応援コメント

復讐するは我にあり「ミロンじいさん Le Père Milon」」への応援コメント

  • 善悪二元論みたいな書き方をしないのが、モーパッサン先生の本当に素敵なところだなあと感じます。
    時代、宗教、性別、全てを超越した冷静かつ温かな眼差しが、どの作品にも必ずあるのですね。
    そういう作品を紹介してくださって、ありがとうございます!

    作者からの返信

    善悪とか敵味方という書き方ではなく、あえてもうひとつ超えたところからそれぞれを人間として描いている感じがしますね。この作品も冷酷なぐらいの視線がすごいと思います。
    こちらこそ、興味をもって読んで頂けるのが何より嬉しいです。ありがとうございます!

  • 柊さん、こんにちは。
    この小説では珍しいプロイセンの兵隊に人間味があるように描かれていますよね。
    「プロイセンの人間たちは長いことヒソヒソ話をしていましたが、将校の一人が自分も息子を戦争で失ったこともあり、同情して彼をかばいました。
     それを受けた指揮官は、じいさんに近づいてそっと声をかけます。
    『お聞きなさい、我々にもあなたを救ってやれる方法はある。それは…』」
    なんて言います。驚き。
    16人も殺したフランス人の老人を助けてくれようとしています。

    この指揮官の「それは」、に続く言葉は何だったのでしょうか。
    「気が違ったふりをしなさい」ですかね。

    ーーーー
    「伴奏者」の完成、おめでとうございます。すごくよかったです。期待していましたが、期待以上でした。
    私もボランティア伴走者みたいに、走らせてもらいました。とても楽しかったです。翌日まで待たないと読めないのが、ウェブ小説だと思いました。

    私は柊さんの小説やエッセイを拝見して思うのですが。
    主人公がぎりぎりまでがんばるのだけれど、ある時、耐えきれなくなり爆発。相手を傷つけ、自分も傷つき、後に一応修復できたようにはなっても、心にはガラスの破片がつきささっていて、時々痛む。そういう哀しいテーマが多いと思っていました。だから、傷ついた人々に寄り添えるのですが、今回も、そういうことになるのかしらと内心は思っていました。
    でも、今回のさいごでは、少年たちは明るい光のほうに向かっていました。
    アントワーヌは若くて、精神はゴムボール。親友の暴言なんか、跳ね返す。気にしない。「恥をかくのなら、一緒に」
    このふたり、音楽の伴奏者、フルートとピアノの伴奏者だけではなく、人生の伴奏者になるかもしれませんね。
    とても心あたたまるラスト、クリスマスにベストな作品でした。

    次はエッセイを小説にしてみてはいかがでしょうか。
    あの友達の髪を切ってあげるエピソード、などどうでしょうか。
    あの日に、夕食のあたりで、何かあったるはずですよね。
    なんておせっかいなことばかりで、すみません。
    むかっときたら、無視してください。






    作者からの返信

    九月さん、こちらにも来て下さりありがとうございます。
    これは「ソヴァージュばあさん」の双子みたいな話です。こういう復讐劇の時って決してプロイセン兵が完全な悪者じゃなく、むしろ人間味があったりするのが面白いですね。モーパッサンが必ずしもプロイセン憎しで戦争小説を書いていたのではなく、戦争が生み出す悲劇を憎んでいたのだと分かります。

    改めて応援ありがとうございました。伴走者、ですよね。本当にそういう気持ちです。どのタイミングで読んで頂いても嬉しいですが、一緒に走ってくれる方は心強いです。期待以上って嬉しいです。九月さんはお世辞とか仰らないと思うので、そう言って頂けるなら安堵します。

    僕の書く傾向をよく言い表してくださって恐縮です。それが一番顕著なのは帰国子女の話ですが、途中で読むのやめられます(笑)あ、読んで頂かなくて大丈夫です。嫌な気分になると思うので。
    文章を書き始めた頃は毒吐きの発散みたいに(テラピーのように)書いていました。でももうそういう段階じゃなくて、希望のあるものが書きたいです。

    短編賞に出すのは一本だけと決めているので(今年は特に応募数も多いので)あとは九月さんや他の方の作品を読んでのんびりします。
    サンフランシスコのお話、とても興味深いです。

  • 柊さん!

    昨日はありがとうございました。

    柊さんはご存じないかと思いますが……昨日、目からうろこが落ちた、って言ったじゃないですか。あれはね、私にとってはすごい、すごいことだったんですよ。ほんとに、世の中私以外全員異星人、っていわれたぐらいの衝撃だったんです。

    私にとって小説は、抜き差しならないモノなので。

    というわけで、その衝撃を「フツーに生きてる」のエッセイで書こうと思っているのですが、よろしいでしょうか。この、「モーパッサンはお好き」もエッセイ中で紹介することになると思います。
     それで多分、「なんで本筋のモーパッサンの作品じゃないところで大騒ぎしているのか」という意味が分かっていただけるかと思います。

     もちろん、私にとっては大変な大ごとだったので、葛藤の部分などもあり、もしかしたら柊さんがそれを読んで不快に思われるかもしれません。わたしも、好きな作家のことをあれこれ言われるのは気分がわるいので。
     でも最後は、私の目からうろこが落ちたこと、新たな一歩を踏み出すということでまとまっているのでご容赦願えたら、とも思います。

     もしも、お名前を出すこと、このエッセイを紹介することが不快であると思われましたら、その部分だけは消して公開しようと思っています。

    ただ、先日のやり取りでようやく気付いた、ということは事実なので、どうしても柊さんのお名前を出したいと思いました。

    作者からの返信

    月森さん、
    いえこちらこそコメントありがとうございます。
    また勘違いしてたら申し訳ないんですが、今までは作家のスタンスを偽善的なものに感じておられたのかなと、それが剥がれたのかなと思いました。他の作家は知りませんがモーパッサンは逆に偽善とかうわべとかを暴いてくるタイプだと思っています。
    エッセイで紹介して下さるのは全然不快じゃないですよ!
    どんなことをお書きになるのか楽しみです^^

  • これは。戦争の本質を切り出したようなお話、なのでしょうか。
    大義も正義も成立し得ない、理由さえも後づけの。ただ、狂気のような殺戮への欲求が爆発し、外界を遮断して自己陶酔のなか完結しようとする。
    救われない気持ちになります。
    このような狂気が、一度転がり始まると止まることを知らない狂気が、戦争というものなのかもしれませんね。

  • 今回もまた強烈でした。ミロンじいさん壮絶ですね。解説も素晴らしいです。作者のいつものクールさが持ち味ですね・・・^^

    作者からの返信

    神原さん、コメントありがとうございます。
    戦争の話はどうしても殺伐としますね。まとめるのに苦心するので解説を誉めて頂いて安心しました^^
    戦争によって人間が狂っていくさま、モーパッサンの冷静な目が冴えてますよね。

    編集済
  • 今回はかなり物騒な話でしたね。
    柊さんの素晴らしい解説を読んでも、ラストは別にして、私にはミロンじいさんの気持ちが分かるような気がします。戦争とは、そういうものなのだと。
    末っ子を殺された恨みは、相当なものだろうと。
    しかし、自分が殺したプロイセン兵にも当然家族がいるわけで。
    結局戦争は、誰をも正当化できない、ミロンじいさんにしても、殺人鬼なわけで。

    読んでないけど、ある意味悲しい物語と言えるかもしれないと思いました。

    作者からの返信

    レネさん、コメントありがとうございます。
    この話はかなり重たかったですね。
    ミロンじいさんの気持ちは多くの人が共感するところだと思います。家族、特に自分の子どもを失ったら、と思うとその悔恨は相当だろうと。でも仰るように相手にも家族はいるんですよね。モーパッサンはそれも踏まえて書いているので、暴走するじいさんの狂気とか独善が際立って見えるように思います。本当に、戦争は誰をも正当化できないですね。
    殺伐とした中にずっと悲しさがただよっているような作品だと思います。

  • 奥の深い作品ですね。
    発端は理解できるけれども方法や度合いは理解できない、と読者も複雑な気持ちになります。
    こうしてみると、戦争をしていた国の国民同士が共に生きるって、実は凄いことなんだと改めて思い知らされます。
    誰かが終わりにしなくちゃいけない…その象徴がぶどうの木、なんでしょうね。
    戦争を直接知らない私たちは幸せだと、改めて感じます。

    作者からの返信

    黒須さん、コメントありがとうございます。
    そうですね、動機となる感情が理解できるだけに、そこからの行為には読者に複雑なものを感じさせるのでしょうね。戦争を経験した国と国の人々が共存するには、お互いに対等で敬意を持った関係が必要だと思います。決着をつけるって難しいですね。ぶどうの木が意味するものがとても象徴的で印象に残りますね。

  • 魂には魂ですが、まさかの16人に驚きました。
    もし戦争で父親と娘を殺されたら……想像つかないほど壮絶ですね。

    聖書のローマ12章に「愛する者よ、自分で復讐してはなりません。神の憤りに任せましょう。『復讐は私がする事である』と神は言う」とあります。

    復讐は悪だとパウロは言いますが、神様は何にもしてくれないじゃん! ってモーパッサン先生も思ったりして。そうした思いが絵画や文学に残っているような気がします。

    作者からの返信

    ハナスさん、コメントありがとうございます。
    連続殺人としてはかなりなものですよね。もう復讐に取りつかれてしまったとしか言いようがありません。
    サブタイトルに聖書の言葉を使ってみたので、エキスパートのハナスさんに触れて頂き嬉しいです。自分で復讐してはいけない、なら誰が晴らしてくれるのか…。皮肉ですが教えと反対のところにあるのが人間の本音だと思います。だからこそこれをテーマにした芸術が生まれるのかも知れませんね。

  • 殺伐とした内容もさることながら、「カニのように大きな手」が強烈に記憶に残りました! つきあいにくそうな爺さんの性格を何より表しているように思えて。うまいですね、モーパッサン先生。葡萄の木は生命の象徴。印象的なラストです。

    作者からの返信

    橋本さん、コメントありがとうございます。
    この形容はインパクトがありますね。僕は単純にじいさんの小柄なのにそこだけがっしりとした農民の手を思ったんですが、性格もそこに見出されたんですね。ぶどうの木が生命の象徴とは知りませんでした。そうすると余計に込められたものを感じますね。教えて頂けて嬉しいです。

  • 戦争は誰をも幸福に導かず、しかも、戦争という不条理は神を以てしても裁けませんので、人々は心に薄暗い感情を抱えて生きてしまいますよね。モーパッサン先生ᕦ⊙෴⊙ᕤは、この心の靄のような部分を想像させてくれる上に、在り続ける自然の美しさを描写されますから、そういうところ、私も「有意義」に感じられます。

    ところで、改稿された長編をチラリと拝読しましたฅ^◕ﻌ◕^ฅ 改行や三点リーダの扱いを変更されていますね! 以前から読みやすかったのですが、更に読みやすいかも!(^^)! 本当にお疲れさまでしたm(__)m

    作者からの返信

    ひいなさん、コメントありがとうございます。
    サブタイトルに使ったのは聖書の言葉だそうですが、人間ではなく本当は神が裁くべきことなんですよね。でも実際はどうなんだろう。戦争は強者が勝ってしまうもので、神は敗者の代わりに裁いてはくれない。人間の本音って、結局じいさんの行動そのものではないでしょうか。
    生産性のない復讐をしたじいさんの亡き跡に花や実をつけるぶどうの木が植えてあるのが象徴的だと思います。

    長編チェックしてくださったんですね!ずっとやらなきゃと思っていて、見た目はずいぶんすっきりしたと思います。あと内容は変わりませんが文章も手を入れました。時間をおいて見直すのは必要かもしれませんね。読みやすいと言ってもらえてよかったです。ありがとうございます ^^

  • すごい物語です。
    そして、敗戦側の美談でないところに、作者の深い思いがあって、舌をまきます。こういう作品こそ、芸術と呼べるのでしょうね。

    作者からの返信

    雨さん、コメントありがとうございます。けっこう強烈な内容なんですが、作者の目がシビアですよね。激しい恨みも俯瞰でとらえるような冷静な描き方をされていると思います。こういうのが自然主義というものなんでしょうかね。