第31話

 クライスのバストアップが描かれた扉の奥にあった階段を、クレアとアンネローズは慎重に降りていく。

 ダンジョンの普通の階段とはずいぶん雰囲気がちがっていた。

 普通の階段はそっけのない石の階段だが、この階段には赤い絨毯が敷かれている。幅も高さも広めで、左右の壁には燭台まで。城の階段だと言われても違和感がないほどだ。

 階段は、そんなに長いものではなかった。

 数階分を降りたところで階段は終わり、その先にはまたしても扉が待っていた。

 今度の扉は両開きの分厚い木の扉で、イラストなどは描かれていない。

 ただし、その扉の上に、けばけばしい色で光る管のようなものが掲げられている。

 ネオン管――この世界の住人であるアンネローズは見たことがない――で描かれた文字は、


「CASINO?」


 と、読めた。


「賭場、ということ?」

「さあ、このようなものがあるなど、聞いたこともございません」


 アンネローズとクレアが顔を寄せてささやきあう。

 耳を澄ますと、分厚い木の扉の奥から、喧騒の気配が漏れていた。


「ジャラジャラと……これは硬貨の音でしょうか。人の気配もあります。広さの割には少ないようですが」


 扉に身を寄せ、クレアが言った。


「どういたしますか、お嬢様?」

「……そうね」


 アンネローズは思案するように顎に手を添えるが、その実、考えらしい考えは浮かばなかった。


(こんな事態をどう考えればいいというのかしら?)


 考えようがない。

 それが、考えた末の結論だ。


禍獣カースドがいないのなら、入ってみましょう」

「お嬢様。危険なのは禍獣カースドばかりではありません」

「それはそうだけど……」

「高位の禍獣カースド――偽人ヒューマノイア悪魔デモノイアの中には、禍獣カースドとしての気配を隠せるものもいます」

「……悪魔デモノイアの仕掛けた罠だというの?」

「さあ、わかりませんが……」


 安全を重視するなら、引き返すのも手だ。

 熟練の探索者であるクレアがこうも怖気づくくらいなのだから。

 ただ、


(引き返せば、もう二度とこの場所には来られないかもしれないわ)


 クライス王子の描かれた扉は「まれに」出現するものらしいが、その「まれに」がどのくらいの頻度なのかはわからない。

 数年に一度といった低頻度だった場合、例の「断罪」までのあいだに再び扉を見つけることはできないかもしれない。


「――確かめましょう」

「……かしこまりました」


 クレアが扉を押し開く。

 わずかに空いた扉の隙間から、奥の喧騒が溢れ出す。

 扉の前に危険がないことを確かめながら、クレアは通れるだけの幅を開く。

 その先に見えた光景は、


「本当に賭場ね」

「そうですね」


 CASINO、と書かれていた通り、扉の奥は賭博場カジノだった。

 薄暗い間接照明に照らされたフロアに、ルーレット、ブラックジャック、ポーカー、スロット……等々のテーブルが置かれている。

 それぞれのテーブルには、うつろな笑みを浮かべたディーラーが何をするでもなく立っている。

 そう――何をするでもなく。

 このカジノには、客が一人もいないのだ。


「奇妙な光景ね」

「営業中の賭場としては、おかしいですね」


 クレアの返事が煮えきらないのは、やはりここもダンジョン扱いだからだろうか。


「あれは……?」


 アンネローズが目を吸い寄せられたのはスロットだ。

 他の遊戯は、ルーレットやカードを使った、この世界にも存在するものだが、自動でリールの回転するスロットなど、この世界にあるはずがない。

 いちばん奥にある大きな円柱を中心に扇状に並んだスロットは、客がいなくても回転している。

 アンネローズは、こちらを見ようともしないディーラーたちのいる各種テーブルのあいだを薄気味悪い思いで通り抜け、手近なスロット台に近づいた。

 スロット台は、人間がまるごと入りそうな大きさだ。茶色い木目の箱の真ん中に、金縁の飾りのついたリールが五つ。横と斜めに線があり、その先に①②……と数字が振られている。投入口にコインを入れ、端についたバーを下げるとスロットが始まる仕組みだ。

 誰もスロットの前に座っていない今は、スロットはデモンストレーションで回っているようだ。

 回転するリールを流れていく絵柄は、7やベルやチェリー……ではない・・・・


「これって……まさか、クライス王子たち?」

「……の、ようですね」


 リールを流れている絵柄は、かわいらしくデフォルメされた男性たちだ。

 丸っこくされた大きな顔と、対照的に小さな身体。

 アンネローズにゲームの知識があったら、「ミニキャラ」と呼んだだろう。

 ミニキャラの男性たちは五種類いるようで、アンネローズはその全員に見覚えがある。

 忘れもしない、アンネローズを「断罪」しようとしたあの五人だ。


「ええっと……これは要するに、絵柄を揃えると勝ちというゲームなのよね?」

「で、しょうね」

「なぜ、その絵柄があの五人なの?」

「あの、とは?」


 アンネローズのつぶやきに、クレアが眉根を寄せた。

 現時点でのアンネローズは、クライス王子以外の面々とはまだ面識がない。クライスとの接点も幼い頃からパーティ等で顔を合わせる機会があった、という程度にすぎない。


「あ、いえ。この国の有力貴族の嫡男たちが、なぜ選ばれているのか、ということよ」

「たしかに奇妙な話ですが……」


 クレアは「それがどうしたのか」という言葉の後半を呑み込んだようだ。

 ようやく事態の奇妙さに違和感を覚えたのか?とアンネローズは思ったが、


「っ! お下がりください! 誰かいます!」


 クレアの警告に、アンネローズは慌てて身構えた。

 クレアの視線は、スロット台の林立する奥――円柱の影になっているほうへと向けられている。

 そこに、何者かがいるのだ。


 アンネローズが剣の柄に手を伸ばして奥を覗き込むのと、

 その「何者か」が叫ぶのは同時だった。



「――うがあああああああっっっ!!! 出ない、出ない、出ないいいいいいいいっっっ!!!」



 目を血走らせ、ゆるふわのウェーブヘアーをかき乱してそう叫んだのは、


「テ、ティエナ嬢!?」


 アンネローズを破滅へと追いやった少女がそこにいた。

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