悲劇ですね・・・善良なプロイセン兵たちを殺さない選択もあったでしょうに。フィクションとはいえ、やりきれない思いにさせますね。救いのないお話をたくさん書かれますね、モーパッサン先生は。それがまた彼の持ち味というか、才能と言えるんでしょうね。
作者からの返信
神原さん、コメントありがとうございます。
兵士たちを殺さない選択ができれば……そうですね。逆にばあさんにとっては復讐という選択しかなかったのでしょうね。
フィクションでも真に迫るのは、こういう部分が人間にあることに気づかせるからでしょうね。
救いのない話ばっかりですみません。にもかかわらずお付き合いくださり、本当にありがとうございます!m(__)m
相手に自分と同じ思いをさせても、そこには哀れな自己満足があるだけで、失ったものを取り戻せるわけではないのだけれど、憎しみを前にすると理性が吹き飛んでしまいますね。
憎しみって、思いやりある優しい時間まで奪ってしまうほどの、強烈な感情ですね。
文中で語っていますが、農民には愛国心的憎しみがないのに、大切な人を奪われたことで憎しみが発生する。ソヴァージュばあさんを野蛮にしてしまった。
戦争の愚かさにため息が出てしまいます。
作者からの返信
>そこには哀れな自己満足があるだけ
そうですね、何も取り返せない悲しい復讐ですね。でもここに駆り立てられたとき自分は冷静になれるかというと、きっと絶対とは言えない。読み手に第三者の視線とばあさんの気持ちを両方味わわせる書き方が、すごく考えさせられます。
泊めていたのは敵国人というより、もっと可愛げのある若者たちだったんでしょうね。個人単位での素朴な感情を簡単に乗り越えて憎しみに変換させるのも、戦争の恐ろしいところですね。
なんて壮絶なお話でしょう…。同じ立場に立たないと、ソヴァージュばあさんの心中を真につかむことはできなさそうです。
「モーパッサンの一言」の引用部分。これ、常に世界に向けて発信し続けたいですね。本当はみんなわかっているはずなのに。まるで忘れたかのように今でも愚行を繰り返し続ける人間の罪深さを、改めて思い知らされます。
作者からの返信
黒須さん、コメントありがとうございます。
後半の壮絶な展開に圧倒されますね。子を失うってことがここまで母を鬼にするものかと。それをまた相手国の母へ向けるという母親ならではの執念も。
引用した部分は少し本編から浮いている印象があるんですが、これだけは書いておきたいという強い思いを感じました。当時はまだ戦争に対する捉え方も違ったはずで、その時代にこういう文章を発信することにも意思を感じます。
今は平和とか人権とか言ってるわりに、結局は同じことを繰り返していますね。。
モーパッサンの生きた時代に、こうやって戦争の批判や皮肉を表現することはリスクがあったでしょうに、毎回容赦なく描写されててすごいなって思います。
殺して勝てば殺されて負ける人間が生まれる。さして意味はなくとも、大義だ正義だと振り翳せば理由が生まれ、争いは終わりませんね。
悲しいことにモーパッサンの時代も今の時代も戦争はなくならない。
優しい母親と復讐に燃える母親、その両面を見ることで、戦争は特にですが、多角的に物事を見る必要があるんだなって改めて思いました。
作者からの返信
りくさん、コメントありがとうございます。
これからどんどん発展していこうって時に戦争を思い起こさせるようなものを書くな、という空気はあったかも知れませんね。
正義って理由は正しいようで本当は感情と結びついていて、それがすごく厄介なのだと思います。
ほんとに、何回繰り返しても人間は同じ間違いをやめられない、それは戦争に限ったことじゃなく日常に溢れてますね。
ふたつの母性を客観的に冷静に見るモーパッサンの目が鋭いなと思います。これを淡々と書いてしまうところ、考える余白を与えるところがまた堪えますね……
元気ですか。声をかけてくれてありがとうです。
編集済
柊圭介さん、こんにちは😊
ソヴァージュばあさんにとっては四人のプロイセン兵がよくお手伝いをしてくれることもあり戦地に行っている息子のような気がして甲斐甲斐しくお世話をしていたのでしょうね。
それはきっと戦地で息子も元気でいると信じていたからでしょう。
しかし、息子の戦死の手紙が届き、大砲にやられて身体が真っ二つになったとの残酷な報せ。
こうなれば、母親も穏やかではいられず獣母となって復讐の炎が燃えたのですね。
しかも、プロイセン兵の母親達にも同じ思いを味合わせたいとの執念。
この復讐劇に唖然としましたが、母親の気持ちが分からないでもありません。
最愛の息子を失ったら、復讐に燃え狂ってしまうのも無理はないかもしれません。
これもまた、モーパッサンならではの人間の本質を見事に描いているように思います。
作者からの返信
この美のこさん、こんにちは😊 コメントありがとうございます。
ばあさんとプロイセン兵たちの関係は、お互いに求める者を補う存在だったのかも知れませんね。兵士たちもドイツのお母さんが恋しかったはずです。
この人情的な部分があるからこそ、後半が堪えますね。
子どもに戦死されるということがどういうことか、それを分かった上でプロイセン兵の母親にも同じ気持ちを味わわせてやる。本当に凄まじい執念です。でもこれも母性のなせる業なのだと思います。
モーパッサンの人の心の描き方、やっぱりすごいですね。
辛い話にもかかわらず丁寧なご感想をくださり感謝です。ありがとうございますm(__)m
こんにちは。
『あんたらええ子やん。ほらジャガイモ食べ。スープもあるでl』
こんな明るいノリのばあさんだったはずが( ; ; )
戦争が終わり平和になったら手紙でも送るねって、まるで自分の子供の代わりに
するのかと思いました……が、私は平和ボケの日本現代人だった( ; ; )
戦争が無くならない本当の理由の一つに、大切な物を奪われたことへの復讐があるんでしょうね。
人間の本質、母性愛を見事に書いたのですね。モーパッサン先生。
ヘアスタイルのソヴァージュも語源から分かったような気がします。
プチ情報もありがとうございます♪
作者からの返信
ハナスさん、コメントありがとうございます。
すみません、そのセリフは僕が勝手に入れましたm(__)m ばあさんはこの子たちが可愛くて好きだったんですよね。それなのに……
「自分の子どもの代わりに手紙を送る」
その発想は自分にはなかったのですごいと思いました。平和ボケとは違って、もっと先の境地ですよね。本当はそこまで行けたら一番強いのではないかと。でも人間ってどうしても復讐心が先に立ってしまう。戦争がなくならないのはまさに仰るとおりだと思います。
ソヴァージュ、フランス語だとあんまりいい意味ではないですね。野蛮な髪の毛。面白いけど。
こちらこそいつもありがとうございますm(__)m
編集済
モーパッサンさんのひと言に拍手喝采です。👏
復讐する母親の気持ち……残念ながらよく分かってしまいます、痛いほど。
いまは運よく平穏に暮らさせてもらっている自分ですが、ウクライナやガザ地区の住人だったら、絶対に許せない、許してなるものかと、神をも敵にまわす勢いで激しく憎悪するはず。
タイムリーな物語のご紹介、深く胸に刻みました。m(__)m
作者からの返信
上月さん、コメントありがとうございます。
引用した一節は、正直言うと少し物語から浮いています。でもモーパッサンがここは絶対に書いておきたかったのだろうというのが一番伝わる箇所でもあり、抜かすわけにはいきませんでした。
これは1884年の作品なんですけど、連鎖する感情には21世紀も何も関係ないのではないかと思えてきます。母の気持ちだって普遍ですよね。
深く汲んでくださり、アップしてよかったです。ありがとうございますm(__)m
深い作品のご紹介。誠にありがとうございます。何故、戦争が必要とされるのか。果たして、一部の為政者のみで戦争は継続できるのか?
『怨みの連鎖』という昏い炎がどこまでも燃え広がり、人々を呑み込んでは駆り立てていく。膨大なエネルギーを必要とするはずの戦争は、怨嗟の念により支えられるのか。
『許す』ということが、いかに難しく絵空事のようにも思えてしまう現実。しかし、理性は冷徹にも囁いています。
いつも悩んでます。同じ状態に身を置いたなら、僕は許せるのだろうかと。日々に悩むくらいしか、僕には方法が無いようで。素晴らしい作品をご教授頂き、本当にありがとうございました。
作者からの返信
呪文堂さん、コメントありがとうございます。
ひょっとしたら昨日までばあさんは兵士たちが敵であることを忘れていたんじゃないか、と思わせるぐらいの雰囲気から、息子の死の知らせに一変するところ、やっぱりこうなるのか、と思わずにいられません。同じ状態に身を置いたら、と考えると、自分が冷静になれる自信はないですね。
そういう怨みの連鎖によって戦争の火種は燃え続けるのだろうと。一部の為政者はあまつさえそれを利用しているのだろうと。
殺伐とした内容にもかかわらず真摯なコメントをいただき嬉しいです。こちらこそありがとうございます。
すごい物語でしたね。
母親の獣性と、あるシスターが話されていたんですが、まさに、そういう一面を知ることができて、いつもながら、モーパッサンはすごいと思うと同時に、柊さまの描き方のうまさに舌をまきました。
作者からの返信
雨さん、コメントありがとうございます。
「母親の獣性」すごくインパクトのある言葉で頭に焼き付きました。でもまさにこれなんですね。ほんわりとしたイメージだけが母性ではない、逆にこの激しさにこそ母って生きものの本性を感じてしまいます。モーパッサンの人間の描き方に唸ります。なんとかそれが紹介できていればと思います。励みになるお言葉、嬉しいですm(__)m
編集済
「虚しいからやめろ」というなら、「私が復讐を終えた後にやめてくれ」……って私なら言うな。「やられたのが私なら、仕返しなんかしなくていいよ」って言うのにね。笑。
そもそも、子供達が悲惨な目に遭わないで欲しいと常日頃思ってます。不安定な世の中なんで。
作者からの返信
月森さん、コメントありがとうございます。
親というのはきっとそういうものですよね。前に書いた父親のバージョンもですけど、子どものために復讐できたなら自分も殺されて本望みたいな。
仰るとおり、子供達が犠牲になるのが一番嫌です。今は時代を逆戻りしたかのような野蛮ぶりで。モーパッサンが見たらなんと思うでしょうね。