幸なままであったのなら、このようなことは起こらなかったのでしょう。
むしろ逆に、その場の群集心理は、無礼な発言者をリンチしたかもしれません。
大衆心理はどちらの側にもたやすく傾くのだということを肝に銘じるような作品の紹介をありがとうございました。
作者からの返信
朝吹さん、コメントありがとうございます。
読者を選ぶ連載だとは自覚しているんですが、興味を持ってもらえるのは嬉しいですね。電柱の陰と言わずまた気が向かれたときはご感想など残していただけたら幸いです。
白いリボンという映画は知りませんでした。ちょっとあらすじだけ見てみたらかなりきつそうな内容ですね。狭い世界での閉塞感、そこでひとつでも汚点がつくと一生ついて回る呪いみたいな感じは共通していそうです。
この話の群集心理は「不幸であるべき人間」が幸せになることへの妬みが大きいですが、その時によって流れが極端に変わるのも群衆ですね。そしてそこにはなんの責任感もないという。
かなり辛い内容ですが、丁寧なコメントを下さり、こちらこそありがとうございます。
重いテーマですね。
けれど紹介して下さりありがとうございます。
個人としては被害者を思いやるのに、群衆になると牙を剥く。
人間の本質って19世紀も現代も変わらないんですね。
ベースにあるのは腹の底にある妬みや僻み、不満なんでしょうか?
もし、被害者が裕福なブルジョワの子女ではなかったらどうだったんだろうって
考えます。彼女が幸せであることが許せないのも怖しい群衆心理。
成功した芸能人、政治家の黒歴史、不幸な部分を晒すマスコミと
可哀想だと言いながらその記事を読んでほくそ笑む群衆と重なりました。
作者からの返信
ハナスさん、コメントありがとうございます。
>個人としては被害者を思いやるのに、群衆になると牙を剥く。
モーパッサンが警鐘を鳴らす部分はそこにあると思います。なんかこれが本音なのかなと思ってしまいますよね。大勢であることで守られていると感じるのか。特に嫉妬や不満の感情が絡むとそのはけ口になるのでしょう。
ブルジョワの子女というのは作品のポイントでもあると思います。有名人とかの話もそうですね。人間の中には成功したり幸せに見える他人を落としたい願望みたいなのがあるのかも知れません。
現代でも変わらない本質で、きっと自分の中にも潜んでいる怖さですね。
こちらこそ、重いテーマですが読んで下さり、コメントもありがとうございます。
こんにちは。
この世には美談もあれば、救いのないお話もある。そんな残酷な現実から目を逸らさないところに、モーパッサンの魅力のひとつがあるのだと思いますね。(こんなこと私が柊さんに言うのもおこがましいですが)
集団になったときの暴力が、一人で立ち向かうにはあまりに凄まじいことを思い知らされますね。
作者からの返信
久里さん、こんにちは。コメントありがとうございます。
読む側としては心が明るくなるような話を求めるものでしょうが、シビアな現実を切り取ったような小説があってもいいと思いますし、必要だとも思います。苦手な人もいるでしょうけど、これこそがモーパッサンの腕の見せどころであり、魅力だと自分も思います。
辛い話を紹介して恐縮ではありますが、こういったテーマを正面から描いてくれるところも、やっぱり好きな作家である理由なんですよね。
群衆になると責任が希薄になり恐ろしいですね
フランス革命で幽閉されてみじめに死んだルイ十六世の息子を思い出しました
被害者がブルジョアの家庭の娘だったのも、キリスト教の倫理観から外れて汚く金儲けをする人間をさげずみたい群衆には都合が良かったのでしょうか…
弱いものを助けるはずの宗教が全く機能してないのも皮肉です
ただ、群衆にも画期的な革命を起こすなどのプラス面があり、そこは埋葬に立ち会った男や、夫で表しているのかと思いました
なんせ原作を読まねはですね!
興味深いテキストをありがとうございます!
作者からの返信
ぴゅうさん、コメントありがとうございます。
ルイ16世の息子は完全な虐待ですね。今でいう私刑でしょうか。いい大人が。
ブルジョワの娘というところは嫉妬を買う立場として関係があると思いますよ。そういう立場の人間が貶められることに残酷な快感を覚えるんでしょう。そして仰るとおり臭いものには蓋をする宗教もきっちり描かれていますね。
結局都合のよいことばかり。
人が集まることには一人ではできないことを実現する力ももちろんあるでしょうが、ともすればヒステリックになりやすい、煽られやすいという側面もあると思います。
立ち会った男や夫のように自分の良心や信念を持てる人もいる、というのが唯一の救いに見えます。
こちらこそ、読んで頂きコメントもありがとうございます!
ただただ怒りを覚えるばかりです…。日本でも度々話題になりますが、なぜ被害者側がいつまでも苦しめられなければならないのか。事件でこれ以上ないくらいに苦しんだ人を、周囲はどうすれば救えるのか考えなければならないはずなのに…。
読みながら、私も現代のSNSなどの誹謗中傷について考えていました。好き勝手に人を傷つける人たち。人間って、技術ばかり進歩しても性根は進歩しないんだな…と、つくづく悲しくなります。
モーパッサン先生、相変わらず鋭すぎますね。
作者からの返信
黒須さん、コメントありがとうございます。
SNSなんかはこの「群衆」の巣窟ですね。人の苦しみを侮辱のネタにしか捉えられない人、そこに便乗してストレス解消の矛先にしているだけの人。実際こういうことは自分がその立場にならないと皮膚感覚で分からないものだと思っています。だからと言って「お前も同じ目に遭えばいい」とは考えてはいけないですが…技術ばかり進歩しても性根は変わりませんね。むしろ悪化しやすい状況を作っているようにも思えます。
これはあまりにも酷い話ですね。
あまりにも残酷で、レイプ、ということに目がいきがちですが、同時に私たちがよく噛み締めなければならないのは、柊さんのおっしゃる「集団になった時に人がふるうとてつもない暴力」ですよね。
いまはまさにSNSなどで、簡単に右にもいけば左にもいく、恐ろしい時代なのだと思います。
自分の目で物事をしっかり見て、自分で物事をしっかり判断する、今ほどそれが求められる時代はないのでしょう。
作者からの返信
レネさん、コメントありがとうございます。
そうですね、もとをただせば下男の罪なのですが、人々がしたことはタイトルに使った言葉そのものだと思っています。
ひとりひとりはいい人だったりするのに、集団になると残酷な高揚感を覚えるのではないでしょうか。
そして自分にもその危険性はあるということですね。
>自分の目で物事をしっかり見て、自分で物事をしっかり判断する
今の時代は本当に、常にそれを意識していないといけなくなりましたね。
うわぁ~、これもえぐい話ですね・・・もっとエグイのは、この類の話が現実にあるだろう、と感じられることです。理不尽ですが・・・落ち度のない、弱い立場の者が追い詰められて命を落としてしまう、そんな話すら描くことのできるモーパッサン先生は容赦ない人ですね。すごいです。
作者からの返信
神原さん、コメントありがとうございます。
とても後味が悪かっただろうと思いますが、それは多分今の時代でも同じ現実味を感じるからですね。
社会的に一番優位にある19世紀のフランスの男性がこういう話を書くって、色んな人間の心の隅々に目をやらないとできないのでは、とも思うんですよ。だからそれも含めてすごい作家だと思います。
「警鐘」ですね。本当に。肝に銘じておかないと、人間って気づかないうちに恐ろしい方に流れてしまう事がある。束になると特に。
最後に夫が通りがかりの見ず知らずの男に声を掛けてもらったのは幸いだったように思えます。
チクリッと考えてさせられるようなお話の御紹介をありがとうございました!
作者からの返信
風羽さん、コメントありがとうございます。
この話がよく出来ているなと思うのは、旅の男という「よその人」が登場するところだと思います。そして話を聞いた彼が埋葬に同行し、夫へ声をかけるところです。ここにほんの少し人間の良心が描かれているというか。
モーパッサンのほかのエッセイに人が束になった時の流れの怖さみたいなことが書かれていて、それを思い出しました。
こちらこそ、辛い物語にもかかわらず読んでくださり、コメント頂いて励みになりました。ありがとうございます!
『群衆』という言葉を使っちゃいけないんじゃないか、と僕は常々思うわけなんです。大衆とか群衆とかいった顔の見えないものではなく、明らかに、今そこにいる『僕ら』。
妬み嫉み憎悪吝嗇無責任。息を吐くとともに瘴気を撒き散らし、醜い姿を晒す存在が『僕ら』です。巨悪など、そんな都合のよいものは存在しない。
だから、僕らは常々自分を見詰めなくてはならないのだと思うのです。汚濁を取り除くことなど出来ないかもしれない。でも、少しでも清浄なる息を吐くにはどうしたらよいのだろう?悩み苦しみ、自分の欲求や理想とする景色と向き合いながら、それでも進まなければならない。
ありがとうございます。原点のような問題であるのに、楽天的で阿呆な呪文堂はすぐ忘れてしまいます。噛み締めたく。
作者からの返信
呪文堂さん、コメントありがとうございます。
仰ることがとてもよく分かります。「誰か」や「第三者」という見方はある意味無責任というか、あくまでも「自分たちである」ということですね。匿名の向こうには生きている自分たちがいる、というのがずしりときます。
この話はどの視点で見るかによっても違うと思います。この物語に関しては「対女性」という関係性で群衆が描かれていますが、見方を変えればその群衆の中に自分を見つけ出すこともできるわけですね。
呪文堂さんのような(自身の内面に問いかける)考え方をする人であれば、この物語の群衆の中に入ることはないだろうと思います。ただそれは簡単ではないだろうとも思います。
いつもながら多角的で真摯なコメントに感謝です。こちらこそありがとうございます!
これは酷い。「緋文字」という作品を思い出しました。
モーパッサンのこの作品、読んだことがないのですが。容赦のない救いのない物語で、人というのは、本当に残酷ですね。
作者からの返信
雨さん、コメントありがとうございます。
そうですね、この物語に関しては容赦なく真っ向から書かれていると思います。
女性の苦しみも群衆の様子も淡々と描写されるところが堪えます。
「緋文字」は知りませんでしたが、タイトルは烙印のようなイメージでしょうか。だとしたらこの話とも共通する部分がありますね。
このような重たい話にもお付き合いくださり、本当にありがとうございます。
柊圭介さん、おはようございます😊
何の罪もない子供の時に受けた過酷な体験により、周囲から好奇な目で見られながらも生き延び、一時は幸せを掴んだようにみえた彼女。
やっと良き人に巡り合えたと思っていたのに、結末で結局、破滅してしまう……。
彼女を執拗に迫害し、ついには死へといたらせる群衆の恐ろしさに驚愕しました。
柊さんの仰るように、現代でもどの国でも共通する群集心理の恐ろしさであり、モーパッサンらしい群衆心理のエグイ部分を徹底的に追求した作品であると思いました。
色々と考えさせられます。
今では日本でモーパッサンの本を目にすることもなくなってきているので、こうして柊さんからモーパッサンの作品を紹介して頂けるのはとっても貴重な事だと思います。ありがとうございます✨✨
作者からの返信
この美のこさん、こんにちは😊 コメントありがとうございます。
ここまでストレートに苦しい物語もあまりないかも知れませんね。いつもは皮肉なユーモアが入っていたりしますが、この話は生々しく淡々と描写してあるので。ここで優しさで緩めることをせずに徹底的に描けるって勇気が要ることだと思います。作家本人はそんな思いではないかも知れませんが、オブラートに包まない自然主義の魅力であり、苦手な人には嫌われる部分でもあると思います。なので、読者にぐさりと刺さってこそ真価があるという気がします。今の時代は嫌がられそうですが……
丁寧なご感想ありがとうございます。いつもじっくりと読み取ってくださり、こちらこそ本当に感謝です✨✨
編集済
現代のネット社会はもっと容易に集団いじめが可能だと思います。
恣意あるひとり(周囲のだれか)が何気なく発信しただけで……。
小心な人間の嫉妬心ほど厄介なものはありませんね。
負の出来事の裏には必ずひそんでいると思われます。
なるべく目立たないようにしているのが最善の予防策かもです。💦
現役時代にいろいろな体験をし、そういう哲学(笑)に到達しました。
人間の暗愚を見事に描く短編をご紹介いただき、ありがとうございます。
柊圭介さんという名ナビゲーターを得て、泉下の作家もお喜びでしょう。
作者からの返信
上月さん、コメントありがとうございます。
ネットの中は範囲も人数も桁が違いますよね。そしてあまりにも簡単すぎて。易々とモラルの壁を破ることができるのは便利さの裏返しの危うさだと思います。
どんな感情が導火線になるかも分かりません。この女性もそっと生きて行けたはずなのに。
上月さんご自身が体験されたことは想像に尽きませんが、御作の中に一本筋の通った信念を感じるのはそれを乗り越えられた賜物なんだろうとも思います。
重たい物語にもコメントを下さり、こちらこそありがとうございます。
モーパッサンは被害者の悲痛な心の叫びに敏感だったのですね。群衆の挙動に追い詰められ自殺に至った被害者の精神状態を哀れに思う一方で暴力に対する静かな怒りが伝わってくる短編だと思いました
作者からの返信
中澤さん、コメントありがとうございます。
この短編はモーパッサンの怒りと真摯な気持ちが強く出ていると思います。被害の先にある社会の目に焦点を当てて、集団の恐ろしさをはっきりと描かれていますね。今でもどの国でも通じる話だと思います。