第22話
――迷宮都市サイローグの探索者たちをかき乱したあげく、下層を目指すと言って行方不明になった女は、他でもないティエナだった。
だが、三年前に戻ったアンネローズが、まだ出会ってもいないティエナのことを知っているのはおかしい。
不審の目を向けるクレアとサイクスをなんとか誤魔化すと、アンネローズは(というより主にクレアが)当面の宿を確保、さっそく通用口の一つからダンジョンに潜ることにした。
クレアは、ダンジョンに初めて潜るアンネローズのことをずいぶん心配していた。
だが、いざダンジョンに入ってみると、それが杞憂だったことがすぐにわかった。
アンネローズは、緊張しすぎることもなく、かといって気を抜きすぎることもない、ちょうどいい緊張感を保ちながら、クレアの後ろをついてくる。
……まるでダンジョン探索の経験がおありのような落ち着きようですね。
と、クレアは思ったが、すぐにそんなはずがないと首を振る。
しかし、このクレアの感想は当たっていた。
今のアンネローズは、「前回」の学院生活でダンジョン実習を修了済み。
しかも、女子の中ではトップの成績だ。
貴族学院附属ダンジョンが貴族の子女向けに管理された比較的安全なダンジョンであるとはいえ、それでもやはりダンジョンであることにちがいはない。
基本的な注意点は同じだし、探索のための方法論もそのほとんどが共通している。
「不思議よね」
と、アンネローズがだしぬけに言う。
「なにがでしょうか?」
「だって、ダンジョンは人が入るごとに構造が変わるんでしょう? でも、このサイローグダンジョンにはいくつもの通用口から探索者が間断なく出入りしてるじゃない」
「……それのなにが不思議なのです?」
本気でわからなそうに、クレアが聞いた。
クレアがわからないらしいことに、アンネローズが驚いた。
「え、わからない? ええと、そうね。探索者が二人いるとしましょう。AさんとB さんね」
「……はい」
「最初にダンジョンにAさんが入るわ。朝入ったことにしましょうか。そして、昼頃にBさんもダンジョンに入る。A さんはまだ探索中。二人は同じ構造のダンジョンに入っていることになるわよね?」
「それはそうです。同じダンジョンに入っているのですから」
「そうよね。それから、昼になって、A さんがダンジョンをいったん出るわ。きっとお腹でもすいたんでしょう」
「探索者ならば携行食を用意しておくべきですが」
「まあ、そこは深入りする予定がなかったってことで。で、昼ごはんを外で食べたAさんは、昼過ぎにもう一度ダンジョンに入り直す」
「浅い階層の探索なら、そういうこともあるでしょうね。ただ、それをやってしまうと、一回目とはダンジョンの構造が変化し、一回目のマッピングが無駄になってしまいますが」
だから携行食を用意するのです、と言わんばかりのクレア。
「でも、携行食を用意していたB さんは、A さんが腹ごしらえをしているあいだも探索を続けているわ。そこに、腹ごしらえを終えたAさんが戻ってくる。そうすると……ほら、おかしなことになるでしょう?」
「…………なにがです?」
「えっ、ここまで言ってもわからない?」
アンネローズの言葉には、クレアを馬鹿にするような響きはない。
単純な驚きの色があるだけだ。
もっとも、言われたほうのクレアは眉をわずかだけ寄せている。
「あ、ごめんなさい、クレア。そういうつもりじゃなくて」
「いえ……すみませんが、お嬢様の言わんとしていることがわかりません」
アンネローズの要望を、一を聞いて十を知るどころか、まだ何も言わないうちに察してしまうのがクレアである。
言わんとしていることがわからない、などとクレアが言うのを、アンネローズは初めて聞いた。
「ええと……一回目のAさんと、Bさんは、同じ構造のダンジョンを探索しているわよね?」
「はい、そうですね」
「一回目のAさんと、二回目のAさんは、別の構造のダンジョンを探索することになるわよね?」
「ええ。おっしゃるとおりです。マッピングの手間が二重になり、大変非効率です」
「……いや、そこじゃないんだけど。じゃあ、潜りっぱなしのBさんと、二回目に入ったAさんは、このサイローグダンジョンを同時に探索している……これもいいわよね?」
「はい、おっしゃるとおりですが……。なんですか、さっきからもってまわったようなおっしゃりかたをされて……」
すこし気分を害した様子で、クレアが言った。
この忠実な侍女がそんな態度を取るのは珍しい。
クレアはアンネローズの言いたいことが汲み取れず、かなりのもどかしさを感じているようだ。
そんなに複雑なことは言ってない……いえ、むしろ単純な疑問点を聞いてみただけなんだけど。
なぜ、こんなに話が通じないのだろう?
いつもなら、とっくにアンネローズの意図を察してくれているはずだ。
「うーん。それなら、地図を比べてみましょうか。一回目のAさんの地図と、Bさんの地図は同じよね?」
「はい。探索範囲が重なっている部分に関しては同じです」
「でも、一回目のAさんの地図と、二回目のAさんの地図は別よね?」
「……はい。ダンジョンは入り直すたびに構造が変わりますから」
「じゃあ……さんの地図と、二回目のAさんの地図は?」
「同じダンジョンに同時に潜っているのですから、同じに決まっています」
「だけど、Bさんの地図は、一回目のAさんの地図とも同じだったはずよね? そうすると、Bさんの地図は、一回目のAさんの地図とも、二回目のAさんの地図とも同じだってことになるわ」
「当然でしょう」
「…………えっと」
自信たっぷりのクレアに、アンネローズは言葉を失った。
クレアは馬鹿ではない。
いや、抜群に頭の切れる優秀な侍女といっていい。
こうも理解してもらえないと、自分のほうがまちがってるのではないかと不安になってくる。
しかし、そんなはずはない。
「Bさんの地図
「……そうなりますね」
「でも、ダンジョンは入り直すたびに構造が変わるから、一回目のAさんの地図と二回目のAさんの地図は別のものになるはずでしょう? だとすると、一回目のAさんの地図が二回目のAさんの地図と同じでありながら、かつ、別のものであることになってしまう。論理的にいってありえないわ」
……なぜこんなわかりきったことを噛んで含めるように説明しているのだろう?
説明するほどにかえってわかりにくくなるような気すらしてくる。
三つの箱があったとしよう。
1つ目と2つ目の中身が同じで、2つ目と3つ目の中身が同じだったとする。
その場合、1つ目と3つ目の中身も同じはずだ。
それなのに、1つ目と3つ目の中身が違うと主張する人がいる。
いや、実際に、1つ目と3つ目の中身は違うのだ。
アンネローズの日常における――いや、いつでもどこでも成り立つはずのロジックが、ダンジョンの仕組みと矛盾している。
アンネローズの説明に、クレアはしばしぽかんとしていた。
「………………えっ? お、おかしいじゃないですか!?」
混乱しきった顔でクレアが叫んだ。
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