新潮文庫の短編集(1)があったので、脂肪の塊から飛びますがこちらにお邪魔します。
色々興味深いテーマだな、と思いました。
当時は親に決められた相手と結婚する場合も多かったと思うので、何度も命懸けの恋愛ができる人は少なかったのかも(結婚後にしているパターンもあったみたいですが)。日本では女性の恋愛は上書き保存と言われていたりして、意外に男性の方が引きずるのかもしれませんね(笑)。私個人は、侯爵の「恋愛病患者はまた恋する、体質だ」にこっそり同意です。
椅子直しの女性が身投げをする前は、彼から見返りを求めていたのに対し、それ以降は純粋ではありますが無償の愛かというとまた微妙に違うような気もするのです。無償の愛の定義にもよりますが、親から子に対してのような「相手が幸せならそれでいい。相手の幸せ=自分の幸せ」という面もあるかもしれませんが、どちらかというと自分の幸せ(生き甲斐)の為に彼女はお金を貯めて、薬屋と口を聞き、お金をやっていたのではないか、と。自己満足の世界ですね。
恋愛に長けた女性が自分が尽くすより男性に尽くさせた方が、男性が自分にハマりある意味男性自身が恋愛に没入できる事を知っているように。ハマる幸せというのはあるかと。
身分の差ゆえに一方的な愛にならざるを得なかったけれど、彼女は幸せだったと思います(^^)
柊さんが当時の社会や文化の豆知識をご紹介してくれるので、勉強になりとても楽しいです。
作者からの返信
葵さん、コメントありがとうございます。おお、短編集に入っているんですね。
短いけど読みどころが多い作品ですよね。女の恋を軸にしてますが、職業差別や医者と薬屋の微妙な上下関係など、当時の社会を知る資料としても興味深いと思います。
椅子直しという仕事だから逆にこんな一生に一度の恋を貫けたのかも知れません。これがブルジョワなら、よくありがちな結婚してからの不倫って話になってしまうので。
仰るように親子的な無償の愛じゃないですね。恋愛感情は最終的には自分の幸せに返ってくるもので。だから彼女は幸せだったと思います。
もう一方で先生の薬屋の描き方が非常に辛辣で好きです。わざわざこの職業にしているのは小賢しい儲け方をするイメージがあったのかな、と思ったり。
外国の話はどうしても時代背景や当時の認識を踏まえないと分からない部分が多いので、自分で分かる限り少しでもそういう背景も付け加えたいと思っています。
編集済
柊さん、こんにちは。
私は今、短編小説を書いていますので、先生から学ばせていただくことが多いです。柊さんがこの評論を書いてくださったことに感謝です。
この短編は本当によくできていると思いました。
椅子直しの女はひとりの人を五十年間愛しますが、前半と後半では愛し方が違います。
前半は貧しい少女がお金をあげて少年の喜ぶ顔を見て、キスをさせてもらいます。今、劇場のなんとかアイドルに、握手をしてもらうファンの図に似ています。
この椅子直しの少女はこの恋がかなうことを夢みていたので、薬屋になった彼に愛する人ができたのを見ると絶望して、夜に、池に身を投げます。
でも、先生の話はここで終わらずに、続きます。
この薬屋は、偶然に、椅子直しの女性を助けるのです。この時から、女性は彼が元気でいてくれればよいという考えになり、彼のために節約してお金を貯め始めます。そして、死んだ時、全財産2300フランを彼に残します。
彼に感謝されなくても、そんなことはどうでもよいことです。
この椅子直しの女性は朝、今日も彼のためにお金をためるぞと、元気に起きたことでしょう。誰でも仕事にとりかかるまでは大変ですが、特に椅子直しの仕事などは、やり始めてしまえば、没頭です。仕事が終われば犬と馬がいます。だから、夜もさみしくはありません。そして、また朝がきて、彼女は元気に起きて、仕事を続けたのだと思います。
公爵夫人などは幸せそうに見えますが、実はすることもなくて、退屈な人生。パーティで自慢したり、人を見下して、気晴らしをする日々。
どちらが幸せなのか。
私はこの椅子直しの女性が幸せを感じた朝の数は、何百倍も多かったと思います。
作者からの返信
九月さん、コメントありがとうございます。
精力的に書かれているんですね。僕は読む専門で実際に書くときにどう役立てればいいのか分からない方なので、そう言って下さると連載の甲斐があります。
この短編は構成もいいですね。確かに前と後で女の愛し方が違う、鋭いご指摘ですね。少女のころはある意味見返りを求めていたのが、それすら求めないものに変わっていく。これは成熟なのでしょうか。
この話も女を直接登場させずに語りだけで表現されているのがいいですね。同じ人間を第三者から見たとき、薬屋と医者ではぜんぜん違って、たぶん人というのはそういうものなんだと思います。
小説の面白いところは、実際にこんな女性がいたらほとんどの人が軽蔑するだろうに、小説だと美しくなることだと思います。そして薬屋を軽蔑しながら実際は自分もきっと薬屋のような態度を取るのだろうと。
読むたびに噛みしめ方が変わってくるのも、名作の証拠ですね。
これはいわゆる推し活ですね!
相手の私生活を邪魔することもなく、せっせと課金する。なんと立派な心掛けでしょう。
しかも、ゲスな本性を知ることもなく、最後に全財産を貢いで亡くなるとは!
夢を見続けた彼女は、確かに幸せだったと思います。
一番気の毒なのは、ドクターかもしれませんね。
作者からの返信
陽咲乃さん、コメントありがとうございます!
今風に言うと推し活ですねまさに。自分の生活を削ってでも貢ぎ、見向きもされないところまで同じです。
相手のゲスな本性を見ずに亡くなったのが唯一救われますね。
ドクターの立ち位置は、この場合地下アイドルのマネージャー的な感じでしょうか。人間の裏表をいやというほど見るのでしょうね。。
編集済
柊さん。
椅子直しの女性は、間違いなく幸せだったと思います。
彼の事を一途に思う気持ちが彼女の生き甲斐で、お金を貯めて彼を喜ばすことだけが頑張る原動力になっていたと思います。
見返りなど考えてもいなかったでしょう。
まるで、無償の親の愛と一緒ですね。
一方、薬屋の夫婦は本当に幸せを感じていたでしょうか?
何もかも手に入れて地位もあったと思いますが、そこに満足して感謝の気持ちがなければ決して幸せと感じていたとは思えません。
ここに正解はないかもしれませんが、人間の本質や価値観には色々な形があると思いました。
作者からの返信
見返りなど考えていない、無償の親の愛と同じものを感じられたんですね。生き甲斐と頑張る原動力というのもそこに共通しますね。
薬屋はもうなんというか……((-_-;)
多少大袈裟なものの、これぞ人間だなと思ってしまうのです。自分がこういう人間を責められるかといえばどうだろう、気づかずに同じような思考回路になっているかも知れないと。
拙い紹介なのにとても丁寧に汲み取って下さりありがとうございます。取り上げてよかったです。
この椅子直しの女の人は幸せな気持ちで死んでいったとしても、これじゃ何か悲し過ぎますね。
薬屋がドクターに言っている事が本心なのか分からないです。
薬屋の男が歳をとって、死ぬ前に、ふと彼女の顔を思い浮かべて「ごめん。やっと分かったよ。子供の頃からずっとありがとう」って思ってくれたら、報われるのにな〜。
勝手にハッピーエンドを作ったら、作者さんは怒りますかね?
理不尽な事がいっぱいあって、ハッピーエンドにならない所がこの世の中なのかもしれない。
そこが良いのかもしれないけれど、せめてあの世でのハッピーエンドを願ってしまいます。
モーパッサンなんて全然知らなかったし、興味がある分野では無かったのですが、解りやすく楽しめて、色々考えさせられる、このコーナー、少しずつ楽しませて頂いています。ありがとうございます!
作者からの返信
こちらこそ読んでくださってありがとうございます!
この話は切ないですよね。薬屋がドクターに言ったのはまさに本音だと思います。この作家が書きたがる残念な種類の男ですが、仰るように死ぬ前に気づけたら報われるかもしれませんね。そういう風に考えたことなかったので、ハッピーエンドを想像されるのがお優しいなと思いました。
なかなかこの連載に興味を持つ方はいないと思いますが(笑)解りやすく楽しめると言ってくださって嬉しいです。どうぞお気の向かれたときに覗いて頂ければ幸いです!
薬屋の人間性は褒められたものではありませんが、ドクターの前で本来の姿を顕わにしているだけ、まともかなと思います。狡猾な人はその姿すら隠し通すでしょうから。
ドクターの立場から見たら、椅子直しの女性は本当に哀れだと思います。しかし柊さんが仰るように、私も彼女は幸せだったのではないかと思います。生きる糧があったからこそ、彼女は懸命に生きたともいえるかもしれません。
ただ一つ疑問なのは、薬屋が椅子直しの女性を助けたとき、「椅子直しの女と気づかぬ様子で必死に手当て」をしてくれたことです。「気づかぬ様子」ということは、本当は「分かっていた」ということでしょう。それでも必死に助けてくれたということは何かあるのかなと思ったのですが……仕事に影響が出ないように、いい人のふりをしたのでしょうか。真相は謎のままですね。
色々な想像が出来るお話だなと思いました。
作者からの返信
なるほど、どこまでも心の中を隠していい人を繕うということですね。薬屋は医者も共感すると思っていたのかも。自分の価値観を絶対だと思っているのがこういう部分に出るのかも知れませんね。
憧れを憧れのままで死ねるというのは幸せだと思います。これだけが彼女の生きがいだったでしょうね。
薬屋が彼女を助けた時ですが、「気づかぬ様子」は本当に気づいてなかったのかなと僕は思っています。原文にも「気づかずに」とは書いてなくて、「気づかないふり」とも書いてないんですよ。ここは第三者視点なのかなと…細かいですけど。
でも彼女が買い物に来たら一応客として接したでしょうし、無下にはできなかったでしょう。この辺の微妙な線引きもリアルですね。
女にとって薬屋はアイドル(偶像)だったのだろう。というのが私の感想です。
アイドルに熱中している人は、身につまされる話かもしれません。
余談ですが、子供の頃に『ひも』(糸くず)を読んでトラウマになりましたけれど、教科書に載っていたそうですね。
ちょっと驚きました。
作者からの返信
コメントありがとうございます。端的に言うとそういうことでしょうね。僕は報われないと嫌なたちなのでこの女の気持ちは理解しきれませんが(笑)アイドルに熱中することに自分で酔っている部分もあるでしょうね。
糸くずの話分かります。後味悪いですね。これも余談ですが日本語の教科書って悲しい話やバッドエンドが好きですね。あれは弱者贔屓の国民性でしょうか。興味深いです。
女性は幸せだったと思います。
誰かに何かをしてあげるとき、相手からの見返りを期待してしまうと、それが不幸の元になるのだと思います。
薬屋夫婦に嫌悪しますが、彼らは至って普通ですし。女性は自分で幸せを勝ち得たのだと感じましたー。
作者からの返信
サクヤさん、コメントありがとうございますm(__)m
この女性のように見返りとか欲とかそういうものを全部排除して、全部諦めたところから誰かを一途に思えるのが一番純粋な愛なんでしょうけど。自己を捨てきれないのが現実ですよね。薬屋は殊更汚く描いてありますが、きっと仰る通りそれが普通なんでしょう。
これは作者の見る現実と理想が混ざったような話だなと思います。
これこそが『真理』ではあるまいか、そう感じました。
誰もが世界を断片でしか認識し得ない。
この世とは、そのような断片が積み重なる多重世界なんですね。
フレデリック・ラングブリッジの詩の、
『ひとりは泥をみた。ひとりは星をみた』にあるように、世界はそれぞれの世界で成立している。
彼女の世界は、確たる信念と見返りを求めることのない愛情とで成立していた。
これを虚しいとは、何人たりとも言えないはず。だって彼女は、その虚無の深淵から確たる信念と無上の愛を見出だしたはずだから。
交わるとは何か。これは難しい。結局他者も、自己の幻想、投影に過ぎないのかもしれないから。交わるとは、他者を取り込んだ自己との対話なのかもしれないから。その意味で彼女は取り込んだ。彼女の美しい心に見合う、美しいもののみを。
彼女の世界は全きを得ていたでしょう。
とっても深い、漂いたくなるようなお話でした。ありがとうございました!
作者からの返信
呪文堂さん、コメントをありがとうございます。
誰もが世界を断片でしか認識しない、この世はその断片で出来上がった世界。確かにそうだなと思いました。
良くも悪くも、自分のフィルターを通してしか結局ひとは物事を見なかったり考えなかったりするわけで。そこで成立した世界が幸せなものならば、他人からどう見えようとその人は幸せなんでしょう。それが虚無であってもその人にとっては真実になり得るし、そこでどんどん愛を膨らませることもできるわけですね。
交わるのもその延長線上にあるんでしょうね。ある意味本当の相手の姿を見ていないということなのでしょうが、その方が幸せだということも多分にあるかな…と思います。それこそ美しいものだけで世界を作れるので。
それからこの椅子直しという職業を選んだ作者が非常に巧いなと思います。この人たちは日本で言えば部落の人に近い見なされ方をしていたと思うんです。最初から一般的な幸せを諦めたところにある者と、成功が約束されたような薬屋との対比が本当に鮮やかで。ハッピーエンドにはしないけれど弱いものに優しい目を向ける作者のスタイルがここでも出ていると思います。
こちらこそ、いつも深く読んでくださり感謝しています。
ありがとうございます!
そうですね。
不幸な女の人だ、という見方をしてしまうと、とても辛くてやりきれません。
だから不幸ではなかったと思いたいのですが、やはり哀れさを感じる気持ちはちょっとぬぐいきれないかな。
でも、モーパッサンって、随分いい話をたくさん書いているんですね。初めて知りました。
作者からの返信
レネさん、コメントありがとうございます。
この女性の生涯は決してやさしいものだったとは言えませんが、生きがいを持ち続けたまま死ねたのは、幸せだったと思いたいです。それに対して登場する薬屋の姿は極端なほど生々しく描かれていますね。この作品は特に人間の生態を鋭くえぐっているように感じます。
モーパッサン、種類も多いですが中身も充実してますね。これだけの短編を残せるのは本当すごいです。
相手が手に入らないからこその幸せですね…
こういうの読むと、そこそこ好きな適当な人と付き合って結婚するのがええんかな、なんてリアルに思っちゃいます
でもやっぱり死ぬときにもっと深く死にたくなるほどの恋愛がしたかったと思うのかもしれない
そう思うと椅子直しの女性は幸せに死んだから幸福なのかな…難しいです
ふとアイドルにお金をつぎ込む女性たちを思い浮かべちゃいましたw
レベルが違い過ぎますね、すいませんww
作者からの返信
コメントありがとうございます。
以前の掲載時に、推しに貢いで人生を終わる、というコメントをくださった方がいるので、アイドルにお金をつぎ込むって発想分かります。そういう心理にも近いでしょうね。
彼女は薬屋の本性を見ないまま、理想として憧れたまま死ねたので、それが一番の幸せだと思います。
リアルだとどうなんでしょうね、叶わないから余計に美しくしてしまう、みたいな……長生きできる幸せか早死にする幸せか…分かりませんね。
しかし、小市民の薬屋は、これを読んでイラっとはしますよね。たまたま、今書いている、明智の話で、荒木村重の胸糞の悪い人生を書いたのですが、この薬屋と似ています。
作者からの返信
コメント下さりありがとうございます。
胸糞悪いですね(笑)歴史上の人物に疎くて申し訳ないのですが、その荒木という人物も目先のことにチョロチョロと動かされて小ずるく得をするタイプなのかな。もしかしたら万国共通のキャラなのかも知れませんね。
彼の言葉で生き返る彼女、介抱されて幸せを感じる椅子直しの女の一途な想いが健気です。残念なことに思いが届くことはなかった……お金は届いたけれど、というオチが何とも複雑な後味を残しますね。社会の理不尽が投射されています。醜い者ばかりが私腹を肥やす世界。今も昔も変わらないのかしら。でも醜い世界の片隅で、叶わない想いを何十年も持ち続けた人生、手に入らない相手だからこそ夢を見続けることができた人生が、幸せだったのではと、やはり思います。
前の頁の柊さんの解釈には、追加の元気玉💛を頂戴しました……「気持ちが通じ合っていた」と思ってくださって、ありがとうございます。ひいなは感無量です。自信を持って、もう少しだけ小説を続けようと思いました!
作者からの返信
こちらにもコメントありがとうございます。初めて読んだ時は、後半でこんな風に様相が変わるとは思いませんでした。薬屋の片鱗が前半にチラチラ見えていたものの、ドクターとの会話がきついですよね。でもそういう人が裕福になって…。価値観というものが何か、短編なのにぎっちり詰まって考えさせられます。
ひいなさんの御作品は静かな芯が通っていて好きです。皆さん仰ると思いますが、文章もひいなさんにしか書けないものですよね。もう少しだけと言わずずうっと続けて頂きたいです!
編集済
この短編、モーパッサン短編集Iに収録されていたので、読みました。公爵家の晩餐で恋愛論についての議論が白熱して—というエピソードを物語の始まりに持ってくるのは短編の名手ならではの手腕ですよね。興味がそそられて、すっと物語に入り込めました。
椅子直しという低い身分の家庭に生まれた少女がブルジョアの家庭の少年に恋をして、お金を渡すという手段でいたいけな愛を捧げていたけれど、少年は成長し立派になると、近寄れない存在となっただけでなく、ついには他の女性と結婚してしまったので、ショックで自殺したけれど、担ぎ込まれた先で薬屋となった自分が一途に愛してきた男と再会し、男の言葉で生き直し、貯めたお金をその薬屋の男に渡すことを遺言して亡くなりますが、男は身分が低い女からの愛は不名誉だけど、お金は貴重なものとして受け取る—というなんとも図々しく、虫のいい話ですが、椅子直しの女からの愛に対する薬屋の男の暴言は現代では不適切発言に該当すると思いましたし、椅子直しの女の行動は献身的ではありますが、ホスト狂いを連想したりして、現代にも通じる話でもあると考えさせられました。
また、「椅子直しの女」は「恋の盲者」、「薬屋の男」は「金の盲者」として、象徴的に描かれているところが物語を面白くしているようにも思いました。
作者からの返信
中澤さん、コメントありがとうございます。
何かについて話し合っている状況から回想へ入っていく構成は、モーパッサンの短編によく使われていますね。いきなり始まるよりテーマを提示してから本題に入るっていうのは、読者を自然に導く上手いやり方ですよね。
レジュメからご感想まで一文になっていておお、と驚きました。不適切発言、今はそうですよね。モーパッサンぐらいの時代だと、現代では「使ってはいけない」言葉が連発されますが、そこにこそ作家の意図があると思います。読者の方もちゃんとそれを心得ているんではないかな、と。僕は個人的には言葉狩りと言いますか、意図を無視して単語だけを抜き取って禁止する現代の風潮は薄気味が悪いと感じています。
椅子直しの女は推し活とかホスト狂いとか、現代にも通じる依存的な自己満足ともとれますね。でもこの短編がいいのは、女の境遇や職業など社会的な位置が前提にあるうえでの話、というところですね。これがブルジョワの女では話が変わってしまいますから。
男と女の象徴的な対比という構図、分かりやすいです。それを医者という第三者のフィルターを通して描かれるのがさらにいいですね。
この短編、感想を語るとつい沢山書いてしまって、すみません。長々と失礼しました!m(__)m