応援コメント

臨終のお値段「悪魔 Le Diable」」への応援コメント


  • 編集済

    柊さん、こんにちは。
    ノルマンディーの農民は貧しいですよね。母親が死にかかっていても、麦の刈り入れをしなければならなくて、息子はそばにいてあげられません。医者に散々叱られて、ラべ婆さんのところへ。村には臨終の世話をする人なんかいるのですね。農夫と婆さんはセット料金でようやく合意。ははは。
    登場人物がせこくて、性格も悪そうで、厳しい生活をしていて、婆さんがなかなか死なない母親を脅して殺してしまうので、決して笑う話ではないのですが、でも、みんな逞しくて、滑稽で、読んだ後で笑ってしまいました。

    「夜になって仕事から戻った農夫がその姿を見たとき、すぐ頭の中によぎったのは、婆さんに対して1フランの金を損した、ということ」の部分、とても気にいりました。普通なら、泣き崩れて後悔の念ひしひしですよね。
    肉親をなくすのは辛いですから、このくらいがいいわと個人的に思いました。
    このノルマンディーの農夫、明日からも、せこく、逞しく、ひとりでやっていけますね。

    作者からの返信

    九月さん、コメントありがとうございます。
    とてもリアルな暮らしぶりが伝わってきますね。世知辛いようで、こういう風にいなければ生きていけないというのも感じて、仰るとおり滑稽でたくましいと思います。こういう話って現代では不謹慎だということになるんでしょうね。でもこれこそ人間の営みで、きれいごとではなく、非情な部分も可笑しみを持って書いてあるのがいいですね。

    それからあたたかい励ましのお言葉をありがとうございます。
    器用じゃない分せめて自分のできる限り書きたいです。

  • 今、日本は長寿社会だからこの感覚、「あるある」って感じる人も少なくないんじゃないかなあ。あと、子供が結婚していない、っていうのも、別に現代に限った現象じゃないんだなあと。

    ほんとに、基本的に人の営みって変わらない、と思う。

    作者からの返信

    こちら返信していなくてごめんなさいm(__)m
    農夫の男の立場って確かにそうですね。仕事と介護、そのお金、それが全部目の前に迫ってくる状態は現代人のほうが身にしみて感じるかもしれません。
    この介護の婆さんも、死がお金に見えてて怖いなと思いますが、これも人間の営みのひとつ、ということになってしまうんですよね、きっと。

    編集済
  • 福島原発で家族ひとりに対していくらの補償金が出ると決まったとき。生命維持装置をつけさせてでも親を長生きさせてくださいと言った家族がいるとの話を、友達の介護職員から聞いたことを思い出しました。
    いつの時代も、人はお金を前にすると計算しちゃうのかも!
    愛情とか家族と過ごした時間とか、そういうものでは割り切れないものがあるのでしょうね。
    セット料金を思いついた農夫と、悪魔を演じるお婆さんという濃いキャラを書いたモーパッサン先生の発想がすごいです!

    作者からの返信

    おお、その家族はこの話とは逆方向を行くパターンですね。そうか、でももしお金がもらえなかったら、決してそんな話にはならなかったのかな。と思うと、やっぱり命も金次第ですね。
    これは舞台も19世紀のノルマンディーだし、多少極端に書いているところはあると思いますが、死期が近い人の後ろで家族がお金の計算をしているなんていくらでもありそうですよね。農夫も婆さんもたいがいですが、人間の本音を分かりやすく見せてくれてるなあと思うとチクチクしますね。

  • 都会に住んでいると田舎暮らしってのどかなものだと想像しがちですが、この短編では農村の厳しい暮らしが浮き彫りになってますね。過酷な農作業に追われていると肉親の死も日々の1ページとして淡々と過ぎていくのでしょうか。それにしても農夫も婆さんもしたたかですね(笑)

    作者からの返信

    橋本さん、コメントありがとうございます。
    そうですね、都会の人間は田舎の暮らしを美化しがちですが、この話を読むと現実のシビアさが伝わってきますね。
    仰るとおり、こういう暮らしの中では死も日常に組み込まれているものって感じがしますね。農夫と婆さんのやり取りがケチ丸出しで生々しいです...(笑)

  • うーん・・・最初から最後までしょっぱい人々のっしょっぱいお話ですね・・・貧しさとか余裕のなさとは心まで貧しくしてしまうものでしょうか。農夫もラぺ婆さんも、命に対してうわぁ~って思いますが、農夫に関しては肉親でしょうに、でもそれなりの育てられ方をした結果なのでしょうか。

    こういうのノリノリで描いてしまうモーパッサン先生にあらためてうわぁ~・・・と思いました^^

    作者からの返信

    神原さん、コメントありがとうございます。
    久しぶりに神原さんのしょっぱいが出ましたね。世知辛いですよね。
    >貧しさとか余裕のなさとは心まで貧しくしてしまう
    実際そういうものだと思います。先立つものがないと肉親の死を悲しむ余裕などないのかな、とか。あああ、やっぱりギスギスしてきますね。。ラぺ婆さんはできればこういう仕事をして欲しくない人物ですけど。。
    うわぁ~、ノリノリって僕が勝手に書いたのでどうか流して下さいm(__)m
    でも農民の生活を知っている人ならではの話だなあと思います。
    今度はもうちょっとラブコメみたいなのにしますね^^

  • こんにちは。
    人の死を描いて、涙が流れるでもなく、人の情に欠けた人たちに憤るのでもなく、ただ涸れた笑いが洩れるような。。そんな物語にリアルを感じるのは、モーパッサンならではという気がしますね。

    作者からの返信

    久里さん、コメントありがとうございます。
    モーパッサンってこういう話を偏った視点で書かないところが好きです。
    善悪とか何が正しいとか割り切れないのが、リアルな人間の生だなと思いますね。

  • この時代の92歳はかなり長生きでしょうね。
    看取るのにお金がかかるとは、貧しい農夫にはきつい話です。お金があったらあったで、遺産問題などで騒ぎになるでしょうし…人の死とお金の問題は切り離せないような気がしてきました。
    産まれるにも生きるにも死ぬにもお金がかかる。人間の厳しい業ですね(・・;)

    作者からの返信

    黒須さん、コメントありがとうございます。
    お母さん、この歳までよく働いてきましたよね。
    たしかに『遺産』とか、お金があるからこその家族のぐちゃぐちゃもありますね。
    >産まれるにも生きるにも死ぬにもお金がかかる
    本当は自然なことなのに、どうしてもお金が絡んでくるって、仰るとおり、人間の世界の業なんでしょうね。

  • そうですね。
    命の価値…
    考えさせられますね。

    ノルマンディーについての前置きがあったから、冷酷に見える物語も、乾いた現実として受け止められるような気もします。

    92歳まで頑張ったお母さん。
    最後の場面だけ見ると、息子もラペ婆さんも冷酷に見えますが、最期の看取りよりも、そこまでを大切に過ごしてきたと思いたいです。
    最期は、せめて悪魔👿じゃなくて、天使👼が迎えに来てくれてたら、お母さんも安らかな気持ちで逝けたんじゃないかな? と思ってしまいます。

    作者からの返信

    ふうこさん、コメントありがとうございます。
    後味の悪い物語ですよね。最初に読んだときはひどいなと思ったんですが、これは現代の人間の「常識的な」価値観を通して見たからかも知れません。この時代のこの場所での人生観はもっとシビアなものだったんだろうなと思います。みんなただ自分の役割をこなして死んでいく、みたいな。
    ただ、👿に変装した婆さんではなくて、本当の👼が迎えに来るまでもう少し待ってほしかった、という気持ちはありますよね。こういうストーリー展開はやっぱり先生だなあと思います。


  • 編集済

    笑えない話ですね。
    滑稽だけど、人間の悲しさも強く感じます。

    死を前にして、息子にさえ惜しまれないのは一見哀れですが、惜しまれないのは自分の責任でもあるのでしょう。
    息子について言えば、死んでゆく母を前にしても金のことばかりというのは、案外、現実でも情より金のことを考えざるを得ない人は多いのかもしれません。
    そうだとすれば、ムルソーなどは少しもおかしいところはなく、むしろ母が亡くなることは息子にとって非常に悲しいことだ、という常識的な理屈を振り回す社会は、やはりあくまで人間の表向きの姿を押し付けているだけかもしれませんね。
    現実に私も介護をしながら……いや、これ以上はやめときましょう。自分でも悲しくなりますので。
    とにかく鋭く、グッとくる短編でした。

    作者からの返信

    レネさん、コメントありがとうございます。
    この話は情に訴えかけるようなところがないですね。乾いて淡々としている感じがします。だから滑稽さや残酷さが際立ってくるのかもしれません。
    原文に書いてあるのですが、母親の方も田舎の農民の暮らしというのを分かっているから、息子が自分より畑を心配するのもちゃんと理解しているようです。哀しみとかよりも目の前のこと(お金)を最優先させなければ生きていけない、って、非常に現実的だなと思います。
    ここでムルソーのことを思い出されるのがおお、と思いました。この作品を読んだ人が農夫をどう捉えるかは、ムルソーをどう捉えるかにも繋がってくるんですね。それは考えなかった。色々と端折った紹介ですが、こんなに読み解いて下さってとても嬉しいです。ありがとうございます。

  • 胸を抉られるようなお話ですね。ずきずきですっ
    命とお金。そうですよね、これ、簡単に天秤に掛けられるような話ではないのですね。コロナ禍で『人命か経済か』などと散々議論もされましたが、お金には命を繋ぐ糧という一面があり、お金が無くなれば命を失いかねない。
    しかし。皆それを承知しつつも、本作の結末に苦いものを感じてしまいます。

    『孝行息子が仕事も放り出し、明日をもしれぬ年老いた母を懸命に介護する。お陰で母は持ち直すが、家にはひと掬いの麦もない。ある冬の朝、近所の者が訪ねると、火の気もない暖炉の側で二人が抱き合ったまま亡くなっていた。しかしその顔は、まるで満ち足りた赤子の寝顔のように柔らかかった。』

    本作の裏側には、例えばこんな物語も成立し得るわけですね。そして、こんな物語だと、なんだか『いい話』だと思ってしまう。
    それは、何故か?

    『日常に流されることの愚劣さ』といったものを感じてしまう、とか?
    大きな出来事に遭遇したとき、非日常的な選択をすることでひとは希望を見いだし得る?その結末が悲惨なものであったとしても、その行動の意味を汲み取りたいと願ってしまう?
    …それが、『生命の戦略』だから?
    違うよな?
    すみません、相変わらずの呪文堂ぶしでっ!長文失礼致しました!

    作者からの返信

    呪文堂さん、コメントありがとうございます。いつも哲学的なご意見をくださり、このような紹介文にも幅をつけて頂き感謝です。
    コロナも言ってみれば同じ種類のことなんですね。先立つものがないと総倒れする、それでは建設的ではなくなってしまう、しかし切ることに対して罪悪感を覚える。これも堂々巡りですね。
    それにしてもコメントに差し込まれた短編が切なすぎるんですが。泣かせるつもりですかっ アンデルセンですかっ

    いや、でもそういう結末を「いい話」とするのは、そういった愚かさを人々が愛しているからなんだろうと思います。日常に流されるのはむしろ賢い選択で、愛情に流されて金や暮らしを続けられなくするのは現実的には愚かだとみなされるというか。でもそこに人々は美しさを感じるんじゃないかな、と思うのです。だからこの「悪魔」は美しさのかけらもないですね(笑)
    呪文堂節はとても貴重なご感想です。いつも本当にありがとうございます!

    編集済

  • 編集済

    ああ、モーパッサンですねえ(笑) ……と、原作は未だほとんど読んでいないにも拘らず、ずっかり癖のようなものをわかった気になっちゃっててスミマセン(^^;
    でも実際、人の死と向かい合うときは……特に身内の場合はいろいろと悲しんでばかりもいられないことが多いですね。銀行やら名義関係の始末やら……最近では仮想通貨やサブスクなど、家族がよくわからず処理に困ることがあるそうで。あと、たいして遺されたものがなくても、そういうときに人の本性や暗部が見えていや~な気持ちになったりとか。。。

    お話は、画を思い浮かべるとなんだかコメディっぽい感じもしますが、どうせ近々死ぬとわかっていたってこれは殺人なわけで……わずかなお金のためにそれを平気でしちゃう、否、させちゃうっていうのが、悪魔=お金ってことかなあと思いました。

    話はやや変わりますが、ゴダールが亡くなりましたね。自ら望んでの安楽死だったそうですが、病に苦しんでおられたそうで、年齢も91歳……心残りのないよう準備をして、家族に看取られて穏やかに逝けるっていいなあ、と感じました。宗教的なこともあって、それが可能な国はまだ少ないようですが、病院で管だらけになってなんとか生命維持だけしているような状態は厭だし、家族にもまだ死なんのか、病院代もばかにならないとか思われたりしたらやだなあと、このお話を読んでふと思いました(^^;
    わ、長くなっちゃってすみません……、いつも楽しませていただきありがとうございます。また他のお話も楽しみにしています。

    作者からの返信

    烏丸さん、コメントをありがとうございます。
    モーパッサンですよねえ(笑)いや、ここまでお付き合い頂けたら作風はすっかりご存じだと思いますよ。
    そうか、最近だと家族がどうしていいか分からないようなものも多そうですよね。そういう実務的なことに追われると、なんだか故人への気持ちが霞んでしまいそうですが、それが現実なんでしょうね。
    悪魔ってタイトルはたったひと言だけど色々感じさせますね。悪魔=お金、確かにそう理解することができますね。
    ふたりのケチなやり取りが笑いを誘いますが、シニカルで引き笑いみたいな感じで。これも先生の通常運転ですねw

    ゴダールのニュースご存じだったんですね。自分の命ぐらい自分で決めさせろ、みたいなところが最後までゴダールっぽいな、と思ってしまいました。これが叶う国は少ないし手続きも大変だそうですが、烏丸さんが仰る気持ち、意外と多くの人が思ってるんじゃないかな…と。自分もそう思います。
    こちらこそ、ご感想とても嬉しいです。いつもお付き合いくださりありがとうございます^^

  • モーパッサンって、本当に一作一作にかける思いが深いですよね。
    そこにリアルな情景描写。すべてに無駄がなくて。
    この作品、読んだことがなかったので、悪魔が現れるって、最高でした。ラぺ婆さん

    作者からの返信

    雨さん、コメントありがとうございます。
    この話も短いサイズなんですが、登場人物の思考や行動のひとつひとつが考えさせますよね。風景や母親の手などの描写も効果的だなと思います。まさに無駄がない。ラぺ婆さんのキャラが立ちまくってすごいです。
    この作品は日本の短編集にも入っているようです。ぜひ原文をお勧めします。

  • 柊さん、更新ありがとうございます。
    しかも強烈なお話ですね。わ、笑えない。
    ここまで来ると長生きするのはやめようって自分に当てはめてしまいました。笑

    大事な親の命をセット割りにする提案、さらに賭け。
    ラペ婆さんの発想も恐ろしいですね。証拠のない殺人並みです。
    時代背景を考慮したら、モーパッサン先生はお見事です。

    日本の口減らしや姥捨てより、明るいテンポが救いです。
    今回も紹介文が分かりやすくて原作を楽しめたお得感があります。
    ありがとうございます😊

    作者からの返信

    ハナスさん、コメントありがとうございます。
    かなり毒気の強いお話ですよね。長生きするだけがいいことではないのかなあと思ってしまいます。
    息子はどっぷり現実の生活の中にいるんでしょうね。親への愛情とか観念的なものの前にお金が来るって、いかにもリアルでなんか責められないです。ラぺ婆さんも死にゆく人への尊厳とかよりも日々の稼ぎ。やることは罪ですが、これも本音なんでしょうね。
    本文では書けなかったですけど、麦畑の風景や夏の日差しなどの描写があって、全体的に乾いた感じがします。それもこの話の雰囲気を作っているのかも知れません。
    分かりやすいと言ってくださってほっとしました。こちらこそいつもありがとうございます😊