第9話

 朝食を終えたアンネローズは、しばらく一人にしてほしいと断って、公爵邸の外れにある東屋あずまやにやってきた。


 貴族学院に在学しているあいだは、ほとんど学院の寮で暮らしていた。


 それはそれで、気楽で楽しい生活ではあった。


 だが、三年ぶりに「戻って」くることになった実家の空気や料理の味は、アンネローズの張り詰めていた心を緩めてくれた。


 そのおかげもあってか、アンネローズは思考の行き詰まりを抜け出した。


「そうよ。なぜ過去に戻ったのかを考えてもしかたがないわ。現実として過去に戻っている以上、この状況をどう生かすかを考えなければ」


 もしなにもしなければ、四年後には再びあの断罪イベントが起こり、アンネローズは婚約破棄の上、その場で「処刑」されることになる。


「たとえば、卒業記念パーティを口実をもうけてすっぽかしたら? ……ダメね。別の機会に『断罪』されるわ」


 穏便に婚約を解消できるなら、それに越したことはない。


 公爵家に生まれた以上、政略結婚はしかたがないと思うアンネローズだが、あんな一幕を見せられれば、さすがに王子との婚約にこだわろうとは思わない。


 というか、はっきり言って願い下げだ。


「でも、話し合いで解決……とはいかないのでしょうね」


 あのとき、クライス王子やティエナ嬢は、わざとことを荒立てようとしているように思えた。

 普通に婚約解消を申し出ても、王子の父である王と、アンネローズの父である公爵が、それを認めることはないだろう。

 だから、アンネローズの「落ち度」を公衆の面前であげつらう、という手段をとって、関係の破綻を既成事実にしようと目論んだのだ。


「そんな馬鹿げたことにつきあった、あのお仲間たちも謎よね」


 聖騎士の家系であるクランツ伯爵の嫡男アイザック・クランツ。


 百年に一度の魔術の才をもつといわれるシモン・フレデリン。


 王子がどこからか連れてきた放浪児で、東方の闘気法の使い手であるユーゴ。


 幼くして万巻の書物を読破し、博覧強記で知られる秀才エミール・アイゼン。


 いずれも一癖も二癖もある男性たちだが、そのいずれもがティエナ嬢に熱いまなざしを向けていた。


 つまり、王子と四人は恋敵同士のはずなのだ。


 クライスがそのことに気がついていないとも思えない。


「恋敵の男性五人が雁首揃えて、ティエナ嬢の言うがままに、わたくしのことを排除しようとした……ということになるのだけれど」


 そうとしか考えられないのだが、そんなことがありうるのだろうか?


「もしわたくしを無事排除できたとして……そのあとはどうするつもりだったのかしら? まさか、みんなで仲良くティエナ嬢の愛人になる、なんてことはないでしょうし」


 もちろん、高位貴族の男性の中には、複数の愛人を囲っているものもいる。


 女性であるアンネローズからすれば眉をひそめたくなる話だが、跡目を残すという大義名分のもと、公然の秘密のようになっている。


 貴族夫人の中にも夫とは別の愛人をもつものもいるが、さすがに、五人もの男を囲っている例は聞いたことがない。


 男性が複数の女性に子を産ませることはできても、その逆は難しい。


 王子であるクライスはもちろん、他の四人も、将来は生まれた家を継がねばならない立場である。


 となれば当然、正妻をもらわねばという話になるのだが……。


「正妻は別にもらっておいて、ティエナ嬢はクライス殿下の正妻兼他の四人の愛人になる、とでもいうの? そんな馬鹿な……」


 王子の正妻ということは、将来は王妃になるということだ。


 王妃に王子以外の愛人がいて、しかもその愛人はそれぞれ家庭を持っている……というのは、いくらなんでも外聞が悪すぎる。


 だいたいそれでは、王妃の身ごもった子が本当に王子のたねかどうかわからないではないか。


 では、王子以外の四人の誰かがティエナ嬢を正妻として、王子と残りの三人はティエナ嬢の愛人となる?


 その場合は、王子――いや、将来の国王が、貴族の妻と不倫関係にあるということになる。


 たとえ合意の上だろうと、そんな関係を周囲が認めるわけがない。


「それとも、王子と四人とティエナ嬢で国外に駆け落ちでもするのかしら? いえ、地位も名誉も捨てて逃げ出したところで、『生まれ』からは逃がれられないわ」


 国から国への移住は、それなりに難しい。


 それに、当然のことながら、受け入れ側の国にも、こちらの事情に通じたものがいる。


 王子や貴族の嫡男が流れてきたと知ったら、いくら本人たちがそんな身分は捨てたと主張しても、囲い込み、利用しようとするだろう。


「ティエナ嬢を中心に男性たちをハーレムにする……そうね、男女が逆だから『逆ハーレム』とでもいうべきかしら。そんなことが実現できるとしたら…………いっそ、ティエナ嬢が王位を簒奪して女王となり、五人をその王配にする、とか?」


 と、アンネローズは冗談交じりにつぶやいた。


 だが、自分の言葉を反芻してみて、背筋にぞくりとするものが走った。


「ありえないことではない……のかしら」

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