鐘が鳴る日「マドモアゼル・フィフィ」③

 ルーアンから呼び寄せた5人の娼婦たちとの宴も終盤に近づき、シャンパンが注がれたところで、プロイセンの将校たちは次々に立ち上がって乾杯し、祝辞を述べます。が、もう完全に出来上がってるのに加え、この後のお楽しみで頭がいっぱいのオッサンたちの口から出る言葉は、それはそれは品のないフレーズばかり。でも娼婦たちもすっかりお酒が入っているのでやんややんやと囃し立てて拍手します。何というか、もうどうでもいい雰囲気。


 大尉は誰も頼んでないのに二度目の乾杯に立ち上がり、

「心の勝利に乾杯!」(意味が分かりません)

 

 するとクマのような中尉が負けじと立ち上がり、酔いに任せてこう叫びます。


「フランスへの勝利に乾杯!」


 その途端、さっきまでの空気が一変して凍りつきました。酔っぱらっていた娼婦たちは素面に戻り、みな口を閉じてしまいます。

 ラシェルは憤りに身震いをして中尉を振り返り、


「言っとくけどね、あたしはフランス人を知ってるよ。それはね、フランス人の目の前で言うセリフじゃないんだよ」

 

 するとラシェルをひざに抱いたままのヴィルヘルムは大笑い。


「俺はフランス人なんぞ見たことないね。なんせ奴らは俺たちが現れると恐れをなしてトンズラしちゃうからな!」


 そして肖像画に弾丸を放った時のような冷酷な青い目で娼婦をしかと見据えます。


「どうだいお嬢ちゃん、もし奴らが腰抜けじゃなかったら、俺たちは果たしてここにいるかな! お前らの君主は俺たちだ。フランスは俺たちのものだ!」

 

 ラシェルがショックのあまり少尉の膝を逃れると、少尉は勢いづき、立ち上がってグラスを持ち上げ、さらにこう叫びました。


「フランスはみんな我々のものだ! 人も、森も、土地も、家も、フランスはすべて我々のものだ!」


 このセリフに酔っぱらいの将校たちの心には強烈な征服者魂がよみがえってきます。グラスを手に取り、怒号のような声で、


「プロイセン万歳!」

「プロイセン万歳!」


 ひと息に酒を飲み干す将校たち。

 恐れをなした娼婦はみな黙りこくってしまいました。ラシェルでさえも言葉が出てきません。

 しかし、少尉はさらにラシェルの頭の上へグラスを置いてシャンパンを注ぎながらこう言うのです。


「フランスの女も同じだ。すべて我々のものだ」


 シャンパンの雨を浴びたラシェルは唇を震わせつつ、勇気を振り絞って将校を睨み返します。そして怒りに息を詰まらせながら、

「ウソ、ウソだ。フランスの女は絶対にあんたたちのものになどなるものか」


 すると少尉はからかうようにこう言います。

「面白いねェこのお嬢ちゃんは。だったらおめェさんは、一体ここへ来たんだい?」


 ラシェルは一瞬言葉を失います。しかし、彼女は怒りに任せ男に向かって激しくこう言い返すのです。  


「あたしは…あたしは普通の女じゃない。あたしは売女だ! いいかい、お前らプロイセン人には売女がお似合いなんだ! お前らには売女で充分なんだよ!」


 ラシェルが言い終わらないうちに少尉はその頬に平手打ちを食らわせます。この小生意気な女をもう一発殴ろうと彼が手を挙げたその時、娼婦はテーブルにあったデザートナイフを掴みました。そして男の喉元に向かって──、

 

 グサリ。

 銀の刃を突き立てました。


 悲鳴と怒声の中、その場はパニックに陥ります。ラシェルは窓へ向かって走り、誰も追いつく間もなく窓から外へと逃げ去りました──。


 マドモアゼル・フィフィはまもなく息絶えました。


 大雨の中、必死の探索が行われましたが、朝になって見つかったのは暗闇の中で相打ちをしたプロイセン兵の遺体だけ。

 娼婦の姿は影も形もなく消え去っていました。


 

 この事件はプロイセンにとっても恥であるとして闇に葬られました。ただ、それまで鳴らされることのなかった教会の鐘が、ヴィルヘルム少尉の埋葬の日、明るい音色で響き渡ります。

 それから毎日、教会の鐘は鳴り続けました。町の人たちが訝る中、その秘密を知っていたのは、司祭とその従者だけでした。


 もうお分かりですね。鐘楼にいたのはラシェル。彼女はプロイセン軍が町を引き上げるその日まで、司祭によって鐘楼にかくまわれていたのです。


 その後ようやくルーアンに帰った彼女は、勇敢な行動に惚れ込んだある男性と結婚をします。そして他の女性にも劣らぬ貴婦人となり、幸せな生涯を送ったのでした。


 了。



 娼婦が登場する話でも、「脂肪のかたまり」とは正反対の復讐劇です。残酷な敵国将校の喉にナイフを突き立てる社会的弱者のヒロイン。ある意味分かりやすい勧善懲悪ストーリーとも言えるでしょう。しかも強く生き延びて最後には幸せを掴むのだから超のつくハッピーエンドです。


 実はこのお話、書籍化の際にモーパッサンがラストを書き足しています。初めて新聞に掲載されたバージョンはもっと短く、鐘を鳴らしたのはプロイセン兵に踏み込まれてラシェルを見つけられないようにするためだった、と説明するところであっさりと終わります。

 ですので、モーパッサンの書き加えたラストが、オリジナルに比べてヒロインにより幸福な結末を与えていることが分かります。


 どうしてこの部分をつけ足したのでしょう?


 一人の将校に復讐してみたところで、フランスが戦争に負けたことに変わりはありません。鐘を鳴らす意味が勝利を匂わせるものになるのも少し疑問を覚えます。だから、このヒロイズムと幸せすぎる結末が、どうしても甘く思えてしまうのです。これは作者の愛国心の表れなのでしょうか?


 このあたり、ぜひ先生に伺ってみたいところですが、それができないのが非常に残念。


 皆さまは、どうお思いになるでしょう。

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