第23話

 入り直すたびに構造が変化するというダンジョンの仕組みは論理的に矛盾している――

 アンネローズにとっては不思議でならない事実である。

 だが、それ以上に不思議なのは、


(クレアがまったく気づいてなかったこと。指摘されてもすぐにはおかしいと気づけなかったこと)


(それだけじゃないわ。わたくし自身、ダンジョンに何度となく潜りながら、これまで疑問に思ったことが一度もなかった……)


 貴族学院の実習では、生徒たちは実習の時限にダンジョンに出入りする。一度出てから入り直すという事態は基本的には起こらない。

 だから、この矛盾に気づかなかった?

 いや、


(いくらでも気づく余地がありそうだわ。もしわたくしがぼさっとしていただけだとしても、わたくし以外の人が誰も気づかないなんてことはありえないはず)


 学院では、貴族の子女である生徒が実習で危険な目に遭わないよう、ダンジョンを管理する専属の探索者モグラが複数雇われている。彼らは、生徒とは違って、別個に出たり入ったりする機会があるはずだ。この矛盾に気づかないとはおもえない。

 貴族学院が創設されて以来、附属ダンジョンはずっと実習に使われてきた。その長い歴史の中で、教師や生徒やモグラたちが、誰一人としてこの明白な矛盾に気づかなかったとでもいうのだろうか?

 貴族学院は、国そのものと同じくらい長い歴史をもつとされている。

 貴族学院が創設されて以来、ということは――


(……………………!?!?)


 アンネローズに脳裏に底知れない衝撃が走った。

 なにかを思い出したから……ではない。

 ――なにも思い出せなかったから、だ。

 今、アンネローズは、「学院創設から現在までのあいだにどのくらいの人数が附属ダンジョンに関わったか?」を概算してみようとした。

 そのためにまず、貴族学院はいつからあるのかを思い出そうとした。

 ところが、


(……思い出せない。記憶にない。習ってない。知らない。興味を向けたことすらない!)


 貴族学院がいったい何年に創設されたのか、アンネローズには知識がなかった。

 具体的に何年創設という知識もなければ、今年が創設何周年に当たるといった形の記憶もない。ざっくり、〇〇王の時代につくられた、といった歴史的な知識も浮かばない。漠然と、ただ「長い歴史がある」という知識――いや、出所不明の思い込みのようなものがあるだけだ。


 「前回」生徒会長を務めていたアンネローズは、学院行事の由緒や先例についてはかなり詳しい。アンネローズでなくとも、伝統と格式を重んじる貴族であれば、自分たちの出た学校の由緒について、ことあるごとに強調するのが自然だろう。歴史ある学校の卒業生であることは、貴族にとって格好の自慢の種になるはずだ。

 ところが、アンネローズの記憶にあるかぎり、その手の自慢話を卒業生や教職員から聞かされたことがまったくない。


 ――誰もが、「貴族学院」の来歴について無関心なのだ。


 もちろん、貴族学院の創設がアルバ王国の建国より後なのはあきらかだが、それではアルバ暦1年からアルバ暦997年まで千年近い幅があることになってしまう。


(さすがに、わたくしの親の世代にあったことは確かよね。祖父の学院時代の話を聞いたこともある。世代をさかのぼっていけば、ここ数十年のあいだは存在していたはずだけど……)


「どうなさいました、お嬢様?」


 青い顔で考え込むアンネローズに、クレアが立ち止まって聞いてくる。


「…………いえ。今考えることではなかったわ」

「そうですか」


 首を左右に振るアンネローズに、クレアはいつもどおりの調子で言う。


「ところで、先ほどのダンジョンの話ですが……。論理的には矛盾していても、とくに問題はないのではないでしょうか? ダンジョンが入る度に変化するのはれっきとした事実です。気にするほどのこととは思えません」

「…………本気で言ってるの?」


 まるでたいしたことがないように言ってくるクレアに、アンネローズはとまどった。

 クレアは、たしかに思考よりも行動を重視する性格だ。

 だが、思考を軽視しているわけではない。むしろ、行動に移る前には徹底的に思考を巡らせる。

 そんなクレアが、ダンジョンの矛盾を「気にするほどのことではない」と断じるのは、いくらなんでも不自然だ。

 クレアの様子は、アンネローズを安心させるため、というようにも見えない。本気でそう思っているようにしか見えなかった。


「ねえ、クレア。貴族学院が創設されたのは何年かわかる?」


 アンネローズはおそるおそる聞いてみる。


「……さて。記憶にありませんが……今問題となることでしょうか?」


 この質問にも、クレアは不自然に「軽く」答えてきた。

 アンネローズはめまいがしそうな気分になった。


 だが、たしかに、今ここで考えても答えがわかることはないだろう。

 クレアに負けず劣らず、アンネローズもまた、実際的な考え方をするほうだ。

 ダンジョンの中でいたずらに立ち止まるのは危険だと、学院の実習でも口を酸っぱくして注意された。

 アンネローズは首を振って、


「いえ……いいわ。今はダンジョンの探索に集中しましょう」

「ええ、それがよろしいかと。次の角の先に、禍獣カースドが何体かたむろしています」


 クレアの言葉に、アンネローズは声を落とす。


「危険な相手?」

「いえ、小型の偽獣タイプの禍獣カースドです。ハウンドドッグの群れでしょう」

「……この距離でそこまでわかるの?」

禍獣カースドには特有の気配がありますから」


 クレアは涼しい顔で言うが、貴族学院の実習でもそんな話は聞いていない。


「私は、過去に倒したことのある禍獣カースドの『手応え』を覚えているのです。それと同じ手応えを向こうから感じるということです」

「そ、そんなことができるの?」

「慣れですよ。お嬢様にもすぐにできるようになるとおもいます」

「本当かしら……」


 クレアが優秀な探索者だったとは聞いていたが、ひょっとすると彼女は天才タイプだったのかもしれない。「前回」の実習でかなりの数の禍獣カースドを倒したはずのアンネローズだが、クレアの言う気配だの手応えだのを感じ取れたことはない。


「では、初戦闘と参りましょう」


 クレアの言葉に、アンネローズは顔を引き締めた。

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