柊さん、こんにちは。
私はこの小説を読んで、マイノリティの問題、周囲の目など、そういうことはほとんど気になりませんでした。私自身がそういう社会の中に住んでいるからかもしれませんが。
というか、今、自分が短篇小説を書いているので、先生がどのように話を作っているのか、主に、そこに注目したせいでしょう。
19世紀ノルマンデー。白人のアントワーヌは鳥市場で売られているエキゾチックな鳥が大好き。でも、ある日、そばのカフェで掃除をしている女給を見ます。赤いスカーフを頭にまとったその肌は褐色。彼はこのエキゾチックな黒人女性に夢中。彼女の出してくれるレモネードは至福の一杯。会うたびにとろけるような気持ちになる。ああ、僕は幸せだ!
最初、こういうことって、あるのかなぁと思いました。
でも、これが女性が黒人でなく、白人女性だったら、ありうるかなぁなんと思わないはずですから、自分の中に、黒人に対する潜在的な差別があるのかと思って、ぎくりとしました。
でも、これは19世紀の田舎ですからね。これ、ありえますか。
エキゾチックな褐色の肌を見ただけで、恋に落ちる男性が。
でも、先生は、このめったにない設定からストーリーを作っていきます。
エキゾチックな彼女を諦めたアントワーヌは白人女性と結婚、子供をつくさん作り、溜めの掃除といった「卑しい」をしています。そして、いまだにあの彼女のことを恋しく思っています。
夢やぶれた彼は、「卑しい仕事」のことで、世間から何と言われようとも、もうどうでもよいのでしょうね。それなら、あの時、勇気を出せなかったのかと思いますが。
先生はたいていの場合、ありえない設定、世間が納得するような流れ、極端な例(職種)、絶妙なオチで、物語を作りあげていっているように思えます。
私はもちろん先生の足元からも遠いところにいますが、でも、短編を書く時、こんな突拍子もない設定でよいのかしら。笑われるのではないかしら。
などと不安になりますが、そんな時、先生のことを思い出します。何でもありなのだよ。それをどう料理するかが問題なのだよ、と先生が言われ、私は安心します。
というわけで、非常に個人的感想になってしまいました。
ところで、柊さんはカクヨムコンには出されないのですか。準備中なのですか。
エッセイのほうにも、すばらしいのがありますから、そのいくつかを個々の短篇として出すことはできないのでしょうか。
余計なことでしょうが、ちょっと書いてみました。
気を悪くなさったら、すみません。
作者からの返信
九月さん、コメントありがとうございます。
この連載がお役に立っているようでとても嬉しいです。
この短編ですが、僕は設定としてありだと思います。彼女と出会うル・アーヴルは主要な港町ですし、植民地貿易が活発で、黒人もチラホラいたんじゃないかと。彼のようなエキゾチック趣味の男がいてもあまり不思議に思わないですね。まあ、数は少ないでしょうが。
この話は「世間の目に負けること」がテーマだから、要はそこが書けていればいいのかな、と思います。
短編だとあまりだらだら説明できないので、端的に読者に伝わることも意識しているかも知れませんね。ゆっくり味わうフルコースでなく味付けの濃い一品料理、みたいな(失礼)
どう料理するかが問題、と僕も思います。モーパッサンの小説は意外とテーマ自体は誰でも思いつきそうだったりするし(失礼)
でも僕が特にそれを感じるのは短編ではなく先生の長編の方です。
カクヨムコン、今どうしようかと思ってるのが頭の中にあるだけで何も書いてません。迷っているうちに時間だけすぎるので、発破をかけてくださるの嬉しいです。九月さんは参加されますか。その時はぜひ拝読します。
やっぱりこういう話だと、柊フィルターなしでは私は読めないな。モーパッサンが描くのは、私にとっては誰か別の人の話じゃないから。全部が自分の話で、私の知ってる誰かの話で、救いもないから痛いだけなんだ。わかってることを突きつけられる。そして自分の中でその相手を憎まずに済む理由を必死に探す。傷をほじくり返すようなことしないでよ、と思う。
いずれにせよ、読む人の立場が違って、考えも違って、だからこそその上で議論ができる、というのは文学作品の素晴らしいところだと思う。
作者からの返信
月森さん、コメントありがとうございます。
自分がモーパッサンが好きな理由のひとつは客観性で、例えばこの話なんかは親や群衆を「悪者」と糾弾するような書き方をしないところです。それぞれの行動の理由だけが描いてあると言うか。
僕であればどうしても自分を黒人の立場に当て嵌めてしまいがちなんですけど、場合によっては親にもこの村の人間にもなりうる、そこに気づかせてくれるところが好きです。
救いがない話の方が多いので後味は悪いですが、人間という滑稽な動物を見るような気持ちにさせてくれるのが多分好きなんだと思います。
柊さん、こんにちは😊
この人々が持つ常識(何が常識なのかわかりませんが)以外の社会での「生きにくさ」が重たくのしかかってくる何ともやるせない物語ですね。
でも、どこにでもあり得ることかもしれません。
誰が悪いというわけではないのでしょうがアントワーヌにとっても、彼女にとっても深い傷が残ったことだけは確かです。
モーパッサンの作品は、鋭いところをついて色々考えさせられますね。
作者からの返信
この美のこさん、こんにちは。コメントありがとうございます😊
現代よりももっと「人種」について無理解な時代(しかも植民地の時代)で、こういう男女が成立することは無理だったのかと見せつけられますね。
哀しいのは、両親も本当は彼女の人柄をちゃんと理解している、なのに周囲の目に堪えられないことですね。
周囲の目は、テーマが変わったとしても常につきまとうものだと思います。現代でも。
こんなテーマをこの時代に書くモーパッサンはすごいと思います。
見るということは何なのか。分かるとはどういうことか。考えさせられます。
好奇心。ここにある『奇』とは何か。
奇妙。奇天烈。奇想天外。本来は『自分の知見では理解し得ないもの』をいうのだと思います。自分という小さく愚かなものを打ち破ってくれる知恵の実であり、人間を人間にした原動力でさえあったと思うのです。ただし、『自分という小さく愚かなもの』を自覚できたときにおいては。
どうしたって自分が中心です。未だに我々は天動説のなかにある。自覚せねばなりませんね。
近代科学は博物学が原動力となりましたが、やがてそれは鉱物学、生物学、考古学、化学などと進みました。それこそが探求心。真理を求める人の姿なのでしょうね。
学ばせて頂きました!ありがとうございますっ!
作者からの返信
呪文堂さん、コメントをありがとうございます。
興味とか好奇心って難しいものですね。裏表があるというか、仰る通り『自分という小さく愚かなもの』を自覚できていないと、その対象にとっては残酷なものにしかなり得なかったり。相手に対して敬意を(大袈裟なものではなく)持っているかいないかで知恵の実もただの欲求の解消にしかならないと思います。
真理を求めて得たものが一部の人のものでとどまらず、教育として浸透することが大事なんだろうなとコメントを見て思いました。こちらこそありがとうございます!
「好奇心の目」ですか。なるほど。確かに人は、自分たちの枠の中に今までになかったものが現れると、それを見たくなってしまうものですよね。見られた人がどう思うか、それについて考えさせられる内容だなと思いました。
またこの作品は、愛し合った二人が結ばれなかったため悲しい話ではありますが、アントワーヌが心から彼女を好いていたこと、愛していたことに救われるところがあるなと思います。
作者からの返信
悠栞さん、コメントありがとうございます。
この話では好奇の対象は黒人ですが、メジャーの中に一人だけマイナーが入るとどこでも起こりうることですよね。そこに差別や偏見がないにしても動物園の動物みたいな気持ちになるんじゃないでしょうか。
当時だと特に、本当に好き合った同士でも人種が交わるのは稀だったでしょうね。確かにアントワーヌがただの趣味ではなく彼女の中身を愛していたことだけは伝わります。それだけに何とも切ないです。
好奇心の持つ残酷さ、という言葉が悲しくもぴったりですね。悪気がないのは分かっているだけに。私は酷い人種差別を受けたことはないんですが、ヨーロッパにいるとマイノリティであることを意識させられることが多く、とてもフィクションの中の他人事だとは思えませんでした。
現代だったらここまで好奇の視線で見られることはないかもしれませんが、異分子に対する偏見や忌避感など、根本的な部分では変わっていないような気がします。
作者からの返信
コメントをありがとうございます。
ヨーロッパの中にいるとマイノリティを意識せざるを得ない、橋本さんもそう感じられるんですね。これは動かしようがないことですよね。
忌避感という言葉がしっくりきました。能動的な意地悪ではなく、遠ざける感じです。それでも現代は随分生きやすくなった方なのでしょうが…。
この話は最近知ったのですが、フランス人のモーパッサンがこの当時にこういう題材に目をつけるのが斬新だと思いました。
何とも彼女が痛ましいですね。
実は私も国際結婚で、妻は中国、大連の出身です。
昨年、日本に帰化しましたが、それを決意するまでは、並々ならぬ苦労がありました。
それは、周りの人たちでなく、私の両親の心の狭さでした。
彼女は外見は日本人と変わらず、容姿も性格も人並み以上でしたので(こういう言い方を夫がするのは変ですが)、浅い付き合いの方々からは本当に好かれるんです。
しかし両親は、息子の嫁が外国人であるということを、どうやら二十数年受け入れられなかったようで、その間の確執は妻の心にも、私の心にも、とても辛いものでした。
もう父も亡くなり、母も高齢なのですが、もう1人、姉の冷たさにも悩まされました。
姉は、そんな理知のない人ではない、外国にも理解がある、と思っていたのですが、1番の私たちの障害は、この姉だったと言っていいかもしれません。
結局は、子供が中学生になると同時に実家とは縁を切り、親子3人だけで生きてきました。
だから妻も日本人になる決意をするのに、まる27年かかりました。
国際結婚は本当に大変です。まして、この小説の場合は、彼女はあまりにもかわいそうですね。
柊さまはまだ結婚されていなさそうに感じるのですが、たとえフランス人が相手だとしても、それなりの覚悟が必要かもしれません。
長々と自分のことを語って失礼いたしました。
作者からの返信
レネさん、
この短編も切ないですが、レネさんのお話を読んで胸がぎゅっとなってしまいました。奥様が中国の方とは伺っていましたが、ご家族の間でそこまでの確執があったというのが心が痛いです。一番近い人たちにこそ一番理解が欲しいと思うのですが、現実はそうではないですね。周りの人たちの方が本質を見てくれるというのがすごく分かります。
ヨーロッパなんかにいると国籍や出身が混ざり合っているので、そこまで「国」にこだわることが理解しきれないのですが、そこは日本が島国だからでしょうか。
でも結局は個人単位の価値観になってしまうのでしょうけど。
僕は結婚というか…一緒に暮らしている人がいますが、男性です。お判りいただけると思いますが。これも近い人ほど受け入れがたいことかも知れません。日本に住んでいないのもそれが理由の一つです。
物理的な距離を取ることでかえってよかったと思います。今では母とは連絡を取り合いますし、彼を気に入ってくれています。有難いです。
長い間お辛かったでしょうが、かえって家族としての絆が強まったのではないでしょうか。奥様が27年たってようやく帰化されたところに重みを感じました。
こちらこそべらべらと長くなり、失礼しました。
内面が素晴らしいのに、しかもエキゾチックでチャーミングなのに、肌の色が原因で結ばれないなんて悲しいですね( ; ; )
柊さんのおっしゃる通り、両親や人々に悪意・蔑みは感じられなかったので、うまく行くかと思ったんですが…。
狭い村であればなおさら、あっという間に全員に知れ渡るし、しばらくすればみんなも慣れてくるはず。
アントワーヌに頑張ってほしかったですね。みんなに彼女の素晴らしさを説くなど、方法はあったはず。きっと人気者になれたと思うんですが…。
作者からの返信
黒須さん、コメントありがとうございます。
そうですね......そういうオープンな気持ちを持つことが出来たら差別のない世の中になるんでしょうけどね...。内面にたどり着く前に外見でブロックするのは人間の習性なのかも知れません。
現代のような世界になるまでには沢山のこういうカップルがいたのだろうと思うと社会の目とは残酷だなと思います。
うーん、しょっぱい話ですね・・・アントワーヌは諦めたものの大きさを、その後の人生でずっと抱え続けていくのですね。沢山の子どもがいたのでしょうから、それなりに充実の人生だったかもですが。
彼女が意地悪をされた描写もないのが、かえって冷徹なストーリーかもですね。
作者からの返信
神原さんコメントありがとうございます。
諦めたものの大きさを...そうですね。最後のセリフの中に「あれから何をやっても上手くいかなかった」という一言があります。手放された方もつらいけれど、手放した重さをずっと抱え続ける人生もつらいですね。
分かりやすい差別の描写がないかわりに、別の種類の残酷さを感じさせるストーリーですよね。
しょっぱい話でしたが、お付き合い下さってありがとうございます。
誰も悪くない、のに…やるせない話です
アントワーヌも彼女も両親もいい人で、良くできた彼女をちゃんと評価して好感をもっている
でも間違いなくこの村では上手くいかないと直感する
私も人種差別というよりは、地域に共同幻想が通用しない異分子が入ってくることへの不安のせいではないかと思いました
共通認識(宗教・ことば・国など)がない人間を人は信用できないようにできているのではないでしょうか
真実の愛を持っていたアントワーヌも、誰が悪いわけではないってわかってるからそりゃあ腐りますよね…実態がないものに反抗もできない
わかりやすく両親が頭から彼女を否定して反対してたら、もしかしたら両親と故郷を捨てて彼女といられたかも…なんて妄想してしまいました
素敵な彼女です、もし押し切って結婚して村に住んでも、自分のせいで家族が立ち行かなくなっていくのを見て辛くなるのがわかったんではないでしょうか
作者からの返信
後半もお付き合いくださり、コメントもありがとうございます。
物事の本質を分かっているにも関わらず、あえて口を閉じてふたをしなければならない、母親のセリフは優しさと残酷さがいっぺんに入っていると思います。よほど最初から頭ごなしに反対された方がよかったのかも知れませんね。
アントワーヌの育ちとか環境とか器量で新天地を求めるのは難しかったろうと思います。そしてどこへ行っても同じことになったでしょうね。
二人はいっときだけ夢を見てしまったのかな。とシビアですが思います。現実を見せつけられて散ってしまう愛。悲しいですね。
すごく分かりやすい言葉で分析して頂き嬉しいです。ちょっと重たくなる話でしたが、載せてよかったです。
やはりこういう結末でしたか。
彼女を気に入ったにもかかわらず、みんなの目に耐えられない。
分かるような気もします。ある意味群衆心理かもと思いました。
あの子に代わる女はいやしねぇ……そう言われながら結婚した別の女性の気持ち
を考えたら、アントワーヌの優柔不断さに少し苛立ちました。
親と故郷を捨てる覚悟はないんですね。
好奇心が負に働くと悲しいお話になるんですね。
作者からの返信
コメントありがとうございます。おそらくお察しの通りだったと思います。
両親の考えはとても分かりやすいですね。彼女の良さを分かっているのにも関わらず、群衆の圧力を跳ね返す強さはなく。迎合する方が安全という分かりやすい立ち位置ですね。
アントワーヌの最後のセリフ、少し省略しましたが、けっして奥さんをないがしろにしてるわけではないんです。子沢山ですし。ただあの黒人の彼女だけは特別すぎたのでしょう。
この当時、本当に好きな相手と結婚できた人がどれぐらいいたでしょうね。女性は特にですが。
一番愛していた相手をこっそり胸に隠したまま別の人と結婚生活を送った人、多かったんじゃないでしょうか。
二人に駆け落ちでもして欲しいところですが、きっとどこに行っても同じだったでしょうね。この村で生きて行かなければいけないという社会や親とのしがらみが垣間見える気がします。
好奇心が負に働くと……そうですね。それ自体は咎められるものではないから。好奇心という言葉より、野次馬根性といった方が的確だったかもですね。
これは考えさせられますね。
昔、地方の大学に国のプロジェクトで留学にきた、とてもいい黒人青年が、アパートからできるだけでないようにしていると聞いて、とても痛ましく感じたことを思いだしました。
日本の地方でも、このフランスの田舎と同じことが起きてました。
「お婆ちゃんが、僕を見て腰を抜かして怖がっていた」と、知的な黒人男性が言ったことを思いだしました。
作者からの返信
後編もおつきあい下さりありがとうございます。
その留学生のお話、心が痛みますね。出ないようにしている、見られないようにしている、ということですね。
ここでもおばあちゃんに悪気はないのでしょうが。
その先にコミュニケーションが発展しなかったのがすごく残念です。近づいていれば変わったかも知れないのに。
編集済
これが逆であればどうだろう、と考えました。黒人の世界に白人が来たならば。一目惚れして結婚したいと言っても、同じ様な事が起きたのだろうと思いました。実際それが起きたのがアフリカで生まれたアルビノ事件ですね。突然変異の真っ白な髪に真っ白な肌の人達。周りの人は初めは美しいと思ったのに、あれは悪魔だ、あの肉を食べれば不死になれる、病気が治ると噂が流され、アルビノの人達は貴重種として食べられるようになったのを思い出しました。この現代に至っても呪いを信じる人種にはそんな事が起きるのだと衝撃でした。
この作品の中ではそんな事にまで発展していないけれど、放っておけば奇異の目は勝手に暴走し、人に嫌われることの恐怖に絶えられず自分以外の人を傷つけていきますね。
彼女を愛していたのにどうにも出来なかったんてなんて悲しい世界でしょう。
こんな事が何千年経っても変わらない事を思うと、遺伝子レベルで異端を排除する本能を植えられているのだろう、どれ程知恵を持っていようが人は未熟な生物ですね…やはりモーパッサン、考えさせられます。
作者からの返信
りくさん、読んで頂きコメントもありがとうございます。
異人種に初めて会う時の人間の反応ってどうなんでしょうね。初めてアフリカに来た白人を見たとき、現地の人は綺麗だと思ったのかしら。アルビノの話は、間違った方にエスカレートした代表例みたいですね。
周りと違う人間がひとりその社会に溶け込むには、ものすごい強さが求められると思います。本人だけでなく伴侶や家族も。
異端を排除する本能は恐怖心の表れですから、自分は安全でいたいということでしょうね。
今の時代、理屈ではみんな同じとか言えるけど、実際に自分が関与したときに本音が出るのではないかと思います。
短いけどとても考えさせられますね。
編集済
ああ……やはりこういう結果になってしまいましたか……。
お母さんを含め、悪意がどこにもないというのがかえって酷な感じがするかも。無知は罪だけど、時代背景を考えればしょうがないとも思えます……が、ちょっと考えれば気づけることも多いはず。
彼女の心の内がほとんど語られなかったのは、ひょっとすると読者に想像せよということなのかも、なんて思ってしまいました。あれ……まいったな。私もモーパッサンが大好きになってきてしまったようです(笑)
作者からの返信
烏丸さん後半もお付き合い下さってありがとうございます。
おそらくこの結末は予想されたとは思いますが。
そうですね、悪意がないけど相手にも心があるということまでは推し量れませんね。
でもモーパッサンも同じ時代に生きているわけで、その人間がこういう話を書けるのがすごいと思います。疑問を持つとか、公平な目で人を見るとか、繊細な感覚を持たないと書けないでしょうね。
読者に考えさせるバランス感覚も巧いですね。モーパッサンを気に入ってもらえて嬉しい限りです!
個人の想いだけではどうにもならない社会の中に生きるということ、どの時代のどの人にも通ずる悲しみだと思います。
意志を貫けばいいのかというと、大勢の人を悲しませる結果になったり、かえって互いのために良くない結果になったり……そういう、確実な「悪」が存在しないのに追い詰められることが、世の中にはたくさんあるなあと感じていて。
この時代であれば、子供が生まれたらますます辛いだけだろう。二人が結ばれなくて良かったのかもしれない……と思ってしまうのがまた、悲しいですね。
作者からの返信
鐘古さん、コメントありがとうございます。
この話、お母さんのセリフが全てを物語っているような気がするんですよね。個人単位ではこう思っているけど、世間では同じようには思ってもらえないというリスク。そこを天秤にかけると保身を取ってしまうところ。主人公はそこに屈してしまったけど、彼女の方も同じことを感じ取ったでしょう。現代にも通じる話ですね。この題材を、作者が当時の白人の男という立場で取り上げたところは興味深いと思います。