第4話
「くそっ、どこまでも男を馬鹿にしやがって!」
逆上するクライス王子に、アンネローズは冷静に割り込んだ。
「あら、それは誤解ですわ、殿下」
「誤解、だと!? 今さら釈明でもするつもりか!?」
「殿下は今、わたくしが男性を馬鹿にしているという趣旨のご発言をなさいましたが、それは大いなる誤解です。わたくしが馬鹿にしているのは男性一般ではございませんわ。尊敬に値する男性も大勢いらっしゃいますもの」
そう言って、アンネローズは会場に向かって淑女の礼をする。
「なんだと!? ならば、俺だけをコケにしているというでもつもりか!?」
「他にどんな解釈のしようがあるというのです? 殿下を他の良識ある殿方と比較するのは、彼らに失礼というものですわ」
「おのれ、ああ言えばこう言う! なにをしている! この口さがない女を早く殺さないか!」
クライスが、動こうとしない騎士たちにそう叫ぶ。
「おやめになったほうがよろしくてよ。アイザック様の二の舞になりたくなければ、ね」
アンネローズが薔薇色の光をまとう手刀を見せると、騎士たちが踏み出しかけた脚を止める。
生半可な
騎士たちはもちろん、クライスも、アンネローズに斬りかかる度胸はないらしい。
君を守るとは一体なんだったのか。
膠着状態を破ったのは、クライスの背後で背景になっていた男たちの一人だった。
「ならば僕の魔法で……!
アンネローズに向かって手をかざし、そう叫んだのは、魔法の名家・フレデリン侯爵家の嫡男であるシモン。
伝説の賢者と同じ
その俊才が――パーティ会場という周囲の状況を顧みず――放った火炎の渦が、螺旋を描きながらアンネローズに迫る!
が、やはり無駄。
「――
「そんなっ!? 僕の魔法が押し返されて――うわああ!?」
とっさに魔法障壁を張って、薔薇色の火炎を受け流すシモン。
防御できただけアイザックよりはマシだが、自慢の術を破られたショックで茫然自失。
その隙を補うために――などということはまったくなく、出番を待ちかねていた別の背景男が飛び出した。
学院の制服を乱暴に着崩した粗野な男。
ティエナがどこからか拾ってきて、クライスが学院に圧力をかけて入学させたと聞いている。
名前はたしかユーゴといったか。
「直接ぶん殴りゃあいいだけだっ!
獣のような雄叫びとともに、緑の龍蛇がユーゴに巻きつくような幻影が見えた。
直後、ユーゴが爆発的に加速する。
大理石の床を蹴り砕き、ユーゴが亜音速でアンネローズに殴りかかる!
しかし――これとてもやはり無駄。
「
アンネローズの背後に無数の薔薇が一瞬幻視されたかと思うと、アンネローズもまた加速した。
緑の龍は、ダンスホールの床をぶち抜きながら追いすがり。
紅き薔薇は、ダンスを舞うような華麗なステップで旋回する。
「くたばれ、おらおらおらおらああああっ!」
ユーゴが力任せに拳をふるう。
拳をぶん投げるような力任せの一撃だ。
「隙だらけですわね」
アンネローズは隙だらけのパンチをさらりとかわし、ユーゴの利き腕の外側へと回り込む。
そして、上体が泳いだユーゴの背中に、指を組んで固めた両の拳を振り下ろす!
ドガッ……! ボグオオッ!
「ぐがぁぁぁっ!」
音は二度。
一度目は、アンネローズがユーゴの背に拳を叩きつけた打撃音。
二度目は、その衝撃でユーゴが床に叩きつけられた破壊音だ。
ユーゴが叩きつけられた地点を中心に、床に蜘蛛の巣状の亀裂が走る。
大理石製の硬い床に、だ。
「がっ、くそがぁぁあっっ!」
ユーゴが頭から血を流しながら、ほうほうの体で後ろへ飛び退く。
アンネローズは追撃をあきらめた。
「無駄に頑丈ですわね。どうせ正当防衛なのですし、そのままご永眠いただくつもりだったのですが」
頭でも踏みつければ殺せただろうが、ダウンした相手に追い打ちをかけては正当防衛を主張しにくくなってしまう。
アンネローズは舌打ちを漏らしながら、王子たちのほうに視線を戻す。
「ば、馬鹿な……!」
取り巻きを全員返り討ちにされ、クライス王子がうろたえる。
「……おわかりいただけたでしょうか、殿下。あきらめて、投降してくださいませんか?」
「くっ、この嘘つきめ! こんなに強力な
「あら、自分の理解力不足を棚に上げて、わたくしのことを嘘つき呼ばわりですか? わたくしは最初からなにも隠してなどおりませんわ」
「じ、実際に見せられたことはないではないか!」
「実戦でしか使えない
というのも、その発動条件が、「自分に敵意を向けられること」だからだ。
そのことも含めて、クライスには説明した。
説明したのだ。本当に。
「そもそも、わたくしの
歴史の授業では居眠りし、数学の授業は頭痛がすると言って退席する。
それが、このクライス第一王子なのである。
彼が学院の主席卒業者ということに
「くっ、どこまでも俺のことを馬鹿にして……! 本当に可愛げのない女だ! 男を立てるということを知らないのか!」
「ぷっ……」
アンネローズは、王子の言葉に思わず失笑した。
「可愛げ、ですか。殿下は自分よりおつむの弱い女性のことを
いえ、男性も……でしょうか。殿下が王になった暁には、この国からは人材という人材が逃げ出すことでしょう。王子のメンツにばかり配慮していては国が滅んでしまいますわ」
もはや隠す気もなく、アンネローズはあからさまな嫌みを放った。
王子のこめかみに、またひとつ新たな青筋が浮かぶ。
……会場にいる一部の貴族がアンネローズの言葉にうなずき吹き出したことも、王子の頭にさらに血を上らせる結果になっていた。
「さあ、こうなっては口先で戦っていてもしかたがありません。かかってきてください。まとめて叩きのめして差し上げますわ」
返り討ちにした男たちも、それぞれに体勢を立て直し、警戒もあらわにアンネローズを睨んでいる。
「なんだと……!? 王子であるこの俺に危害を加えるとでも言うつもりか!?」
「王子だからといってなんでも許されるわけではございませんわ。正式な裁判もなしに、それも、ティエナさんをいじめたのいじめないのという学生同士のいざこざを理由に、国王陛下のご承認もなく、貴族の令嬢を独断で『処刑』しようとなさった……。いえ、正式な手続きに則っていない以上、これは『処刑』ですらありません。ただの『私刑』です。
不当に命を狙われた以上、わたくしには身を守る権利がございますわ。ですので、きっちりと身を守らせていただいた上で、今回の破廉恥な出来事について、国王陛下に厳正な裁きを下していただこうと思います。なにせ、陛下のご子息であらせられる王子殿下の起こした事件なのですから……」
「お、王子である俺に、父上が罰を下すと言うのか!?」
「当然でしょう? 王子が城内で刃傷沙汰に及んだ……それも、マルベルト公爵家の令嬢に難癖をつけて斬ろうとしたのです。騎士同士の名誉ある決闘ですらありません。まず廃嫡は固いでしょうね」
「は、廃嫡だと!?」
「王国法も理解していない王子を担ぎたがる貴族などいるものですか。たとえ国王陛下があなたをかばいたいと思っても、かばいきれるものではございませんわ」
あまりにも馬鹿すぎて……とアンネローズは内心で付け加える。
アンネローズの言葉がようやく染み込んできたのか、王子の顔から血の気が引く。
「……はあ。今頃になってようやく自分のやっていることの愚かしさがわかったのですか?」
「う、うるさい! かくなる上は、せめておまえだけでも確実に殺す!」
「…………どうしてそんな発想になるのでしょうね。王子のお考えは常にわたくしの想定のはるか下をいかれるようですわ」
おおかた、アンネローズの口を塞いでしまえばごまかせる、とでも考えているのだろう。
もちろん、衆人環視のこんな状況では言い逃れのしようもないのだが。
「殿下。わたくしから全てを奪うというのですから――当然、わたくしに全てを奪われる覚悟がおありなのですよね?」
「そ、それは……っ」
薔薇色のオーラを立ち昇らせたまま凄むアンネローズにクライスがひるんだ。
クライスの背景となっている男たち(一応この国の有力な貴族家の嫡男たちだ……残念なことに)も、アンネローズの紅い目に身をすくませた。
――が。
一人だけ、アンネローズの視線にひるまない者がいた。
「――大丈夫です、王子様! わたしの
王子の腕を引っぱりながら、ティエナが得意顔でそう言った。
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