第2話

「即刻、この場でアンネローズを処刑せよ!」


 クライスの言葉に、パーティ会場が凍りつく。

 王子の言葉の意味を咀嚼するのに、アンネローズはたっぷり数秒を必要とした。


「………………はい?」


 アンネローズの口から、淑女らしからぬ声が漏れた。


 ――なにを言ってるのだろう、この王子ひとは?


 貴族学院の卒業記念パーティで、婚約者を処刑?

 いくらなんでも頭のネジが外れすぎではないだろうか?


 アンネローズは思わずため息をつき、つい、いつもどおりの口調でクライスをたしなめた。


「あのですね、殿下。仮にあなたが国王陛下ご自身であったとしても、裁判もなしにこの場で処刑、などということはできないのですが……」


「そ、そうなのか!?」


「…………本当にわかっていらっしゃらなかったのですね」


 素で驚いているクライスに、アンネローズは呆れ果てた。


 もしそんな横暴を許そうものなら、有力諸侯があっという間に反乱を起こし、王の首をすげ替えにかかるだろう。

 諸侯からしてみれば、いついかなる理由で処刑されるかもわからない状況で王に忠誠など誓えるわけがない。

 この国はたしかに王制だが、王族なら何でもやりたい放題なわけではない。


 このことは何度となくクライスに注意してきたのだが……


「ええい! 俺がいいと言ってるのだ! おまえたち、やれ!」


 王子の命令に、会場に居合わせた騎士たちがぎくりとした。


「いえ、ですからね……」


 アンネローズは止めようとするが、説得の言葉が浮かばない。

 「そういうことは法律上できない」と言われてなお聞き入れない相手を、いったいどうやって説得すればいいというのか?

 開き直った馬鹿には、なにを言っても無駄なのだ。


 だが、さいわいにも騎士たちには良識があったらしい。互いに顔を見合わせ、積極的に動こうとはしていない。


 そんな騎士たちの態度に、クライスが怒りで顔を赤くする。


 そこに、


「ここはおまかせを、殿下」


 クライスの取り巻きであるアイザックが、腰から剣を抜いて前に出る。

 くすんだ金髪を短く刈った、すらりと背が高く、肩幅の広い美丈夫だ。

 彼は、代々聖騎士を務める名門クランツ伯爵家の嫡男。

 クライス同様ティエナに骨抜きにされた哀れな男の一人である。


「こんな厚顔無恥な女を生かしておいては国の恥。将来クランツの名を継ぐものとして捨て置けません」


「おお、素晴らしい心がけだ、アイザック!」


 一転、顔を明るくしたクライスにひとつうなずき、


「さあ、俺の剣の錆にしてやるぞ! そこに直れ、アンネローズ!」


 そう吠えて、アイザックが剣の切っ先をアンネローズに向けてくる。


 きゃあああ、と会場に居合わせた女性たちから悲鳴が上がった。

 黄色い悲鳴ではなく、本気の悲鳴だ。


 戦いを生業とする家で育った剣のサラブレッドが放つ本物の殺意――。


 そんなものを向けられれば、普通の女性なら恐怖で失神しているだろう。


 だが、アンネローズは落ち着いていた。

 彼女にとって、敵意を向けられるのはよくあること・・・・・・だからだ。


 闘争本能を剥き出しにした男性は、たしかに怖い。

 単純な腕力でさえ女は男に敵わないのに、とくに貴族の男は幼い頃から戦う術を叩き込まれる。

 男がその力を剥き出しにしたときに、女が力で対抗するのは――ごく少数の例外を除いて――不可能だ。


 しかし、実害という意味では、時と場合によるだろう。


 どんなに優れた剣の使い手でも、宮廷内でいきなり斬りかかるわけにはいかないのだから……。


 結局、彼らは首輪をつけられた猛犬にすぎないともいえる。

 たしかに見た目はおそろしいが、それだけだ。


 剣の腕など、社交におけるおそろしさという意味では、大貴族の権力はおろか、令嬢たちの噂話ゴシップにすら劣るだろう。


 そういう意味で、アンネローズはアイザックにさほどの恐怖を感じない。

 ここは戦場ではないのだから。

 剣と剣、力と力がぶつかりあって勝敗を決めるような場所では決してない。


 もっとも、今のアイザックは、首輪の外れかけた猛犬だ。

 自分の命を奪おうと実際に襲いかかってこようとしているわけで、社交界気分でいれば怪我では済まない話になる。


 それでも、アンネローズにはまだ、余裕があった。

 アンネローズには切り札があるからだ。


 ――殿下といい、アイザックといい……たがの外れた馬鹿は困りますね。


 内心で容赦なく切り捨てながら、アンネローズは静かに呼吸を整える。


 そして、告げた。


「ふう……。こうなっては、覚悟を決めるしかないようですね」


「なっ……歯向かう気か!?」


 アイザックががちゃりと音を立てて剣を構え直す。


 ――女性に向かって剣を抜いておいて、歯向かう気か、ですって?


 相手は女だから、まさか歯向かってはこないだろう――

 そんなふうに思って剣を抜いたのだとしたら、騎士としては卑劣のそしりを免れない。

 彼はそのことを理解しているのだろうか?


 卑劣を恥じる気持ちすら忘れているのだとしたら……。それは、本当の卑劣漢に成り下がった……ということですわよ?


 そんな男に、情けは不要だ。


 アンネローズはまぶたを半分下ろし、細くゆっくりと息を吐く。

 吐ききったところで目を見開くと、アンネローズの瞳には真紅の輝きが宿っていた。


 あまり、人様にお見せしたい「芸」ではないのですけれど……。


 マルベルト公爵家に連なるものとしては、誇るべき祝力ギフトだ。

 アンネローズの遠い祖先、英雄と称された初代マルベルト公爵が使ったとされる力なのだから。


 だが、年頃の淑女としては、もっと別の力がよかったと思うこともある。

 治癒魔法のような、この国で「女性らしい」といわれる能力にくらべると、自分の祝力ギフトはいささかはしたない・・・・・

 すくなくとも、王子の気を引く役には立たなかった。


 それでも、こういう事態になってみると、アンネローズは自分の呪われた祝力ギフトに感謝せずにはいられない。


 ――さあ、行きますわよ。


 アンネローズは目を見開くと、丹田に力を入れて息を吸う。



「コオオオオ……!!!」



 アンネローズの口から、淑女にあるまじき強い息吹の音が漏れ出した。

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