第20話

「ほらよ」


 そう言ってサイクスが投げ渡してきたプレートを、アンネローズはあやうく取り落とすところだった。

 人にものを投げてよこす人間など、これまでアンネローズの身の回りにはいなかったのだ。


 アンネローズは、渡された金属製のプレートをしげしげと見る。


 材質は……銅、だろうか。

 端に錆が浮いているところからして、お世辞にも質のいいものとはいえないだろう。

 サイズは葉書プレゼントカードの半分程度。手のひらに乗るサイズだが、女性の手にはやや大きい。

 その表面おもてめんには、「アンネ」「F地区探索者ギルド所属」という刻印があった。

 裏を見てみると、何やら複雑な幾何模様。


「嬢ちゃんは初めてみたいだから説明しとこうか。その模様は、探索者証の発行元を証明するためのもんだ。うちのギルドにある専用の機械じゃねえとその模様は刻印できねえ。まぁ、偽造のしようがまったくないわけじゃねえが、手間に見合うとは思えねえな」


 魔法陣ではなかったのか、とアンネローズは思った。

 ダンジョンから見つかるもののなかには、魔法的な効果を持つ特殊な模様が刻まれたものがある。

 てっきりそのたぐいかと思ったのだが、考えてみればそんな高級品を素性の知れない駆け出しの探索者に与えるはずがない。


「サイローグは全部で八つの地区に分かれててな。地区っつーか、探索者の縄張りみたいなもんだけどよ。その地区ごとに探索者ギルドがべつにあるんだ」


「一つの街に、八つもギルドがあるんです……あるの?」


 反射的に口から出た敬語を呑み込みつつ、アンネローズが聞く。


「ああ、狭ぇ街だってのにな。非効率もいいとこだが、クズ揃いのくせに自立心だけはいっちょまえの探索者どもをまとめ上げるのは難しい。まとめ上げたところで何ができるかってのもあって、なぁなぁで今の状態になってるわけだ」


 見た目に反して親切な男なのだろう、アンネローズの疑問に肩をすくめてそう答える。


「その中でもF 地区は比較的優勢な勢力なのよ。その分、狩り場にしやすい便利な通用口を押さえてるってわけ」


 クレアがアンネローズ向けにさりげなく説明を付け加える。

 が、その説明に、サイクスが苦い顔をした。


「……あー、いや。優勢っちゃ優勢なんだが……そうか、クレアは出てってから長ぇもんな」


「……どういうこと? サイローグの勢力分布に変化があったというの?」


「勢力っつーか……まあ、相手は一人なんだけどな」


「一人?」


「ああ。いろんな勢力を渡り鳥みたいに渡り歩きながら、有力な探索者を味方につけてまわってるやつがいてよ。そいつのせいで、街ん中はぐちゃぐちゃだ」


「そういえば、妙に殺気立っていたわね。ここに来るまでに、ひったくりだのなんだのにやたらとからまれてめんどうだったわ」


 というクレアの言葉に、


 ……あれが常態というわけではなかったのね。


 さすが悪名高い迷宮都市だけある、と勝手に納得していたアンネローズは、自分の誤解に気がついた。


「しかもよ、そのひっかきまわしてたやつが、ここ数日探索に行ったきりで帰ってこねえ」


「そんなの、よくあることじゃない」


 きっぱりと言ったクレアのセリフに、アンネローズはぎょっとする。

 探索者モグラが戻らないことなど珍しくない――それが、この街の常識なのだ。


「野垂れ死んでやがるんなら、トラブルの種がなくなって重畳ってなもんだけどよ。そいつの取り巻きをやってた連中が、捜索隊を出せと騒ぎ出しやがって……」


「捜索隊ですって? そのトラブルの種とやらは、白金プラチナランクだったりするわけ?」


「まさか。あんな、男を肉壁としか思ってないような女が……C地区ギルドのシルバーになったばかりだったはずだ」


「駆け出しに毛が生えた程度ってことね。それと、やっぱり女だったわけ? よほどうまく男たちをたらしこんだのね」


 呆れたようにクレアが言った。


 が、その言葉に、アンネローズはギクリとした。


 ――男たちをたらしこんだ。

 ――男を肉壁としか思ってない。

 ――街をひっかきまわす、トラブルの種。


 まるで、誰か・・のようではないか。


「で、まさか、捜索隊を出したっていうの?」


「出すわけねえだろ。だが、取り巻きどもが必死でよ。自分たちで捜索してんのはもちろんとして、同時にその女の保護に多額の賞金をかけやがったんだ。ご丁寧にも『彼女に指一本触れたら殺す』なんていう失笑もんの注釈付きで、よ」


「指一本触れずにどうやって助けるっていうのよ」


「ま、そこはさすがに比喩的な意味なんだろうが、ダンジョン内で遭難してる若い女の探索者を男の探索者が救助すれば……不愉快な要求をされがちなのも確かだからな。遭難してなかったとしても、若い女の探索者なんてのは、禍獣カースド以上に飢えた男の探索者を恐れてるもんだ。……わりいな、嬢ちゃん。こんな話をしちまってよ」


「いえ……」


 アンネローズはあいまいに相槌をうった。

 クレアにとっては言わずもがなの話をあえて彼が持ち出したのは、アンネローズにも気をつけるよう、それとなく注意してくれているのだろう。


「なら男の探索者は心配ねえのかっつーと、もちろんそんなことはないんだけどな。苦心惨憺のすえに禍獣カースドを倒し、貴重なアイテムを手に入れた。でも、帰り道で別の探索者に襲われて、命も獲物もまるっとさらわれた……そんな例がいくらでもある」


「ダンジョンの中では、捕まえることもできない……運良く生き延びてから訴えても、証拠がないから泣き寝入り、ですか」


「そういうこった。ギルドでも、あいつがそんな禍獣カースドを倒せるわけがねえ、どうせ『ハイエナ』したんだろうって噂くらいは出る。だが、本当にそうだって証拠なんざ出るわけがねえ。いや、証拠があったとしても、ギルドにはその探索者を除名するくらいの処罰しかできねえんだ。この街には法律なんてもんはねえからな」


 サイクスの言葉に、アンネローズは身震いした。

 クレアから聞かされてはいたが、こうして街の中で当事者から話を聞くとまた印象がちがう。


「自分の身は自分で守れということね」


「そのとおり。だが、アンネ嬢ちゃんには心強い味方がいる。元白金プラチナのお姉さんだ。その名をクレア。死操しそうのクレアだ」


「しそう? 初めて聞いたわ」


「……その二つ名はやめてちょうだい。がらでもないわ」


 クレアが気まずげに、あるいは気恥ずかしげに、首を振る。


「嬢ちゃんはとにかく、そのおっかねえお姉さんからはぐれないことだ。なにがなんでも一緒にいろ。あと、クレアの言うことは全部聞け。理由なんかいちいち聞き返すなよ? その時間が命取りになることもあるんだ」


「は、はい。わかり……わかったわ」


「それから、その上品な口の聞き方も直しとけ」


「……うん、気をつけるわ」


「よし」


 サイクスがうなずいた。

 目つきが悪く、口を開けば憎まれ口を叩くサイクスだが、意外に面倒見がいいらしい。


「じゃあ、ダンジョンの話をしようか」

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