戦争での戦闘行為で人を殺すのは罪には問われず、敵兵からの暴力と侮辱への憤りから殺人に至ったラシェルが殺人の罪に問われるのはなんとも残酷ですが、教会がラシェルを鐘楼にかくまったことでプロイセン軍の目を逃れ、事件も闇に葬られ、ラシェルは生き延びることができました。ですからこの事件そのものが哀れな娼婦にとっては、戦争の延長上にあり、敵兵からの暴力と侮辱に対する抵抗の意識は教会によって守られたことをモーパッサンは小説を通して強調したようにも思いました。
作者からの返信
中澤さん、コメントありがとうございます。
>戦争での戦闘行為で人を殺すのは罪には問われず、敵兵からの暴力と侮辱への憤りから殺人に至ったラシェルが殺人の罪に問われる
これは戦争の矛盾の際たるものですね。
フランスが敗戦したことは事実ですが、その中にもこの教会のように抵抗を貫く人達がいたことと思います。ラシェルを殺さない結末にすることでそういう人達への賛美でもあるように感じます。
戦争という題材ひとつとってもモーパッサン色んな立場の人間を描いていて、それぞれの人生が狂わされる様子が色んな視点で見られるのが貴重だと思います。
柊さん、こんにちは。
私は柊さんの解説を読んで、たくさんのインスピレーションをいただいています。時には先生の本を読んだり、疑問点を調べたり、薦めていただいた動画を観たりなどして、数々のことを学ばせていただいています。感謝です。特にノルマンデーやコルシカのことは全く知らなかったのですが、今では情景が浮かんできたりして、先日は生まれて初めてのホラーを書いてみました。もちろん、舞台はコルシカです(笑)
今回の短篇はまたまたおもしろかったです。「脂肪の塊」や「梅毒で復習する話」と比べると明るくて、痛快成敗物語といいますか、愛国心お姉ちゃんのラシェルががんばっちゃいました。
ところで、これを原作にした映画がありました。それも、1944年制作のハリウッド映画、ロバート・ワイズ監督の作品。
https://www.youtube.com/watch?v=tRl5e3c4a1s
最初は興味はわかなかったのですが。ロバート・ワイズ(ウェストサイド物語、サウンドオブミュージック)の監督デビュー、30歳の作品だというので観てみました。
タイトルは「マドアゼル・フィフイ」ですが、前半は「脂肪の塊」を、後半が「フィフイ」をもとにしています。といっても、娼婦は出てこず、主人公は洗濯の仕事をする若い女性エリザベスです。フランス人のシモーヌ・シモンという女優が演じています。先生が観たら、激怒するかもしれませんが、女優がかわいいので、あっさりと許してくれそうな気もします。
さて、この映画の大事なポイントは「教会の鐘」です。1870年の普仏戦争の時、プロイセンに占領された町とされていない町(Cleresville)がありました。その占領された町の神父さんは、教会の鐘を鳴らそうとははません。プロセインの将校ヴィルイム少尉はサイコパスで、人を虐めたり、ものを壊したりする低俗趣味の男。いやがる老神父に鐘を鳴らせと強請しますが、「フランスが解放されるまでは鳴らさない」と神父。彼は年を取り引退するところで、首都のルーアンから若い神父がやってきます。若い神父は出発する時に、教会の前のジャンヌ・ダルクの記念碑に祈ります。そこには、「フランスのために死んだ」と書いてあります。
そのルーランからの馬車には、「脂肪の塊」にあった物語が展開します。途中の宿で、ヴィルイム少尉がエリザベスを呼びます。彼女に愛国歌を何度も歌わせたりしてその涙を楽しみます。(中略)
ようやくCleresvillに着いて、マドモァゼル・フィフイの物語が始まります。フィフイは家ものを壊したりするのにも飽きて、パーティをしようということになります。洗濯屋の女たちに声がかかり、そのひとりにエリザベスがいます。彼女は「フランスはみんな自分のもの、女も自分のもの」と侮辱するフィフイを殺します。
彼の遺体が馬車で運ばれる日、若い神父は教会の鐘を鳴らします。プロイセン兵士は少尉のためだと思うのですが、塔の鐘の横には、エリザベスがいます。鐘はエリザベスを守るためになっているのです。
今回も、楽しみました。どうもありがとうございました。
作者からの返信
九月さん、コメントありがとうございます。
この連載がインスピレーションに繋がったら光栄です。行ったことがない場所を想像させるのはモーパッサンの筆力もそうですが、ここまで読んでくださった蓄積が大きいですね。
この話はまさに成敗話で、個人的には「脂肪のかたまり」のようにもっと人間を描いてくれるものが好きですが、愛国心(作家としての)ってなにかを考えさせるのでこの作品も面白いと思います。
まさか「脂肪のかたまり」と「マドモアゼル・フィフィ」がくっついた映画があるとは知らず。。映画監督は有名な人なんですね。ふたつの原作の主人公は同じ娼婦でも格が違うので、洗濯女でがらっと変えたのはよかったのかも。あるいは制作側が娼婦の主人公を嫌ったのでしょうか。
書かれているラストだと鐘の意味が分かりやすいですね。マドモアゼル・フィフィは鐘をならす意味がもっと現実的で、ドラマチックではないので。
普仏戦争を描くと必ずプロイセンがすごい悪者になりますが、プロイセン兵を主人公にした話もあって、少し印象が変わります。ウォルター・スナッフスの冒険という題で紹介してますので、もしよかったら覗いてやってください。
どうなんでしょうね。確かに気持ち良く終わるとホッとするけど、「え、モーパッサン先生これでいいの?」という物足りなさもあるかも。
後味の悪い作品が多いからですかね。笑
短編小説のあとがきに、新聞に掲載された短編が多いと書かれていたので、世論に合わせたりとかの苦労もあったんでしょうか…
執筆活動は十年くらいで、早世されたようなので驚きました。
短い間に強烈な爪痕を残されたんですね。
作者からの返信
陽咲乃さん、コメントありがとうございます!
>「これでいいの?」という物足りなさ
もうすでに物足りなさを感じるまでに作風を理解しておられますね。感激です。
普仏戦争がテーマだと先生は感情を入れがちになるんじゃないかと思っています。この英雄的なハッピーエンドはやっぱり違和感が残るんですよね。
新聞に掲載されたものをまとめて短篇集に、というパターンがほとんどですね。僕の印象では世の中のニーズにこたえるよりあくまで自分のスタンスを崩さないって気がします。昔の作家は気骨があるというか。
あとがきは作家についても知ることができて面白いですね。たった10年の創作活動に早世。短距離走みたいな人生ですよね。
作品をほぼ読み終えてしまったので、ここからはスローダウンしていきます。
今まで貪るように読み漁ってきましたが。ここにきてやっと「なんでこんなに柊作品に惹かれるのか」がわかりました。
これが「柊さん対月森」だけに当てはまるものなのか、「柊さん対ファンの皆さん全員」に当てはまるのかはわかりませんが(笑)。
でも、個人的にはスッキリしました。
作者からの返信
月森さん、コメントありがとうございます。
短い間にこんなに興味を持って読んで頂けるなんて本当に光栄です。
前に刺さるって仰いましたが、モーパッサンの小説なんか特にそうじゃないですかね。この連載を読んで下さる方もそれが嫌じゃない、というか、共感されるのだろうと思います。なので感想を置いていってくれるんじゃないかと。
ちょうどこのお話を拝見している時に「リスペクト」にコメント頂きました!
それでちょっと思ったのですが‥‥‥
モーパッサンはラシェルが処刑される結末を思い描いていたのだけれど、それに反して登場人物達が、ラシェルを幸福に導いてしまったのかもしれない、と。
(勝手な想像ですみません)
シチュエーションが同じでも結末が正反対になる事が、小説でも現実でもありますよね。
このお話もノンフィクションっぽくて、結末までハラハラしましました。
教会の鐘の深い意味は分かりませんが、あの日から再び鳴らされるようになった事で、何か明るい希望を感じる事が出来ました。
作者からの返信
ふうこさん、コメントをありがとうございます。
作者が予期しないところで登場人物が勝手に動く、って面白いですね。いつものパターンだと読者はバッドエンドを想像すると思うんですが(自分はそうでした)先生の意思に反して神父さんがかくまってしまったのでしょうか。
あとで付け足した部分は「そこまで必要かな」と思ったりするんですが、普通負けで終わる話にこうして救いがあるとより幸せを感じさせますね。リアルをリアルのまま描写するのではなくてそこにドラマを描くのが自然主義作家だとモーパッサンが何かで書いていたような。
鐘の音は将校の遺体を見送る=撤退するプロイセン軍を見送る、みたいにも感じます。何より清々しい印象を与える音ですね。神父は影の存在として大活躍だったと思います。
実に考えさせられます。さっきから考えてますがぐるぐるしちゃいます。
侵略、これはまさにレイプです。しかし肉体を犯されても心は屈服しないというラシェルの想いと反撃。喝采を浴びるべき行為でありながら、犯罪者のように匿われざるを得ない現実。鐘を鳴らすことで表面上屈服を示しつつ、その実、ラシェルにエールを送る教会。しかし、その意味は人々には届かない。
これで充分に物語は成立しているのに、敢えて付け加えた。まるでお伽噺のようなラシェルの幸福。
モーパッサン先生の国に対する憐れみと愛情か。それとも、皮肉なのか。『脂肪のかたまり』と対に考えると、娼婦という生け贄を差し出した気まずさ、これを紛らわせるために夢物語にしてあげましたよ、という皮肉にもみえるような気がしまして。考えすぎかな?
ところで、国と国、人と人の間に常々発生しうる『暴虐』というもの。これ、個人的には超重要なテーマでして。欲求のなかで発生しうる支配欲。ここで生じるものは愛情なのか暴虐か。もしも多義的なものだとしたら、その差異はなんなのか。いや、それは幻想で、須く暴虐に過ぎないのか。
色々と考えさせられました。日曜日の午後、贅沢な時間を頂きました!ありがとうございますっ!
作者からの返信
呪文堂さん、三話にわたってお付き合いくださり、コメントありがとうございます!
感想を頂き僕もうーんと色々考えました。この話は本当に多重構造だなあと改めて思います。フィフィにプロイセンを、ラシェルにフランスを背負わせて、そこに男と女、将校と娼婦、ゲルマン人とユダヤ人を重ねて…もう背景だけでお腹いっぱいですね。
社会的立場の低さと本人の誇りの高さにギャップがある職業ってそれだけでドラマチックだと思います。いかに風俗業でもプライドはある、それを越えてきた「侵略者」に対する報復は、純粋に読者の溜飲を下げてくれることと思います。
僕は実を言うとラシェルが処刑されると思っていました。なのにしっかりと助けの手が与えられ、さらにこのハッピーエンドまで付け足される。「らしくない」と言いますか、どうも自然主義から逸れるような気がしたのです。憐れみや愛情としたらこの作品は他のものより作家の感情が勝っているということですかね。
国でも人でも、強者側の一方的な欲が勝ったものであればそれは暴虐のように思えます。戦争での侵略はまさにそれですよね。完全に土地や人間の支配欲だけで、そこには愛情はないので。
人と人の間はどうなんでしょう。愛情ゆえに支配したいという心理って男ならよくあると思いますが、これも暴虐と紙一重だったり。すべてはそれを受ける者次第でしょうか。好きでもない相手に侵略されたら、喉にナイフ突き立てたいですもんね。なんて。欲求と感情が混じりあう人間って複雑ですね…。
またまた長くなりました。いつもながら深くお読みくださり、貴重なご意見を頂けて本当に嬉しいです。ありがとうございます!
これは勝手で単純な考えですが、書籍にするというのは、新聞という媒体の一部にとどまるのでなく、より多くの人々に支持される必要があった。
だから、フランスに、圧倒的に気分のいい終わり方にした、というのはどうでしょう?浅はか過ぎますよね。
でも、ラストで一読者としては気分がスッキリしたのも事実です。
フランス万歳、というところでしょうか?
作者からの返信
レネさん、コメントありがとうございます。
確かにそうですね、書籍だと新聞よりも幅広い読者層になりますよね。「圧倒的に気分のいい終わり方」はこの戦争に対する作家の個人的な感情が反映されているように思えていたのですが、なるほど国民全体にその心情は当てはまるもので。
きっと腹の底でみんなが抱えている屈辱を代弁し、こういうかたちで晴らしてくれたのかも知れませんね。
この部分はどう考えればいいかと思っていたので、考察とご意見とても嬉しいです。ありがとうございますm(__)m
最後、でも、暗い話に一筋のあかりが欲しかったんじゃないでしょうか。占領された側の人間としての鬱屈かなって、ちょっと思っています。
作者からの返信
アメリッシュさん、結末までお付き合い下さってありがとうございます。
僕はモーパッサンの作風からしてラシェルが処刑されるのではないかと思っていました。でもこの話では優しさと希望の方に針が振れたようで。たしかに一筋の明かりを見せてくれますね。『脂肪の塊』がリアルの塊だとしたら、こちらには少しファンタジーが入っているようにも思えます。負けたという史実は変わらないので、こういうラストを用意することで鬱屈した感情を吐き出したのかも知れませんね。
前なんとコメントしたかは忘れましたが、フィフィがあんなやつなので「ラシェルやりすぎ」とは思いませんでした。因果応報。
ハッピーエンドによって、フィフィざまぁーという空気がさらに濃くなりましたね(笑)
このエンディングは、私には国がどうというよりも、苦労してきたに違いないラシェルへのご褒美なのかな、と感じられました。
どうしても立場弱い女性には味方したくなっちゃいます^^
作者からの返信
黒須さん、こちらもお付き合い下さってありがとうございます。
そうですね、因果応報、ナイフを立てるシーンは溜飲が下がります。
ラシェルへのご褒美って言葉に優しさを感じます。これまで辛い目に遭ってきた分、取り戻したいですよね。作風からすると甘いのかなって思ったのだけど、国ではなく個人のレベルで幸せになる結末を用意したのは作者の優しさだし、想いの強さなんでしょう。弱者を代表するようなヒロインにはやっぱり幸せになって欲しいですもんね。
ラシェル「窮鼠猫を噛む」でしたね。
支配する側とされる側、自分ではどうする事も出来ない状況の中で
心までは敵国に支配されなかったラシェル……発作的な殺人を犯したのかな
と思いました。その勇気は愛国心だけではなく、もしかしたら愛する者を奪われた
怒りや悲しみ、自分の自尊心を守る為だったのかしら?
ハッピーエンドでよかったです。ここにモーパッサンのドイツ嫌いを感じ
名作には魂の叫びがあるのだと納得しました。
作者からの返信
ハナス様、見届けてくださってありがとうございます。
殺人に至るまでの将校と娼婦のやりとり、原作には緊迫感が張り詰めていて、殺伐として、読むの辛いです。ラシェルがナイフを突き立てた瞬間はやっぱり溜飲が下がります。
僕はリアルに考えればラシェルが捕まって殺されるだろうと思っていたのです。だから命を救われただけでなく、幸せな結婚まで用意してあげるところに少し感情的なものを感じました。でもこういうお話がないと救われませんよね。主人公とフランスに対する作者の愛ですね。
柊さん、更新ありがとうございますm(__)m
きゃあ!(^^)! 逃避行を憶えていてくださったのですね! 感激です(T_T)
そして鐘が鳴る日……「明るい音色で響き渡る」鐘は、やはり、レクイエムであったでしょうか。ラシェルの贖罪意識が、音色を明るくさせたのかもしれないと思いました。綺麗に過去を清算して、貴婦人になって、幸せになれたのでしょうね。
ひとりの将校に「復讐」したところで歴史は変わりません。戦争の暗い面ばかりをえがきたくなるほどに、青年・モーパッサンは人間の利己主義、愚かしさを目の当たりにされたのでしょうね。実際、戦争に召集されたモーパッサン先生が、この異色の結末を示す小説を書き上げることで、ひそかに自分の「心の勝利に乾杯」できたのかもしれません(勝手な憶測です)。
あら? レビュー数が少なくなったのは短編の数でしたのね!
ミニマリストになりたいだなんて、柊さん、大丈夫かしら。
えっ? 過去作の大半を収納中の、ひいな氏に言われたくないですよね。失礼しました。
そう、奇遇ですけれど、ミニマリストへの憧れに燃える冬です(意味不明)。
でも、ラジエーターの御話も好きでした。あの足跡、可愛かったですよ❤
再公開のあかつきには是非、レビューを書かせてください(書きそびれていましたので)。
作者からの返信
ひいなさん、コメントをありがとうございます。
僕は現実的に考えすぎてしまって、ラシェルが処刑されなかっただけでなく鐘楼にかくまわれていただけでも充分ハッピーエンドに思えるんですよ。本当なら見つかって殺されるだろうと思ってしまうから、リアリズムの作家には珍しいと思って。感情が入ってますよね。他の普仏戦争の話はシビアだから、よけい珍しく感じます。でもフィクションだからこそ「綺麗に過去を清算して、貴婦人になる」ことも可能なんですよね。こんな結末の物語があってもいいんですよね。
短編のことすみませんほんとに。小さくなりたくって。意味不明ですね。春までと言わないで年が明けて気持ちが落ち着いたら復活させようかな。ラジエーターの話なんて冬じゃなきゃ意味ないのにね。
お気持ちありがとうございます🐾
編集済
本当に、モーパッサン先生には珍しく勧善懲悪なハッピーエンドですね!
ラストを書き加えたというのも意味深です。
当時のフランス社会でユダヤ人がどういう扱いをされていたかわからないので、ただの想像なのですが、教会に匿われて終わるのでは彼女自身の救いにならず、フランスの勝利を強調して終わるだけだと思ったのではないかと感じました。
弱い者に優しい目を向けるモーパッサン先生ですから、匿われている状況から脱して、本当に彼女自身の幸福を掴んでもらいたかったのではないかなと想像します。
新聞で不特定多数の国民の目に触れる時には愛国心に満ちた話。でも書籍化する時には、自分が本当に思い描いていたラストにしたのではないかしら。
なーんて、勝手な妄想をしてみました。
作者からの返信
こちらにもコメントありがとうございます。
ヨーロッパだとずいぶん長いあいだユダヤ人は迫害とか差別の対象になっていたようで(その原因とかは別の話として)、それがこのヒロイン像にもしっかり設定されてますね。僕はどちらかというと民族的なものよりも娼婦という身分に対するモーパッサンの愛情を感じます。ただ幸せな結婚をするところまで書くのがくどいような、あんまり先生らしくないな、という気もしてます。仰るように新聞の段階ではあっさりと愛国心だけで終わらせて、本になるときに自分の納得いくところまで書き切りたかったのかも知れませんね。普段はモヤモヤさせる話が多いので(笑)たまには勧善懲悪もいいものですね!