第52話
ティエナの宿に移り、盗み聞きがないことを確かめてから、アンネローズはティエナにこれまでのいきさつを語った。
「……というわけです。驚きましたか?」
「いや、驚いたことは驚いたけど。正直言うとその可能性はちょっと考えてた」
ティエナはアンネローズの話をあっさり受け入れた。
「どういうことです?」
「もとの世界には『悪役令嬢もの』っていうジャンルが出来ててね。その中には、破滅を迎えた悪役令嬢が過去に戻ってやり直すというお話があるのよ」
「……そ、そうなのですか」
「アンネローズさんからすれば、自分は物語の登場人物じゃない!って言いたいでしょうけど、そういう話があったことは事実よ。でも、変ね。『ラブラビ』にはそんなシナリオはなかったはず……」
「『ラブラビ』でのわたくしは純粋な悪役だったはずですよね」
「うん。第一部のトリを飾るラスボスがアンネローズ・マルベルト。彼女は断罪イベントのあと幽閉され、その後物語への出番はなかったわ」
「幽閉、ですか? 処刑されたのではなく?」
「処刑まではされてなかったはずだけど。幽閉後に密かに殺されたという可能性は否定できないけど、断罪イベント中に殺されるなんて展開じゃなかったわ。だって、いくらなんでも無理があるじゃない」
「そうですよね。わたくしはてっきり強制力によるものかと思いましたが」
「強制力とは別次元の話だけど、プレイヤーが『いくらなんでもこれはないだろう』っていう展開にはならないわよ。プロのシナリオライターが書いてるんだし。まあ、断罪イベント自体がご都合主義じゃないかって批判はあるかもだけど、ゲームのテンポを悪くしてまで悪役令嬢について掘り下げたってしょうがないでしょ?」
「……その言われようは不本意ですが、物語としてはその通りでしょうね」
「では、アンネローズ様が殺されるような展開は『原作』にはなかったと?」
「なかったし、あるはずがないと思うわ。だって、
「……お嬢様を公衆の面前で吊し上げることは水を差さないのですか?」
「わ、わたしに怒らないでよ。悪いやつが痛い目を見てすっきり、っていう筋書きは、この世界にだっていくらでもあるわ」
アンネローズは、推測を語るティエナを観察するが、やはり嘘をついているようには見えなかった。
もちろん、すべての嘘を見破れるわけがないが、ティエナが正直に語っているという印象は正しいように思える。
「ではやはり、『今回』のティエナさんには『前回』の記憶はないと?」
「……ああ、そうよね。なるほど、アンネローズさんはそれを懸念してたのか」
答える前に、ティエナは納得したとばかりにうなずいた。
「あ、ごめん。答えになってないわね。もちろん、わたしに『前回』の記憶なんてないわ。それと、たぶんこれを懸念してるんだと思うんだけど、今のわたしは『前回』のわたしとは別人なんじゃないかと思う。すくなくとも、『前回』のわたしが時間遡行して今のわたしになったわけじゃない……はず」
そこまで推測できるティエナは、やはり頭の回転が速いとアンネローズは思った。
「はず、というのは?」
「現状、わたしに『前回』の記憶はないし、『前回』から意識が連続してるってこともないわ。ただ、『前回』の記憶やら意識やらがまだ眠っていて、蘇ってないだけかもしれないでしょ」
「……そういう可能性もありますね」
「でも、薄い可能性だとは思うわ。もしわたしがアンネローズさんと同じように時間遡行したのだとしたら、その意識が目覚める時期は一致するほうが自然なんじゃないかしら。絶対とは言えないけど」
「なるほど……」
あのとき時間遡行という現象がアンネローズ以外にも起きたのだとしたら、遡行先の時間も一致しそうなものだ。
「それから、話を聞く限りだと、『前回』のティエナが断罪イベントで死んだってことはなさそうよね?」
「そうですね。死んだのはわたくしだけでしょう」
火に巻かれて焼け死んだ、といったことでもない限り、あの状況からティエナが死ぬとは考えにくい。
きっと生き延びて、攻略対象たちをはべらせ、ハーレムを築いたことだろう。
あるいは、現実はそんなに甘くはなく、あれだけの騒動を起こした責任を問われて王子ともども処罰されている……という可能性もなくはないが。
「だとしたら、時間遡行したのはアンネローズさんだけだと考えるのが妥当そうね」
その推理は正しいだろうとアンネローズも思う。
「そうでしょうか? ティエナ様が、自分の秘密を守るために嘘を吐かれている可能性もございますが?」
「わたし、もう秘密はあらかたしゃべっちゃったわよ。よく信じてくれたものだと思ったけど、アンネローズさんにそんな事情があるんだったら、わたしの話も一概に妄想だとは言えないでしょうね」
「わたくしはわたくしで、こんな話を信じてくれる人がいるとは思いませんでした」
「お嬢様。わたくしはお嬢様のお話でしたら信じていました」
「もちろん、クレアが信じてくれるのは当然として、ということよ」
「ほんっと、仲のいい主従ね。普通、悪役令嬢といったらわがまま放題で従者を奴隷のように走り回らせるものじゃない?」
「あながち偏見とも言えませんが、わたくしは使用人をそのように扱ったことはありませんわ」
「……それって、べつに時間遡行したから、じゃないのよね?」
「どういうことです?」
「いや、『悪役令嬢もの』だと、わがまま放題だった悪役令嬢が破滅して時間遡行、破滅を回避するために行ないを改め、周囲の信頼を勝ち取っていく……っていうのが王道の展開だから」
「わたくしは『前回』においてもおおよそ『今回』と同じような行ないをしていたはずです。たしかに『今回』、破滅を回避するためにクライス殿下との婚約をお断りし、万一に備えてダンジョン探索もしておりますが……。もしかして、『ラブラビ』の『アンネローズ・マルベルト』は横暴な性格だったのでしょうか?」
「どうだったかしら。実のところ、あんまり印象がなくて」
「どういうことです? お嬢様は悪役令嬢という重要な役どころだったのではなかったのですか?」
「前も言ったけど、『アンネローズ・マルベルト』の掘り下げた描写ってないのよね。悪役の心理を掘り下げても共感しにくいし、共感できたらできたで倒したあとすっきりしにくくなるじゃない。その意味では、登場人物というより動く大道具といった感じすら……って、ごめんなさい」
「いえ、構いません。つまり、詳細な人物像は『ラブラビ』においては白紙だったということですか」
「それだ! 現実のアンネローズさんがこんなにいい人なのは、『ラブラビ』内で余計な設定がなかったからよ! もし、ゲーム内に『傲慢で底意地の悪い、いかにもな貴族令嬢』みたいな設定が存在したら、強制力でアンネローズさんはそういう性格になっていたかもしれないわ。すくなくとも、影響を受けていたことは間違いない」
「お嬢様は、ダンジョンの構造変化の問題など、強制力が働いているとおぼしい状況でも、判断が曇ることはございませんでした。ゲームのシナリオうんぬんがなかったとしても、お嬢様はお嬢様だったのではありませんか?」
クレアがやや不服そうに言う。
「いえ、クレア。強制力が働かなくなったのは、わたくしが時間遡行をしてからよ。『前回』、貴族学院でダンジョン探索実習をしたときには、ダンジョンについて疑問を覚えることはなかったわ」
「……そうでございますか。お嬢様が横暴を働くなど、わたしには信じがたいことですが」
「有難う、クレア。強制力なんていう運命を捻じ曲げるほどの力を前にすれば、わたくしなどどうなるものかわかりません。しかしそれでも、今のわたくしがあなたのことを大事に思っていることは事実です。それでは不十分かしら?」
「と、とんでもございません! わたしこそ大変僭越なことを申しました」
「お熱いわねえ」
ティエナが冷やかすように口笛を吹く。
「さて。お互いの事情はこれでわかったけれど……これから先、どうしようかしらね?」
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