第43話
「じゃあ、帰りましょうか。忘れ物はないわね?」
ティエナが言った。
さっきまでは酔いの進んでいたティエナだが、今はすっきりした顔になっている。
解毒魔法を自分に使って酩酊状態を解除したのだ。
(ティエナさんは神官系の技能を身に着けているようね)
そういえば、最初にクレアが糸で攻撃をしかけたときにも、
使えるものがほとんどいない……というほどではないが、あの一瞬でクレアの攻撃を完全に防げるレベルの障壁を展開するのは難しいはずだ。
今の解毒魔法も、流れるような自然な手順で発動している。
……まあ、解毒魔法に関しては単に「使い慣れている」だけかもしれないが。
前世の生い立ちが影響しているのか、ティエナにはアルコール依存の気があるようだ。
(「前回」のティエナさんが防御や治癒の魔法に優れているといった話はなかったと思うけれど……)
男性陣に前衛を任せ、その怪我を治すということはやっていたが、高度な治癒魔法が使えるわけではなかったはずだ。
治癒魔法そのものは、初歩的なものであれば、ある程度魔法が使えるものなら比較的簡単に習得できる。
ただ、この世界には
ティエナの
「前回」のティエナは、自分に才能のない分野はさっさと見切り、その分野を得意とする男をたらしこむことで補いをつける、という戦略を取っていた。
(でも、このティエナさんはちがうわね)
身を守るのに必要な防御魔法。怪我をしたときのための治癒魔法。
ダンジョンに一人で潜り、カジノにたどり着いたのだから、探索の技術や戦闘力もかなりのものがあるはずだ。
アンネローズが扉を発見したのは、ベビーモスを倒した後だった。ティエナがベビーモスを倒したのかどうかは聞いていないが、中ボスと呼ばれるクラスの
要するに、ソロの探索者として、ティエナは普通以上に「優秀」なのである。
「帰りは、帰還の御札を使いましょう」
カジノから出たところで御札を使えば、一瞬でダンジョンの外に出られるはずだ。
「そうね。もったいない気もするけど、早く帰ったほうがよさそうだし」
アンネローズの提案にティエナもうなずく。
べつにティエナと一緒に帰らなければならない理由はないのだが、あえて別々に帰る理由もない。
「たぶん同じパーティという扱いになってるはずだから、御札は一枚でいいはずよ」
「……あなたと仲間扱いされるのはやや心外ですが」
と、毒づくクレアに、ティエナが苦笑する。
「何度も言ったように、わざわざ
何度目になるかわからないやりとりをしながら、三人はカジノの両開きの扉をくぐった。
赤いカーペットの敷かれた階段を上り、ほどなくして例の扉の外に出る。
三人が中から外に出た途端、クライス王子のバストアップが描かれた扉が、蜃気楼のように揺らめき、ダンジョンの薄暗い闇の中に紛れて消えた。
「そういえば、ティエナさんはわたくしたちとは別の場所からカジノに入ったはずですよね?」
「だと思うけど。複数人がひっきりなしに出入りしてるはずのダンジョンなのに、入るたびに構造が変わったりするくらいなんだから、今さら考えるだけ無駄じゃない?」
どうやらティエナも、ダンジョンの構造変化の矛盾には気づいていたらしい。
「ネトゲ風に言えばインスタンスダンジョンなんでしょうけど……。知ってた? ダンジョンを出ると、探索中の細かな記憶が急速に薄らぐってこと。まるで夢から醒めたあとみたいに」
「……言われてみれば、そうですね」
「前回」貴族学院の附属ダンジョンに潜ったときにも、帰還後にはダンジョン内での個別の記憶がなくなっていた。
この「個別の記憶」というのは、ダンジョン内部の構造、出会った
ただし、ダンジョン探索を経て得られた経験や技術、知識はちゃんと残る。
「探索中はせっせとマッピングしてるわけだけど、ダンジョンを出ようとすると、なぜか『この地図はもういらない』という強い想念が浮かんできて、地図を捨てたくなるのよね」
「……何をおっしゃっているのですか? 探索が終われば地図など不要の長物ではありませんか?」
「……ほらね?」
クレアが本気でわからない様子で言うのを見て、ティエナはアンネローズに向かって肩をすくめる。
「これも『強制力』なのですか……」
「たぶんね。試しに、わたしの持ってる地図と、クレアさんの地図を比べてみましょうか?」
「とんでもない! 探索者同士で地図を比べるなど……!」
血相を変えて、クレアが拒絶する。
取り出そうとしていた地図を胸に抱き、絶対に見せまいと身構えている。
「…………やめとこうか。あんまり矛盾を突いてばかりいると、強制力が強くなることもあるんだよね」
「なんというか、中途半端ですね。強制力というのは」
「どういうこと?」
「そんな強力な力を働かせることができるのなら、もっと他にやりようがありそうなものです。誰一人気づきもしないように強制力を働かせるか、最初から矛盾など生じないように世界を創るかすればよさそうに思うのですが」
「そうね。だから、どっちかというと、『ラブラビ』が最初にあって、それに合わせてこの世界を創った、という感じがするのよね。この世界が最初にあって、それに似た乙女ゲームができたんだとしたら、この世界をゲームっぽくする必要なんてなさそうだし。要は、ゲームと世界のつじつまの合わない部分を強引になんとかするのが『強制力』ってこと」
「なるほど……」
「ま、ここで考えててもわかる話じゃないけどね。さっさと帰りましょうか」
ティエナがボディバッグから帰還の御札を取り出した。
どう使うのか? とアンネローズが見守る中、ティエナは御札を頭上に投げる。
……投げられた御札は、紙そのものの動きでひらひらと舞い、地面に落ちた。
「…………あら?」
「使えなかった……のですか?」
「おかしいわね」
「使い方が間違っているということは?」
「そんなはずはないんだけど。カジノの景品以外でも御札が拾えることはあって、わたしは前にも使ったことがあるし」
「では、どうして?」
「帰還の御札が使えないのは…………ま、まさか!?」
ティエナは顔色を帰ると、バッグから杖を取り出し、
直後、
――がぎぃんっ!!
火花とともに、金属が衝突するような音がした。
慌てて振り返るアンネローズ。
その間にも、立て続けに
ダンジョンの闇に、三日月型の鈍い光が翻っている。
それは、何かを刈り取るような動きで、ティエナの障壁にいくつもの斜めの斬線を刻んでいく。
ようやく、アンネローズの目が「それ」の動きに慣れてきた。
三日月型の光は、金色の鎌の、刃の部分。
その柄があると思しいあたりには、周囲よりもひときわ濃い闇が立ち込めている。
……いや、それは闇ではない。
光を吸収して離さない漆黒の
襤褸にくるまれた人型の、フードの下にあるものを見て、アンネローズは思わず息を呑む。
ダンジョンに、クレアの緊張した声が響き渡る。
「――死神!」
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