復讐するは我にあり「ミロンじいさん Le Père Milon」
久しぶりにまた普仏戦争を題材にした作品です。この題材を扱った作品は本当にたくさんありますね。でも主人公や背景が変わるだけで、色んな角度から戦争や人間の心理を描かれるのがモーパッサンの「戦争の話」の興味深いところですが、さて、今回のテーマは……。
舞台はプロイセンが征服したノルマンディー地方のある田舎の村。
当時プロイセン軍は各市町村に拠点を置く際、地元住民に自分たちの家を提供させていました。簡単に言えば下宿? 家賃いくらですか? いえ、あくまでも強者はプロイセン。フランス人に衣食住の面倒を見させて「居候」しながら、住民とその地域を支配していたわけです。
この村にもプロイセンの参謀本部が敷かれます。そこはミロンじいさんと呼ばれる男の農場でした。じいさんは68歳。小柄で痩せて姿勢が曲がっていて、髪も薄くて頭皮が見えるほど。手だけはカニのように大きく、灼けてしわくちゃの首からこめかみまで血管が浮き出ている。この辺りではケチで商売のやりにくい男として通っていました。
じいさんとその家族はおとなしく彼らを受け入れます。村人たちもじっと家に引きこもる日々。
ところがです。
夜警に出たプロイセンの傭兵が次々に殺されるという連続殺人事件が地域一帯で起こります。毎朝のように畑で、小道のわきで、草むらで、死体となって発見される傭兵たち。同一犯と思われる手口ですが、犯人はどうしても見つかりません。村は恐怖でパニックに陥ります。
しかしある朝事態は急変します。ミロンじいさんが馬小屋で顔に切り傷を負った状態で寝ているところを見つかってしまうのです。くしくも同じ日に二人の傭兵が殺されたばかり。プロイセン軍の指揮官と将校たちはただちにじいさんを追及すべく、家の前にテーブルを出してずらりと並び、取り調べを始めます。
「ミロンさん、我々はあなたの普段からの好意と気遣いに大変感謝していてね、借りを感じてるぐらいなんですよ。なのに今あなたには重大な嫌疑がかけられている。これは是非ともはっきりさせなければなりません。あなたのその顔の傷について説明してください」
じいさんは答えません。
「黙っていては不利ですよ。答えてください。あなたはうちの傭兵が誰に殺されたか、ご存じなのではないですか」
するとじいさんははっきりとこう答えました。
「オラがやっただ」
指揮官は一瞬絶句しますが、気を取り直してもう一度尋ねます。
「このひと月ほど毎朝うちの夜警が死体になって見つかりましたが、それも……」
「オラがやった」
「みんな?」
「みんなだ。オラがやった。一人でやっただ」
少し離れたところには妻と息子、孫たちが不安げに見守っています。そんな中、ミロンじいさんは意を決したように全てを話し始めました。
彼はプロイセン軍によって農場が搾取されたことを恨んでいました。ある夜一人の兵士を殺し、その軍服を奪って死体を沈めたことをきっかけに、彼の思考はプロイセン兵を殺すことでいっぱいになります。「貪欲さと愛国心が激しく燃え上がり、陰険で腹黒い憎しみに取りつかれていた」彼は、ある日ついに計画を実行にうつします。
夜になると、隠しておいた軍服を身に着け、プロイセン兵に扮して夜警の兵士を待ち構えるミロンじいさん。ドイツ語で助けを求めながら彼らの目の前に現れると、同胞と信じて疑わない兵士は油断して何事かと近づいて来る。その瞬間、手にした剣でひと刺しに──。
彼はこの手を使って実に16人ものプロイセン兵の命を奪いました。しかし今回に限って反撃に遭い、顔に傷を負ってしまったのです。
じいさんは話し終えると誇りに満ちた顔で敵軍の将校たちを見据えました。
「あなたは自分が死刑になると分かってますか」
「分かってら。お情けはいらねえ」
じいさんは続けます。
「オラの親父は先の戦争であんたらに殺された。末の息子もひと月前に殺されたばっかりだ。オラはあんたらに借りがある、だから返したんだ。親父のために8人、息子のために8人。これでおあいこだ。あんたらはオラの家に世話になっときながら、自分の家みたいに命令しくさって。だからオラ借りを返してやった。これでおあいこだ。これでお仕舞にしてやる」
そして強張った上半身をのけぞらせると、「あたかも謙虚な英雄のごとく」腕を組んでみせました。
プロイセンの人間たちは長いことヒソヒソ話をしていましたが、将校の一人が自分も息子を戦争で失ったこともあり、同情して彼をかばいました。
それを受けた指揮官は、じいさんに近づいてそっと声をかけます。
「お聞きなさい、我々にもあなたを救ってやれる方法はある。それは……」
しかしその途端、ミロンじいさんは傷だらけの痩せこけた顔をゆがめて恐ろしい笑みを浮かべたかと思うと、指揮官の顔に唾を吐きかけたのです。驚く指揮官。しかしじいさんはもう一度その顔に唾を吐きかけます。
将校たちが立ち上がって合図の怒号を上げました。壁を背に銃殺されたミロンじいさんは、震えながらこちらを見ている家族に向かって、最後の笑みを見せたのでした。
了。
支配者に対しての壮絶な復讐劇。
こういう話って「仇討ち」として美談のように書かれがちですが、ミロンじいさんに関してはそういう印象を受けません。むしろ恨みからくる狂気の方が色濃いと思います。父のために8人、息子のために8人。この殺人をあたかも当然のように得意げに胸を反らせるじいさんには、報復に取りつかれた男の「独善」が前面に出ているように見えます。
戦争という不条理を誰が裁くのか。神は敗北者の味方をしてくれるわけではありません。なら自分の手で成し遂げるしかない。
しかし16人の兵を殺して「おあいこ」だというのはじいさんの主観でしかなく、これはやはり独善としか思えないのです。ケチで商売のやりにくい男、という人物描写を加えてあるのも、健気な男を書きたくなかった作者の意図に見えます。
また、今回はプロイセン側が珍しく理解のある態度を示しています。親族を殺された悲しみはどちらも同じ、ということがちゃんと示唆してある、にもかかわらずじいさんは指揮官に唾を吐きかけます。もうこの男の中ではすべてが「完結」していたかのようです。
この話は回想形式で綴られていて、冒頭は戦後、残された家族が木陰で昼食をとっている風景から始まります。ミロンじいさんが銃殺された場所にはぶどうの木が植えられ、壁には蔓が伸びて、花をつけようという頃。記念碑のように植えられた木を眺める息子。
残された者の胸中が語られることはありません。でも報復よりも、花を咲かせ実をつけるぶどうの木としてそこに在り続けることの方が、戦争の記憶としては有意義なように、一読者として思えるのです。
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