第32話

「――うがあああああああっっっ!!! 出ない、出ない、出ないいいいいいいいっっっ!!!」


「テ、ティエナ嬢!?」


 アンネローズは思わず叫び、すぐに「しまった」と後悔した。

 スロットの前にいたティエナが弾かれたように振り返る。

 ピンクがかったゆるふわのウェーブヘアー。大きくて愛らしい目。低めの鼻も、彼女に関してはキュートさを強調する要素だろう。

 そんな、愛くるしいはずの容姿を持つ彼女だが、今の顔は異性に見せられるようなものではなかった。

 目は充血し、髪はぼさぼさ。

 肌ツヤも悪く、目の下にクマまで浮いている。


(まるで――徹夜でスロット台にかじりついていたみたいだわ)


 その血走った目が、アンネローズを捉えた。

 目は、そこに人がいることに驚いて身開かれる。

 その一瞬後に、それが誰であるかに気づき、さらに大きく見開かれる。


「あ、悪役令嬢がなんでこんなとこに!?」


 スツールを蹴って立ち上がったティエナが、足もとに積まれていたコイン箱を倒す。

 箱からこぼれたコインが派手な音を立ててチェッカー盤模様のカーペットにちらばった。その一枚が立ったままふらふらと転がって、アンネローズの靴にぶつかった。

 アンネローズはそれを拾い上げる。

 コインは、アルバ王国の硬貨ではなかった。カジノのチップを兼ねているらしく、縁を赤と白で塗装されている。その真中には「100」の数字。


「何者ですか!?」


 クレアが両手を構え、ティエナに誰何すいかの声を投げつける。

 クレアの両手のあいだには、細くきらめく線のようなものが走っている。

 革製の指サックのあいだをあやとりのように走る極細の糸。

 それこそが、クレアの最も得意とする武器なのだ。

 ティエナは背中から杖を取り出し、アンネローズたちに油断のない目を向ける。


「何者か、なんて言われる筋合いはないわね。あんたたちこそ、どうやってここに入ってきたのよ?」

「聞いているのはこちらです」

「なんであんたに一方的に聞かれなきゃならないのよ」

「……答えないのなら、答えさせるまでですが?」


 クレアが指先をわずかに動かした。

 ティエナの周囲に幾条ものきらめきが走る。

 スロット台や円柱のあいだに、クレアの放った極細の糸が張り巡らされていた。

 カジノの照明に輝く糸を見て、ティエナの顔がひきつった。


「……めんどうね。なんで死操しそうが悪役令嬢についてるのよ」

「なっ……なぜわたしのことを?」


 探索者時代の二つ名を言い当てられ、クレアが顔色を変える。


「そりゃ、攻略対象以外でパーティに入れるとしたらあんただもの。純粋な火力こそアイザックやシモンに劣るけど、即死クリティカルもあるし、万能タイプでどんな状況にも対応できる。まあ、壊れキャラの一人よね」

「攻略? キャラ? 何を言っているのです?」

「だぁからぁ。あんたたちに何言ったって無駄なんだっての。所詮モブでしかないんだからさぁ。まあ、アンネローズ・マルベルトはただのモブとはいえないでしょうけどね」


 肩をすくめ、不敵な笑みを浮かべてティエナが言う。


「わたくしのことも知っているのですか?」

「だから、なんでわたしが答えなきゃならないのよ」


 ふてぶてしく言ったティエナに、クレアが視線の温度をさらに下げる。


「それは、わたしが死操しそうと呼ばれていた理由をその身でお知りになりたい⋯⋯ということでしょうか?」

「おお、怖い怖い。でもね、わたしだって伊達にメインヒロインやってないのよね」


 ドン、とティエナが杖で床を突く。

 ティエナを中心に、透明な障壁が現れた。

 同時に動いたクレアの糸は、その障壁に阻まれる。


「⋯⋯物理障壁ソリッドバリアですか。厄介ですね」

「ちょっと、問答無用はひどいんじゃないの? まだ、あんたたちに敵対するようなことはしてないと思うんだけど?」


 それは、ティエナの言う通りだ。

 現時点では「まだ」、ティエナはアンネローズに危害を加えていない。


「……クレア」


 アンネローズが声をかけると、クレアが手の構えをゆっくりと解く。

 張り巡らされていた糸が、あっというまに巻き取られる。


「そうそう。いくら悪役令嬢だからって、いきなり殺しにくるのはダメでしょうが」


 そう言いながらも、ティエナはまだバリアを解いていない。

 だが、こちらを攻撃してくる様子もない。

 ティエナの視線は、警戒と好奇が入り混じったものだ。

 話の持っていきかた次第では、ティエナの事情も聞けるだろう。


(聞きたいことは、それこそ山ほどあるけれど……)


 聞けば、こちらの事情も聞かれるだろう。


「先ほど、あなたは『まだ』わたくしたちに敵対するようなことはしていない、とおっしゃいましたね?」

「……そんなこと、言ったっけ?」

「たしかにおっしゃいました」

「失言だったわね」


 ティエナが顔をしかめる。


「それから、悪役令嬢……というのは? 初対面の相手に対する呼びようではないと思いますが?」

「迂闊だったわ。負けがこんでたもんだからつい⋯⋯」

「なぜあなたはこんなところでギャンブルをしているのです? そもそも、どうやってこの場所を知り、この場所に入ったのですか?」

「やっぱ、そう思うわよね。うーん、困ったわ」


 ティエナはしばし黙考してから、逆にアンネローズに質問する。


「あんたこそ、なんでこの場所にいるの? ここにわたし以外の人間が入ってこれるとは思えないんだけど」

「なぜそう思うのです?」

「だって、あの扉は……」

「あの扉について、何か知っているのですね?」

「……ううーん? じゃああんたは、あの扉が何かも知らずに入ってきたっていうの? それは妙ね。『まさか』と思った推測も、扉の意味を知らないようじゃ違うみたいだし……」


 ティエナはアンネローズの顔を、まじまじと覗き込むように見つめてくる。

 数秒、居心地の悪さを味合わされた後に、ティエナが唐突に口を開く。


「東京タワー」

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