好奇のまなざしの中で「ボワテル」②

 出発の日。彼の両親に会うため、彼女は一張羅の服を選びました。赤や黄色や青で彩られた祝日の装いのようなドレス。ここに鳥市場の色とりどりのオウムやインコのイメージが重ねてあるのは言うまでもありません。


 ル・アーヴルの駅から彼女は人々の視線を集めっぱなしです。アントワーヌは自分の婚約者がこんなにも注目されることが誇らしくてたまりません。腕を取って歩きながら得意げです。

 ……うーん、ここにアントワーヌの鈍感さがちょっと出ているようにみえますね。この視線がどういう視線か気づいていないようです。


 で、汽車に乗っても彼女は注目の的。二度見三度見どころじゃないですよ、ガン見です。みんな座席の上に立ち上がってまで見てます。子どもは怖くて泣きだします。ママのエプロンで顔を隠しちゃう子もいます。


 それでも無事に到着駅までたどり着きました。さすがのお気楽アントワーヌもここから緊張し始めます。なんたって両親との初対面ですから!

 しかしもっと緊張していたのは両親の方でした。

 鮮やかなドレスに身を包んだ「黒人の女」を目の前にして唖然呆然とする母。馬車の手綱を放しそうになる父。

 アントワーヌは満面の笑みで婚約者を紹介します。


「父ちゃん、母ちゃん、な、初めはびっくりするけどステキな人だろ? ほら、そんな顔してねえで挨拶しろよ!」


 パニクっている母は何を思ったかスカートの裾をつまんで最敬礼のお辞儀。父はあわてて帽子を取り、つっかえながら

「こっ、このたびは、ご機嫌、う、うるわしゅう!」


 カッチンコッチンの空気も馬車で自宅に向かう間にほぐれていきます。

 家に着き、彼女が着替えている間にアントワーヌはドキドキしながらこっそりと両親に、

「な……彼女、どう思う?」

 黙っちゃう父。

 母は遠慮なく、

「黒いよ、黒すぎるよ! あたしゃぶったまげたよ!」

 

 しかしそんなことを言っている母も、台所で食事の支度をしている彼女を見て大感激。こうしちゃいられないわとスカートをたくし上げてお手伝いします。

 彼女の料理は美味しく、食事の時間は楽しく過ぎました。胃袋を掴めば大丈夫とばかりにアントワーヌは再度両親に尋ねます。でも帰ってきた返事はやはり

「黒すぎる」。


 自分が一発で惚れたあの魅力、両親には分からないみたいだ──。


 四人は黙ったまま散歩に出ました。すると畑の向こうから沢山の村人たちが顔を覗かせ始めます。追いかけて来る者もいます。みんなボワテル家のせがれが連れてきた「黒人」を一目見ようとする人たちです。狭い村に噂はあっという間に広まっていたのです。

 両親は人々の視線に恐ろしくなり、どんどん先を歩いて行ってしまいます。

 そして村の広場に着いた彼らを待っていたのは、波のような人だかりでした。黒人だ、黒人の女だ。家という家から出てきて見物客へと変貌する人々。


 その好奇の目、目、目。


 両親は耐え切れなくなり、二人を置いて帰ってしまいました。


 アントワーヌの中に怒りが芽生えてきました。彼は顔を上げると、恋人の腕を取り、精いっぱい胸を張って群衆の視線の中を歩くのです。


 しかし、その心は打ちひしがれていました。彼にはようやく分かったのです。この村で黒人の女を妻にすることはできないと。そしてさっきまで両親が自分をどう思っているか気にしていた彼女も、自分がここまでもことを噛みしめずにはいられない。


 歩きながら、いつしか二人は泣いていました。


 家に帰ってからも農家の仕事をせっせと手伝う娘。そんな彼女を見て母は言います。


「分かってるよ。あのお嬢さんはとてもよく出来たいい娘だって。だけどね……無理なんだよ。分かるだろ。あの肌の色じゃ……無理なんだよ」


 アントワーヌは彼女を駅まで送っていきます。去り際に、きっと両親を説得して迎えに行くからと言い残し、汽車が遠ざかっていくのを涙を流して見つめていました。


 彼がル・アーヴルへ恋人を迎えに行くことはありませんでした。


 アントワーヌは現在、下水処理や肥溜めの掃除といった「卑しい」とされる仕事をしています。別の女性と結婚して沢山の子どもを育て上げました。それでも彼はこう言うのです。


「あれから俺は人生がどうでもよくなっちまった。あの娘に代わる女はいやしねえ。決していやしねえ。あの女性ひとが、彼女が見つめてくれるだけで、俺は天にも昇るような気持ちになったんだよ……」


 

 この物語が描いているのは何でしょう。人種差別を扱った作品と思われがちですが、僕は少し違うと思います。アントワーヌの両親は彼女の良さをちゃんと分かってくれていました。それでも首を縦に振れなかったのは、黒い肌の色そのものではなく、それが生み出すこの社会での「生きにくさ」のせいです。

 彼らを引き裂いたのは村人たちの視線。駅での視線、汽車での視線。

 これは無知からくる好奇心であり、好奇心の持つ残酷さではないでしょうか。それは決して咎めることができない人間のさがでもあります。村人たちは意地悪でも悪気があったわけでもなく、ただ「黒人を見たかった」ですから。しかしその好奇の目は二人を挫けさせるには充分だったのです。そしてアントワーヌ自身も、この世間という圧力に屈することになるのです。


 この話の中で、作者は誰かの肩を持つことなく現実を淡々と語ります。そこから浮き彫りになってくるものをどう感じるかは読者次第。

「ポールの恋人」の同性愛もそうですが、いわゆるマイノリティとそれに対する世間を描くときのモーパッサンの視点は非常に俯瞰的で客観的だと感じます。そしてそういうところが僕は好きです。


 最後にただひとつ、ほとんど心情を語られることのなかった名もなき「彼女」が、その後ル・アーヴルでどんな人生を送ったか。その生涯に思いを馳せずにはいられません。



 

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