第18話

 ティエナはアイテムの使いみちを知っているのではないか?

 その思いつきは正しいように思われた。

 とはいえ、今ここで考えてみても、確かなことはわからない。


「お嬢様。いかがなさいました?」


 いつのまにか考え込んでいたアンネローズに、クレアが心配そうに聞いてくる。


「……いえ、なんでもないわ」


 クレアの意見を聞いてみたくはあったが、そのためには自分が三年後に死んで「戻って」きたことを話さなければならない。クレアが秘密を漏らすとは思わないが、それ以前の問題として、信じてもらえる気がしない。


 ……わたくしもアイテムを確保しておくべきかしらね。


 できることはそのくらいしかなさそうだ。


「じゃあ、街に入りましょうか」


「はい。……ですが、お嬢様。いえ、アンネ・・・。わたしの言うことには従ってちょうだいね? あなたはこの街は初めてなんだから」


 突然口調を変えて、クレアがアンネローズの肩を叩く。

 アンネローズはそれを押し返して、


「わかってるわよ、姉さん・・・。わたく……わたしだって、危ない目には遭いたくないし」


 少し噛みながらも、アンネローズもまた、砕けた口調でそう返す。


 街の中では、まちがっても貴族だと気づかれないこと。


 それがクレアとの約束だ。

 そのために、街ではアンネローズ――いや、アンネ・・・とクレアは姉妹ということにする。

 さいわい、アンネローズもクレアも明るい金髪で、キレイ系の美女・美少女であるから、姉妹を名乗っても違和感はない。


 ……なんだか新鮮ね。


 いつもは自分が主人でクレアが従者なのに、サイローグの中ではその逆だ。


 でも、意外と違和感がないわ。まあ、クレアはわたくしにとっては姉のようなところもあるし。


 クレアはアンネローズ相手に砕けた口調で話すのにかなり抵抗があったようだが、事前練習のおかげか、今ではちゃんとそれらしくなっている。


「クレア、この街には城門はないのね」


「そりゃそうよ。この街に守らなきゃいけないものなんてあると思う?」


「けど、外からやってくる盗賊とか……」


「下手な盗賊より、中にいる連中のほうがよっぽど危険よ。それより、そろそろフードをかぶって」


「わかったわ」


 街の外縁が近づいてきたので、二人は目深にフードをかぶった。

 アンネローズもクレアも人目を惹かずにはいられない整った容姿の持ち主だ。

 力が支配するこの街において、美貌を晒して歩くことは、貴金属を見せびらかして歩く以上に危険である。


 それでも、街中にさしかかると、狭く曲がりくねった路地のそこここから、二人を品定めするような視線が集まってくる。

 体型を隠すマントをはおっていても女性であることは隠せない。

 それに、クレアはともかく、アンネローズのほうは、気づけば歩き方が綺麗に・・・なっている。

 背筋を伸ばした美しい姿勢で歩く女性など、この街にはほとんどいないのだ。

 それこそ、ごくまれにやってくる「外」の貴族か――そうでなければ、街の権力者のはべらす高級娼婦くらいである。


「アンネ」


「ご、ごめんなさい。つい」


 わざと雑に歩くという慣れない動きに四苦八苦していると、


「――おっと、ごめ――」

「アンネ!」

「きゃっ!」


 いきなり裏路地から飛び出してきた少年を見て、クレアがアンネローズを引っ張った。


「――ちっ! クソがっ!」


 少年は汚い罵りを漏らし、人混みの中に逃げ去った。

 かなりの人数が今の一幕を目撃していたはずだが、少年を捕らえたり注意したりするものはおろか、わずかな反応を示すものすらいなかった。


 ――この街では、これが当然なのだ。


 話で聞いてはいたが、自分の身で体験するとやはりおそろしい。


「……なるほど、ね」


 敵意の中でヘイト咲き誇る薔薇・ローズがあれば「敵」からの攻撃に対抗することはできるが、今のような突発的な事態に対応するのは難しい。

 今の少年からアンネローズに敵意が向けられたのは、ひったくりが失敗してからのことだった。

 アンネローズをひったくりの標的に選んだ時点では、少年にとってアンネローズは「敵」ではなかったということか。

 おそらく、「獲物カモ」だとでも思われていたのだろう。

 敵意の中でヘイト・咲き誇る薔薇ローズの思わぬ穴だ。


 他にも穴がありそうよね……。


 アンネローズ自身、敵意の中でヘイト咲き誇る薔薇・ローズが無敵の力だ、などと思っていたわけではない。

 だが、それでも、心のどこかに甘えが残っていたのだろう。

 敵意の中でヘイト咲き誇る薔薇・ローズがあれば滅多なことは起こらない……というような。


 気を引き締めていかなくては。


 改めて警戒に努めながら、クレアのガイドに従って、曲がりくねった雑踏を進んでいく。

 その間、さっきのようなひったくりがもう一度、物乞いの群れに囲まれそうになったことが一度、「中身」を確かめようとマントをはごうとされたことが一度……。

 わずかなあいだに自分の身に降りかかってくるいくつもの悪意に、アンネローズは怒る以前にめまいがした。


 ……こんな世界が本当にあるのね。


「アンネ、着いたわよ」


 クレアの声に顔を上げると、すぐ横にかなり大きめの建物がある。

 他の建物と同じく石材を無造作にブロックにし、積み重ねただけといった建物だ。

 なんの看板もかかっていないが、出入りする人々の物々しい雰囲気を見れば、ここが目的地であることはすぐにわかった。

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