男が決闘するとき「臆病者 Un Lâche」①

 決闘、という言葉を聞くとどんなイメージが浮かぶでしょうか。一対一の真剣勝負、殺すか殺されるかの世界。その昔の武士の果たし合いなんかもそうですよね。庶民じゃなくて上の階級の人たちが誇りをかけてやるもの、というイメージですが、どうでしょう。


 19世紀のフランス社会でも、決闘(デュエル)が正式に認められていました。やはり決闘を行うのは農民や労働階級ではなく、ブルジョワ以上の人間です。

 例にもれずモーパッサンの小説にも決闘のシーンがときどき出てきますが、その詳細な描写をみるといかにこの風習が社会に根付いていたかが伺えます。

 でも、このお話はその中でもちょっと変わり種です。



 主人公は貴族の独身男性、名前はゴントラン=ジョゼフ・ド・シニョール子爵。あ、長いので覚えなくていいです。

 子爵という位がついているのでこの場合ははっきり貴族だと分かりますが、基本的に苗字に「ド」がつくのは「やんごとなきお家柄」という証明になります。もともと貴族でなくても、金持ちブルジョワなんかはあとから「ド」を授かったりもします。


 例えば画家のエドガー・ドガは、いいとこの坊っちゃんなので本名は「ド・ガ」ですが、貴族的な苗字が嫌いでひとつにくっつけてしまった人。ああ、確かにバレリーナの追っかけをするにはこの苗字じゃ具合が悪いですね。

 反対に、大作家オノレ・ド・バルザックは本当は「ド」がありませんが、箔をつけるために自分で勝手に足してしまいました。自分で足したんかい。この上昇志向のためにあちこちから失笑を買ったのは有名な話です。


 そういえば我らが先生のフルネームはどうでしょう。

 ギ・ド・モーパッサン。あっ、ド付きでした。

 こちらはもともとモーパッサンだけだったのが、お父さんの代に公的なお許しを頂いて「ド・モーパッサン」になったとか。

 しかしこのお育ちからの普仏戦争の兵隊経験、安月給の小役人経験は皮肉ですね。先生の書くものによく反映されてます。名前には「ド」をキープしたまま、貴族やブルジョワをけちょんけちょんに書くという先生の捻じれ具合が好きです。


 話が逸れました。

 さてこのシニョール子爵。親から継いだ資産に加え、容姿端麗、ウィットに富んだ喋り、生まれ持った気品&誇り、ついでに女性を夢中にさせる立派なおひげ……えー、あとどれぐらい褒めればいいのかな。

 まあ嫌味なぐらい色々と備わったお方です。同性に嫌われるタイプですね。

 そして彼はピストルの名手でもあります。

「もし決闘することになったら、迷わずピストルにするね。これなら完全に相手を仕留める自信があるよ」なんてね。

 

 ある晩、嫌味子爵は友人夫婦たちとともに観劇をしたあと、人気カフェでご婦人方にアイスクリームを振る舞います。

 ところが。

 近くの席に座ってるおっさんが、友人の奥さんをジロジロ見てるんです。奥さんは嫌な気分になって、夫に

「アイスが不味くなるわ」

 なんて言いますが、夫は

「そんなこと気にしてちゃキリないよ」

 と相手にしません。

 ここでイラっとしたのが子爵です。俺様の奢ったせっかくのアイスタイムを邪魔しやがって。彼は友人の奥さんが気の毒というより、俺様の俺様による俺様のためのアイスタイムを台無しにされたことに怒ってるんですね。貴族のプライドが許しません。


 つかつかとおっさんに近づき、

「ちょっとあなた、そのような不埒な目つきでご婦人の気分を害するのはご遠慮いただきたい」

「ふんっ、ほっといてくれ」

「おっと、私を怒らせたら大変ですよ」


 でもおっさんは怒らせます。カフェ中のお客さんがみんな振り返るようなを子爵に浴びせるのです。(どんな悪い言葉かは書いてないのでご想像にお任せします)

 静まりかえった店内の空気を打ち破るように、 

 パーン。

 平手打ちの音が響きました。子爵、おっさんを引っぱたきました。

 

 この「手が出る」という行為は決闘のサインです。

 いや、だからさ、なんで引っぱたくかな。悪い言葉を言われたから? それですぐキレて手が出るのはお子さまの証拠よ。と僕なんかは思うんですけどね。アイス程度で「決闘だ!」って、なんかねえ。いや、アイスが原因じゃないけどさ。


 でもそうなったものは仕方ありません。このあと、二人はお互いの名刺を交換して、正式に決闘の手続きに移るわけですが……。


 つづきます。

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