後戻りできない男のプライド「臆病者」②

 アイス台無し問題から決闘案件にまで発展してしまったその夜。屋敷に帰ってきた子爵はイライラして寝室の中を行ったり来たり。頭は「決闘」という言葉でいっぱいです。


 明日には両者がそれぞれ二名ずつ、当日の立会人を選ばなければなりません。これが第一のルールです。

 子爵はなるべく世に名の知れた人に頼もうと思い、有名な侯爵と大佐に白羽の矢を立てました。それから決闘の条件の提示。これも危険極まりない本気の勝負ということを示さねば。こっちがその気を見せたら相手は本番の前にビビッて降参してくることだろう。


 そんなことを考えてる間にもやたらと喉が渇いて水を飲み干します。テーブルに置かれた相手の名刺には名前と住所しか書いてありません。このおっさんはいったい何者なのか。なんでこんな奴に人生をかけた戦いを挑まねばならんのか。ああもう考えただけで腹が立つ!

 子爵は怒りに任せて名刺をナイフでぐさり。

 

 それから武器も決めなければ。剣か、それともピストルか。剣の方が致死率は低いけど、相手から距離を置いた状態で仕留められるピストルがいいだろう。そしたら奴の近くに寄らずとも名誉を守ることができる。


「本気だと見せてやるんだ。奴は恐れをなすに違いない──」


 そう呟いた自分の声になぜか身震いして、水を飲んでベッドに入った子爵。

 でも……眠れません。

 何度も寝返りをうち、やたらと喉が渇き、かすかな物音にもついびくりと反応してしまいます。


 ──まさか、私は恐れているのか。


 はい、恐れているんです。どんなに打ち消そうとしても、決闘に対する不安や恐怖が胸いっぱいに押し寄せてくるんです。起き上がって鏡の中の姿を見ると、目ばかり爛々として顔面蒼白になった男の顔が。


 ──あさっての今頃にはもう自分は死んでいるかも知れない。


 そう思うとベッドにこの真っ青な顔の男が横たわってるように見えてしまい、寝床に戻るのさえ怖くなります。怯えているのを悟られたくないため下男を呼ぶこともできず、自ら暖炉の火を起こして考え込みます。


 ──どうしたらいい? 私はどうなってしまうんだ?

 夜通し震え続ける子爵。


 まんじりともせず迎えた朝、彼は立会人のもとへ向かいます。決闘の手順(20歩進んでから撃つ、とかそういうルール)を決めるためです。でも具体的なことを気丈な顔をして決めるほどに、あとからもっと大きな恐怖が襲ってくるんですよね。屋敷に戻ればまた怖くて震え続けるという、悪夢のような時間が始まります。もちろん食事なんか喉を通りません。子爵は酒の力を借りて紛らわせようとしますが、ボトルが空になれば元の木阿弥。いっそ床に転がって叫ぶことができたなら。


 そのうち今度は立会人が子爵のもとを訪れ、決闘の最終確認をします。相手のおっさんが子爵の出した条件を呑んだので、決闘は成立です。おっさん、逃げるどころか受け入れました。あと医者の手配。それから負傷した側をすぐ運び込める場所の確保、エトセトラ……。なんかすごく事務的ですよね。公的に認められているものだけにちゃんとした手続きが必要なのは分かりますが、こういう話をサクサク進められると余計に現実感が増すというか。


 二人が帰ったあと、子爵は恐怖に気が狂いそうになります。彼は机に向かって手紙を書きはじめます。


「これは私の遺言である」


 ここまで書いてもう無理。自分から言い出した決闘なのに、自分にはその場へ行く勇気がないと分かっている。歯がガチガチと音を立てて鳴っている。あのおっさんはピストルの名手なのか? だから死ぬかも知れないような条件でも即座に承諾したのか? ですがGo〇gleで検索してもおっさんの名前は出てきません。


 子爵は箱の中からピストルを取り出しました。でも頭からつま先まで震えている彼にはまともに持つことすらできず、銃身があっちこっちに揺れ動きます。

 ダメだ、こんなんじゃ戦うなんてできない。

 銃身の先には「死を吹き出す」深く黒い穴。それを見ながら、彼は自分に不名誉の烙印が押されることを想像します。嗤い者になり、陰口をたたかれ、女性に蔑まれ、新聞ネタになり、臆病者どもから罵声を浴びせられる。それは彼にとって一番恐ろしいこと。

 ピストルには銃弾が入ったままでした。彼はなぜか言いようのない喜びを感じました。


 ──誇りを守らねばならない。気高くなければ何もかも失ってしまう。汚名を着せられ、辱めを受け、この世界から追放される。それでも自分は勇敢だった。決闘を決めたのだから。勇敢だったんだ……。

 混乱した頭のまま、彼はいきなり大きく口を開けて銃口を喉の奥まで突っ込み、そして──。


 銃声に驚いて下男が駆けつけたときには、子爵は血だらけで息絶えていました。机の上には血の付いた紙があり、そこには

「これは私の遺言である」

 とだけ記されていました。


 おしまい。


 えー、決闘の話なのに決闘せずに終わってしまう、という……。

 後半はほとんど心理劇で、誇り高い子爵の生身の姿がボロボロ剥されていくような感じがします。

 後戻りすることができない男の誇りにどれだけの価値があるのか分かりませんが、第三者からするとどうしても冷ややかな気持ちで読んでしまいます。外聞や名誉に固執して自滅していく偉い人も、ある意味気の毒な人生なのかも知れません。

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