報復のヒロイズム「ソヴァージュばあさん La Mère Sauvage」

 以前、普仏戦争で息子を失った父親の復讐殺人劇「ミロンじいさん」を紹介しましたが、この「ソヴァージュばあさん」はその女版のようなお話です。設定やストーリーはよく似ているのですが、男親と女親ではまた感触が違ってきます。


 舞台はやはり片田舎。15年ぶりに故郷へ帰ってきた男は、村のはずれに一軒の廃墟を見つけます。記憶をたどればここには「ソヴァージュ家」と呼ばれる家族が住んでいたはず。葡萄の木に囲まれたきれいな家だったのに、どうしてこんな惨めな有様になってしまったんだ、と友人に尋ねるところから始まります。この回想形式も「ミロンじいさん」と同じ。


 ちなみにソヴァージュとは「野卑な、野蛮な」という意味です。夫は密猟をしたあげく軍隊に殺され、息子も同じように猟銃を持ってジビエ狩りをしまくる、まさにソヴァージュな一家。


 さて、普仏戦争が始まり、息子は軍隊へ入ります。たったひとり家に残ったソヴァージュばあさん。背の高い痩せぎすの、滅多に笑わない白髪の女。しかし小金を貯めています。

 そのため、プロイセン兵が村へやってきたとき、ばあさんは4人の兵を家に預かることになりました。


 これは「ミロンじいさん」でも出てきました。プロイセン兵をフランス人家庭に居候させるというやつです。侵攻して支配下に置きながら、ついでにそこの住民に兵士の衣食住の面倒を見させるわけですね。立場はプロイセンが上なので、どんな無茶を言われても命令に従うしかないのですが、このソヴァージュばあさんの居候たちは侵略者のイメージとはひと味違います。

 金髪で青い目、遠征中にもかかわらず肉づきのよい4人の若者は、家のお手伝いをよくするんです。なるべくばあさんを疲れさせないようにと、お掃除に薪割り、お洗濯、おまけにじゃがいもの皮むきまでしてくれます。めっちゃ優しいじゃん。年老いたお母ちゃんを守る4人の息子、みたいな感じ。なんか微笑ましいぐらい。

 

 これって実際どうだったのかというのは気になりますが、モーパッサンの書き方を見てると、プロイセン兵の全員が全員、残虐非道のかたまりだったわけじゃないんだなと思います。視点を変えてみれば、ドイツのどこかの田舎のお兄さんが、来たくもないのに無理やり徴兵されて来てるんですよね。だからばあさんの手伝いをすることで、疑似家族みたいなのを味わってるんじゃないかと思えてくるんです。

 で、ばあさんの方もこいつらが可愛いわけです。あんたらええ子やん。ほらジャガイモ食べ。スープもあるで。みたいな。


 でもやっぱりばあさんが一番気になるのは戦地の息子のこと。若者を捕まえては、「うちの息子のこと何か聞いてない?」と訊くんですが、プロイセン兵たちは申し訳なさそうに首を振るばかり。自分たちも故郷に母を残していることもあって、ばあさんの不安がよく分かり、優しく気遣ってあげるんです。


 なんか話がいい感じになってますが、ここで挟まれるモーパッサンのひと言が刺さります。


 ──農民には愛国的な憎しみなどない。最も貧しく、何かあるたびに最も重荷を背負う謙虚な人々、真っ先に大砲の犠牲となり大量に殺される人々、最も弱く、最も抵抗力がないゆえに、戦争の残虐な仕打ちを、最も残酷な苦しみを受ける人々。彼らには戦争への熱狂もなければ、名誉への執着もない。半年もすれば勝者であろうが敗者であろうが疲弊が待っているだけの政治的結合なんて、彼らには理解しえない。


 さて、そんな彼らの日々も長くは続きませんでした。ある日ばあさんは、息子の戦死の手紙を受け取るのです。大砲にやられて体が真っ二つになったという報せ。

 まるで現実に立ち返らせるかのような残酷な手紙に、ばあさんは食事も喉を通りません。心配する兵士たちに、ばあさんはこう言います。


「そういえば、あんたたちの名前も住所も知らなかった。この紙に書いておくれ」


 そうして書かせた読めない住所をそっとポケットにしまい、ばあさんは雪の夜は冷えるだろうから藁を屋根裏部屋(彼らの寝室)に運んであげるよ、と言います。せっせとそれを手伝うプロイセン兵たち。それが自分たちの死の床になるとも知らずに。

 そうです。ばあさんは彼らが寝静まった頃、家に火を放つのです。藁を積んだ屋根裏部屋にあっという間に火が燃え移り、兵士たちの断末魔の悲鳴が響き渡ります。炎が屋根を突き抜け、家を焼き尽くします。

 

 火事を見て村人やプロイセンの軍隊がやってきました。ばあさんは息子の死から放火にいたるまでの全てを話しました。そして指揮官に若者たちの住所が書かれた紙を渡し、


「あの子たちの母親になにがあったか手紙を出すんだ。私がやったと書くんだよ。このヴィクトワール・シモンがやったってね! 忘れるんじゃないよ」

 

 ばあさんは燃え落ちた家の前で銃殺されました。その体はまるで息子と同じように真っ二つになっていました。

 

 最後、15年前の焼け跡を見ながら、男は心優しいプロイセン兵の母親たち、そしてここで殺されたもうひとりの母親の、非道なヒロイズムに思いを馳せるのでした。



 復讐の連鎖、という言葉を思い起こさせる話です。ただ殺すのではなく、自分がされたように兵士の母親に報せを届けろというところ。プロイセン兵の母親たちに向けた「お前も私を同じ気持ちを味わえばいい」という呪いのようなメッセージ。

 この話にはふたつの母性を感じます。あたたかい母性から炎のような恨みの母性へと裏返る様子が、まるで紙一重のように見えます。


 モーパッサンはフランス人ですからフランス側の視点で普仏戦争を描くのがほとんどですが、こと復讐劇に関しては、「ミロンじいさん」も同様、決してヒロイズムを美化せず、愚かな行為として描いています。最後の一節には「そんなことをしてどうなるんだ」という虚しさが込められているように感じます。

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