第3話

「コオオオオ……!!!」


 アンネローズは、ただ息を吸い込んだだけだ。


 この場に満ちたあらゆる敵意をその身のうちに取り込むように――

 竜殺しの英雄を迎え撃つ、物語の悪役たるドラゴンのように――


 そう意識して息を吸い込んだことで、アンネローズの祝力ギフトが発動した。


 アンネローズの身体に、かつてない力が溢れ出す。

 力の余波が赤い光となって身体から漏れ、薔薇色の気炎オーラが立ち昇る。

 真紅に輝く瞳と、炎のように揺らめく長い金髪。

 パーティのために念入りにセットされた髪は逆立ち、高いヒールを履いた足が宙に浮く。


 その姿は、さながら薔薇色に燃え上がる魔性の貴婦人といったありさまだ。


「な、なんだこれは!? その女からとてつもない魔力が溢れているぞ!」


 手で顔をかばいながら叫んだのは、クライス王子の取り巻きの一人――魔術の名家・フレデリン侯爵家の嫡男であるシモンだ。

 はちみつ色の巻き毛の中性的な少年は、学院入学時にはむしろ劣等生と見なされていた。

 それが今天才魔術師としての名声をほしいままにしているのは、在学中に幼少時のトラウマを乗り越えたからだという。


 だが、その天才魔術師をもってしても、アンネローズの放つ圧に耐えるので精一杯の状態だ。


 そんな中で動いたのは、


「殿下、お下がりください! くそっ、往生際の悪い魔女め! 我が技の前に消えるがいい――聖剣技セイクリッドアーツ浄化の剣ディヴァインブレイドッッ!!」


 アイザックは、手にした剣に光をまとわせ、アンネローズへと斬りかかる。


 絶対的な優位を確信していたはずの彼の顔には、隠しきれない恐怖が浮かんでいた。


 ゆえに――王を、国を、民を守るために磨かれた技を、ためらいもなく、武器すら持たない一人の令嬢へと解き放つ。


 聖騎士の家系であるクランツ家に伝わる聖剣技は、無力な令嬢を血肉すら残さず消し飛ばす――はずだった。


「――聖剣技セイクリッドアーツ返撃の棘カウンターストライク!」


 アンネローズは右手に真紅の光をまとわせると、すくい上げるようにくうを薙ぐ。

 その軌道上に発生した赤い光の斬線は、迫る浄化の光を吸収し――


「なっ、ぐわああああっ!?」


 アイザックの胸から血が噴き出した。

 胸を斜めに走った真紅の光の斬線が、鮮血の赤へと変わっていた。

 なすすべもなく、血を撒き散らしながら吹き飛ばされるアイザック。


「ぐ、ぐうううっ……!」


「あ、アイザックがやられただと!? なんだ、今の力は!?」


 胸を押さえ、苦悶に呻くアイザックを見て、クライスがうろたえる。


 そのクライスの腕に、


「こ、怖い……!」


 ひしっ、と擬音すら立てそうな勢いで、ティエナが全力ですがりつく。

 戦いの場で王子の利き腕を封じにかかっているわけだが、それでいいのか? と、アンネローズは余計な心配をしてしまう。


 そもそも、


 ――怖いのはどう考えてもあなたたちのほうなのだけど……。


 パーティの最中に突然、一方的すぎる言いがかりをつけて婚約者を断罪。

 この場で処刑すると言って斬りかかってきたのだ。

 こんなに「怖い」連中もそうはいない。


 悟られないようにはしているが、さっきから震えが止まらない。

 もっとも、アンネローズがおそろしさを感じたのは、彼らが襲いかかってきたことに対してではなく、その底抜けの馬鹿さ加減に対してなのだが……。


 一方、「舞台」に上がったもうひとりの令嬢――ティエナもまた震えている。

 それはもう、顔を真っ青にして、ぶるぶるとこれ見よがしに小刻みな震動を繰り返している。


 ……どう見ても演技ではないかしら?


 「真実の愛」とやらで目が曇りまくった彼らにはわからないらしい。


 クライスは、自分の腕に押し付けられたティエナの胸の感触に頬を緩めつつ、


「ティエナ、怯えさせてすまない。どうかそんなに怖がらないでくれ。君のことは必ず守るから」


 目に星を宿してささやいた。

 非の打ち所のない美形だけに、そんなセリフが似合ってはいる。

 ……その中身がすっからかんであることを思い知らされたアンネローズとしては、今さらときめく余地はなかったが。


「お、王子様……♡」


 ティエナの目にも無数のハートが浮かんでいる……ような気がした。

 しばらく、視線を介した星とハートの等価交換が続けられる。


 ……イチャつきたいなら、人に難癖などつけず、目に見えないところでやってほしいものですわね。


 この隙に攻撃してしまおうかしら?


 そんな考えも浮かぶが、なぜか、アンネローズの手は動かない。

 目の前で繰り広げられる三文芝居を、なぜか、見届けなければと思ってしまう。


「さあ、離してくれ、お姫様。俺は君の前では王子ではなく一介の騎士ナイトでありたいのだ」


「ああ、わたしだけのナイト様! どうかご武運を!」


 クライスがティエナの腕を優しく振りほどく。

 その顔がアンネローズを向く頃には、優しい笑顔が怒りで真っ赤に染まっていた。


「よくも……よくもやってくれたな、アンネローズッ! だが、これでもはや言い逃れはできなくなったぞ! 手向かったということは、自分の非を認めたということに他ならないのだからな!」


 剣を抜き、勝ち誇ったように叫ぶクライス。


「はぁ……なにをおっしゃっているのですか、殿下。衆人環視の中で、正当な理由もなしにわたくしに斬りかかってきたのはアイザックです。言い逃れができないのはあなたがたのほうなのですよ?」


 アンネローズは呆れまじりにそう返す。


「う、うるさい! 真実は歴史が証明してくれる!」


「それを申し上げたいのはわたくしのほうなのですけれど……まあ、いいでしょう」


 どうせ言っても無駄でしょうし、と首を左右に振るアンネローズ。


「殿下……そもそも、今この状況であなたが気にするべきは、そんなことではないでしょう?」


「な、なに?」


「まだおわかりにならないのですか……」


 アンネローズは再びため息をつく。


 今の一幕で注目しなければならなかったのは別のことだ。


 それに気づいたのは、アンネローズに聖剣技を返されたアイザック。

 顔から血の気が引いているのは、出血のせいだけではないだろう。


「馬鹿な……なぜその女に聖剣技セイクリッドアーツが使えるんだ!? 選ばれた聖騎士にしか使えない特別な祝力ギフトなのだぞ!? しかも、聖剣技を素手で・・・発動するなど、『剣聖』と呼ばれた祖父にもできなかったことだ!」


 今、アイザックがわかりやすく解説したとおりである。


 ――祝力ギフトは、同じ祝力ギフトを持つ者にしか使えない。


 それなのに、アンネローズはこともなげにアイザックの聖剣技を聖剣技で・・・・跳ね返した。


 今の一幕、本当に驚くべきだったのはそこである。


 顔色がんしょくをなくしたアイザックを見て、さすがのクライスも顔色かおいろを変えた。


「ど、どういうことだ? まさか、アンネローズが聖騎士の血を引いているとでもいうのか? この毒婦が!?」


「……どの祝力ギフトを授かるかは本人の資質によります。聖騎士の血を引いているかどうかは関係ありません。学院の授業で習ったと思いますが」


 反射的に、アンネローズはそうつっこむ。

 自分でも律儀だと思うが、この頭の軽い王子の言動を見ていると、ついたしなめずにはいられないのだ。

 もうその必要もなくなったというのに、気づけばつっこみを入れていた。


 ……こうしてつい殿下の馬鹿さ加減を際立たせてしまうのが、殿下に煙たがられる原因なのでしょうけれど。


 頭ではわかっていても、ついつっこまずにはいられない。

 アンネローズがつっこまずにはいられないような絶妙なボケをかますのがこの王子なのだともいえるだろう。


 ――最初から、うまくいくはずのない組み合わせだったのでしょうね。


 ある程度見切りをつけていたつもりだったが、それでもまだ甘かった。


「な、ならば、なぜおまえが聖剣技セイクリッドアーツを使えている!?」


 ……まだ、思い出さないのか。

 それとも、本気で忘れているのだろうか。


 アンネローズは何度目になるかわからないため息をついた。


「殿下、お忘れですか? わたくしもまた祝力ギフトを持っているということを」


「……そういえば、以前言っていたような……。『敵意を跳ね返す力』だとかなんとか……。あまり使えそうもない能力だったので忘れていたが……」


 どうやら、勝手に「使えそうにない」と決めつけて、アンネローズの祝力ギフトのことは忘れていたらしい。


「婚約の席で、きちんとご説明申し上げましたのに……。わたくしの話などろくに聞いていらっしゃらなかったのですね。それとも、小児にすら劣る殿下の頭には難しすぎるお話だったのでしょうか?」


「なっ……」


「たしかに少々複雑ですから、三歳児でしたら理解できないのも無理はありません。ですが、殿下は当時十五歳であらせられたので、当然、ご理解いただけたものと早合点いたしておりました。次の機会がございましたら、相手が赤子であってもご理解いただけるよう、もっと噛んで含めるように、懇切丁寧にご説明いたしますわ。ごめんあそばせ」


「きっ……貴様という女はあああああああ!」


 アンネローズは、王子との婚約が交わされたそのときに、自分の祝力ギフトについて王子にきちんと説明している。


 ――マルベルト公爵家の開祖も使っていたとされる祝力ギフト敵意の中でヘイト咲き誇る薔薇・ローズ』のことを。


 発動条件や効果が特殊であるため、王子はこのスキルの価値を正しく理解できなかったのだろう。


 ――理解していれば、アンネローズを排除するのにこんな方法を取ったはずがない。


 こんなやり方は、ことアンネローズに対しては、最悪の一言に尽きるのだ。


「本当に……いやになりますね。婚約者の話ひとつ聞く気がない、衝動的で考えなしの殿方に身を捧げようとしていたのですから……」


 ――これまで、よき王妃になろうと一生懸命積み重ねてきた努力は、ひとかけらも評価されていなかったのですね。


 アンネローズの口から再度、やるせないため息がこぼれるのだった。

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