第53話
「ひとつ、考えていることがあるのです」
アンネローズは言った。
「考えてること?」
「ええ。どうすればティエナさんを元の世界に返すことができるのか、です」
「そりゃ、わたしだってずっと考えてるけど……無理でしょ。グランドエンディングを迎えれば望みはあるかもしれないけど、それすら『元の世界に戻すのは無理』で終わりかもしれないわ」
ティエナが苦味をこらえるような顔でそう言った。
「そうでしょうか?」
「……なによ。アンネローズさんにはいい考えでもあるっていうの?」
「ひとつだけですが、思いついたことがあるにはあります」
アンネローズの言葉に、ティエナが食いつく。
「何⁉ わたしも知らないようなこと?」
「いえ、あくまでも空想のような思いつきなのですが……」
「それでもいいから、教えて」
「あまり期待はしないでくださいね?」
と断ってから、アンネローズはその思いつきを口にする。
「ティエナさんが現にこうしてこの世界に『転生』されている以上、ティエナさんをこの世界に『転生』させるような大きな力が働いたことは事実ですよね」
「……そうね」
「その力が、神のような超常的な存在によって振るわれたものなのか、天災のような世界そのものに内在する力によって引き起こされたのかはわかりません。後者の場合はお手上げなのですが、前者の場合でしたら、その神のような存在にはティエナさんを元の世界に送り返すことだってできるかもしれません」
「それは、わたしも思った。だからこそ、グランドエンディングに希望を繋いでるわけだし」
「たしかに、グランドエンディングは、神のような存在に願いを叶えさせる貴重な機会だろうとは思います。しかし、神のような存在――というのもまどろっこしいですね。とりあえず『神』と呼びますが、その『神』の持つ力、人の魂を『転生』させる力を、自ら手に入れてしまうという方法もあるはずです」
「……わたしに賢者にでもなれっていうの?」
「それも可能性の一つではありますが、さすがに成功の見込みが低すぎるでしょう。人の身で神になるような絶望的な試みですから」
「じゃあ?」
「もっと簡単、手軽に、神の力を得る方法が、ひとつだけあると思います。もっとも、その方法を使えるのは、ティエナさんではなくわたくしなのですが」
「わたしじゃなくてあんたが……? って、まさか……!」
セリフの途中で、ティエナが目を見開いた。
「ええ。わたくしが神から敵意を向けられれば、わたくしは
アンネローズの言葉に、ティエナは顎を落として声もない。
「わ、わたしのために神様に喧嘩を売るっていうの?」
「まだ喧嘩になるとは決まってません。普通にお願いして、それを聞き届けていただけるのなら、ティエナさんは元の世界に戻れます」
「……聞き届けてもらえなかったら?」
「神を挑発し、わたくしに敵意を持たせ、人を『転生』させる力を一時的に手に入れます」
「い、いや、だからそれがめちゃくちゃなんだってば! あんたはそのあとどうするつもりなのよ⁉ 神様を敵に回すことになるのよ⁉」
「わたくしは、怒っているのです」
アンネローズは静かに言った。
「乙女ゲームというものは、女性の夢を叶えるためのものなのでしょう?」
「ええ、そうね」
「その乙女ゲームから生まれた世界が、プレイヤーたる女性から幸福を奪うことなど、あっていいはずがありません」
「アンネローズさん……」
「そのような不条理を許したのが『神』なのであれば、そのような存在などこの世界には不要です。滅ぼしてしまってもいいでしょうし、あるいは手に入れた力によって異世界に『転生』させてしまってもいいでしょう」
「む、むちゃくちゃだわ……」
「もっとも、神なる存在を滅ぼすことがこの世界の滅亡につながるのであれば対応を考える必要がありますし、そもそも神にもティエナさんを元の世界に戻す力はないかもしれません」
「まあ、異世界転生が一方通行の片道切符ってのはよくある話よね」
「それにもちろん、ティエナさんを『転生』させたのが、神のような人格を持つ存在ではなく、世界そのものの運命のような力だとしたら、この方法は使えません」
「そうね。世界そのもののシステムだか運命だかから敵意を向けられるのは難しいでしょうし、そんなことができたとしても
「神から敵意を向けられても
「聖なる祈り」で無効化されることもあるのだから、神のような存在にも
「人格を持った神のような存在が実在する可能性は高いとも思うのです」
と、アンネローズが言う。
「どうしてよ?」
「ティエナさんの持つ『聖なる祈り』があるからです」
「『聖なる祈り』が……?」
「ええ。祈りには祈る対象が必要です。まして、その祈りは短時間で成就するのですから、祈りを聞き届け奇跡を実現する『神』のような存在が必要なはずです」
「な、なるほど……。でも、ゲーム的なご都合主義って可能性も……」
「存在しない神に祈ることで奇跡が起こるというのは論理的におかしな話です。ゲームとしての整合性を取るためには素直に神なる存在をゲーム内に用意するのが自然なのではないでしょうか」
「……まあ、一理あるわね。ラブラビは裏設定なんかも結構作り込まれてたみたいだし。実際、教会に教義や経典が設定されてて、奇跡だって起こるんだから、神が実在すると考えたほうがしっくりくる」
「神以外にも、強力な力を持った存在はいるはずです。そうした存在から敵意を買って力を借りれば、また別の方法が見つかるという可能性もあります」
「それはそうかもだけど……危険すぎるわ。どうしてわたしのためにそこまで言ってくれるの? あんたは『前回』、わたしに断罪されて命を落としたのよね?」
「さあ、どうしてでしょうか……。気に入らないから、としか言えませんね。わたくしに悪役を押し付けようとする世界の意図も気に入りませんし、幸せな恋人を引き裂いてゲームの世界に閉じ込めた神の意図も気に入りません」
そこで、アンネローズは皮肉な思いに囚われた。
「ふふっ」
「ど、どうしたのよ。いきなり笑ったりして」
「ああ、いえ。ふと思ったのです。わたくしが神への反逆を企てるのは、わたくしが『悪役令嬢』だからなのではないか、と」
くすりと笑うアンネローズに、ティエナは一瞬あっけにとられた。
だが、
「ふふ、あははは! それはたしかにおもしろいわね。アンネローズさんは悪役令嬢らしくないと思ってたけど、ある意味、見事に悪役令嬢だわ。気に入らないものを力づくで叩き潰すっていうね」
「でしょう? それに、わたくしなりに打算もあるのです。ティエナさんを元の世界に送り返すことができたなら、わたくしが非業の死を遂げる未来もなくなるであろうと」
「なんか本末転倒なような気もするけど……たしかに、そんなことができるなら、強制力だの断罪だのを恐れる必要もなさそうよね」
「もちろん、それまでにはティエナさんにも力を貸してもらいます。ダンジョンに潜って地力を上げ、各地を巡って超常の存在を探し、学院の入学時期が来たら同級生として協力体制を築きます。『攻略対象』とティエナさんの関係をどうするかも悩ましいところでしょう」
「たしかに、攻略しないとしても、協力を引き出せる程度には関係を持っておかないといけないのよね。いくつかのイベントで詰むことになるかもしれないし」
「そうした点についても、できる限り教えてくださいね。力で解決できることなら、
「そりゃ、倒せないはずの死神が十三体もいれば、たいていの敵は瞬殺でしょうけど」
「そして、何より大事なのは、ティエナさんが希望を失わないことです。彼への想いを貫くことです。わたくしとしては、神に挑むことより、こちらのほうが過酷な戦いなのではないかとも思います」
「そんなの、いまさらよ。あんたが悪役令嬢としての意地を貫くっていうんなら、わたしだって
「それでこそです」
と、アンネローズはうなずき、
「ところで、神に匹敵するような超常的な存在に心当たりはありますか?」
「そうねえ。魔王か精霊王、四聖獣とか? 強力な
「……結構たくさんいるのですね」
「スマホゲームだけに次から次へとコンテンツを用意する必要があったからね。手頃なのは……そうね。まずは冥王かしら」
「では、次の目標はそれで決定ですね」
うなずきあうアンネローズとティエナを見て、
「…………お嬢様はいったい何者になられるおつもりなのでしょうか」
と、クレアがこっそりつぶやくのだった。
所変わって、ダンジョンの奥の奥。
冥府と呼ばれる領域のさらに奥に、骸骨と宝石と金箔で飾られたおどろおどろしい玉座があった。
その玉座に座るのは、闇のように暗い漆黒の長髪と、陶磁器のように白い肌を持つ、赤眼の美青年だ。
冥王カリク・ハーデスは、秘書官の報告に眉をぴくりと動かした。
「死神をダース単位でテイムした人間がいる、だと?」
「いやぁ、すごいっすよね~。死神に出会って生き延びてるだけでもびっくりなのに、まさか手なづけて手下にしちゃうとは」
冥王に対してふざけた口調で軽口を利く男の正体は、「
こう見えて冥府の優秀な能吏であり、雑務から諜報までなんでもこなす青年だ。
冥王の信頼も厚い彼は、一見おちゃらけた言動の後ろに暗い過去と傷つきやすい心を隠している。
「しかも、それが女と来た。冥府に至ろうという探索者は、たいていむくつけき野郎ばっかですからねぇ~」
「笑ってる場合か。死神を十三体も味方につけたとあれば、ダンジョンを踏破しこの冥府までやってくる可能性は十分ある」
「もちろん、ダンジョンには厳戒態勢を敷きました。でもいっそのこと、ここまで来ちゃったらおもしれーなぁとも思うんスよね」
「……なぜだ?」
「我らが冥王陛下に置かれましても、そろそろ結婚適齢期なのではないかと思いまして。過去のいかなる冥王をも超える真の冥王であらせられるカリク陛下は、極度の人嫌い、女性不信でいらっしゃる」
「……人間など、裏で何を考えているかわかったものではない。俺の見た目と地位に吸い寄せられてくる女どもは特に、だ」
「臣下としてはそれが困ったところでして」
「だが、よりによってその女である必要はなかろう。ダンジョンに潜って財宝を手に入れんとする欲深い者どもなのだろう?」
「いやいや。それが結構おもしろそうな連中なんスよね~。冥王陛下も事情を聞いたらきっと思いますよ、『おもしれー女だな』って」
「何がそんなにおもしろい?」
「俺が地上に置いてる間諜の一人に、サイクスっていうチンケなネズミがいるんスけどね」
「おまえの地上におけるマブダチだな」
「けっ、誰があんなシケた奴……って、そうじゃなくてですね。そいつの報告によると、そのアンネローズとかいう公爵家のご令嬢は、どうやらダンジョンの『謎』に気づいてるらしいんですわ。陛下が以前から気になさってるアレですよ、アレ。『ダンジョン構造の同一性に関わる哲学的な疑念』」
「ほう……?」
カリクはハンスの言葉に、初めてはっきりとした興味を示した。
なお、ハンスが口にした『ダンジョン構造の同一性に関わる哲学的な疑念』とは、カリクが自ら書き下ろした論文の題名である。
「興味が湧いてきたみたいスね?」
「別に……」
「かーっ、男がツンデレなんて、かわいくもありませんよ」
「誰がツンデレだ、誰が」
「でも、興味はあるんでしょう? もしその女がダンジョンを踏破してくるようなことがあったら……」
「ふむ。晩餐でも用意してもてなしてやろうではないか。もっとも、向こうが冥府の王に敵意や嫌悪を抱いていなければ、の話だが」
「よし、決まりスね!」
「待て、まさか呼び込むつもりではあるまいな? ダンジョンをまっとうな方法で踏破できたとして、の話だぞ」
「ということは、まっとうな方法で踏破できたのなら、冥王陛下は彼女と謁見するのにやぶさかでない、ということでよろしいでしょうか? おっと、冥王陛下ともあろうものが前言を撤回するってのはなしっスよ?」
「……ちっ、ハメられたか。いいだろう、話すだけならな」
こうして、アンネローズの預かり知らないところでも、世界に小さな「誤差」が生まれていく。
誤差はやがてうねりとなり、世界の命運をも左右する大きな流れへと変わるのだろう。
一方、そのことを苦々しく思う存在もいた。
「現実の男なんてクソよ」
空にかかる雲のはるか上、天空というよりは宇宙といったほうが近い空間に、蜃気楼のように壮大な神殿が浮かんでいる。
巨人すら頭をかがめず入れそうなほどに天井の高いその荘厳な神殿の奥には、精緻極まる大理石の彫刻と金剛石の埋め込まれた白金で飾られ、びろうどの張られた玉座があった。
「恋愛なんて、幻想の中で愉しむもの。そうは思わない?」
玉座に怠惰な姿勢でしなだれかかる美女が、傍に控える女官に言った。
その手には携帯型のゲーム機があり、せわしなく何かのゲームをプレイしている。
「さようでございますね」
「あなたはいつもそう。さよう、さよう。自我ってもんがないの?」
「さあ。全知全能の神に異を唱える自我など、わたしにはございません」
「あなたは気楽でいいわよねー。まあ、ぜーんぶわたしの言いなりになってくれるっていうのはやりやすくていいけどさぁ」
「身に余るお褒めの言葉をいただき恐縮です」
「褒めてるわけじゃないんだけど?」
「貴女様から直接お言葉を賜われるだけでわたしにとっては恐れ多いことなのです」
「……本気でそう思ってるから厄介なのよね」
ぽつりと、つまらなそうに美女がつぶやく。
「あの子だって、ずーーーっと男は嫌だって言ってたのに、彼氏ができた途端ころっと宗旨を変えちゃって。乙女ゲーの世界に放り込んでやったら考えを変えるかもって思ってやってみたけど、なんか妙に意地になっちゃってるし。ま、その意地がどこまで続くか見ものよね。常識的に考えて、ゲームの中のイケメンのほうがいいっての」
「ほどほどになさってくださいね。あの女はともかく、アンネローズ・マルベルトは厄介な存在です」
「ちっ、たしかにめんどうな相手よね。被造物のくせして生意気な能力持っちゃって……」
「彼女に敵意を向ければ、貴女様の存在を気取られます。最悪、貴女様の能力を彼女がまるっと手に入れることに……」
「わかってるっての。だからわざわざ神としての気配を断って、あの小娘の周囲に目を向けないようにしてるんじゃない」
「彼女が目障りであれば、間接的な方法で排除することを推奨します。『攻略対象』を用いるのがもっとも効果的かと」
「敵意ではなく愛で絆すというわけね。でも、あのアンネローズとかいう娘はティエナから『物語』のことを聞いてしまったわ」
「奇妙な話ですね。悪役令嬢を含む登場人物には強制力が働くはずなのですが」
「
彼女たちは知らない。
アンネローズがあの「断罪」の日から時間を遡って過去に戻ってきたことを。
全知全能はあくまでも女官の賛美の言葉であり、女神は本人が思っているほど万能の存在ではなかった。
遠からず、アンネローズはこの神殿を訪れて言うだろう。
「神様、お願いがあるのですが」
と。
「もしこのお願いを聞き届けていただけなかったらどうなるか……おわかりですわね?」
と。
そして、その言葉に挑発され、神がアンネローズに敵意を向ければすべては終わる。
ここから先は、ありえるかもしれない未来の想像だ。
哀れな神はその力を奪われ異世界に転生させられて、人間と同じ「現実」の中に産み落とされる。
ティエナは有栖となって元の世界の「現実」に戻り、最愛の恋人と再会する。
失った力を嘆いて生きる神が幼児の身体で母親に手を引かれ、渋谷のスクランブル交差点を渡っている。
その反対側からやってきたのは、失わずに済んだものを愛おしんで生きる有栖とその恋人。
アスファルトを見つめる幼児の視界に有栖は入らず、恋人を見つめる有栖は幼児の存在に気づかない。
雑踏の中で有栖がつぶやいた言葉を、神だった幼児が聞き取ることもない。
「――ありがとう、アンネローズさん。わたし、とてもしあわせだわ」
何か言った? と訊ねる恋人に、有栖はなんでもないと首を小さく振るのだった。
『悪役令嬢は敵意の中で咲き誇る ~婚約破棄からの公開処刑、タイムループにラスボスを添えて~』
FIN
――――――――――
最後までお読みいただきありがとうございました。
力至らずここまでで完結とさせていただきました。
続きを望まれていた方には、ご期待に添えず大変申し訳ございません。
いいねや感想等でご応援いただいた皆様に、改めて心より感謝とお礼を申しあげます。
他にも連載をやっていますので、もし興味がございましたら覗いてみていただければ嬉しいです。
おすすめ作品のコレクション:
https://kakuyomu.jp/users/akira_amamiya/collections/16816700427040102342
読み切り短編のコレクション:
https://kakuyomu.jp/users/akira_amamiya/collections/16817139558603419165
『悪役令嬢は敵意の中で咲き誇る ~婚約破棄からの公開処刑、タイムループにラスボスを添えて~』に最後までお付き合いいただき、誠にありがとうございましたm(_ _)m
悪役令嬢は敵意の中で咲き誇る ~婚約破棄からの公開処刑、タイムループにラスボスを添えて~ 天宮暁 @akira_amamiya
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