第19話

 探索者ギルドの中に入ると、中から濃い煙草の煙が溢れてきた。

 咳き込みそうになるのをアンネローズはなんとかこらえる。

 入った途端強面こわもてたちがギロリ……などということはなかった。人は多かったが、その分アンネローズとクレアが目立つこともない。


 ギルド内はカウンターによって利用者側と職員側に分けられている。

 L字型になった外側の狭い範囲が利用者側。その奥のほうのスペースでは、酒と煙草を片手に赤ら顔の男たちが下品な笑い声を立てている。

 カウンターの内側の四角形のスペースには職員用のデスクや椅子が並んでいるが、そこにいる職員らしき者たちも、L 字の奥でくだを巻いている連中と大差がない。


「あいかわらずヤニくさいところね」


 クレアが、カウンターの奥にいた猫背の男に話しかける。

 年齢は……三十代だろうか。四十ではないだろうが、老けた二十代ということはあるかもしれない。焦げ茶色の髪の、目付きの悪い男だった。


「あ? なんだてめえは。喧嘩売ってんのか?」


「あら、わたしの顔を忘れたんだとしたら、あなたも耄碌したものね」


 と言って、クレアは金属製のプレートを一瞬だけマントのあわせから覗かせる。


「なっ……! なんだっててめえがここに!? って、ここじゃまじいな。こっちこい」


 男は周囲を最小限の動きで見て取ると、カウンターの端を跳ね上げて、クレアとアンネローズを奥に通す。

 職員側スペースの壁にあった扉をくぐると、そこはすぐに階段だ。

 傾斜の急な危なっかしい階段をのぼり、鍵のかかる扉の中に通される。

 応接用の部屋らしく、かろうじてみすぼらしくはないといった程度のソファやテーブルが置かれていた。


「クレア! クレアじゃねえか!」


 男が、落ち窪んだ目を輝かせてそう叫ぶ。


「ひさしぶりね、サイクス。元気してた?」


「元気もクソもあったもんか、このクソったれのサイローグソ・・でよ」


 あまりに汚い言葉にアンネローズはおもわず顔をしかめたが、目深にかぶったフードのおかげで、男には気づかれずに済んだ。

 もっとも、男の注意はクレアに向いていたので、フードがなくとも気づかれなかったかもしれない。


「おめえ、たしか、貴族様に拾われたんじゃなかったか? まさか、貴族の旦那様にでも手ぇ出されそうになって、我慢できずに張り倒して逃げてきた……とかか?」


 お父様はそんなことしない! と言いたくなるが、ぐっと我慢するアンネローズ。


「そんな短慮はしないわよ。いまはちょっと事情があって、すこしのあいだだけ、ダンジョンに潜りたいと思ってるの」


「そらまた……なんでだよ? って、聞くのも野暮か。事情は人それぞれだ」


「そうしてくれると助かるわ」


「ま、おめえが潜ってくれるってんならこっちは大助かりだけどな。……一応聞いとくが、気に入らない貴族様をっちまって手配されてたりはしねえよな?」


「やらないわよ。やるとしてもバレないようにやるわ」


「ハッ、ちげえねえ。じゃあ、変な男にでも引っかかって、金品を貢ぐためにダンジョンに潜ろうとしてる、なんてこともねえな?」


「わたしをなんだと思ってるのよ。それに、もしそうだったとしても、あなたには関係のないことでしょ」


「そ、そりゃあそうだけどな……」


「あら、わたしのことを心配してくれてたの? そんな殊勝な性格だったかしら?」


「う、うるせえ! 心配しちゃ悪いかよ! モグラ上がりの乱暴女に貴族の従者なんて務まるのかって心配してただけだ!」


 からかうように言ったクレアに、サイクスの日焼けした頬が赤くなる。


 ……クレアもなかなか罪作りね。


 フードの下で苦笑するアンネローズに、サイクスがちらりと目を向ける。

 挨拶するべきか迷っていると、クレアがかばうように言った。


「……ちょっと訳ありでね。この子にモグラとしての基礎を仕込んであげる必要があるの」


「ほう? そいつはまた、珍しい話だな」


「女が一人で生きていくのは難しいのよ」


「男だってそうさ。このクソ街にいる連中はほとんどがそうだろうよ」


 サイクスは吐き捨てるように言った。


「事情はわかった。そんなら、あんまやべー仕事は頼めねえか」


「ゆくゆくはと思うけど、最初は軽いのからにしてちょうだい」


「……ふぅん? ってことは、そいつもそれなりにはやるってことか」


 じろじろと、値踏みするような目を向けられる。クレアにはなるべくしゃべらないようにと言われているので、居心地の悪さをこらえて様子を見る。


「名前くらいは聞いてもいいんだろうな?」


「ええ。この子はアンネ。わたしの……まあ、妹のようなものと思ってちょうだい」


 クレアにしぐさでフードを取るよう促され、アンネローズはフードを外す。

 ひゅう、と口笛の音がした。


「べっぴんさんじゃねえか」


「こう見えて、そこそこ戦えるの」


「貴族学院の出……ってわけでもねえか。まだ、そんな歳ではなさそうだし」


「素性の詮索は……」


「おっと、すまんな。深くは聞かねえよ。探索者登録には名前さえありゃ十分だ」


「えっと、アンネと申し……いうわ」


 つい敬語を使いそうになり、慌ててアンネローズは誤魔化した。


「よろしくな、アンネ嬢ちゃん。んじゃま、嬢ちゃんの探索者証を作ってくるワ。茶も出せんで悪ぃがしばらくここで待っててくれ」


 ひらひらと手を振りながら、サイクスが部屋から出ていった。

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