第7話

 ――クレアが出ていったあと、アンネローズは勢いよくベッドから跳ね起きた。


「……これはいったい、どういうこと!?」


 アンネローズは自分の身に起きたことを、時系列でたどってみることにした。


「アルバ歴1000年。わたくしは貴族学院の卒業記念パーティに参加していたわ。そこで、クライス王子から前代未聞の婚約破棄を言い渡された……」


 ……悪い夢のような話だった。


「その上、王子は逆上し、わたくしを即刻この場で処刑せよとのたまわった」


 …………本当に、悪い夢のような話である。


「あの娘――ティエナ嬢に骨抜きにされた殿方たちが、揃いも揃ってわたくしをあやめんと襲いかかってきた……」


 ………………オーケー、本格的に悪い夢のような話だわ。


 アンネローズにとってもだが、それ以上にこの国にとっても悪夢のような話である。

 次代のこの国は大丈夫なのかと、アンネローズは本気で心配になった。


「でも、敵意の中でヘイト咲き誇る薔薇・ローズを持つわたくしに敵意を向けるなど悪手中の悪手。

 ――だって、敵意の中でヘイト咲き誇る薔薇・ローズの効果は、『自分に敵意を向けた相手の能力を、自分の能力に加算する』というものなのだから」


 クライス、アイザック、シモン、ユーゴ……

 あのときアンネローズに敵意を向けた四人の能力が、彼らの祝力ギフトごと、アンネローズに上乗せされていたのである。


「四人? いえ、正確には五人分のようね」


 なんとなくではあるが、アンネローズには敵意の中でヘイト咲き誇る薔薇・ローズでどの程度の力が上乗せされているかがわかる。

 身体能力や魔力などは混ざってしまうため人数の判別が難しいのだが、祝力ギフトのほうは一個、二個……と区別して数えることができる(同種の祝力ギフトがかぶっていなければ)。


 あのときの感覚では、アンネローズがあの場で獲得した祝力ギフトは全部で五つ。

 クライス、アイザック、シモン、ユーゴ……に加えてもうひとり。


「そういえば、ティエナ嬢の背景になっていた殿方がもうひとりいましたね。エミール・アイゼン、でしたかしら」


 藍色の髪に、紙のように白い肌。

 長い前髪で隠されて、目元は見えない。

 ただでさえ低い方の背を丸めているので、実際以上に小柄に見える。


 あの断罪の最中、彼は手にした懐中時計に頻繁に目を落としていた。

 時間を測っているという感じではない。

 彼のその様子は、もう汚れていないのに何度でも手を洗わずにはいられない人のそれに似ていると、アンネローズは思った。


 敵意の中でヘイト咲き誇る薔薇・ローズが奪った(模倣コピーした、というほうが正確だろう)彼の祝力ギフトは、「時の独房タイム・チャンバー」というらしい。


「時間を巻き戻す能力……ね」


 アンネローズが知る中でもかなり珍しい部類の祝力ギフトだ。


「わたくしが過去に戻ったことと何か関係が……? でも、エミールの祝力ギフトでは数秒遡るのが限界で、しかも、精神だけが戻るということはないようね」


 敵意の中でヘイト咲き誇る薔薇・ローズで一度わがものとした力なので、その概要については感覚として理解している。

 もっとも、自分に向けられていた敵意が消滅すると、敵意の中でヘイト咲き誇る薔薇・ローズの効果は切れてしまう。

 「上乗せ」された祝力ギフトや魔力・体力などもすべて元通りになる。


 自分の祝力ギフトについて誇大に触れ回る貴族が多いことを思えば、エミールは自分の祝力ギフトの使いにくさを恥じ、隠していたのではないだろうか。


「剣士が斬り合いの最中にでも使えれば便利かもしれないけど、発動にはそれなりの集中が必要になるようね」


 要するに、実戦では使えない祝力ギフトということだ。

 とはいえ、まったく使えないわけでもない。


「書類を書き損じたときなどは便利そうね。飲み物をドレスにこぼしてしまったときとかも。数秒以内のことなら失言を取り消すこともできるのかしら」


 エミール・アイゼンはアンネローズと学年次席を争うほどの勉強家で、普段は図書館の閉鎖書庫に閉じこもりきりだったと聞いている。


「ティエナ嬢はそんな相手とどうやって知り合い、たらしこんだのかしら?」


 あまり性格が合いそうにも思えないのだが……。


 なお、クライスの腕にすがりついていたティエナ嬢からも、当然のようにアンネローズへと敵意が向けられていた。


 だが、敵意の中でヘイト咲き誇る薔薇・ローズでは、彼女の祝力ギフト「聖なる祈り」をコピーすることはできなかった。


 彼女自身の身体能力や魔力もまた、敵意の中でヘイト咲き誇る薔薇・ローズの対象にはなっていなかったと思う。


 もっとも、戦闘要員だった四人や、非実戦派ながら魔力のきわめて高いエミールにくらべると、「落ちこぼれ」と言われていたティエナの力は限られている。

 五人分の力にティエナの分が上乗せされていたとしても、誤差の範囲に収まって気づけなかったという可能性もある。


 ……なお、会場に居合わせた騎士たちは、アンネローズに敵意を向けていなかった。

 彼らは、クライスが栄光ある王笏ロイヤルタクトの強制命令で命じるまで、動くことをためらっていた。

 状況に混乱し、「上」からの指示を待っていたのかもしれない。


「だけど、あの状況で、王子たちをいさめるでもなく参加者を避難させるでもなく、ただ静観していただけ……というのもいかがなものかしら?」


 なかなか香ばしい感じに無能である。

 あるいは、クライスたちの誰かかが事前に手を回していたのかもしれない。


 ともあれ、敵意の中でヘイト咲き誇る薔薇・ローズが通じなかったのが「聖なる祈り」だけなのかティエナ嬢の能力全般に対してなのかははっきりとしない。


「ティエナ嬢は『戦うなんて怖い!』と言って、ダンジョン実習でも男子生徒たちに守られるだけだったみたいだし」


 貴族学院に通っている以上、全員が戦うすべを学んではいるのだが、祝力ギフトによって戦いへの向き・不向きはどうしても出る。

 そこまで含めてカバーし合う関係を築くというのがダンジョン実習の教育的な目的だ。


 しかしティエナは、男たちを戦わせて後ろに隠れていたかと思うと、いきなり危険な場所に飛び出して、男たちから「危ない!」とかばわれる……という、傍から見てイラッとせざるをえない謎の行動を、儀式のようにくりかえしていた。


 男たちが身を挺して自分を守るのを楽しんでいた……ということだろうか?


 あるいは、そうすることで男たちの自分への愛情を確かめていた?


 いずれにせよ、彼女の考えはアンネローズの発想のはるか斜め下をいっている。

 常識的な発想では理解することができそうにない。


「『聖なる祈り』なんていうとんでもない祝力ギフトを持っていたのだから、結果的には、殿下たちを盾にするのは正しい戦術だったのかもしれませんね」


 ――聖なる祈り。


 アルバ王国においては、最も名の知れた祝力ギフトだろう。


 それは、あらゆる祝力ギフトを無効化する祝力ギフトだという。


 すくなくとも、聖女にまつわる伝説にはそうあった。

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