モーパッサンっていろんなテーマで訴えかけてきますね。
これは三角関係ではありますが、マドレーヌの相手が女性であったということが、ポールにとっては耐え難いことだったんですね。
確かに誰かが悪いわけじゃない、価値観の違いが生んだ悲劇ですね。
う~ん、なんか色々考えさせられて面白いです。
そういえば、前々回でしたか、図書館で『女の一生』を借りたと言いましたが、これは長編なんでまだ読み終えていないのですが、文学の森全集の中に、色んな方の短編が納められていて、その中に、モーパッサンの『首飾り』と『未亡人』ってのが載っていたのです。
それで、『首飾り』をまず読みました。
当然ですが最後が例のあのオチで終わっていました。
大体のあらすじは柊さんから聞いてわかってはいましたが、最後の親友の言葉に唖然としました。
10年の死に物狂いの返済の日々が音を立てて崩れていくようでした。
柊さんがクセになる優秀作品だと仰る意味が分かる気がしました。
作者からの返信
本当に色んなテーマで、色んなことを考えさせますよね。この短編の好きなところは、モーパッサンが誰の味方をするでもなく冷静に(ある意味突き放して)書いている部分です。だから読者が自由に捉えることができるのかなと思います。
それから、実際に原作を手に取られたというお話を聞くと嬉しくなります^^ 短篇を見つけられてよかった!やっぱり原作を読まれると細部の描写まで味わえるんじゃないでしょうか。だからこそオチの言葉がグッサリくるんですが……
「未亡人」はこちらではまだ取り上げていないです。リストに入れておきたいと思います。
丁寧なコメントくださり、ありがとうございます!
ゆい(๑╹◡╹๑)「マドレーヌちゃん。ポールにダンスパーティーに連れてきてもらったのに、森の中でポーリーヌとそういうことしちゃダメ。ポールにバレないように、後日にすれば良かったのに」
モーパッサン(◠ᴥ◕ʋ)「そわかくん、そういうことが言いたいのではない。これは植えられた価値観から逃れられなかった男の哀れな末路を描いておるのじゃ」
ゆい(๑╹◡╹๑)「あのー、なんで犬なんですか?」
モーパッサン(◠ᴥ◕ʋ)「かわいいじゃろ♪読者から、先生かわいい♡と絶賛されたから、さらにかわいくしてみたのじゃ」
ゆい(๑╹◡╹๑)「いやいや、モーパッサン犬の話だと思われますよ!威厳ある顔にしてください」
モーパッサンಠ益ಠ「これはどうじゃ?」
ゆい(๑╹◡╹๑)「フォロワーさん、81人減ります」
モーパッサンತ_ʖತ「ならこれは?渋いじゃろ?」
ゆい(๑╹◡╹๑)「目ん玉、もしゃもしゃしています」
モーパッサン(ʘ言ʘ╬)「これならどうじゃろか?」
ゆい(๑╹◡╹๑)「先生、読者を睨んでどうするんですか。更新しても、誰も読みにきてくれなくなりますよ。柊さんの妨害しないでください」
こうして、先生の顔はやはりᕦ⊙෴⊙ᕤに戻ったのでした。めでたしめでたし♪
作者からの返信
あれ、以前も見たことのある顔文字が並んでいますね。益とか言とか入ってますけど。なんか怖いです。あと犬だともう人間ではないのでちょっと……。
フォロワー様はこの作品に不釣り合いなほどで畏れ多いですが、更新しないとだめですよね。最新話が二か月ぶりでした。忘れられないうちにまた次の短編を決めなければ。
先生のお顔が曇らないように頑張ります(^^;)
ポールを殺したのはポールの中の狭量な心だったのですね……。
許せないことが多い人は、自身の首を締めてしまうもので、可哀想だと思います。
マドレーヌが好きならば、ポーリーヌが好きなマドレーヌごと愛せたら良かったのにと、いろいろ考えさせられました。すごく面白かったです!
作者からの返信
仰る通りですね。
「許せないことが多い人は、自身の首を締めてしまう」
まさにそうだと思います。今日の一言いただきました。僕も心して覚えておきます。
ポーリーヌが好きなマドレーヌごと愛する、これは一番不可能なことでしたね。現代でもそこまでの器量のある人はなかなかいないんじゃ…と思います。
この時代にこういう話を書くのって先を行ってますよね。視点が偏っていないところが好きです。
読んでくださりコメントも感謝です!
編集済
これは非常におもしろく興味深いお話でした。私が思う最も詰まらない状態とは自らの価値観に拘束されること、だと思っているのですが、ポール君は自らの価値観を守るため、それが崩壊する前に自らを殺してしまった。まあ、ある意味天晴れですが・・
古くは平安の昔から。特に戦国時代以降ですかね、本邦では男性同士での恋愛がむしろ奨励された向きがありますね。戦場に女性を連れていくのは危険ですし足手まといになるし、恋人が近くにいると侵略先での暴虐を一定数減らすことができる。血生臭い戦場で昂った血は性交を求めやすく、しかし、為政者としては可能な限り占領地での暴行は止めさせたい。そんな要請もあったのではないかな?なんて想像します。(武士で衆道を解さないのは半人前、なんて謂われもどこかで読んだことがあるような。)
つまり面白いのは、「奨励されれば俺も俺もと沢山の追随者が出てき得る」という点です。かなりの確率で衆道、いやBL ですかね、これを楽しめる要素を有しているはず。単純に考えて、両刀使いに成れれば対象は倍増!異性にもてない人も同性なら、という可能もあるかも。(と、理論的には理解しているのですが、どうにも私はその能力が欠如しているのかも)
・・なのでポール君が愚かであることは論証するまでもないのですが、興味深いのは、マドレーヌの相手が男性だったら、というところですよね。彼は自分の価値観に敬虔だった。私なら、恋人を寝取ろうとするやつが男ならあらゆる手段で撃退しますが、女性なら?悩むなあ。
え?どこまで?入れるのはやめて!いやまあ、おもちゃでもなあ。うーん。あ、ぼくも一緒では?だめ?
なんて、なんだろう、平和的に世界が広がるかも。
ごめんなさい、ながながと。非常に興味深い世界でした!
作者からの返信
呪文堂さま! コメントというには勿体ないほどのご感想、分析をありがとうございます! こうして明確に文章化して頂けると僕の書けていないすき間をびっちり埋めて頂けるような気がします。有難いです。m(__)m
自分の価値観に囚われるほど詰まらないものはない、そうですね。でもそれを破るのは茹で卵の殻を破るようなもので、あまり不用意にすると卵自体が壊れてしまう危険がありますよね。(すいません、さっき茹で卵をボロボロにしてしまったので思いついてしまっただけです)
衆道は肉体的なフラストレーションの解消を、ブロマンス的な精神論でうまくくるんであるなと思います。例えば衆道と言っても侍の衆道とエロ坊主の衆道はそこが違うような気がします。目の前が戦場である侍の方が、肉体的にもですが精神性もより高まるような…本気で惚れるということもあったのかなあ、なんて思います。
時代の風潮、教育、そういうのが本当に影響しますね…。今よくマイノリティがどうのと言いますが、感覚ではなく頭が先行していますよね。日本は昔はもっと風通しが良かったんじゃないかと思うと、下手に西洋思想が入ったのが残念です。
マドレーヌの相手が男だったら、「普通の浮気」で済んだのでしょうね。そういえばコメント頂いて、御作のアストヘアを思い出しました。勇者様とリンちゃんとアストヘア、あの関係はひとつの理想形だと思います。あの解放感というか、オープンな感じ。
最後に書かれていることが勇者様の心境っぽく見えました。
こちらこそ長々と失礼しました。
ありがとうございます!
太めのオスカルがツボで、ポーリーヌがずっとその姿で脳内再生されてました。太めのオスカルさま、いいなあ。包容力ありそう♫ 偏見は勝手に生まれたものじゃなく、どこかから植えつけられたもの、という言葉にはっとしました。誰しも気づかないうちに偏見を抱いているものですよね。
作者からの返信
橋本さんコメントありがとうございます。
ああごめんなさい太めで(笑)オスカルファンが怒りそうですね。肯定的に受け止めていただきよかったです。
ポール君が上院議員の息子という設定だけで彼のバックグラウンドが見えるような気がします。教育とか考え方とか、いつの間にか自分に浸透しているものは気づきにくいし変えにくい、厄介なものですね。
この時代にこれを書くのはかなり大胆だったと思います。
今調べたのですが、モーパッサンは19世紀後半を生きた人ですよね。それにしてはこの小説の内容はさすがフランスだな、という感じがします。
オリジナルを読んでどんな印象を持つかわからないけど、柊さんの語りからは、なまめかしかが充分に伝わってきます。
彼女らが一般の人々にも人気があるなんて、なんかもうすごくフランス的ではないかと。
日本なんか、同性愛が市民権を得たのはまだ最近のことのように思います。
フランス人のそういう愛に対する考え方はちょっと特別な感じもするのですがいかがでしょう。何をおいても愛が優先みたいな。
作者からの返信
レネさん、ご感想ありがとうございます。
僕の考えですが、日本の方が同性愛的なものに寛容な気がします。昔は衆道とかありましたし、そこにはエロスだけじゃない深い結びつきがありますよね。
あと歌舞伎で女装したり、宝塚があったり、そういう性倒錯的なものに美を感じて市民権を得ていますし。映画の話にもあった京劇もそうですが、アジアの方がもともと性に対して寛容だったように思えるのです。同性愛を嫌がるとしたら、西洋思想の影響じゃないかなと思います。
この話の舞台はちょっと特殊な場所で、やはりレスボス達は日陰の存在であったには違いないですね。実際はポールのような人が大多数だったと思います。愛というのは男女に限られたもので、同性愛を愛と認めるかは別物というか。フランスで同性婚が認められたのは数年前ですし、他のヨーロッパの国よりずっと遅いので、根っこでは保守的なんですよね…。
ですのでモーパッサンがこの時代にこれを書いたのはかなり時代を先取りしていると思います。ポールの最期に気を悪くした読者もいたかもですね。
長々と語って失礼しました ^^;
衝撃のポールVSポーリーヌ……「彼女はポーリーヌの肩に頭をもたせかけ、安全な場所に身を寄せるように女の優しさにすがり、今までにない心の安らぎを感じながら歩き始めたのでした」……百合だわ!!(おそらく)。
性別にこだわらず純粋に好きなものは好き。それでいいじゃないと思うのですが、ガチガチの固定観念(偏見)を植え付けられたポールの末路(∩º﹏º∩) 今回も容赦ないですね。でも私も、この御話に惹かれます。原作を読んだことはありませんが、柊さんの文章から、抑えられた筆致で淡々と俯瞰するように書かれていることが推察できます。文章で叫んでしまうと、それが作者の訴えだと思われてしまいがちだから、あえて叫ばない表現方法なのでしょうね。そんなところに惹かれます。
作者からの返信
お話は三人称ですが、わりとポール目線のナレーションが多いので、「ポールが」感情的に語るところもあります。でも雰囲気というか、全体のトーンとしては淡々としています。
人がひとり死んだのに、遺体を引き上げた男たちのセリフもどこか冷めていたり、ポーリーヌのセリフも「切り替えようぜ」みたいなニュアンスを感じたり。要するにポールが人気があったのは上院議員の息子だったから、という皮肉めいたものもチラチラします。
そういうのも全部含めて、当時としてはかなり大胆な話をさらっと書いちゃうのがいいなと思います。すべての人間を俯瞰できる平等というか冷静な感覚を持っていないと、どっちかに偏ったり、説教クサくなったりしそう。贔屓目ですが、やっぱりそういうバランス感覚もいいのだと思います。
「太めのオスカル」がどうしてもイメージできません〜!💦
(だから勝手にノーマルオスカル様に変換)
うん、オスカル様が相手じゃ仕方ないよね!
ポールもベルばら読めばよかったのに。
…なんて、私たちの価値観はどうしてもそういったメディアの影響下にあるので、それが全くない時代・環境にいる人々の価値観を非難できるわけではないですね。
たまたま恋人がそうだった、たまたまそういう相手が現れて、たまたまラブシーンを目撃してしまった…という不運な偶然が重なったポールは、確かに「犠牲者」だったんでしょうね。
作者からの返信
コメントありがとうございます!
太めのオスカルは無理がありましたね(笑)とりあえず魅力的な男装の麗人ということで。
自分たちが植えつけられてる価値観って、自覚してもこびりついていてなかなか取れないですよね。ポール君のようにがっちり「教育」されてしまった人には、この展開はきつすぎるでしょうね。…だからといって、死ななくても、とは思いますが…。
ポールの自殺の原因が彼自身が持つ偏見だったとは、
納得と同時にやるせないですね。
同性なら太刀打ち出来ても、戦うのは自分の偏見ですもの。
克服して許容し、受け入れてもプライドが許さないでしょう。
あー、深いです。モーパッサン作品が現代でも読まれるのは、
人間の普遍的テーマを扱っているからでしょうか。
ちなみに私は、オスカルではなく、綺麗な女子に恋します。(^^)
作者からの返信
コメントをありがとうございます!
これはあくまで僕自身の感想なんですけどね…。
でも結局何と戦うかというと仰る通り自分の偏見ということになるんだと思います。前半からヘイトスピーチ飛ばしているポール君(しかも上院議員の息子という設定付き)には耐え難いことだったのではないでしょうか。
何がいいって、こういう話をあっさりと書いてしまうところなんですが。
きれいな女子の方がお好みなんですね(笑)星都さんはもしかして女子校の憧れの先輩タイプですか??
編集済
柊さん、①のつづきです。
ボールはダンスパーティになど行きたくないのですが、愛するマドレーヌをレスボスたちと行かせるわけなーには行かないので、ついて行きます。すると、マドレーヌとレスボスの姿がありません。店を出て、森の中を探すと、マドレーヌとポーリーヌの情事を見てしまいます。「ポーリーヌ」と叫ぶマドレーヌの声は、彼との時より情熱な叫びだったみたいです。
そこで、ポールは絶望的になります。
チョイスは、マドレーヌを諦めるか、愛し続けるかのふたつにひとつ。
ボールは上級政治家の息子ですからね、法律違反のレスボスを愛するマドレーヌをまるごと引き受けると、家から感動され、経済的に生きてはいけません。
しかし、ポールはマドレーヌにぞっこんなので、彼女なしの人生を生きることもできません。
それで、どちらも選べずに、ポールは河に飛び込み、自殺してしまったように思います。
ここで、ゴダールの映画「男・女」についてです。モーパッサンの短編が原作となっていますが、当時の若者の姿を描いた映画だそうで、ヒントをもらっだけで、時代も、設定も、筋も違いますが、主人公の名前は同じ。
ここにクリップがあります。
ポール(雑誌記者)、マドレーヌ(歌手死亡)、レスボス(ポーリーヌという名前ではありませんが、太目で金髪)が登場していますので、ご興味があればどうぞ。
https://www.youtube.com/watch?v=KylXy5Svc4Y
マドレーヌはかわいい。ボール役は「大人はわかってくれない」の主人公をやった俳優です。この役には、ハンサムすぎじゃないですか。彼は映画ではやはり死んでしまいますが、その理由はわかりません。
ゴダール監督の映画は、私にはなによくやらわからないです。
私の理解力のせいだと思うのですが、勝手に好きなシーンを撮って、あとは「自由に解釈しなさい」という感じのが多く、私は苦手です。
話が長くなりすぎるので、簡単に書きますが、去年、私の身内に不幸があって、日本に帰っていた9月に、彼の訃報を聞きました。スイスで、自殺ほう助による自死だと随分話題になっていました。私の身内は生きたくても生きられなかったのに、時代の代表者みたいだったゴダール監督が安楽死を選んだことを考えると、とても複雑でした。
彼のことはよく知らなかったので、帰米してから、彼のドキュメンタリーを見ました。よく人が死んでいく映画を作っていました。やはりよくわかりません。
柊さんは、ゴダール映画はお好きなのでしょうか。
作者からの返信
ゴダールは好きじゃないです(笑)九月さんと同じような感想を持ってしまいます。
>勝手に好きなシーンを撮って、あとは「自由に解釈しなさい」という感じのが多く
そうそう、まさにそんな感じ。なので笑ってしまうんです。人間って理解不能なものを見ると笑ってしまうんですね。あと、この人は映画監督とは言えないですよね。編集とか繋ぎ目が雑だし。
ヌーヴェル・ヴァーグって文学をそのまんま映画にしちゃったようなのが多くて、セリフも現実味がなさ過ぎてきついです。トリュフォーの作品ですら途中で寝ちゃったのもあります(笑)
ゴダールのスイスでの安楽死は話題になりましたね。確かに見た映画はほとんど主人公が死んで終わりでした。ひとの生死観はその人じゃないと分からないものですが、自分で自分の結末を決めたのはゴダールらしいのかな、と分からないなりに思います。