臨終のお値段「悪魔 Le Diable」

 モーパッサンが故郷のノルマンディーを舞台にした作品の中には、農民の暮らしを克明に描写したものが多く、日々のつらい労働、粗末な食事、家畜の匂いまで漂ってきそうな田園風景が丹念に描かれています。

 それだけではなく、自然主義の作家らしく、シビアな現実を見せつけるようなストーリー展開も多めです。登場人物の生き方、考え方から見えてくる厳しい生活。パリを舞台にした都会派の短篇とはまた違う、土臭い現実味があるとでもいいましょうか。


 さて、今回取り上げるのはそういった作品のうちのひとつです。


 主人公はノルマンディーの農夫。母と子の二人暮らしですが、母はもう92歳で、長年の重労働のすえ、ついに臨終の床についています。

 今日が峠かもしれないというのに、息子は母の具合よりも畑の麦を急いで刈り入れなければと、そちらの方が心配です。母の診察に来た医者は農夫を叱り飛ばし、それならラぺ婆さんを連れて来いと半ば命令して去っていきます。


 ラぺ婆さんとは、この村一体で臨終の世話をしている看護人。普段は洗濯女をしているのですが、どこかの家に危篤の人が出ると、農作業のある家族に代わって看病し、最期を看取るんですね。

 こういうとなんだか面倒見のよい優しそうなおばあさんを思い浮かべてしまいますが、


 ──まるで去年のリンゴのように皺だらけ。意地悪で嫉妬深く、筋金入りの貪欲なドケチである。長年のアイロンがけのせいで体が折れ曲がっていて、しかもその苦痛に対して怪物的で冷笑的な愛情を持っているかのようだった。


 どんな感じか想像がつきますね。


 農夫はラぺ婆さんの家を訪ね、母が危篤であることを告げるのですが、


「死ぬまで看病してくれるにゃいくらかかるんだい? うちは金がねえんだ」


 一番気がかりなことが思わず口をついて出てしまいます。

 婆さんは重々しい口調で、


「値段はふた通り。金持ちにゃ昼間40スー(2千円)と夜間3フラン(3千円)。他の人にゃ昼間20スー(千円)で夜間が40スー。あんたは安い方にしてやるよ」


 しかし農夫は考え込んでしまいます。医者はああ言ったけど、おっ母ぁはしぶとい。もしかしたら1週間ぐらい持ってしまうかも知れない。そうなると……。


「いや、そんなら死ぬまでのセット料金ってのはどうだ。もしおっ母ぁがすぐに死んだらあんたが儲かる。もしちょっとでも長生きしたらオラの儲け。どっちかが得をするって話だ」


 婆さんはびっくり。臨終の看病を割引セット料金でなんて聞いたことがないからです。おまけに本人を見てみないとなんとも言えません。

 農夫は婆さんを連れて家まで戻ってきました。


「もう死んじまったかな、おっ母ぁ」


 独り言にも無意識の願望が出る農夫。

 でも母は死んでませんでした。ラぺ婆さんは患者をよくよく観察して、この様子だと夜を越せないだろうと判断します。

 

「どうだ?」

「あれなら2、3日は生きるだろうね。全部込みで6フラン(6千円)にしてやるよ」

「6フラン! 6フランだと! あんた頭おかしいのか? おっ母ぁはあと5、6時間しか持たねえはずだ!」


 お互いが自分の得になるように嘘をつきあう二人。白熱した値段交渉のすえ、婆さんが帰りそうになったので仕方なく農夫は6フランで手を打ちます。


 婆さんはさっそく神父さんを呼んできて臨終の懺悔を済ませます。夕暮れの強い風が吹き込む家の中、目をぼんやり開き、細いのどを鳴らして短い息を繰りかえす母親。この地上で女がひとり死んだところで誰も悲しまないという語りが、患者を冷たく観察するラぺ婆さんの視線と重なります。


 翌日にラぺ婆さんが家へやって来ても、母親は死んでませんでした。それどころか、かえって良くなっていると農夫はずる賢い目で笑い、畑へ出かけてしまいます。


 患者を見守る婆さんはムカついてきました。下手したらこのまんま2日、4日、いや1週間ぐらい持つかもしれない。それじゃ大損だ。婆さんの胸には自分を欺いた農夫と、なかなか死なない老女に対して激しい怒りが湧いてきます。こうしている一分一秒が金を盗まれているみたいだ。いっそ首を絞めて殺してやろうか。


 しかしそれはまずい。婆さんはある考えを思いつきます。

 母親の枕元に近づき、

「お前さん、悪魔を見たことがあるかい?」

「いいや」

 そこでラぺ婆さんはこんな話をするのです。


 ──人はね、死ぬ数分前になると悪魔が現れるんだ。手には箒を持っていて、頭には鍋をかぶってて、そりゃすごい大声で叫ぶんだと。そしたらもうおしまいだ。悪魔を見た者はたちまち死んじまうんだってさ。

 そしてご丁寧にその年に亡くなった人たちの名前まで挙げて、彼らの前に悪魔が出たのだと語って聞かせます。

 母親は話を聞いてすっかり怯えきってしまいました。


 ラぺ婆さんはすっとベッドから遠ざかります。シーツで体を覆い、頭に鍋をかぶり、箒を持ち、手に持ったバケツを宙へ放り投げました。大音を立てて転がるバケツと同時に、婆さんは甲高い雄叫びを上げて母親の前に現れます。椅子の上に乗り、まるで人形劇のごとく大仰な身振りで悪魔になりきり、死にかけの老女を脅すのです。

 母親は半狂乱になって取り乱し、必死に逃れようとしましたが──、そのままあっけなく息を引き取ってしまいました。

 

 ラぺ婆さんは何事もなかったかのように箒や鍋をしまい、プロのような手つきで母親の見開かれた瞳を閉じ、聖水をささげると、 熱心にお祈りを始めました。

 夜になって仕事から戻った農夫がその姿を見たとき、すぐ頭の中によぎったのは、婆さんに対して1フランの金を損した、ということでした。セット料金は高くついてしまったようです。

 


 モーパッサン通常運転といいますか、こういう話はノリノリでお書きになるようで、滑稽さと残酷さが冴えまくっていますね。

 少しでも儲けたいがために幼稚なやり方で母親を死なせるラぺ婆さんもたいがいですが、亡くなった母を見た息子が、悲嘆にくれるより先に金の勘定をするところでバッサリ終わるのが絶妙。命と金と、天秤にかけるものではないですが、食っていかなきゃいけない貧乏人の現実が辛辣に描かれていると思います。

 惜しまれて亡くなる方もいれば、世知辛い環境の中で最期を迎える者もいる。命の価値とはなんだろうなと、ふと思います。

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